おはようございます。
東博の”博物館に初もうで”に行ったときには必ず、東博付設の黒田記念館の”正月公演”も見に行く。黒田清輝の代表作4点のみが展示されている特別室が開くのだ。お正月のほかに春と秋に各2週間だけというめったにない機会。ただ、去年のお正月はコロナ休演で、その代わり5月に見に行っている。
2022年1月2日にお正月公演へ。東博正門から塀沿いに芸大方面に歩き、塀の曲がり角を右に廻って、すぐ対面にある黒田記念館の前に立った。
黒田記念館 黒田清輝は、大正13(1924)年に没する際、遺産の一部を美術の奨励事業に役立てるように遺言し、その遺志を受けて昭和3(1928)年に竣工したのが黒田記念館である。

玄関から二階に上って、右に常設展示室、左に特別室がある。特別室の入り口にお正月公演の目玉、三大スターの一人が顔を覗かせている。

部屋の正面に陣取るのこの三大スター。重要文化財「智・感・情」の三部作(1893)。右側から智・感・情の順。

この絵は、明治30(1897)年、第2回白馬会展に出品された。のち、三画面とも加筆され明治33年パリ万博に出品され、日本人としては最高の銀賞を受けた。日本人をモデルにした初めての油彩画による裸婦像で、この時期、裸体画論争の真っただ中で、挑戦的に描いた作品だという。今では考えられないことだが、黒田の”裸体婦人像”(静嘉堂文庫美術館所蔵)は、風紀上問題ありとして、警察が介入し画面の下半身を布で覆うという”腰巻き事件”(笑)まで発生した。昨年、三菱の至宝展でこの作品を見ている。

金地背景に理想的な体形の女性が意味ありげに三者三様のポーズ。人体による寓意表現をこころみたものとされるが、それぞれのポーズの意味についてはいろいろ議論がある。

この絵の左壁にあるのが、湖畔(1897年)。この作品は教科書にもくりかえし掲載され、知らない人はいないくらい。昭和42(1967)年には記念切手のデザインに採用されている。モデルは、のちに妻になる照子さん。明治30年夏、箱根に避暑のため滞在し、芦ノ湖畔で描かれたもの。また、この絵は、白洲正子の実家(樺山家)の客間の飾られていた。祖父が黒田と同郷の鹿児島で、懇意な仲だったようだ。黒田の遺言も樺山に託されたほど。白洲は絵の中の女性について「湖水から生まれた水の精のように清々しい」と記している。
そして右側の壁に”読書”と”舞妓”が。

読書(1891)これは、フランス画壇へのデビューを果たした記念碑的作品とのこと。窓辺で本を読む女性の全身を、よろい戸から差し込む光が優しく包み込む。黒田は明治17年から26年までフランスに留学。この作品は、パリの郊外、グレー・シュル・ロワンに滞在しながら制作。モデルは村の農家の娘で、黒田と恋仲となったそうだ。この絵も樺山家が所蔵していて、食堂に飾られていた。白洲正子が食事のたびに見ていたとエッセイに書いている。これだけが重要文化財ではないのが不思議。初期の作品だからか。素人目には下の舞妓よりいいと思うが(笑)。

舞妓(1893)フランスより帰国した年、最初に仕上げた作品とされる。鴨川の明るい水面を背景に、出窓に座って話す舞妓を逆光でとらえる。縄手にあった小野亭の舞妓”小えん”をモデルに描いた。もう一人は女中の”まめどん”。これも重要文化財。

黒田清輝座のお正月公演は毎年、同じ演目だが、オールスター総出演なので何度でも見に行きたい。名画に説明などいらないが、今回は、久しぶりに、多少、解説めいたことを入れてみた。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!