そこのおばさんがきつい人でオタカハンと言った。
その横のなだらかな階段を上がると右側に長屋が4軒その前に大きな家が一軒たっていた。
その階段の上り口に湧き水が出ている浅い井戸があり、2メートルほどの縄がついた金バケツが擱いてあり近所の家庭用水の役割を果たしていた。
長屋の最初の家が、島津さん、私の7~8歳くらい上の子がいた。野球はあまりうまくないのにノックだけは上手だった。そこのおばさんがきつい人でオタカハンと言った。
近所の人は一目置いていた。息子はオタカハンゆづりだった。怒りっぽいちょっと変わった子だった。
次の家は安田さん、同級生T君がいた。3つ上の兄ともう少し上の姉がいた。
その横は久岡さん、その横が武田さん、武田の叔父さんは警察官だった。"オイコラ"とこわかった。わたしより2 回りほど上の娘が向陽校の先生だった。
恐い先生だったが大人になって偶然出会ったことがあったが、私のことを覚えていた。話を交わしたがよい人だった。
大きい家は西村さん?といい向陽小学校の溝内先生が下宿?していた。(後でA先生と結婚・共産党府議となったMさんの夫だ)