気ままに

大船での気ままな生活日誌

応挙館と金木犀 

2023-10-12 22:33:28 | Weblog

こんばんわ。

昨日(10月11日)からはじまった東博の”やまと絵展”を見に行った。国宝の四大絵巻が勢揃いするなど期待通りの素晴らしい展覧会だった。それについては後ほどゆっくり記事にするとして、今日のところは庭園編でお茶をにごしたい(笑)。東博庭園内には茶室がいくつもあるが、その一つ、応挙館の前に大きな金木犀の木がある。鎌倉の金木犀がなかなか開花しないので、都内ではどうなのか、それも知りたかった。

これが応挙館の前の金木犀。

ほのかに金木犀の香りがするので、いくつか開花しているだろうと思った。しかし、いくら探しても蕾ばかりだった。でもだいぶ膨らんできていて、数日中には花盛りになりそうな雰囲気だった。

応挙館がいつもと違う様子で、縁側で人々がくつろいでいる。

玄関に廻ると、期間限定でここをカフェとして利用しているとのことだった。応挙館に入ったことがなかったので、いい機会だと、この「TOHAKU茶館」に入り、お茶をいただいた。

応挙館は、尾張国の天台宗寺院、明眼院の書院として寛保2年(1742)に建てられ、後に東京品川の益田孝(鈍翁)邸内に移築、昭和8年(1933)東博に寄贈され、現在の位置に移されたとのこと。室内に描かれている墨画は、天明4年(1784)、円山応挙が明眼院に眼病で滞留していた際に揮亳したもの。松竹梅を描いた床張付が残されている。

応挙の襖絵の前でお茶をいただくぜいたく。

うっとりするような幾何学模様、直線美。

隣りの建物は九条館。京都御所内の九条邸にあったものを東京赤坂の九条邸に移した建築で、当主の居室として使われていた。昭和9年(1934)九条家から東博に寄贈され、現在の位置に移築された。床張付、襖などには狩野派による楼閣山水図が描かれており、欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りされている。

外の裏窓から襖絵が覗ける。

金木犀を訪ねたお陰で、応挙館の室内をはじめて見学することができた。1週間後にお礼参りに来よう。まばゆいばかりの満開の金木犀の花と香りが迎えてくれるだろう。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

春草廬(しゅんそうろ)

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現の証拠、鈴虫花、兎苔、眉刷毛万年青、日高見せばや等秋の花 光則寺にて

2023-10-11 21:39:52 | Weblog

こんばんわ。

金木犀の花便りが聞こえてくるようになった。ぼくもおそらく鎌倉一早く、金木犀の開花宣言をした。10月5日、富士山の初冠雪の日、東慶寺のキンさんギンさん(金木犀、銀木犀)でそれぞれ開花一号を見つけた。ところが、3日後、訪ねたら、これにつづく花の開花はないばかりか、初花が散っていた。その後、北鎌倉、大船地区で調査したが、開花はゼロ。どうしたことだ。そして、今日は海辺の長谷ならばと光則寺を訪ねた。ところが、ガーン。金木犀の大木にひとつの花もない。そのあと妙本寺も調査したがここも何十株も並んでいるのにゼロ。どうも、鎌倉の金木犀は都内よりだいぶ遅れるようだ。ひょっとしたら開花しないかも。

でも転んでもただでは起きないゾ。光則寺で珍しい名前の花々をいくつも見てきました。さすが花の寺だけある。では、順不同で紹介しましょう。

光則寺山門

現の証拠(ゲンノショウコ)ドクダミなどと共に古くから日本で用いられてきた薬草。別名フウロソウといい、道端でも見られるというが、この辺りでは目にしない。ピンク色の可愛い花。

鈴虫花(スズムシバナ)スズムシが鳴く頃に花が咲くことから、この名が付いたといわれる。

兎苔 (ウサギゴケ)花姿がウサギのような形をしていることからこの名をつけられた。コケではなく食虫植物。地下茎についた捕虫袋から虫を取り込むそうだ。

うさぎが4匹、植木鉢から飛び出そうとしている。

眉刷毛万年青(マユハケオモト) 花の姿が眉刷毛(マユハケ)に似て、万年青(オモト)によく似た葉をつけることからこの名がある。

日高見せばや(ヒダカミセバヤ)苔岩に咲くきれいな小花。ベンケイソウ科ムラサキベンケイソウ属。日高地方の高山や海岸の岩場で咲く。

宮沢賢治の詩碑。雨にも負けず、風にも負けず、夏の暑さにも負けず・・秋海棠や鈴虫花が囲む。

白花秋海棠

紅花秋海棠

白花ほととぎす

ほととぎす

藤袴(ふじばかま)秋の七草の1つ。

野菊がいっぱい(コヨメナ?)

桜蓼(サクラタデ)

水引草(ミズヒキソウ)

金木犀の大木。ひとつも咲いていない。大木も総身に知恵が回りかね、か。でも、あなたのおかげでいろいろ珍しい草花を魅せてもらいました。ありがとう。

今朝の月と金星のランデブー

有明の月と明けの明星の接近

では、おやすみなさい。

いい夢を。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清方x文学 紅葉への憧憬、鏡花との友情

2023-10-10 20:36:51 | Weblog

こんばんわ。

かまくら散歩の道すがら、鏑木清方記念美術館に立ち寄った。”清方x文学 紅葉への憧憬、鏡花との友情”展が開催されていた。泉鏡花生誕150年、尾崎紅葉没後120年記念の特別展ということだ。

清方といえば泉鏡花との親交はよく知られている。清方は若い時から鏡花の文学作品を愛読し、いずれは鏡花作品に関わりたいと思っていた。それが実現したのは明治34年(1901年)の『三枚續』の装幀を依頼されたとき。それ以降、数々の作品の挿絵を担当するようになり、鏡花との交流は40年も続いた。鏡花の師匠、尾崎紅葉や、彼によって結成され、明治20~30年代の文壇で主流をしめた硯友社の同人たちの小説へも数々の口絵や挿絵を寄せている。

若き頃培った文学的教養は、清方の創作活動の礎となり、晩年まで文学に取材した作品を多く生みだした。本展では、鏡花、紅葉作品に取材した作品を中心に、清方が愛読した樋口一葉関連の作品なども含めて多数、展示されている。清方コレクションで知られる東近美からも優品が鎌倉まで来ている。ここは相変わらず、撮影禁止なので、ちらし等からの写真で展示作品を紹介します。

晩涼 大正9年(1920)(東近美)鏡花の”きぬぎぬ川”に取材。最後の場面。仙女の使いを待つ巳代は別の人生に想いを馳せる。

金色夜叉の絵看板 明治36年(1903)紅葉の名作”金色夜叉”。寛一とお宮。

一葉女史の墓 明治35年(1902)清方は一葉文学、とくに”たけくらべ”をこよなく愛した。一葉の墓にも参り、この時に写した墓のスケッチには「墓標の高さ、わが丈にして乳のあたりまで」と書き留めている。絵では、”たけくらべ”の美登里に墓参りさせている。

紅葉の金色夜叉と鏡花の日本橋の挿絵原画

(上段)金色夜叉≫(挿絵1,2,4)「名作絵物語」『苦楽』挿絵原画 東近美
(下段) 日本橋≫(挿絵3,5,7)「名作絵物語」『苦楽』挿絵原画 東近美

泉鏡花著”三枚續”木版口絵

泉鏡花著、註文帖(第3図、第11図)

清方の画室は当時のまま。ここだけは撮影可能。紅葉の直筆の扁額も。

御著作所 (紅葉の自筆・復元)

では、おやすみなさい。

いい夢を。


一葉のにごりえ(清方画)

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都・南山城の仏像 

2023-10-09 14:03:38 | Weblog

こんにちわ。昨晩はラグビーW杯、残念でしたね。1点差まで追い詰めたのに。あと一歩。

さて、東博で京都・南山城の仏像展が開かれている。先日、”横尾忠則の寒山拾得展”と合わせて見てきた。

京都は何度も訪ねているぼくのお気に入りの地だが、”南山城(みなみやましろ)”という地域は馴染みがない。地図で調べると、山城は、京都府の南部地域に位置し、旧国名「山城国」のうち、現在の京都市を除く地域を慣用的にそう呼ぶとのこと。7市7町1村から成り、北部に長岡京市、中部には宇治市があり、これら両市はそれぞれ、長岡天満宮と宇治平等院があるので、何度か訪ねている。でもその先の木津川市ほか4町村に足を踏み入れたことはない。そこが南山城なのだ。奈良県と接している。

ぼくの未踏の地だが、木津川市にある浄瑠璃寺は知っている。数々の仏像を撮影した土門拳が”仏像のうちでは、恐らく日本一の美人”と評した吉祥天女像のいらっしゃるお寺だ。何年か前、芸大美術館のコレクション展で本物の”浄瑠璃寺吉祥天厨子絵”と模造の吉祥天女像を見ている。たしかにお綺麗な吉祥天女さまだった。そのとき、このお寺には国宝の九体の阿弥陀がいらっしゃることを知った。

本展は、この浄瑠璃寺の九体阿弥陀の修理完成を記念して開催されたとのこと。九体勢揃いというわけではなく、一体のみのお出ましになる。それだけではさびしいので、四天王のうち二体、加えて、南山城地区のお寺の仏像さんもお供して来られた。南山城は前述のように、京都と奈良に挟まれているので、独自の仏教文化が花開き、奈良時代や平安時代に創建された古刹が点在し、優れた仏像が伝わっているとのことだ。

本館大階段の横の本館特別室が会場。会場に入るといきなり浄瑠璃寺の九体阿弥陀の写真がお出迎え。いずれ、実物を見てみたいものだ。

このうち一体が上京されている。この仏像が本展の主役である。本展は残念ながら撮影禁止で、ここでのお姿は、ちらし等からの写真である。

国宝・阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち)(平安時代12世紀) 平安時代に貴族たちが極楽往生を願い、九体阿弥陀を阿弥陀堂に安置することが流行したが、残存しているのは浄瑠璃寺だけという。

この両脇に浄瑠璃寺の四天王のうち二体が控える。どちらも国宝。

国宝・広目天立像(四天王のうち)(平安時代11ー12世紀)

国宝・多聞天立像(四天王のうち)平安時代(11ー12世紀)

ほかに南山城のお寺の至宝。

海住山寺・重文・十一面観音菩薩立像(平安時代(9世紀)平安時代初期の木彫像を代表する名作とのこと。大半を一本の木材から彫り出し、材の特性を生かして彫刻。

禅定寺・重文・十一面観音菩薩立像(平安時代(10世紀)高さ約3メートルもの巨大な十一面観音菩薩。禅定寺創建時からの本尊。

極楽寺・重文・ 阿弥陀如来立像 鎌倉時代・嘉禄3年(1227) 行快作 作者は快慶の弟子の行快とされる。鎌倉時代でも、奈良の大寺院や鎌倉幕府に重用された慶派仏師たちが南山城でも活動していた。

ほかに、神童寺の不動明王立像や寿宝寺の千手観音菩薩立像など計18点。

このあと、表慶館の横尾忠則の寒山拾得(百得)展に廻った。平安の仏像さんとモダン仏画がほどよくブレンドされ、とてもいい気分になった日だった。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さようなら

2023-10-08 11:20:53 | Weblog

おはようございます。

一昨日、突然、近所の大学の生涯学習センターから今秋の一講座が中止となりました、と連絡があった。講師の竹内整一先生が急逝されたからだという。突然の訃報にびっくり、まだぼくと同年配の77歳である。ぼくは先生の講義が好きで、2011年から春、秋と(コロナ休講を除いて)連続して受講してきた。”徒然草を読む”を数年、ほかに”日本思想の言葉”など、先生の専門の日本思想史のテーマである。

先生は、和辻哲郎の孫弟子にあたる著名な倫理・哲学者で、日本文化論・日本思想論で知られる。とくに大和ことばに精通され、講義の中でもよく出てきた。とくに、”さようなら”という言葉の由来は印象に残っている。こういう機会であるので”さようなら”の言葉の意味を振り返ってみよう。ぼくの受講ノートから。

世界の別れ言葉は、三つに分けられる。一つ目は、Good bye, Adieu(仏語)のように神の御加護を願うもの、二つ目はSee you againのようにまた逢うことを願うもの、三つめはFarewellのように、お元気で、ご無事にとの意味。一方、日本の”さようなら”は、いずれにも属さないという。「さらば」「さようなら」とは、本来「然(さ)あらば」「さようであるならば」ということで、もともとは接続の言葉。大阪弁の「ほな」、東北弁の「せば」「だば」もまったく同じ言葉遣い。

つまり、さようならはこれまでの過去を踏まえて、現在は「さようであるならば」あるいは、「そうならねばならないのなら」と確認・総括することによって別れて行こうとする挨拶だということである。

そこでは、別れたあとのことは問われていない。さようであるならば、別れたあともだいじょうぶ、何とかなる、と。死生観からすると、こちらの世界を生ききることは、あちらの世界の何かしらにつながる、だいじょうぶだ、なんとかなる。

竹内先生は何が原因だか分からないが急逝された。先生からご教示いただいた徒然草の155段に有名な一節がある。

四季は、なほ、定まれる序(ついで)あり。死期(しご)は序を待たず。死は、前よりしも来(きた)らず、かねて後(うしろ)に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来(きた)る。沖の干潟(ひかた)遥かなれども、磯より潮(しほ)の満つるが如し。

四季は決まった順序がある。しかし、死期は、順序を待たない。死は必ず前方からやってくるものとは限らず、 いつの間にか、人の背後に迫っている。人は誰しも皆、死があることを知っているものの、死は不意にやってくる。それはちょうど、沖まで の干潟が遥か彼方まで続いているので安心していても、足もとの磯から急に潮が満ちて来るようなものである。

死は突然、やってくる。明日の命は分からない。ならば、今日一日を楽しまねば。第93段にもある。されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや

さようなら、ありがとうございました、竹内先生。ご冥福を祈ります。

。。。。。

昨日の明月院。秋海棠もそろそろ終盤へ。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

円覚寺の秋の花々 萩、紫苑、十月桜、秋明菊、段菊、彼岸花など

2023-10-07 10:39:59 | Weblog

おはようございます。

今朝も富士山の冠雪は残っていたが、富士山のことばかり記事にしていると、3日前の円覚寺の秋の花たちに叱られそうなので、今朝の記事は”円覚寺の秋の花々”にしました。

円覚寺の三門近くの塔頭、松嶺院は高台に田中絹代、佐田啓二ら大船松竹の大物俳優や作家の開高健らの墓地があり、お彼岸中は関係者以外は入れないが、彼岸が明けると公開される。ここは花の名所で、春夏秋冬、楽しめる。

松嶺院山門

ここから遍路道が高台の墓地まで続くが、両側に花が咲き乱れる。左側に紫苑、右側に萩。その下には秋明菊、藤袴、ホトトギス、吾亦紅、シモバシラ、コスモスなど秋の花々。

秋明菊

高砂芙蓉

丸葉藤袴

ホトトギス

ダンギク

老爺柿

ジュズサンゴ

シオン

ハギ 

ムラサキシキブ

白式部

秋桜

墓地に寄りそう彼岸花

十月桜 (数本あるが、墓地の前の)

遍路道を一回りして、最後のところに、なんと三時草(ハゼラン)の鉢植え。道端でしか見ていないので新鮮!

2時頃だったので、数輪開花。(3時に咲き始めるのでこの名がある)

松嶺院を出て、円覚寺境内を散策。彼岸花があちこちに残っていてくれた。

妙香池の彼岸花とすすき

黄梅院の秋明菊と水引草

今日の真民さんの詩

ここが一番奥で、入り口に戻る途中に白彼岸花を発見。群生している。

おっ!黒揚羽まで!

円覚寺惣門前の紅葉がいつも鎌倉一早いが、一部、はじまっていた!

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鵠沼海岸の夕富士

2023-10-06 21:56:04 | Weblog

こんばんわ。富士山の初冠雪をお祝いして、富士山記事3連発となりまする(笑)。

藤沢駅前の図書館の帰り道、ふと思いついて鵠沼海岸に寄った。ここからは右に富士山、左に江の島が見える景勝の地で何度か訪ねている。天気も良いし、きっと、きれいな夕日と夕富士が見られるのではと思ったのだ。

思い通りの夕景が見られましたよ。

夕日が沈み始めた。右に富士山のシルエットが浮かび上がった。

夕日が沈む。

振り返ると江の島。

夕富士

いい夕富士を魅させてもらった。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富士山の初冠雪二日目 朝焼け、下弦の月、金星

2023-10-06 08:58:17 | Weblog

おはようございます。

昨日の富士山の初冠雪は、朝は雲隠れで見えず、昼は姿を現したものも不明瞭だった。今朝こそと楽しみにしていた。確認できました。

山頂に雪帽子をかぶったような富士山、初冠雪二日目。

今朝の朝焼け

こんな明るいのに金星(明けの明星)は肉眼で見える。この写真ではみえないが、鉄塔の先の金星に焦点を合わすと確認できる(下の写真)。

真上の空には下弦の月。

うれしい一日のはじまりです。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富士山の初冠雪 お祝いに十月桜と金木犀&銀木犀

2023-10-05 21:43:27 | Weblog

こんばんわ。

今朝、富士山に初冠雪がありました!富士吉田市からの初冠雪富士の写真(読売新聞)です。

これだけの冠雪があれば、我が家からも撮れるのだが、残念ながら富士山雲隠れ。何とか、証拠写真をと、晴れ上がってくるのを待った。ようやく、外出中、湘南モノレールの湘南江の島駅のテラスに立ったとき、富士山が姿を現してくれた。でも、もう昼過ぎ、肉眼では冠雪しているかどうかは分からない。もともと昼間の富士は不鮮明であるし、それに薄い冠雪ならもう雪解けしているかもしれないし。

テラスから見た富士山。中腹に雲がかかっている。

愛用デジカメでズームアップ。山頂付近に何やら雪らしき影。しかし雲も混在しているようで、はっきりしない。証拠写真にはならないが、初冠雪日の富士山頂付近ということでここに残しておこう。

いずれにしても、今日、初冠雪があったことは確か。雪化粧が始まると、来春まで毎朝、楽しめる。さようなら猛暑夏富士、こんにちわ雪化粧富士。

。。。。。

富士といえば桜。お祝いに円覚寺・松嶺院の十月桜を。ぼくも十月桜の今季初見。結構、咲いていました!

もう一つお祝い。香りの女王、金木犀と銀木犀の初花を。

東慶寺の入り口のキンさんギンさん。金木犀(右)と銀木犀(左)。

見た目、咲いていないようだが、よく探すと、金木犀が1輪だけ花を咲かせていた。そして銀木犀も一小枝だけ。こんなことは初めて。まさに今日、咲いたばかりの初花。初冠雪の富士山にぴったりの贈り物。

キンさん

ギンさん

一週間後は、雪化粧富士も十月桜も金木犀・銀木犀も、もっと華やかになっているはず。その頃、また報告しましょう。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

もうすぐこんな雪化粧富士に。上は我が家から、下は稲村ケ崎から。わくわく。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テート美術館展/ターナー、印象派から現代へ 

2023-10-04 21:31:26 | Weblog

こんばんわ。

国立新美術館で”テート美術館展/ターナー、印象派から現代へ”が開催されている。先月中頃に行ってきました。

ロンドンのテート・ブリテンを訪ねたのは2011年の晩秋だった。漱石が草枕で”風流な土左衛門”と命名した、ジョン・エヴァレット・ミレー作の”オフィーリア”はここにある。当時、これだけ見て、安心して帰ったが(汗)、ほかにもたくさんの優品がある。それら優品が国立新美術館に集合している。加えて、ここでは現代美術のテート・モダンのも含めている。

テート(ブリテン)美術館は、19世紀の英国リバプール出身の実業家ヘンリー・テートのコレクションに端を発している。1500年代から現代までのイギリス絵画を中心に所蔵している。ターナーの一大コレクションのほか、ジョン・エヴァレット・ミレー、ウイリアム・ブレイク、コンスタブル、ゲインズバラ、ホガーズ、ロセッテイ、ウイリアム・モリス、ウオーターハウス、サージェントなどの作品。さらに、テート・モダンには、イギリス美術だけでなく印象派などの世界の近代・現代美術も。本展ではこれらの中から、光をテーマにした優品が120点も来日している。そのうち100点が初来日とのこと。

ギリシア神殿風のテート・ブリテン美術館(2011年撮影)

以下の章立てで展示されている。

第一章 精神的で崇高な光
第二章 自然の光
第三章 室内の光
第四章 光の効果
第五章 色と光
第六章 光の再構成
第七章 広大な光

数えきれない表情をみせる「光」をどう作品で描くのか。まずは、本展サイトの説明を。

新たな芸術表現を追求するアーティストたちはこの難解なテーマに向き合ってきました。本展では18世紀末から現代までの光をめぐる表現や技法の移り変わりを明らかにします。ウィリアム・ブレイクやターナー、コンスタブルから、モネなどの印象派、そしてジェームズ・タレル、オラファー・エリアソン、草間彌生ら現代アーティストまで、時代や地域、ジャンルを超えて「光の作品」を俯瞰できる会場構成です。多様な光の表現に包まれる空間にご期待ください

素人には分かりにくい章分けなので、ぼくは、あまり詳しい説明は読まず(汗)、ロンドンのテート・ブリテンとテート・モダンをぶらぶら歩きするような感じで見てきた。写真撮影が可能なので、自分が気に入ったものや有名作家の作品を撮ってきた。以下、とくにコメントはつけずに、ほぼ見た順に載せていきたい。

第一章 精神的で崇高な光

 ウィリアム・ブレイク《アダムを裁く神》1795年

 バーン=ジョーンズ《愛と巡礼者》1896-97年

ジョセフ・ライト・オブ・ダービー 噴火するヴェスヴィオ山とナポリ湾の島々を臨む眺め

ターナー 陽光の中に立つ天使(1846)

ジョン・マーティン ポンペイとヘルクラネウムの崩壊(1822)

ターナー 光と色彩(ゲーテの理論/大洪水の翌朝/創世記を書くモーゼ(1843)

第二章 自然な光

ジョン・コンスタブル《ハリッジ灯台》1820年

ジョン・ブレット《ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡》1871年

ホイッスラー《ペールオレンジと緑の黄昏—バルパライソ》1866年

クロード・モネ《エプト川のポプラ並木》1891年

シスレー 春の小さな草地 1880

ジョン・ヤング・ハンター 私の妻の庭 (1899)

ジョン・エヴァレット・ミレー 露に濡れたハリエニシダ

ウイリアム・ホルマン・ハント 無垢なる幼児たちの勝利 (1883-4)

ピサロ 水先案内人がいる桟橋 ル・アーヴル、朝、霞がかかった曇天 1903

アルマン・ギヨマン モン=シュル=ロワン 1902

第3章 室内の光

ヴィルヘルム・ハマスホイ《室内》1899年

ウィリアム・ローゼンスタイン《母と子》1903年

ここから現代アートですね。

第4章 光の効果

 ルイジ・ヴェロネージ《写真 n.145》1940年制作ほか。

第5章 色と光

ワシリー・カンディンスキー《スウィング》1925年

ブリジット・ライリー《ナタラージャ》1993年

マーク・ロスコ《黒の上の薄い赤》1957年(右側の作品)

リヒター アブストラクト・ペインティング(726)(1890)

第5章 光の構成

デイヴィッド・バチェラー《ブリック・レーンのスペクトル 2》 2007年

 ピーター・セッジリー《カラーサイクル III》 1970年

第7章 広大な光

オラファー・エリアソン《星くずの素粒子》2014年

まるで、ロンドンのテート・ブリテン内を彷徨っているようないい気分であった。ロンドンでは下の写真のように壁一面に飾られている。オフィーリアも、こんな風に。本展ではゆったりと。

では、おやすみなさい。

いい夢を。


(ミレーのオフィーリア)今回は来日していません。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする