どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

行きたいなあ でもなあ

2022年05月21日 | 日記

友人の姉上がオーストラリアから一時帰国をし 無事に日本に着いた

出発前に起きた同居する娘婿の感染にも負けず 二度のPCR検査をしての帰国となった

おそらく帰る時にも検査は必須となるのだろう

さほど雨は降らなかったが 一日天気は悪く まずは無事の帰国を祝って飲むという友人の話に釣られて 私も今日は少し酒盛りを楽しむ

それにしても なぜに日本の感染状況はピークアウトせずにだらだらとしているのだろう

私だって出かけたいのになあ

単独行動で気を付けていれば大丈夫だろうとは思うのだが 一人ということもあって 万が一のことを考えると二の足を踏んでしまう

感染した人は ちゃんと感染対策も守ってきたし どこで感染したかわからない という人が多いけれど それも私にとっては不安材料でもある

地図や路線図 地域の情報などを見ては 行きたいなあ でもなあと・・・ 

そして溜息

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マスク・・・

2022年05月20日 | 日記

明日からまた天気が下り坂になるという

まったく 5月ってこんな陽気だっけ?

そんなわけで 今日のうちに買い出しと光熱費の支払いをする

電気・ガス代の納付書を見たら 確かに値上がっている

一人暮らしなので驚くほどではないけれど 依然と比べてみると消費量は減っているのに金額は高くなっている

家族で暮らす世帯は それなりに響いているんだろうなあ

 

最近になって 接近して人と話すことがなければ 屋外でのマスクは不要と言い始めている

私も同感で 散歩の時には稀にそうすることもあるのだが なんといっても東京の住宅地なので 人っ子一人出会わないというわけでもなく 向かいから あるいは横道から人が出てきたりして そうなると下げていたマスクを引き上げることになり これがけっこうめんどくさいので 結果 ほとんどマスクをしたままということになる

それに 少し前までは暑くもなかったしね

マスクをどうするか そもそも日本には法的義務は無く あくまでもお願いだった

それでもこれだけ多くの人がマスクをつけているのは 理由は色々であっても 今はそれが望ましいと多くの人が思っているからだろう

本当に必要無いと感じるようになれば 自然とマスクを外す人は増えていくと思う

 

そもそも 去年だって夏はあったし 暑かったし 今よりも感染者は少なかったのに そんなことはあえて言わなかった

最近になって他の先進国がマスク不要とし始めたら 日本もそれに慌てて乗るかのように

それぞれ国の事情は違うのに 他の国の様子を見ながら では私もと言っているようにしか私には見えない

まずはこの感染者がもっと減らない限り マスクを外す人が多くなることは無いと思うけどなあ

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名前のふりがな

2022年05月19日 | 日記

今日もまずまずの天気になる

昨日出かけたので 今日は家事

今日はシーツとスリッパ二つを洗う

昨日積み残しのノルマをこなすと 今日もほぼ終了

予約した本はやっと5番目になったが まだ待たねばならない

最後尾は32番の人

秋だな・・・・

 

戸籍上の名前にふりがなをつける という話が上がっている

私の名前は読み間違えることなどまず無いものなので 考えたこともなかったが キラキラネームでなくとも迷う名前がある

身近な友達にも 「由美」という表記で「よしみ」と読む人と 「ゆみ」と読む人がいる

ましてや今となると もうわざと 簡単には読めないようにつけたとしか思えない名前が多いものなあ

学校の先生がふりがなが無ければ名前のわからない子ばかり と言うのを聞いてからかなり経つ

 

私の戸籍は 生まれた時からのまま 抜けることもなければバツがつくこともない ある意味奇麗で静かなものだ

今まで数度しか見たことが無い上に 出生届を出したこともないので ふりがなというものがどうなっていたか記憶が無いのだが 読み方を間違って届けられたために 戸籍上の読み方は普段使っているものとは違うんです という話を芸能人がしていたような気がする

となると 出生届の時には読み方も届け出ているのだろうか

このニュースを流している時に 今まで戸籍にフリガナがついていなかったことを知って驚いた と話す人もいたので 私にはまったく謎のまま

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青い空

2022年05月18日 | 日記

久しぶりに朝から太陽を見る

先週のお墓掃除からすでに一週間が過ぎ この間 梅雨空のような日々が続いた

布団カバーを洗って 隣駅まで散歩と買い出し

 

やっぱり青い空はいい 青い空がいい

空がなぜ青く見えるか知ってる?

大気中の微粒子によって散乱される光のうち 波長の短い青い光がより強く散乱されるからなんだ

でも それだけじゃないんだよ

波長の短さからいえば紫色のほうがもっと短いけれど 人間は紫色よりも青色をよりとらえるようにできてるんだ

空が青いのは 青く見えるのは だから 人間だからともいえるんだよね

昆虫には昆虫の見え方があるらしい

 

前に 色覚異常の人が初めて補正眼鏡をかけるという動画を見たことがある

眼鏡をかけて色のある世界を見たとたん 誰もが感動で泣いてしまう 

子供のように色々な物を見ては歓喜する姿に こちらももらい泣きしたことがあったなあ

 

青い空を仰ぎ見ながら元気に歩いて行ったものの 次第に荷物が重くなり 暑さのせいで日陰を選び 青空のことも忘れて下を見ながら黙々と歩いて帰ってきた

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国ガチャ・・・

2022年05月17日 | 日記

こどもの頃 自分の存在について最初に思ったことは なぜ自分は外国人(というかアメリカ人)ではないのか ということだったように思う

西部劇やホームドラマ 名犬ラッシー(若い人は知らないだろうが犬の名前だ) ルーシーショーなどなど 日本のテレビ創成期の頃はアメリカで作られた番組が多く放映されていて 白黒の画面であっても十分に日本人とは違うとわかる容姿や生活様式に なぜ私のそれは違うのかが不思議だった

その頃 私には日本人という意識は(それ以前に国についても)まだ無かった

少し成長して次に思ったのは なぜ男ではなくて女なのか だった

そして最後には なぜ自分は他の家の子ではなくてこの家の子なのか

アイデンティティーなどと言うと大げさだけれど 今も自分が自分としてここに存在することに奇妙な感じを抱くことがある

何故私は あの人ではなく 私として生まれてきたのか 

この家に この日本に この時代に生まれてこなかったら 

別の人間として過去 あるいは未来に生まれることはあっただろうか

生まれ変わりもあの世も 別の宇宙(あるいは星)に自分と同じ人間がいるといったパラレルワールドのような話も 全く信じない私なのに 

去年は「親ガチャ」という言葉が流行った

最近 それから派生して「国ガチャ」という言葉も生まれたが それが運命ということなら今に始まったことではない

アメリカ人だったら良かったのにと思ったのは子供の頃だけで(ついでに男の子だったらという願望も) 今は日本人であることを受け入れているけれど おそらくどこの国に生まれようともそうであっただろうし そうでありたい いや 誰もがそれぞれにそう思う国じゃなくちゃいけないんだよね

それに当たりかはずれかなんて 一生を終えてみなくちゃわからない

まあ 終わった時にはもうどうでもよくなってるけれどね

 

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