こんばんわ。
上野の秋は豪華な美術展で沸き立っている。東博では”やまと絵展”、西洋美では”キュビスム展”、上野の森美では”モネ展”(20日から)、そして都美では”永遠のローマ展”。今のところ、ローマとやまとは制した(笑)。しかし、美術展はブログ記事にしないと完結しない。記憶力が秋の日のようにつるべ落としで、日々落ちてゆくので備忘録として是非必要なのだ(汗)。半月遅れになってしまったが、ローマの記憶を。
10月3日に行ってきました。東京都美術館の”永遠のローマ展”。
今回の目玉は、何と言っても、《カピトリーノのヴィーナス》 (2世紀 大理石)でしょうか。まず、いきなり、そのうつくしいお姿から。
ミロのヴィーナス(ルーヴル美術館)、メディチのヴィーナス(ウフィッツィ美術館)と並ぶ三大ヴィーナスのひとつとか。門外不出のカピトリーノ美術館の至宝。よくぞ来日して下さった。ただ、東京展だけで、福岡展にはお出ましにならない。
恥じらいのポーズをとっていることから”恥じらいのヴィーナス”とも呼ばれている。会場では撮影禁止なのが残念だが、ぐるりとまわって背中側も鑑賞することができる。
本展では、建国神話にはじまり、古代ローマ時代の栄光、芸術の最盛期を迎えたルネサンスからバロック、そして芸術家たちの憧れの地となった17世紀以降の時代まで、「永遠の都」ローマをめぐり生み出された壮大なる美の歴史をたどる。ということで、各章の代表作を絵葉書等からの写真を載せることにしよう。
第1章 ローマ建国神話の創造
ローマ建国神話の代表格といえば、軍神マルスと巫女レア・シルウィアの間に生まれた双子ロムルスとレムスが狼に育てられる物語。この有名な彫刻が展示されている。
「カピトリーノの牝狼」(複製)ローマ市庁蔵
第2章 古代ローマ帝国の栄光
古代ローマ帝国は、前1世紀、ユリウス・カエサルとその遺志を継いだオクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)が礎を築いた。その後、数々の皇帝たちによって繁栄する。本章では、歴代ローマ皇帝と帝国ゆかりの女性たちの肖像を中心に栄光の時代をたどる。ここの見どころは、《コンスタンティヌス帝の巨像》。この一部が原寸大複製で展示される。頭部だけで高さ約1.8メートルのスケールをもつ巨像は、カピトリーノ美術館誕生のきっかけにもなった重要な彫像。本展では、巨像の頭部、左足、左手、さらにルーヴル美術館で近年発見された人差し指の複製があわせて展示される。撮影禁止なのが残念。これでは大きさが出ない。とにかくでかい。
コンスタンティヌス帝の巨像 ローマ文明博物館蔵
《コンスタンティヌス帝の巨像の左手(複製)》巨大な手でびっくり。
以上の三組を見ただけで大満足。あとはさらっと。
第3章 美術館の誕生からミケランジェロによる広場構想
カピトリーノ美術館の起源は、1471年に教皇シクストゥス4世が《カピトリーノの牝狼》と《コンスタンティヌス帝の巨像》を含む古代ブロンズ彫刻4点を、ローマ市民に返還するという名目でカピトリーノの丘の中庭に設置したときからはじまる。
その後、16世紀にミケランジェロがカピトリーノの丘の頂にカンピドリオ広場を建設するプロジェクトを手がけた。本章では、美術館の起源からミケランジェロの都市計画までの展開を絵画、版画等を通して紹介している。
トスカーナの画家(16世紀)《ミケランジェロ・ブオナローティの肖像画》1535年以降
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古代遺跡の宝庫である都市ローマは、17世紀以降、グランドツアーなどを介してイタリア内外の芸術家たちの芸術的霊感源となった。古代建築やその装飾は、彼らの自由な発想によって、はるかな時を越えてよみがえり、多くの傑作を生みだした。
本章では、古代記念碑「トラヤヌス帝記念柱」をモティーフとする版画や模型、石膏複製の名品が紹介される。
トラヤヌスの記念柱とは。ローマ皇帝トラヤヌスのダキア戦争での勝利を記念したもの。戦争を叙事詩的に描いたレリーフが円柱の表面に螺旋状に描かれている。写真はWikiより。
以下の作品だけ、写真撮影が可能。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージによる”トラヤヌス帝記念柱”からの石膏複製。
モエシアの艦隊(トラヤヌス帝記念柱からの石膏複製)1861 ─ 62年(原作は113年)
そのキャプション。
デケバルスの自殺(トラヤヌス帝記念柱からの石膏複製)1861 ─ 62年(原作は113年)
そのキャプション。
《マイナスを表わす浮彫の断片》 前1世紀末-後1世紀、ペンテリカス産大理石
特集展示 カピトリーノ美術館と日本
ちょうど150年前にあたる1873年、明治政府が欧米に派遣した岩倉使節団がカピトリーノ美術館を訪れている。欧米の本格的な博物館を視察した彼らの経験は、のちの日本の博物館政策や美術教育にも影響を与えた。特集展示では、カピトリーノ美術館と日本の交流を、版画やパネル、石膏像を通じて紹介している。
とても素晴らしい展覧会でした。できれば、もう一度。
では、おやすみなさい。
いい夢を。