おはようございます。
先日、東博で開催されている国宝・聖林寺十一面観音菩薩/三輪山信仰のみほとけを見に行ってきた。
ぼくがこの観音さまを知ったのは、若い時分、白洲正子の”十一面観音巡礼”を読んで以来。この本の最初に、この十一面観音のことが出てくる。ご住職に案内されて、暗闇の本堂の隣りの雨戸を開けられたとき、観音さまの姿が目の前に現れる。”さし込んでくるほのかな光の中に、浮かび出た観音の姿を忘れることが出来ない。それは、今、この世に生まれたという感じに、ゆらめきながら現れたのであった。世の中にこんな美しいものがあるのかと、私はただ茫然とみとれていた”(原文のまま)
白洲正子がここを訪れたのは昭和7,8年の頃であるが、和辻哲郎の”古寺巡礼”によってこの十一面観音を知る。そこにはこう記されている。きれの長い、半ば閉じた眼、厚ぼったい瞼、ふくよかな唇、鋭くない鼻、―すべてわれわれが見慣れた形相の理想化であって、異国人らしいあともなければ、また超人を現わす特殊な相好があるわけでもない。しかもそこには神々しい威厳と、人間のものならぬ美しさとが現わされている。
これが、その十一面観音さまである。
頭部の十一面のうち正面の菩薩面など三つが失われている。
明治になって廃仏毀釈を逃れるように大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺から聖林寺に移ってきた。これを発見したのがフェノロサ。国宝認定第1号組。
8世紀につくられた天平彫刻の傑作。2メートル超えの堂々たる姿。木心乾漆造り。ぐるりと一周して観覧できる。
どの十一面観音も女体でありながら精神は男である、その両面を備えていると、白洲は言う。そういえば、とじっくり眺める。もう少し、ほっそりしている方がぼく好みかな(笑)。
大神神社拝殿の奥は禁足地として普段は神職さえ足を踏み入れない神聖な場所で、禁足地と拝殿の間には結界として三ツ鳥居が設けられている。会場では、三ツ鳥居が再現され、背景に三輪山の写真が飾られている。
仏教伝来以前の日本では、神は山、滝、岩や樹木等に宿ると信じられ、本殿などの建築や、神の像はつくらず、自然のままの 依り代(よりしろ)を拝んでいた。その形が現在まで続いているのが三輪山を御神体とする大神神社である。
法隆寺にまつられる国宝・地蔵菩薩立像、正暦寺の日光菩薩立像、月光菩薩立像もも大神神社にまつられていた。今回、明治時代以来の東博での”大神神社同窓会”になっている。
国宝・地蔵菩薩立像(法隆寺)
月光菩薩立像と日光菩薩立像(正暦寺)
わざわざ奈良まで出向かなくても拝観できるのはうれしいが、やはり、お寺でないと、白洲正子の感動は得られないだろう。是非、コロナ明けに、奈良へ行かねば。
東博本館横の、樹木界の十一面観音さまのような泰山木(タイサンボク)が大きな花を咲かせていた。
大谷翔平、今日は投手として残念な結果。でも明日があるさ、29、30号!
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!