またまた懲りずに古い写真を…
山陰地区では、木次線にキハ52が集中配置となっておりましたが、同線がキハ120に置き換えられると、山陰本線輸送力列車運用の予備車として益田まで運用される事がありました。この輸送力列車とは米子区のキハ一般+キハ58で組成されており、通常キハ一般車にはキハ47が用いられていましたが、キハ52やキハ45も用いられておりました。私が実見したすさまじい編成はキハ47+キハ45の編成で、キハ45は便所使用中止で運用に入っておりました。カメラが無いときに限って珍編成がくるので、ご多分に漏れず写真がありません(涙)
さて、山陰のキハ52で有名なのが128番でしょうね。これは国鉄時代から一般色を引き継いだ唯一の車両で、今日のリバイバルカラーのきっかけを作った車両ではなかったでしょうか? 同車は昭和58年、木次線出雲坂根~三井野原間で脱線転落事故で廃車となったキハ53-6の代替として盛岡区から転属してきました。転属当初からツートンカラーであり、国鉄最後のカラーリングと当時の職員の方から聞いた覚えがあります。それ故に、最初の全検時に朱一色へ塗替えをやめ、予算の都合上か何かで後藤工ではなく、木次で塗装したとも聞きました。今となっては証明する資料はありませんが…
平成2年にワンマン改造され、トイレも撤去されましたが、最後まで山陰本線で注目され続けお星様となりました。
写真は、母方の祖父の墓参りの帰途浜田駅で留置中の同車を発見し、慌ててカメラを実家まで撮りに帰り、益田まで同車に乗車し追っかけをした時の写真です。さて、いつだったか…
浜田駅1番ホームにて
客室を望む
定番のトイレ跡…(笑)
続いて、実家に帰省途中で偶然乗り合わせた、キハ52-139です。これまた予告も無くめぐり合えたので、ストロボの電池が無くぼやけた写真となりました。撮影したネガに、急行「あきよし」を改称した「ながと」が写っていたので、同列車の廃止が決定した平成4年1月頃の撮影と思われます。この撮影後、同車は高岡鉄道部に移動となりました。
さて、木次のキハ52の珍車に簡易荷物車に改造された、キハ52-651がいました。同車は荷物輸送廃止後、簡易お座敷車「むらくも号」として、小口団体輸送にも活躍しました。この「むらくも」時代に2度目撃しており、一度は単行で、もう一度は木次線~芸備線~三江線~山陰をの一周した団体列車でした。当時、三次区と浜田区ではキハ52を取扱えなかったので、両区が運転する側に回送のキハ58を連結した編成で運行されました。
写真は、平成4年に「SL江の川号」を運転した際に、片道利用者の為の臨時快速列車として運転された時のものです。浜田鉄道部のキハ47ワンマン編成の間に、境線のお魚列車ことキハ40-2033とキハ52-651を挟んだ4両編成で運転されました。この時は、SLとキハ52を充分堪能しました。
平成4年11月 三江線石見川本駅にて
いやぁ、またまたヂーゼルカーのネタになりました。実は客車好きでありながら、客車の写真が少ないんです…
山陰地区では、木次線にキハ52が集中配置となっておりましたが、同線がキハ120に置き換えられると、山陰本線輸送力列車運用の予備車として益田まで運用される事がありました。この輸送力列車とは米子区のキハ一般+キハ58で組成されており、通常キハ一般車にはキハ47が用いられていましたが、キハ52やキハ45も用いられておりました。私が実見したすさまじい編成はキハ47+キハ45の編成で、キハ45は便所使用中止で運用に入っておりました。カメラが無いときに限って珍編成がくるので、ご多分に漏れず写真がありません(涙)
さて、山陰のキハ52で有名なのが128番でしょうね。これは国鉄時代から一般色を引き継いだ唯一の車両で、今日のリバイバルカラーのきっかけを作った車両ではなかったでしょうか? 同車は昭和58年、木次線出雲坂根~三井野原間で脱線転落事故で廃車となったキハ53-6の代替として盛岡区から転属してきました。転属当初からツートンカラーであり、国鉄最後のカラーリングと当時の職員の方から聞いた覚えがあります。それ故に、最初の全検時に朱一色へ塗替えをやめ、予算の都合上か何かで後藤工ではなく、木次で塗装したとも聞きました。今となっては証明する資料はありませんが…
平成2年にワンマン改造され、トイレも撤去されましたが、最後まで山陰本線で注目され続けお星様となりました。
写真は、母方の祖父の墓参りの帰途浜田駅で留置中の同車を発見し、慌ててカメラを実家まで撮りに帰り、益田まで同車に乗車し追っかけをした時の写真です。さて、いつだったか…
浜田駅1番ホームにて
客室を望む
定番のトイレ跡…(笑)
続いて、実家に帰省途中で偶然乗り合わせた、キハ52-139です。これまた予告も無くめぐり合えたので、ストロボの電池が無くぼやけた写真となりました。撮影したネガに、急行「あきよし」を改称した「ながと」が写っていたので、同列車の廃止が決定した平成4年1月頃の撮影と思われます。この撮影後、同車は高岡鉄道部に移動となりました。
さて、木次のキハ52の珍車に簡易荷物車に改造された、キハ52-651がいました。同車は荷物輸送廃止後、簡易お座敷車「むらくも号」として、小口団体輸送にも活躍しました。この「むらくも」時代に2度目撃しており、一度は単行で、もう一度は木次線~芸備線~三江線~山陰をの一周した団体列車でした。当時、三次区と浜田区ではキハ52を取扱えなかったので、両区が運転する側に回送のキハ58を連結した編成で運行されました。
写真は、平成4年に「SL江の川号」を運転した際に、片道利用者の為の臨時快速列車として運転された時のものです。浜田鉄道部のキハ47ワンマン編成の間に、境線のお魚列車ことキハ40-2033とキハ52-651を挟んだ4両編成で運転されました。この時は、SLとキハ52を充分堪能しました。
平成4年11月 三江線石見川本駅にて
いやぁ、またまたヂーゼルカーのネタになりました。実は客車好きでありながら、客車の写真が少ないんです…
>当時、三次区と浜田区ではキハ52を取扱えなかったので、両区が運転する側に回送のキハ58を連結した編成で運行されました。
(コミック&アニメ)「カードキャプターさくら」のヒロイン、木之本桜嬢なら「ほぇええええ!」と叫びそうなお話ですね(^^);国鉄型気動車、それもDMH-17系エンジンを積んだシリーズはキハ80系を除けば、10系20系35系45系55系58系更にはキハ65、そしてキハ40系にいたるまで、誰でも一緒、みーんなお手々繋いで仲良く走れるので、特段の運転取扱上の違いは無いものと思っていたのですが…意外でした。素人目には運転台の機器配置も同じように見えるのですが>各系列。
そういえば転落事故を起したキハ53-6、今も現場の地中に埋まっているのでしょうか?。発掘してみたいですね。
山陽に住んでいるとキハ52というものには縁がありません、もちろんキットも所有してません。しかし木次線のキハ52とキハ07の総括制御はやってみたい気がします。あっ、宣言ではありませんよ。キハ52は買えたとしても、福島のキハ07は高くて買えません。
そういえばKATOのC56どうなりましたか?
これはあくまでも推測なのですが、故障等緊急時の対応ができない為ではないのいでしょうか? 例え標準設計の気動車とはいえ、各車の取扱教育を受けないと乗務出来なかったのでは? それと組合関係の調整もあったのでは…
>セノハチさま
キハ53-6は現場で一部解体の上、埋められました。これは操重車が入れないのは勿論の事、並走道路も無い場所の為に取られた処置でした。ゆっくりと築堤下にずり落ちたので損傷は殆ど無かったと聞いた覚えがあります。
当御殿にも、キハ52キットはありますよ。MP床下付きでお譲りしましょうか? C56はまだ整備していません…
キハ53-6は現地に埋められてしまったのですか?それはまた大変な事故だったようで…(乗客乗員は無事だったのでしょうか?犠牲者が出てなければ良いのですが…)
埋められた話で思い出したのですが、昭和47年頃の話だったかと思いますが、台風か集中豪雨の影響で土讃本線土佐繁藤駅で抑止中の旅客列車の先頭に立っていたDF5045は、山里を襲った土石流に飲み込まれ、その日の朝起こった崖崩れの復旧作業に勤しんでいた町の人々と共に対岸に押し流され埋没し、そのまま廃車。処理は廃棄とされた由。現車は今も河川敷の地下に眠っているとの事です。カマと共に客車も数両被災し、オハ35が一端を土に埋められその車体を虚空に向けてつきたてている姿が当時の報道写真にあり、自然災害の恐ろしさを見せ付けていました。駅舎も線路敷も、町の多くの家屋、そして大勢の人々をも一緒に流され、犠牲者だけで3桁を超えていたのではなかったでしょうか?そして復旧し開通するまで半年あまり要したはずです。
狭いながらも起伏が多い本邦国土、童謡の歌詞を持ち出すまでも無く、めまぐるしく変わる車窓は旅人の心を躍らせますが、裏を返せば厳しい自然環境・恐ろしい自然災害との工房の激しさの証でもあります。安全を守る最先端の方々のご苦労には頭の下がる思いです。
こっそり過去ログに書き込みました。「一本指打法」なのでボチボチお邪魔します。よろしくお願いします。
過去の名言やストック話、いろいろ思い出しました。あの頃は若かったですね。今年は名言だけでじゃなく、完成品を世に送り出すゾー!!!
気動車のストックも豊富な人の呟きでした。
完成品を世に送り出すゾー!・・・って、買った完成品を売却するのですか?
そういえばごっぱぁ様から組みかけのキハ28と手付かずのキハ58のキットが転属してきましたね、キハ58は何年も前に岩徳線シリーズとして完成しました。
KATOの完成品が出た後にキットを組むのは根気が必要でした、参考にはなりすが・・・
>まろねふ様
おぉっ!谷底から手が、キハ52ですか、良いですね~。でも落ちませんよ。キハ53のキットも持ってませんでしたっけ、ぜひ6番で。
当時の新聞のコピーは実家にあると思うのですが、私の記憶では、乗客乗員は4~5名で上り勾配上で運転士が動揺に気付き停車し、直後に車両後部からゆっくりとずり落ちました。確か乗客の車外避難後だったような? 今度、新聞を調べておきます。
>ごっぱーさま
その豊富な気動車ストックから、キハ25がウチに転属してきましたね。程なくセノハチさんに譲渡されましたが… 今となればキハ25は作り直したいので欲しい形式です。ところで、ウチも気動車のストックは豊富ですよ。何故か山陰とは縁もゆかりも無いキハ36やキハ18までストック箱に…
>セノハチさま
キハ52は、木次線ゆかりの初期車改造の600番台と100番台を作ろうと張切って購入しましたが… 棚の肥やしです。0番台は四国シリーズの一員になるのですが、100番台はどうしよう…(汗)
キハ53は数年前に、てつまろさんに譲渡されました。
譲受したキハ53は熟成中(笑)です。
早く組んで、日豊線824Dを再現しなければ・・・。
キハ52100喜んで譲受しますよ。
>青列車さま
はじめまして。列車が土石流に飲み込まれた事故としては、
93.8.6の鹿児島大水害でのキハ40と200がありま
すね。乗客は全員無事でした。乗務員は腰まで泥に浸かって
避難誘導したそうです。異常気象の多い昨今、体を張って乗
客の安全を確保する鉄道マンには頭が下がります。
>ごっぱぁさま
競作エントリーありがとうございます(笑)
103系以来X年振りの新作、期待しています。
キハ52ついに転配ですか、てつまろ様が谷底へ引っ張られてますね~、しかも顔はは笑ってます。いや~、良い風景ですな~。
おっと危ない、目が覚めました。気が付けば私も谷底へ落ちかけてました、まるで名前を奪う「油○婆」のようですね。
まろねふ様の山陰に縁がない気動車シリーズってキハ48とか、あぁっ!そうか、今は山陰にも48走ってますね。
清算事業団は、盛業中ですな(笑)
せっかく買ったキハ48も、相棒のキハ47等を広島色にするのが難しいので、密かに余剰車両だったりもします(涙)