仕事もヤマ場を越え、シフト勤務からカレンダーとおりの勤務に戻りました。
仕事も落ち着いた…訳ではありませんが、何だか気持ちに余裕が出てきて、久々に模型いじりなんぞしてみました。
と、言っても特に工作するするのではなく、インレタを貼っただけ…(汗)
老眼鏡のみでインレタ貼るのは骨が折れるもんで、気力が長続きせず2両で終了…
今更のように増えた軽量客車ですが、これで急行高千穂が出来る…はず(滝汗)
さて、思うことがあって中古で購入したスハフ42ですが...
先日のホビセンKATOのジャンク品セールで見つけた、165系の妻面の窓ガラスパーツ…
デッキドアの窓に使えるかしらと思ってたら、ほぼ同じ大きさで使えそう!
何故にスハフ42で試したんかって? そりゃぁ、オハフ33‐630が出来るからでしょ(爆)
オハフ33‐630といえば、コアな客車マニアなら知らない事はないでしょう。
実車は、スハフ42‐18に軽量化改造を行ったもので、実車の写真と解説は『藤原模型店 店主の写真コーナー』に掲載されています。
さて解説では、最終配置は下関区であったとありますが、実は小学生の頃に1度だけ乗ったことがあるんです。
昭和54年(だったかな?)、山陰本線奈古~長門大井間で大規模土砂崩れが発生し長期間不通となりました。このとき、益田(浜田も?)で滞泊していた下関区の客車があり、その中に同車が居たようです。
同じく下関側にも出雲区や米子区の客車が滞泊して戻れなくなったためか、下関区の客車が浜田以東の運用に入りました。この頃、たまたま江津から乗車した奈古行の列車(本来だったら下関行)に連結されていて偶然乗ったんです。
内装は薄緑色であったこと、車内スピーカーが天井にあったことで違和感を感じて、降車したときに車番を見たらオハフ33‐630だったんです。
その後、乗る機会はありませんでしたが、福知山行824列車などで走る姿を何度か目にすることは出来ました。
このときの変運用はすさまじく、本来夜間と早朝にしか見れなかった福知山区の客車が日中に走って、10系客車を明るい時間帯に見れたり、本来は福知山区の運用であった824列車の荷物車に、下関区のマニ36‐59が入っていたりと、あの時の興奮は忘れられませんね。あの時カメラが持てていたらなぁ…(遠い目)
そういえば、夜行さんべは減車して山口線経由で走ったんだっけ?
この時の変運用の客車列車を再現するもよし、急行音戸の増結車に使ってもよし…そういえば、急行高千穂の下関回転車は下関持ちだったはず…
妄想は果てしなく広がる…
そして忘れてはいけない…このスハフ42は、オハフ45に改造しようとしていたことを(糞爆)
どうするべか?