昨日今日と、田中秀征さん、田原総一朗さん、跡見昌治さんの
ジャーナリスト3氏が、都知事選について発言しているので紹介します。
田中秀征の一言啓上
争点がぼけた都知事選 議論されなかった「東京の暮らし」
2007年4月12日 日経BP(田中 秀征=福山大学教授)
東京都知事選挙は、石原慎太郎知事が、2位の浅野史郎候補に大差をつけて3選を果たした。
浅野氏は敗北後、「予想より大きな負け方になった」と語っているが、私はそうは思わない。ダブルスコアにはなると予想していたから、結果は浅野氏の善戦だとさえ思っている。また、彼だからここまで迫ることができたのだとも思う。かねて私は、今回の都知事選で石原氏に対抗できる人材の筆頭に浅野氏を挙げてきた。
それでは浅野氏はなぜ「大きな負け方」をしてしまったのか。主たる敗因を考えてみたい。
「政党隠し」の負の影響は浅野氏に大、スポークスマンが必要だった
まず浅野氏は、彼と同志的な関係にある著名人が集まる『十人委員会』のようなグループによって擁立されるべきだった。『十人委員会』は浅野氏と一心同体のいわば“無党派の本丸”となりえた。堅固な本丸を築けば、内堀や外堀で、政党あるいは組織が強力に援護しても拒む必要はない。政党や組織がエゴを通そうとしても、「十人」がそれを難なく突き放してくれる。おそらく浅野氏もそういう選挙をひそかに望んでいたに違いない。 しかし、民主党の出馬要請が先行したことによって、このシナリオの展開は困難になってしまった。それでも浅野氏は意地を通そうとしたので、出馬の経緯は中途半端で分かりにくいものになったのである。
選挙では石原氏も浅野氏も同様に「政党隠し」のそしりを受けた。だが、それによるマイナスの影響は同等ではない。
石原氏は良し悪しは別として、政府や自民党と激しいケンカをした多くの実績がある。一方浅野氏は民主党などに動かされるような人ではないにせよ、都民はそう確信する判断材料を持ち合わせていなかった。しがたって「政党隠し」によるマイナスは、浅野氏のほうがはるかに大きい。
選挙前から気になったのは浅野氏には優れたスポークスマンがいなかったこと。同氏の人柄や主張、実績をうまく説明できる人。本人が言えないこと、言うべきでないことを本人に代わって言う人。そういう人がいないから、本人が「勝手連をつくってくれ」と言わねばならなくなる。それでは勝手連はできないことを都民は知っている。そういう戦術、戦略面に対する都民の戸惑いも小さくはなかった。都民の大半は、今まで浅野氏をよく知っていたわけではないから、なおさら彼の人格や主張を浮き彫りにするスポークスマンが必要であった。
石原批判の効果
今回の都知事選で、他の候補が石原氏に対する主な批判として挙げた点は3つあった。1)都の文化事業に四男を関与させたことによる「都政の私物化」批判。2)謙虚さに欠けるごう慢な性格とする批判。そして3)思想的に超タカ派に属するという批判。
だが、これらの批判は3つとも空振りに終わったように思う。
「都政の私物化」について、石原氏は「私の不徳」とか「反省している」と発言して都民を驚かせた。この石原氏の意外なしおらしさは、攻撃の矛先を鈍らせたばかりか、好感度を飛躍的に高めることになった。今回の勝利の決め手となったと言ってもよい。
その結果、彼を執ように攻撃する他の候補のほうが逆にごう慢の印象を与えたとも言える。
さらに石原氏特有のタカ派的発言も、選挙中には封印したのか、表に出ることはなかった。だからこの面での攻撃も選挙に与える影響は大きくなかった。
争点が拡散した
世論調査によると五輪招致が争点だと思っていた都民は1割程度に過ぎないという。世論の動きによって争点が微妙に変わるから、果たして本当の争点は何であるのか分からなくなった。争点がぼやけて拡散したため、終盤にかけて選挙戦が白熱化することなく終わった。
やはりこの選挙は「東京の暮らし」に的をしぼるべきだった。東京五輪招致も、東京のよりよい暮らしのために必要か、という論点から議論を深めれば有益であった。今後20年、30年後を展望した東京都民の暮らしを最優先の争点の基軸にすれば、選挙戦はもっと違う展開になったかもしれない。
夏の参院選を前に、今回の都知事選から学ぶことは少なくない。
田中 秀征(たなか しゅうせい)
1940年長野県生まれ。東京大学文学部西洋史学科、北海道大学法学部政治学科を卒業。83年衆議院議員に初当選。93年6月に自民党を離党して新党さきがけを結成、代表代行。自民党時代は宏池会(宮沢派)に所属。細川政権の発足に伴い首相特別補佐。第1次橋本内閣で経済企画庁長官。現在、福山大学教授。「民権塾」主宰。最近刊の「判断力と決断力」(ダイヤモンド社)をはじめ、「日本リベラルと石橋湛山」(講談社)、「梅の花咲く 決断の人 高杉晋作」(講談社)、「舵を切れ 質実国家への展望」(朝日新聞社)などの著書がある。
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田原総一朗の政財界「ここだけの話」
盛り下がった都知事選に石原慎太郎が大勝した意味
(2007年4月12日 日経BP)
統一地方選は盛り上がらなかった。石原慎太郎さんをはじめ、現職は9人全員が勝った。都知事選も、浅野史郎さんがもっと激しく追撃するかと思ったが、追撃できなかった。
新聞などでは、浅野さんが石原さんに対して争点を明確にできなかったと批判している。
だが、争点を明確にできなかったのではなくて、実は争点がなかったのではないか。
浅野さんがどうこうという問題ではなくて、時代が、一言でいうと「戦時」から「平時」に変わったのだ。
「戦時」の総理と「平時」の総理
全共闘運動が終わって、80年代はまったく思想の対立もなく、大学はレジャーランドだといわれ、世の中はまさに“バブル”だった。こういう時代には、基本的にリーダーはいらない。強いていうなら、竹下登さんに代表されるような、みんなの意見を聞いてまとめる「調和型のリーダー」を国民は求める。
「強いリーダー」はむしろ危険なので求めない。
90年代に入り、バブルがはじけた。日本は深くて長い、不況というより「平成恐慌」ともいえる時代に入った。銀行や企業がバタバタつぶれ、学生たちは就職できずフリーターやニートとなり、労働者はリストラでどんどんクビをきられた。
まさに「戦時」になったのだ。
ところが日本の政財界の幹部たちは、戦時になったという意識がまったくなく、平時にしか通用しない調和型の総理大臣を次々に出しては状況を悪化させた。
国民は、今が戦時だと気づかない鈍感な政財界にいらだち、総理大臣への批判を強くした。それが最高潮に達したのが森内閣のときである。
「戦時」はメッセージ、「平時」はスキャンダル
そういう状況の中、平時ならば異端視される男が2人登場した。
一人が石原慎太郎で、もう一人が小泉純一郎だ。彼らは独裁的で、調和なんてものをまったく配慮せず、平時においては危険視されるような強いメッセージを発した。
典型的な例は、石原さんでいえば銀行への課税や、「三国人」発言であり、小泉さんでいえば、郵政民営化を参議院で否決されて衆議院を解散した「郵政選挙」であった。
しかし戦時であったから、どんな無茶をやっても支持が高かった。
ところが、必ずしも小泉さんや石原さんのおかげではないのだが、次第に景気がよくなってきた。ついには有効求人倍率が1倍を突破し、企業も若者に扉を開き始めた。
かつて小泉政権時代は「格差」という声が広がったのに対して、いまはむしろ正社員と非正社員の差をなくそうとする動きすらでてきた。
国会ではすっかり政策論争が影を潜めた。焦点になっているのは、松岡農水相の事務所の光熱水道費問題や、赤坂の豪華な議員宿舎の問題などのスキャンダルばかりだ。
国民の代表として全国から出てきた国会議員が特別待遇になるのは当たり前で、逆にみっともないのは、議員たちがマスコミや世論にたたかれることを気にして入居せず、宿舎が300戸中、100戸が空いていること。
こういった類の問題はどうでもいいとは言わないが、些細なことばかりだ。
「平時」を察知して豹変した石原慎太郎
都知事選でも政策が論議にならなかった。石原さんの出張費や、会合費が高額すぎるとか、やはりスキャンダルだけだ。
政策の論議がないということは、つまり「平時」になったのだ。「平時」とはなにかというと、国民が「ほっと一息つきたい」と思っていることだ。
国民が大きな変化や変革を求めていないので、今回の統一地方選でも、現職の自治体の首長が全員当選した。石原さんが当選したからといって、かつての石原さんに期待されていたものと、今とではまったく違う。
石原さんはかつては、民主主義に挑戦するような「傲慢さ」で売った。今回は、石原さんらしい強いメッセージはまったくなく、きわめて低姿勢だった。「安全で安心な街づくり」「子育て支援」。これが本当にあの石原慎太郎のスローガンだろうか。
築地の市場の移転先として予定される、豊洲の東京ガスの工場の跡地に、国の基準を上回る有害物質があるとなると、もう一度調査し直そうとあっさり言ってしまう。かつての石原さんならば、断固やると言っただろう。都政の私物化に対して謝罪する石原慎太郎などこれまでならば想像すらできなかったはずだ。
石原さんは、都民が強いリーダーシップを求めていないことを察知して、徹底的に低姿勢で勝負した。そして当選した。
タカ派色を消した安倍首相の計算
これは国政にもいえるだろう。安倍首相は、核兵器をつくるとか、集団的自衛権を見直すとか、憲法を改正するといった話は、国民に受けないのではないかと思っているのだ。
読売新聞は、4月6日付けの新聞で、憲法に関する全国世論調査(3月17、18日実施)の結果を発表した。それによると、憲法改正を求める国民は昨年より9ポイント減り、今回ついに50%を切って46%となった。
今から10年前は、60%に近い国民が憲法改正に賛成していたことを考えると驚きだ。おそらく安倍首相は、国民の声を察知して、タカ派色を消しているのだろう。
だが、よく世の中を見れば、今は決して「平時」ではない。例えば環境問題、少子化問題、北朝鮮問題、イランやイラクの問題、問題はいくらでもある。
国民の意識は構造的に変わりつつある
問題は、国民はいつまで一息つきたいのかだ。
民主党は今回の統一地方選を参院選の序盤戦として戦ったが、ついに自民党との違いを表明できなかった。これで民主党は参院選を戦えるのか。
前回の2004年の参院選は、小泉前首相が高い支持を得ていたときの参院選だったので、今夏の参院選に民主党は勝つだろうといわれていた。今回自民党は大幅に議席を減らし、公明党と足しても過半数をとれないのではないか、下手をすると安倍首相交代もありうるのではないか、ともいわれてきた。
しかし、この統一地方選の盛り上がりのなさをみていると、参院選で民主党はそれほど勝たないのではないかと思えてきた。
もっとも、統一地方選で県知事選の方は現職が9人とも当選して、どの県民も変革を望まなかったかにみえるが、県議選の方は、自民党が97人減らしたのに対して、民主党は170人増加させている。一見地味だが国民の意識が構造的に大きく変わってきているのである。
民主党は、この変化を参院選にいかすことが出来るのか。“ほっと一息”ついている国民を叩き起こすことが出来るのか。国民の意識を「平時」から「戦時」に転じさせることが出来るのか。それが参院選勝敗のカギを握ることになるだろう。
田原 総一朗(たはら そういちろう)
1934年滋賀県生まれ。早大文学部卒業後、岩波映画製作所、テレビ東京を経て、フリーランスのテレビディレクターとして独立。ドキュメントを手がける。1987年から「朝まで生テレビ!」、1989年から「サンデープロジェクト」のキャスターをスタート。新しいスタイルのテレビ・ジャーナリズムを作りあげたとして、1998年、ギャラクシー35周年記念賞(城戸賞)を受賞。また、オピニオン誌「オフレコ!」を責任編集。2002年4月に母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生たちの指導にあたっている。
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都知事はまた石原氏か。知名度だけで決めてもいいのか。
【PJ 2007年04月13日】- 4月8日には統一地方選挙があり、東京都知事選挙も行われた。実質的に、石原慎太郎氏と浅野史郎氏の一騎打ちになった。私は、石原氏は落選して、浅野氏が知事になるだろうと、思っていた。石原氏は、オリンピックを東京で開催したいと言うし、海外視察の時に豪遊したり、画家の四男に都の仕事を与えたりしたから、都民は愛想を尽かしているだろう、一方、浅野氏は宮城県知事を三期も務めて実績があるし、行政をまじめに考えているから、当選するだろうと、予測していた。この推測には、私の願望も入っていた。
だが結果は、石原氏が281万票を獲得して当選した。この票数は投票した人の半分に相当する。浅野氏は169万票だった。次の吉田万三氏(共産党推薦)は62万票だった。大差で石原氏が当選した。都民の大半は何を考えて投票したのか、いぶかしく思う。選挙公報を見てみると、浅野氏の方が真剣に考えているのが分かる。挨拶に「私は格差社会に我慢できない」などと書き、公約として震災対策や水の浄化などを挙げて、具体的だ。石原氏の方は、挨拶に「満足度世界一の東京を作りたい」などと書いた。抽象的だ。公約は8項目挙げたが、「ものづくり東京を実現します」など、スローガンのような言葉ばかりで、具体性に乏しい。
インターネットで調べてみると、浅野氏は公約を詳しく書いて、15ページにも及ぶマニフェストを発表していた。一方、石原氏は、ウェブ・サイトに公約を載せていなかった。今回の選挙の大きな争点は、オリンピック誘致の是非だが、石原氏に投票した人達は、また東京でオリンピックを開催したいのだろうか。浅野氏は五輪開催に反対したが、選挙民は同氏の公約を、ちゃんと読んだのだろうか。
五輪は今後、2008年に中国で行い、2012年はロンドンだから、国際オリンピック委員会(IOC)が2016年の開催地をアジアに選定する可能性は少ないようだ。だから、東京で開催することの可能性も少ない。誘致するには、金がかかる。誘致できなければ、その公費は無駄になる。今回石原氏に投じた人達は、後で公費を無駄にしたと、怒らないのか。
石原氏が選挙戦では低姿勢で通し、不祥事を謝ったことも、当選につながったのだろう。銀行税や新銀行東京では失敗したが、ディーゼル車の排ガス規制なども、評価されたのだろう。浅野氏の側にも、問題はある。出馬宣言が遅れたし、国旗国歌の指導に反対した。君が代や日の丸を肯定しないと、一部の左翼は支持しても、保守派の多くからは相手にされない。
だが結局、投票した人の半分が石原氏を支持したのは、浅野氏より知名度や人気があるからではないか。公約を読み、候補者の実績を考えて、誰に投票するのか、決めたのではないと思う。朝日新聞の出口調査でも、「公約や政策」で選んだ人より、「資質や魅力」で選んだ人の方が、多かった。(朝日新聞4月9日付「石原氏、低姿勢で逆風かわす」)
この選挙に限らないが、有権者は真剣に候補者を見ていないのだ。「有名だから」「ポスターがたくさん貼ってあるから」などの理由で投票する人の方が多い。選挙翌日の9日、テレビを見ていたら、石原氏が7日、江東区の商店街を遊説する様子を映していて、おばちゃん達がはしゃいでいた。政策や実行力より、知名度や人気で、候補者を見ているのだ。
日本にはまだ、議会制民主主義が根付いていない。人気や知名度によって、誰に投票するが決める人の方が多い。選挙によって、少しでも優れた人を議会に送り、政治を行うという仕組みが、うまく機能していないのだ。
だが、悲観することはない。知名度で投票する人の方が多いが、公約や意欲を判断して、投票する人も多い。今回、浅野氏は169万票も取った。これから、報道や教育によって日本人の意識を高めていけば、合理的な思考ができる人はもっと増えて、本当の選挙ができるようになると思う。【了】
■関連情報 PJニュース.net
パブリック・ジャーナリスト 跡見 昌治【東京都】
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最後に、美輪明宏さんのコメントを紹介します。
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美輪明宏氏が石原慎太郎サンが2位に110万票という大差をつけ圧勝、
都知事に三選されたことについて
「都民の民度のレベルが証明されたのではないでしょうか」
とスポーツニッポンの紙面で酷評(4/9)
「石原さんに投票された方は、皆さん、太っ腹でいらっしゃる。
この結果は『どんどん税金の無駄遣いをしてください。
後は私たちがどんどん働いて貢ぎます』
ということなのです。
石原さんはこれまでの都政を承認されたのですから好き放題できます。
これは誰が悪いわけではありません。都民が悪いのです。
石原さんに何かやられても文句を言ってはいけません。」
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