宇都宮での生活もあと少し…
てつまろさまのお誘いを受けて、足尾方面に出かけてきました。
まずは、コメダ珈琲で腹ごしらえ…
まず向かった先は、わたらせ渓谷鉄道間藤駅。
バスで訪れた前回は、そのままスルーしたので駅構内をじっくり眺めます。
足尾方面
左側に見える擁壁は、足尾本山駅へ向かう貨物列車のためのスイッチバック遺構だとか。
足尾本山方面
1970年代にスイッチバックは廃止され、貨物列車は間藤駅を通過するようになったそうです。
精錬所方面へ向かうと踏切跡が残っています。
30年以上たっても残っている警報機と踏切道を照らす街灯。
踏切跡から間藤方面。
同じく足尾本山方面。
この橋梁を渡る貨物列車の写真は、何度か見たあことがあります。
映像もあったかな?
橋梁の背後に写っている旧本山小学校
学校の正門へ向かう橋より。
レールは廃止当時のまま残っていました。
反対側では、猿の群れが日向ぼっこ。
これ以上、猿のお邪魔をするのも気が引けたので、足尾本山駅へ移動。
ここを走る貨物列車をこの目で見てみたかった…
柵の向こうには、腕木式信号機が残されています。
足尾本山駅の手前には、鉱山住宅が何棟か残っており、今でも生活されている方々が居ます。
左上は向赤倉隧道と足尾本山駅場内信号機。
腕木式信号機がやたら綺麗にみえたので近づてみると…
再塗装されたようです。
腕木式信号機のワイヤーの取り回し、プーリーの配置は参考になります(笑)
向赤倉隧道を越えると足尾本山駅が見えます。
山の反対側にも坑道跡があるらしいので、国民宿舎かじか荘がある、銀山平まで行ってみましたが、よく分からないまま引き返してきました・・・
その後に向かったのが銅親水公園。
帰宅後調べてみると『足尾砂防堰堤』というそうで、足尾銅山の操業と公害の影響で荒廃してしまった山々からの土石流災害を防ぐために作られた、日本最大級の砂防堰堤だとか。
規模に圧倒され、暫し見ってしまいました…
銅親水公園からの帰りに見た精錬所跡の遠景。
大正時代に完成した大煙突。
山肌に見えるのは精錬の際の副産物、硫酸を貯めておくタンクだとか。
小学校の社会科で習った足尾銅山は、何故か記憶に強く残っていました。
広島から来ることはまず無いでしょうが、来て良かったと思います。
その後、ちょっとだけ足尾駅に立ち寄ると…
あれ? 前回来た時と動車の位置が違う?
何かあったのかな?
前回はヨ8000と連結されてましたが、位置が変わったおかげで…
ごく一部で話題(?)となった、水タンクの防護板が現認出来ました!
何のためにあるんでしょうね?
カバーが風にあおられたのか、前回見えなかった動車の姿も見ることが出来ました。
足尾観光はまだ続きます…
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