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スティーヴン・ミルハウザー『マーティン・ドレスラーの夢』

2013-05-11 02:47:00 | ノンジャンル
 宮田珠己さんが著書『はるか南の海のかなたに愉快な本の大陸がある』の中で紹介していた、スティーヴン・ミルハウザーの'96年作品『マーティン・ドレスラーの夢』(柴田元幸訳)を読みました。
 父の経営する葉巻屋を手伝うことからキャリアを出発させたマーティン・ドレスラーが、ホテルのベルボーイ、ホテルの支配人秘書、レストランのチェーン店の経営などを経て、自らが経営するホテル、〈ザ・ドレスラー〉、〈ニュー・ドレスラー〉でを成功させ、最後にホテルを超越した〈グランド・コズモ〉を作り破滅に到るという物語で、後半のホテルの描写が圧倒的な小説でした。
 ちなみに〈グランド・コズモ〉の描写を引用すると「たとえば18階でエレベーターを下りると、そこは鬱蒼と木の茂る田園になっていて、そこここに田舎風のコテージが建ち、その一つひとつに小さな庭がついていた。24階の壁はでこぼこの岩になっていて、あちこちに洞窟が穿たれ、洞窟それぞれに家具が完備し、最新の配管、スチーム、冷房装置が備えつけられていた。古風なホテルを望む向きには、地下4、5層に(この2層で1フロアになっている)小塔がそびえ旗がたなびくヴィクトリア朝風リゾートホテルが丸ごと用意され、籐の揺り椅子が六百脚置ける巨大なベランダや、トネリコの木立を抜けて本物の砂を敷いた湖畔へと通じる小径まで揃っていた。ほかのフロア、ほかの層でも実にさまざまな生活空間が用意されていた。中庭のある暮らし(木々や池をあつらえた中庭のまわりに、4室から6室が不規則に配置されている)、つい立てを活かした囲い地(広々としたリビングエリアに折りたたみ式のつい立てがいくつか置かれ、気分に合わせて自由に分割の仕方を変えられる)、眺めのある暮らし(大きな部屋のような囲い地に窓がついていて、窓の外には博物館のジオラマのように三次元の景色が広がり、剥製のライオンを点在させたジャングル、鍛冶屋があって枝の広がった樫の木があるニューイングランドの村、都会の大通りには生きた役者たちまで配されている)。(中略)数多い公園、池、庭のなかでも特に注目を浴びた、人工の月光が小径を格子状に照らし、機械仕掛けのナイチンゲールが木の枝でさえずり、愁いを帯びた沼や朽ちたサマーハウスの散在する〈プレジャー・パーク〉。影に包まれた鍾乳石の蔭から幽霊が漂い出てきて、ランタンの淡い光が灯る薄闇のなかを客たちの方へふわふわ寄ってくる〈呪われた洞窟〉。埃っぽい道がくねくねとのび、アラブ人の服装をして値切り交渉の駆け引きにも通じた売り子がいて、銅の盥(たらい)から生きた鶏まであらゆる品を売っている屋台が迷路のようにつづく〈ムーア人バザール〉。〈知られざるニューヨーク〉と銘打ったセクションでは、マルベリー・ベンドの泥棒横丁、阿片窟、川ぞいの霧深い通りに並ぶ酒場(血の樽、猫横丁、ダーティー・ジョニー)、不良集団バワリー・ボーイズ対デッドラビッツの血まみれの喧嘩などが再現され、ヘルキャット・マギーなる近所の店では真鍮の爪を買ったり歯をやすりで尖らせてもらったりできた。〈パンテアトリコン〉と称する新種の劇場では、俳優たちが円形の舞台に立ち、ゆっくりと回転する中央の客席を囲むようにして演技をくり広げた。〈降霊会パーラー〉の窓には重たいカーテンが掛けられ、霊の現われ出ずるキャビネットは黒いモスリン布で覆われ、丸いテーブルにはハイネックの黒いドレスを着た霊媒フローレンス・ケーンが座っていた。ジュネーヴ出身ジョフルワ・サンティレール教授主宰になる〈骨相学実演サロン〉。陰鬱な〈瘋癲院〉の鉄格子の窓からは青白い月の光が細々と差し込み、二百人以上の鬱病の妄想(体に火がついている、脚がガラスでできている、悪魔に憑かれている、頭に角が生えている、自分は魚である、首を絞められている、蛆虫に食べられている、頭が胴から切り離されている等等)に苦しむ患者を演じた。(中略)〈驚異の宮殿〉には双頭の仔牛、檻に入った半鷲半獅(グリフォン)、薄黒い池に棲む人魚、「人間鉄床(かなとこ)」、細いワイヤーで玩具の船につながれ海戦を演じるように仕込まれた金魚の群れ、腕なしの驚異リトル・エミリー、2つ目の胴と2組目の脚を持つ「二重少年」、特製の64鍵ピアノでモーツァルトのピアノソナタ全曲を弾く4歳の神童アデレードらが住んでいる。(後略)」
 こうした描写がこれ以降も延々と続き、サドの小説を思わせもする幻覚的な壮大さを感じました。前半で退屈した方は、後半のホテルの描写だけ読んでも楽しめると思います。ちなみにピュリツァー賞受賞作品です。

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ジュリアン・デュヴィヴィエ監督『わが青春のマリアンヌ』

2013-05-10 03:48:00 | ノンジャンル
 朝日新聞でアルフィーが『メリーアン』を作曲する際の元ネタにしたと紹介されていた、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督・脚色・台詞の'55年作品『わが青春のマリアンヌ』をビデオで見ました。
 “君の声が聞こえる。それは青春の日々を呼び戻す‥‥”のナレーション。森の中を移動するカメラは走る鹿の姿を捕えます。やがて現れる城。“君の来るのは知らなかったが、動物たちが静まった。君を待ったのだ”のナレーション。城の前に鹿が集まり、入り口からは子供らが走り出てきます。彼らはあり余る自由時間を過ごすために遠出をすると語るナレーション。車で来たヴィンセント(ホルスト・ブッフホルツ)は母と別れ、マンフレートに迎えられます。城に見えたのは寄宿舎で、マンフレートはヴィンセントに、対岸の邸宅の廃墟に10年ほど前から男爵の霊が取りついているという噂を語ります。アレクシスを頭目として“盗賊団”を名乗る5人組は肝試しとして邸宅の廃墟に行くことにし、ヴィンセントを誘います。夜、寄宿舎の長である教授から親戚の娘として皆に紹介されるリゼロッテ。翌日ヴィンセントに届いた母からの手紙には、母は長旅に出るので、代わりに大尉が来ると書いてあり、ヴィンセントは憤慨します。悪いことが起こると言って止めるリゼロッテを無視し、盗賊団とボートで邸宅へ向かったヴィンセントは、ボートの見張りを頼まれますが、何時間たっても5人組が戻って来ないため、1人で邸宅に向かいます。番人が連れた2頭の犬に追われた盗賊団は、ヴィンセントを置いてボートで逃げ出します。ヴィンセントには吠えない犬たち。その夜の夕食にヴィンセントが現れないのにリゼロッテは気付き、夕食後に不安から自室で失神します。明け方に嵐になり窓が割れ、リゼロッテも目覚めますが、そこへヴィンセントが喜びに満ちて帰ってきます。彼の腕の傷の手当てのために自分のネグリジェを脱ぐリゼロッテ。翌日盗賊団はヴィンセントが女性のハンカチを持っているのを発見します。数日後、沈み込むヴィンセントにマンフレートが話しかけると、ヴィンセントはあの夜のことを話します。番人に邸宅の部屋へ幽閉された彼は、そこで部屋に置かれた絵画そのままの女性マリアンヌ(マリアンヌ・ホルト)と出会い、彼女から「待っていた」と言われます。彼女は病気の男爵が自分を監視していると言い、このことは誰にも話さないようにと言って、彼をボートで送り、ハンカチを落として去ります。そして彼女の面影を数日前から思い出せなくなったのだとヴィンセントは告白します。教授からボートの使用を禁止され、毎日双眼鏡で対岸を見つめるヴィンセント。祭りに現れた黒い車の中にマリアンヌを認めるヴィンセントでしたが、車は去ります。言い寄るリゼロッテを無視するヴィンセント。やがて対岸から青年がボートでやって来てヴィンセント宛ての手紙を寄宿舎の少年に託しますが、アレクシスに奪われたその手紙には「助けて マリアンヌ」と書かれていました。自分になついていた鹿をリゼロッテに殺され、「いい気味だ」と言い放つ彼女を平手打ちするヴィンセント。そこへ手紙の件が伝えられ、ヴィンセントは対岸目指して泳ぎ始めますが、途中で溺れます。マリアンヌのことを口外した罪だと語るヴィンセント。翌朝、城の前に集まる鹿たち。走り出すヴィンセントを追うリゼロッテは鹿たちに追い返されます。丸1日戻らないヴィンセントに対し、ボートで探しに出たマンフレートは、行き倒れているヴィンセントを発見します。彼の話によると、ヴィンセントは邸宅に到り、結婚式を控えるマリアンヌに再会しましたが、駆落ちしようとして男爵に見つかり、いずれ連絡すると言うマリアンヌを後に、番人に追い出され失神したとのことでした。ヴィンセントは改めてマンフレートと邸宅を訪れますが、結婚式の跡は微塵も残ってなく、無人でした。寄宿舎に来ていた大尉は母と再婚するためヴィンセントを母の元へ連れて行こうとしますが、ヴィンセントは母の元へではなく、マリアンヌに会うために寄宿舎を去り、映画は終わります。

 この1作で引退したと言う伝説的な女優マリアンヌ・ホルトは、晩年はこの映画を毎日のように見て自分の生涯を終えたという、映画的なエピソードを持った女優さんで、ポーレット・ゴダード似の美しい方でした。また、主人公とともに生きた鹿を捕えた多くのショットやナレーションも幻想的な雰囲気を作るのに成功していました。

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畑野智美『海の見える街』

2013-05-09 05:26:00 | ノンジャンル
 北上次郎さんがテレビで推薦していた、畑野智美さんの'12年作品『海の見える街』を読みました。4章からなる小説です。
 「マメルリハ」では、海の見える街の図書館司書として働く30過ぎの僕・本田の元に、産休で休んでいる和泉さんの代わりとして、派遣社員の春香ちゃんがやってきます。彼女はハイヒールにミニスカートといった姿で、わがまま放題でしたが、見かけがかわいいせいで男性職員らに甘やかされ、女性に囲まれて受け身で育った僕も、彼女に強く出られると、フリーズしてしまいます。既婚の姉と妹に実家に呼び出された僕は、母が1階のテナントをカレー屋として貸しているインド人と再婚するつもりであることを知らされます。春香ちゃんは先輩で25歳の日野さんと本の扱い方をめぐってケンカし、僕はその日野さんに告白されますが、妹のようなものとして日野さんのことを大切に思っていた僕は、その場で断ってしまいます。ある日、春香ちゃんに近所の店を案内してほしいと言われ、一緒に歩いていると、春香ちゃんの恋人らしき男に出会い、いきなり暴力を振るわれ、その場で失神してしまいます。目覚めて病院から1人で自宅のアパートに戻ると、しばらくして春香ちゃんがやって来ますが、彼女が勝手にドアを開けてしまい、僕が大切に育てていたインコのマメルリハのマメちゃんがドアから外で出ていってしまいます。捕まえようとして2階から落ちそうになった春香ちゃんを抱きとめると、僕は彼女をそのまま抱きしめたいなと思ってしまうのでした。
 「ハナビ」では、初恋の相手がもーれつア太郎で、小学生ではホームズ、中学生では太宰に夢中になり、自室が本だらけになっている私・日野は、今まで友人も恋人もほとんど持ったことなく、学生時代は虐められてきました。現在は自分で保管しきれない本は弟の文也に預かってもらっていて、祭りの日に本田さんにもらったミドリガメのハナビを飼っています。派遣で来るようになった春香ちゃんとは、始めのうちケンカもしましたが、彼女に買物に誘われてから仲良くなり、過去に私を虐めた相手と私が出会った時、助けてもくれました。和泉さんのことを10年来好きだった本田さんに告白し、その場で振られてしまいますが、その後も本田さんは何事もなかったように振舞っています。そしてこれまでも一緒に働く機会の多かった、図書館の1階下の児童館で働く松田さんが、職場のパソコンで秘かに女子中学生の画像を見ているのを発見して、私は取り乱すのでした。
 「金魚すくい」では、児童館で学童保育の仕事を主にしている俺・松田は、子供からも親からも厚い信頼を受けていますが、先日パソコンで女子中学生の画像を見ているのを日野さんに知られてから、日野さんに避けられるようになってしまいました。以前からその事実を知っていた同期で親友の本田君はもちろんのこと、日野さんと一緒にいた春香ちゃんも俺のことを理解してくれているようです。ある日、日野さんは春香ちゃんに言われたと言って、俺に話しかけてきてくれます。俺は自分が高校生の時に中学生だった女性と恋に落ち、肉体関係にまで発展しましたが、彼女の義理の父がその事実を知り、俺の父から200万円を脅し取ったこと、彼女が義理の父から売春を強要されていたこと、やがて両親から捨てられた彼女は、俺が祭ですくってあげた金魚が死んで浮いていた濁った水を最後に飲んで衰弱死したことを日野さんに明かします。そしてある日、俺は死んだ彼女うり二つの少女と職場で出会うのでした。
 「肉食うさぎ」では、図書館で派遣社員として働くようになったわたし・春香はうさぎのデニーロを飼っていて、松田さんが突然辞めたことを知ります。わたしは恋人のDVから逃れるようにして、この町へやって来て、現在では本田さんに好意を抱いていて、図書館長からは派遣期間の延長も打診されましたが、本田さんにそれを報告しようとした時、本田さんは久しぶりに現れた和泉さんの元へと行ってしまうのでした。結局館長の申し出を断り、引越しをしているところに、マメちゃんが現れ、本田さんもわたしを引き止めに現れ、わたしはその場で本田さんと同棲することを決心するのでした。

 すべて一人称で書かれていて、語り手の気持ちの変化の激しさに付いていくのがやっとでした。

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ホセ・ルイス・ゲリン監督『シルビアのいる街で』

2013-05-08 05:03:00 | ノンジャンル
 今日のGoogleのトップページは、タイトルがソウル・バスの代表作を連ねて作ってありました。『サイコ』『黄金の腕』『スパルタカス』『ウエスト・サイド物語』『めまい』『北北西に進路を取れ』、再び『
『黄金の腕』『オーシャンと十一人の仲間』『八十日間世界一周』ら、彼による代表的な映画タイトルを見ることができます。和田誠さんが好きな方は必見です。

 さて、蓮實重彦先生が絶賛していた、ホセ・ルイス・ゲリン監督の'07年作品『シルビアのいる街で』をWOWOWシネマで見ました。
 “第1夜”の字幕。机の上の307号室の鍵。朝、ノートを開きベッドの上で物思いにふける青年は、ふいに熱心にノートに書き込みを始めます。路地に出て、地図を広げ、それを見ながら歩く青年。野外カフェで、隣のテーブルの女性に「この町の人ですか?」と話しかけますが、無視され、コーヒーをひっくり返します。
 “第2夜”の字幕。にぎわう野外カフェ。雑貨を売り歩く黒人。一番奥のテーブルに青年は座っていて、イヤホンで音楽を聞きながらビールを飲んでいます。周りの様子を伺い、スケッチを描く青年は、ページの頭に“シルビアのいる街で”と書き、注文取りをしている女性をスケッチします。注文と違うと客に言われ反論するその女性のスケッチに“彼女”と書き添え、それを“彼女たち”に書き換える青年。やがて青年は別の女性をスケッチし始めます。長考の後、同席する女性に「違う」と言う男性。青年は1人の女性のスケッチを消して描き直そうとしますが、その女性は既に消えていました。後ろ髪を結ぶ女性を見ていた青年は、彼女の顔が見える席に移ります。路上でバイオリンを弾く女性たち。室内の赤い服の女性を見ていた青年は、彼女が店を出ると、勘定を済ませてあわてて後を追います。延々と彼女の後を追う青年。距離が近づいた時に青年は女性に向かって「シルビア!」と声をかけますが、女性は無反応です。女性のすぐ後ろにつき、声をまたかけようとすると、女性の携帯がなり、青年は声をかけそびれます。路上に座り込む老女が道に転がすビンのたてる音。角の店の前で女性が立ち止まると、青年は道を横断し、向かいの角から様子を伺います。やがて女性を見失う青年。街を彷徨し、同じ場所を行ったり来たりします。やがて2階の窓に目を向ける青年。そこには遠目にドライヤーをかける女性の姿が見えます。そしてまた女性の姿を発見し、その後を追う青年。路面電車の駅で止まった女性に並んで立つ青年。女性が路面電車に乗り込むと、青年も乗り込みます。車内の遠くに彼女の姿を認めた青年は彼女のそばまで移動し、彼女に改めて「シルビア!」と呼びかけます。驚く女性。青年は6年前に“飛行士”というバーで会ったと言い、その時、彼女が同級生と一緒で、演劇の専門学校生だったと言います。女性はこの街に来たのは1年前だと言い、自分はシルビアではなく、人違いだと言います。人違いをするなど最低だ、と自分を責める青年。そしてそれを慰める女性。早く訊きばよかったのに、という女性は、後をついて来られて気味悪かったと言い、青年は自分の存在に気付かれていたことを知ります。カフェからずっとつけてきていたと知った女性は、増々気味悪がり、次の駅で降りるけど、もう付いてこないでね、と青年に言います。1人路面電車に残る青年。夜になり、バーのカウンターで隣の女性に何事か青年が囁くと、その女性は微笑みます。
 “第3夜”の字幕。夜、裸で眠る人影。早朝の路地、広場。カフェで新聞を読む青年は、音の出るライターを使うと、店の女性に笑われます。また赤い服の女性を追いますが、路面電車に乗られてしまいます。路上の女性たちの映像。走る路面電車の窓に、青年は昨日の女性の顔の幻影を見るのでした。

 ストーリーらしいストーリーはなく、青年と赤い服の女性以外にも様々なモノが画面に映り込み、それぞれのモノが自分の存在を声高に主張しているといった映画なのかな、と思いましたが、基本的に何が面白いのか、ちっとも分かりませんでした。もしかしたら、ヒッチコックの『めまい』におけるセクシーな追跡劇に通じる面白さがあったのかもしれません。(改めて粗筋を読んでみると、結構面白かった気もしますが‥‥)

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小林恭二『ゼウスガーデン衰亡史』

2013-05-07 05:11:00 | ノンジャンル
 ヴィム・ヴェンダース監督の'11年作品『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』をWOWOWシネマで見ました。ピナによる前衛的な舞踏とパントマイムのパフォーマンスのドキュメンタリーで、舞台、部屋、町中などで行われるそれらは、とても面白く見ることができました。

 さて、宮田珠己さんが著書『はるか南の海のかなたに愉快な本の大陸がある』の中で紹介していた、小林恭二さんの'87年作品『ゼウスガーデン衰亡史』を読みました。
 宮田さんの紹介文をそのまま引用させていただくと([]内は私の書き込みです)、「(前略)私のなかで、キング・オブ・立体読書をひとつ挙げよと言われれば、迷わず小林恭二『ゼウスガーデン衰亡史』(ハルキ文庫)を挙げたい。
 小さな遊園地が徐々に巨大化し、異形のものとなっていくさまを描いたSF小説で、経営母体の分裂やら権力闘争やらが軸となって歴史読み物のように話が展開していくのだけれども、眼目は、そこここにちりばめられた、遊園地アトラクションの複雑怪奇なイメージである。話の筋はどうあれ、とにかく異形の空間イメージにまみれ尽くすという、至福の立体読書経験が味わえるのだ。
 『ゼウスガーデン衰亡史』が書かれたのは80年代、日本経済はバブル絶頂期だった。ところが、ゼウスガーデンの前身は〈下高井戸オリンピック遊戯場〉という廃墟同然の小さな遊園地で、壊れた回転木馬やら、スマートボールやら、ハリボテのゴジラ像やらの置かれた、今で言うところの珍物件なのである。そこのオンボロジェットコースターが[木製のために]何が起きるかわからないスリルで人気を博すところから、発展が始まる。
 このあたりが、実に妖しくていい。
 その後は『中華園』なるリラクゼーション施設[これは桃源郷をイメージしたもの]だの、エジプトのファッションを楽しむ『埃及[エジプト]館』だの、だんだん普通に豪華なアトラクションなんかも出てくる。さらには人口の火山も登場。これ、東京ディズニーシーにもあるぞ。[しかし規模が違って、高さ数百メートル、1日1回の噴火の前には周囲1キロメートルに震度5の地震が発生する。]
 そして規模の拡大につれ、『ゼウスガーデン』は再び妖しげなものになっていく。
 植物でできた観覧車、植物性動物(動物なんだけども花が咲く)の動物園、恋愛や戦争の疑似体験ができる施設、さらに乱交パーティが行われる宮殿[これは経営者らが出席できるもの]、マンダラ映像でトリップできる施設、やがては新興宗教の聖地まで取り込んで、地獄めぐりができるアトラクション[これは衰退期に地方の遊園地が単独では経営が難しくなり、新興宗教とタイアップして、その資金を獲得することで成立した]なんてのも現れ、しまいには心中を見せるショーが登場[芦ノ湖の真ん中で剣でお互いを刺し合いながら入水自殺するのを400万人の人が生で見物し、撮影も行われる]、その後も人間をとことんまで改造して行う裏オリンピック[こんなシーンはなく、宮田さんの思い違いと思われる]とか、ある時間帯だけ強姦、殺人など何をしても罪に問われない超法規フェスト[これも宮田さんの思い違いで、実際は殺人や強姦などを除いた罪で、殺人は決闘の場合だけ許される]など何でもありで、とにかく思いついたものバンバン放りこみましたというような猛烈な描写は、世の空間読書愛好家を満足させるに十分なトポスを描いていると思う。」
 実際、私は読んでいて、その途方もなさに、サドの文章を思い出しました。特に前半の様々なアトラクションの描写が面白かったのですが、後半は経営母体の権力闘争に終始していて、あまり面白くありませんでした。(それでも突然、経営者が反乱を食い、料理されてしまい、パーティに集まった客に肉として振舞われるシーンなども突然出てきたりするのですが。)ラスト、ゼウスガーデンが破壊され尽くしていく場面がせっかく用意されているので、そこでももっと突っ込んだ残酷描写がなされていれば、より楽しめたと思います。

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