こんにちわ。昨晩はラグビーW杯、残念でしたね。1点差まで追い詰めたのに。あと一歩。
さて、東博で京都・南山城の仏像展が開かれている。先日、”横尾忠則の寒山拾得展”と合わせて見てきた。
京都は何度も訪ねているぼくのお気に入りの地だが、”南山城(みなみやましろ)”という地域は馴染みがない。地図で調べると、山城は、京都府の南部地域に位置し、旧国名「山城国」のうち、現在の京都市を除く地域を慣用的にそう呼ぶとのこと。7市7町1村から成り、北部に長岡京市、中部には宇治市があり、これら両市はそれぞれ、長岡天満宮と宇治平等院があるので、何度か訪ねている。でもその先の木津川市ほか4町村に足を踏み入れたことはない。そこが南山城なのだ。奈良県と接している。
ぼくの未踏の地だが、木津川市にある浄瑠璃寺は知っている。数々の仏像を撮影した土門拳が”仏像のうちでは、恐らく日本一の美人”と評した吉祥天女像のいらっしゃるお寺だ。何年か前、芸大美術館のコレクション展で本物の”浄瑠璃寺吉祥天厨子絵”と模造の吉祥天女像を見ている。たしかにお綺麗な吉祥天女さまだった。そのとき、このお寺には国宝の九体の阿弥陀がいらっしゃることを知った。
本展は、この浄瑠璃寺の九体阿弥陀の修理完成を記念して開催されたとのこと。九体勢揃いというわけではなく、一体のみのお出ましになる。それだけではさびしいので、四天王のうち二体、加えて、南山城地区のお寺の仏像さんもお供して来られた。南山城は前述のように、京都と奈良に挟まれているので、独自の仏教文化が花開き、奈良時代や平安時代に創建された古刹が点在し、優れた仏像が伝わっているとのことだ。
本館大階段の横の本館特別室が会場。会場に入るといきなり浄瑠璃寺の九体阿弥陀の写真がお出迎え。いずれ、実物を見てみたいものだ。
このうち一体が上京されている。この仏像が本展の主役である。本展は残念ながら撮影禁止で、ここでのお姿は、ちらし等からの写真である。
国宝・阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち)(平安時代12世紀) 平安時代に貴族たちが極楽往生を願い、九体阿弥陀を阿弥陀堂に安置することが流行したが、残存しているのは浄瑠璃寺だけという。
この両脇に浄瑠璃寺の四天王のうち二体が控える。どちらも国宝。
国宝・広目天立像(四天王のうち)(平安時代11ー12世紀)
国宝・多聞天立像(四天王のうち)平安時代(11ー12世紀)
ほかに南山城のお寺の至宝。
海住山寺・重文・十一面観音菩薩立像(平安時代(9世紀)平安時代初期の木彫像を代表する名作とのこと。大半を一本の木材から彫り出し、材の特性を生かして彫刻。
禅定寺・重文・十一面観音菩薩立像(平安時代(10世紀)高さ約3メートルもの巨大な十一面観音菩薩。禅定寺創建時からの本尊。
極楽寺・重文・ 阿弥陀如来立像 鎌倉時代・嘉禄3年(1227) 行快作 作者は快慶の弟子の行快とされる。鎌倉時代でも、奈良の大寺院や鎌倉幕府に重用された慶派仏師たちが南山城でも活動していた。
ほかに、神童寺の不動明王立像や寿宝寺の千手観音菩薩立像など計18点。
このあと、表慶館の横尾忠則の寒山拾得(百得)展に廻った。平安の仏像さんとモダン仏画がほどよくブレンドされ、とてもいい気分になった日だった。