気ままに

大船での気ままな生活日誌

今日は9+4+13=26の日でした

2018-07-26 21:22:55 | Weblog

こんばんわ。

今日は、9+4+13=26の日でした。

午前中、大谷翔平、見事な9号ホームラン!

初のライト中段へのホームラン。飛距離136メートルの特大の1発。


二桁ホームランへ王手。明日、いきそう!

午後、カルガモの四羽の子供、健在確認!

画面から一羽、外れていますが(画面の右上端)、四羽の無事確認。母鳥の位置取りが絶妙。

夕方、明後日に満月となるお月さま。十三夜

それで、9+4+13=26です。

今日は26日です!!

それでは、おやすみなさい。

いい夢を!

縄文展から。あたいにも9+4+13=26が隠れています。探してください。夜も眠れないかも

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縄文展/一万年の美の鼓動 その1

2018-07-26 17:48:13 | Weblog

1万年もつづいたという縄文時代が、もしかしたら、日本人の全盛期だったのではないかと思うことがよくある。たしかに、自然にまかせる生活だったから寿命も30歳程度で、15歳くらいで結婚して、次の世代が大人になる頃に世を去る。総人口も多くないから、自然の恵みだけで十分、生きていける。部族間の争いはあったにしても、小規模で、通常は平和に暮らしている。余裕がなければ、わざわざ、土器に網目模様をつけたり、火焔型土器や、あんなに想像力豊かな土偶をつくったりしない。表面的な見方かもしれないが、少なくとも、弥生時代以降、現代に至るまで、縄文時代を超える時代はなかったとぼくは思っている。

東博で”縄文展/一万年の美の鼓動”が開催されている。はじまって間もなく、七夕の日に出掛けた。とても素晴らしい展覧会だった。目玉は、史上初の縄文の国宝、6件すべてが集結ということで、ぼくも、これら、とくに5体の国宝土偶に再会するのが楽しみだった。だから、ここでもいきなり土偶から入ろうと思う。しかし、国宝土偶5体のうち、実は、縄文の女神と仮面の女神の展示7月31日以降ということを知り、肩すかしをくってしまった。(初日から並べてほしかった)でも、8月に、また、行くつもりなので、以下にそれらについても書こうと思う。この二つを抜かすわけにはいかないのでね。館内は写真撮影禁止なので、現地の博物館で撮ったものをここに載せようと思う。

まず、縄文国宝第1号となった、通称、”縄文のビーナス”から。ぼくがはじめて彼女に出会ったのは、今から30年以上も前。国宝になったばかりか、重文時代だったかの頃。松本からの帰途、茅野で下車し、博物館で初対面した。当時は、もちろんブログはなかったから、写真も感想文もない。そして、二度目は2009年12月、東博で開催された”国宝土偶展”で。このときは、縄文のビーナスを含めて、”中空土偶”(函館から出土)と合掌土偶”(青森県八戸)の3点だけが国宝だった。そして、三度目にお会いしたのは、茅野の博物館で、2014年9月。このときは、妹の”仮面の女神”が国宝になったばかりで、それも一緒に見ることができた。(そのあとすぐ2014年、10月、東博での日本国宝展で5体お揃いでも見ている。)ということで、まず今回で5度目となる(予定の)、”縄文のビーナス”から。そのあと”仮面の女神”を詳しく、ご覧いただきます。

縄文のビーナス(尖石(とがりいし)縄文考古館にて)

美尻と渦巻頭の、縄文のビーナス


縄文のビーナスは、約4000年から5000年前、縄文時代中期。全長は27センチ、重量は2.14キロ。昭和61年、茅野市の棚畑遺跡で出土。頭頂部が平らで、円形の渦巻き文が見られる。顔はハート形のお面のようで、切れ長のつり上がった目と小さなおちょぼ口。また、胸は小さいが、お腹とお尻は大きく張り出しており、妊娠した女性の様子を表している。つくりは骨格を組み立て、粘土で肉付けする方式。粘土には雲母が混ぜられ、金色に輝いている。

つづきまして、妹分の仮面の女神。これは同年4月に東博の新国宝指定展でも見ているので、今回で四度目となる。

仮面の女神 (尖石(とがりいし)縄文考古館にて)

仮面の女神は、約4000年前、縄文時代後期前半。茅野市湖東の中ッ原遺跡から出土。全長34センチ、重量2.7キロ。逆三角形の仮面をつけ、体は渦巻き文様。粘土紐を積み上げて作成、中空になっている。お墓の前の土に横たわるように形で掘り出された。右足ははずれていたが、これは当時、人為的にはずしたものとのこと。

ビーナスと仮面の女神の比較。小柄なビーナス。

さて、お次は、日本国宝展の半年あと、2015年7月、山形県立博物館で再会した”縄文の女神”。国宝に認定されたのは平成24年(2012年)。それまでは、地元では”縄文のビーナス”と呼ばれていたが、すでに、茅野の国宝・縄文のビーナスがいるので、これを機に、縄文の女神と呼称するようになった。

縄文の女神(山形県立美術館にて)正面から。頭部は半円形に丸く、複数の孔が開けられている。眼・鼻・口の表現がないのが特徴。


横から。明瞭な出っ尻です(笑)。

四番目は、合掌土偶。これは、八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館の所蔵。近くまで行ったが、見逃してしまった。でも、青森市の県立郷土博物館でも精巧なコピーを観ることができた。

ちょうど国宝になったばかりの頃で、八戸の駅だったか、ショッピングモールだったかに、こんな合掌土偶の模型が。



膝を立てて座り、胸の前で両手を合わせるその姿から、”合掌土偶”と呼ばれている。何かを祈っているようにみえる。ぼくは、土偶の五郎丸ポーズと茶化したことがある(汗)。土偶の体の一部に赤色顔料が検出され、使用時は赤く塗られていたいう説がある。



ぜひ、現地、函館市縄文文化交流センターで見てみたい中空土偶。頭から足先まで中空なので、その名がある。しかし、頭が空っぽというイメージなので、もっといい愛称をつけてあげたい。北海道唯一の国宝でもあるし、”縄文北の女王”とか。



8月にもう一度、行き、縄文のビーナスに会ってくるつもり。



(つづく)

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徒然なるままにカルガモ母子

2018-07-25 22:01:25 | Weblog

こんばんわ。

”徒然なるままに”シリーズ第〇弾です(笑)。午後の中途半端な時間からはじまる竹内整一先生の”徒然草を読む”の受講の日の出来事を綴るシリーズ。今日は、帰り道のこと。

昨日までの厳しい暑さとは違って、今日は、幾分、凌ぎやすい。で、帰り道は遠回りして。それが良かった。暫く振りにカルガモ母子に再会できた。きっと、母子とも暑さがやわらぎ、ホッとしたのでは。気持ち良さそうに休んでいました。

四羽とも元気。でも、7月15日以来だから、もう少し大きくなっていてもいいはず。暑さ負けかも。

。。。。。

今日の徒然草は、ぼくの好きな、第155段が入っていた。季節の移り変わりは、例えば、夏という季節が暮れきって秋になるのではなく、夏の中にすでに秋の気配が通っているように徐々に進む。それでも四季には春夏秋冬という順序がある。しかし、人間の場合、死はそんな順序にかまわず、いきなりやってくる。しかも、前からやってくるばかりとは限らない。後ろからだってやってくる。

第155段の原文。後半部だけ。

春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の來るにはあらず。春はやがて夏の氣を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は則ち寒くなり、十月は小春の天氣、草も青くなり、梅も莟みぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる氣、下に設けたる故に、待ち取る序、甚だ早し。生・老・病・死の移り來る事、又これに過ぎたり。四季はなほ定まれる序あり。死期は序を待たず。死は前よりしも來らず、かねて後に迫れり。人みな死ある事を知りて、待つ事、しかも急ならざるに、覺えずして來る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の滿つるが如し。


徒然なるままにオオモクゲンジの袋状の実。今日の公開講座のあった大学の門の脇に。

今宵のお月さま。あと3日で満月。台風が来そうで心配。

それでは、おやすみなさい。

いい夢を。

縄文のビーナス

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炎暑の東慶寺 百日紅、撫子、女郎花

2018-07-25 10:16:32 | Weblog

おはようございます。

度を越した暑さの表現としては、猛暑、酷暑、炎暑などいくつかあるが、これらの中で一番、暑そうなのはどれ?と聞かれたとき、ぼくは炎暑と答える(笑)。なんてったて、炎ほど熱いものはないからね。ということで、今頃の暑さは、まさに炎暑。

午後4時過ぎだったが、まだ炎暑はおさまるどころか燃え盛っていた。観光ミシュラン三ツ星の東慶寺もさすが人っ子一人いない。いや、一人だけいた。

炎暑の中、燃え盛っている花は三つ、四つ。

ひとつは、撫子。さすが大和撫子はつよい。霞んで見えるのは、ぼくの老眼のせいではなく、レンズがくもったため。こんなことははじめて。炎暑のためか。二度目以降はそのたび、レンズを拭いてから撮った。まるで炎のように撮れた。

女郎花(おみなえし)は秋の七草なのに、夏の暑さにも負けない。ぐんぐん伸びているし、花も盛りだ。

白い桔梗。仏性は白き桔梗にこそあらめ(漱石)。句碑は向かいの円覚寺の帰源院にある。

炎暑に似合う百日紅の花。

煙りが!

炎暑に似合う炎かな。

お寺を出て、北鎌倉駅前の池でカワセミを探したが、どこかに避暑に出掛けたようだった。


それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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月と花火とホームラン

2018-07-24 22:49:55 | Weblog

こんばんわ。

今日は、月と花火とホームランの日だった。

大谷翔平、特大8号ホームラン。


満月まであと4日のお月さま。

今日は、由比ヶ浜での鎌倉花火大会。花火がはじまれば、この辺り(矢印)に見えるはず。

しばらくして、どん、どん、どんと花火の音。しかし、矢印の辺りが明るくはなるが、花火は現れない。去年とは違う。ようやく、ひとつ、ふたつ捉えた花火。とほほの花火。でも、一応、お月さまと花火を一緒に撮れたからよしとしよう。

去年、我家のベランダから見た鎌倉花火。このとき月はなかった。

花火はトホホだったが、(東から順に) 火星、土星、月、木星、金星と勢揃いで見ることができ、こちらはウフフだった。

それでは、おやすみなさい。

いい夢を。


鎌倉花火

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歌仙と古筆/出光美術館

2018-07-24 09:48:57 | Weblog

おはようございます。

あの日は、猛暑の中、都内をうろついていた。もう、限界、涼しいところでゆっくりしたいと思って、最初に思いついたのが出光美術館。あそこには、お濠端を見下ろせる休憩所がある。冷たいお茶も飲み放題(笑)。というわけで、まず20分ほど、熱くなっていた身体をここで冷やした。そして、展覧会へ。”歌仙と古筆”展。なんと、柿本人麿の像を神さまのようにまつる”人麿影供(えいぐ)”の始まりからちょうど900年になるそうだ。加えて、今年は、西行法師の生誕から900年とのこと。面白い巡り合わせのこと。それらの記念展である。

というわけで、お二人に関連した作品が並んでいる。第1章は”歌神となった人麿/人麿はどのように描かれたか”。佐竹本・三十六歌仙絵からはじまり、土佐光起らの作品につづいて、岩佐又兵衛が登場。人麿像に加えて、山辺赤人、藤原高光、源宇于像も、さらに、三十六歌仙・和漢故事説話図屏風もあり、5点もの展示。又兵衛フアンとしてはうれしい展示。特等席には宗達の”扇面散図屏風”。椅子に座って、ゆっくり眺める。人麻呂像は、よれよれ烏帽子に、斜め上を仰ぐような姿勢で、右手に筆、左手に短冊をもつ佐竹本のポーズが、その後もベースになっている。

佐竹本・三十六歌仙絵”柿本人麿”画/伝 藤原信実 詞書/伝 後京極良経(鎌倉時代) 重要文化財 (前後期で山辺赤人、住吉大明神も)



第二章:”描かれた歌人たち”の中に西行法師関連が登場。宗達の西行物語や伝西行の中務集など。

西行物語絵巻 画・伝宗達、詞書・烏丸光広


中務集 伝 西行 平安時代 重要文化財

そして、第3章 国宝・古筆手鑑”見努世友(みぬよのとも)”と古筆の世界へ。

見努世友の名称は、徒然草十三段の”ひとり燈火のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするこそ、こよなう慰むわざなれ”に由来するとのこと。 久し振りの対面。

古筆手鑑・見努世友 平安~室町時代 国宝

第4章の近世歌仙絵の変奏では、鈴木基一の三十六歌仙図が華やかだ。

三十六歌仙図 鈴木其一

この展覧会はもう終了。見ぬ世の友ともしばらくお別れ。次回、”江戸名所図屏風と都市の華やぎ” もまた、猛暑の中、訪ねるようになるのだろうか。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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大暑の日はモネの睡蓮で涼みました

2018-07-23 22:25:21 | Weblog

こんばんわ。

今日は二十四節気のひとつ、大暑。文字通りの大暑でしたね。熊谷で、な、なんと、41.1℃!日本最高記録だそうです!。大暑に日本最高気温ということで、記憶にも残る記録となりました。

おお、暑っ(大暑)の日は、モネの睡蓮で涼みましょうと、横浜美術館へ行ってきました。



では、展覧会場のモネの睡蓮をご紹介いたしましょう、といきたいところですが、撮影禁止ですので画像は、モーネー(もうない)です。

それでは、あまりにも悲しいので、撮影可能な常設展の作品を載せましょうか。

ちょうどモネと同時代に活躍した芸術家たちの作品から

初代宮川香山

渡邊幽香(幼児図) 

五姓田芳柳(外国人和装)

小林清親

突然ですが大カラスの登場。お久しぶり。

”モネ、それからの百年展”では”(モネの)イメージの引用と変化”という視点で現代作家が紹介されている。常設展でも、そいう視点でつくられた作品が展示されている。

荒木経惟 (複写美人、清方など)

福田美蘭(風神・雷神図、山水図)


森村泰昌(神とのたわむれ、私の中のフリーダ)



お口直しに日本画をどうぞ。

山村耕花(謡曲幻想/隅田川・田村)

下村観山(小倉山)

松林桂月(四季山水図)

松尾敏男(風雪)

荘司福 (原生)


帰り際、玄関口に本物の睡蓮があるのに気付きました。

。。。。。

上弦の月プラス3のお月さま。満月は28日。火星大接近は31日。

それでは、おやすみなさい。

いい夢を。

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ぼくの名古屋場所、星取り予想は大外れ

2018-07-23 10:28:35 | Weblog

恒例の(笑)、ぼくの星取り予想はどうだったか、の報告をしたいと思います。結果を先にいいます。大外れです。

でも、今場所は、ぼくだけではなく、誰もが大外れだったと思いますよ。まさか、三役に上がってから、二桁勝利を一度もしていない御嶽海が優勝するなんて、誰が思いつくだろうか。とにかく異例ずくしの場所だった。まず、4日目に白鵬が休場、そして、鶴竜が6日目、さらに、その翌日に新大関・栃ノ心まで、驚きの休場3連発。なんと、稀勢の里を含め、3横綱休場というのは、19年振りとのこと。

ぼくの予想では、高安、鶴竜、白鵬、栃ノ心の4強の争いで、千秋楽の優勝決定戦までもつれ込み、高安が初優勝という筋立てだった。ところが前述のように3強が脱落。おまけに高安まで、腰を痛めているらしく不調。その間隙を縫って、優勝したのが御嶽海。でも、運も実力のうち。これがきっかけで、一気にのし上がる可能性もあるのでは。第一、横綱陣が引退勧告したいものばかりだしね。栃ノ心、高安も怪我が多いし、豪栄道はカド番の常習犯。

その代わり、若手が伸びてきた。千秋楽で、御嶽海を大接戦で破った豊山をはじめ、朝乃山貴景勝、阿武咲。さらに遠藤、千代の国、北勝富士正代ら。上位陣と総とっかえしたいくらい魅力的な力士ばかり。秋場所が”新旧交代”の正念場になるのではないだろうか。

では、以下に、ぼくの星取り予想の結果を報告します。

予想の星取り/実際の星取り/ぼくの勝敗。〇は±1、●はそれ以外、△は途中休場

高安12勝3敗/9勝6敗●、鶴竜12勝3敗/休場△、白鵬11勝4敗/休場△、栃ノ心11勝4敗/休場△、逸ノ城9勝6敗/8勝7敗〇、御嶽海9勝6敗/13勝2敗●、豪栄道8勝7敗/10勝5敗●、正代8勝7敗/6勝9敗●、玉鷲7勝8敗/8勝7敗〇、貴景勝7勝8敗/10勝5敗●、阿炎6勝9敗/6勝9敗〇、勢6勝9敗/8勝7敗●、松鳳山5勝10敗/3勝12敗●、琴奨菊5勝10敗/休場△、千代の国5勝10敗/休場△

ぼくの成績; 3勝7敗5分(引き分けが異常に多い)
ぼくの番付け; 前頭東7枚目に降格 
(今場所から番付けもはじめました。スタートが前頭筆頭ということで)

秋場所は好成績を取り、番付をあげたいと思います。

 

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鎌倉で相撲絵 雷電もちらり 

2018-07-23 09:05:44 | Weblog

おはようございます。

大相撲名古屋場所も御嶽海の初優勝で幕を閉じたが、14日目、御嶽海が優勝を決めた日の昼間、ぼくは偶然、相撲絵をみていた。おまけに、御嶽海の郷土(長野県)の大先輩である、史上最強の力士、雷電が描かれている浮世絵もね。

鎌倉の小町通りから若宮大路方面へ少し、入ったところに、吉兆庵美術館がある。小さな美術館であるが、魯山人の常設展示のほか四季折々、特別展も開催する。今回は明治維新から150年を迎えた記念に、同館コレクションの中から幕末・明治に関連する浮世絵、書、工芸品などが展示されている。題して、”幕末から明治の人々と工芸品”展である。

その一画に明治の画家が描いた相撲絵の浮世絵コーナーがある。三枚続の大型のものばかりで、それが20ほど並ぶという豪勢なものである。なかなか見られない規模である。では、冒頭に述べた、雷電も出ている相撲絵から。これは、相撲の歴史がはじまって以来の強豪力士を並べたもので、その中央に名横綱・谷風らを差し置いて、大関・雷電がいる。横綱にはならなかったが史上最強とここでも評価されている。

大日本大相撲・勇力関取鏡 蜂須賀国明


江戸時代は雷電をはじめ名力士が続出し、大変な相撲人気で、力士も帯刀を許されるなど身分も高かった。それが、明治に入ると、西洋文化さまさまの時代になり、古きよきものが次々と壊されていった。相撲も例外ではなかった。1871年、”裸体禁止令”が出され、相撲は野蛮なものとされ、人気も下火となってきた。しかし、それを押し戻してくれたのが相撲好きだった明治天皇だった。相撲保護のため尽力され、1884年に天覧相撲がはじめて行われた。そのときの絵も展示されている。

延遼舘天覧相撲横綱之圖 尾形月耕 (横綱土俵入りは初代梅が谷。化粧まわしは伊藤博文が用意したという)

勧進大相撲土俵入り図 蜂須賀国明

相撲絵のほかにも、いろいろ。撮影禁止なのが残念。

初代宮川香山の真葛焼が四つが展示されていたが、その中に、めったに見られない琅玗釉(ろうかんゆう)の花瓶があり、うれしかった。また、大木平蔵(五世)の、明治天皇・皇后、元勲人形や明治大嘗祭の儀式などの作品も興味深かった。大木平蔵は京都の老舗人形店の当主で、現在は七世だそうだ。

ほかに、三舟(高橋泥舟、山岡鉄舟、勝海舟)の軸や、明治の呉服店の図なども。

大丸屋呉服店繁栄圖(井上探景)

それでは、みなさん、大暑にも負けず、お元気で!

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大谷翔平、長打2本 豊山亮太、殊勲の準優勝 

2018-07-22 22:13:08 | Weblog

こんばんわ。

今日は野球と相撲に興奮。

大谷翔平、長打2本!

1本目は、前回3三振ときりきり舞いさせられたサイヤング賞投手バーランダーに対し、あわやホームランかという強烈な二塁打。見事にお返しした。

二本目は最終回、苦手とされる左腕から、強烈な二塁打!

暑さを忘れる翔平の長打二発だった。投手としての復活も近いらしい。

豊山亮太、殊勲の準優勝!

名古屋場所千秋楽。御嶽海の優勝が決まってしまい興奮する場面もないだろうとたかをくくっていたが。豊山が御嶽海に対し、今場所一番の大熱戦。土壇場の掛け投げで制し、12勝目。堂々、準優勝を勝ち取った。できれば、一差で対戦させたかったところ。

掛け投げ

昨日は涙、今日は負けてもニッコリ、初優勝。

重いです。

上弦の月プラス2のお月さま

では、おやすみなさい。

いい夢を。

 

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