「希望社会への提言(14)―医療の平等を守り抜く知恵を」。
昨年、映画『シッコ』を見たので、興味深く読んだ。
希望社会への提言(14)―医療の平等を守り抜く知恵を ・ドラフト制をヒントに、医師を公的に配置 ・運営を県単位にして、診療報酬を決める権限も ◇ 社会保障の各論として、まず崩壊が心配されている医療から考えたい。 「薬指だけなら1.2万ドル、中指は6万ドル。どっちにします?」。事故で指を2本切断した無保険者は手術に入る前、医者からこうたずねられる…… 昨夏、米国の医療の実態を描いたマイケル・ムーア監督の「シッコ」は、日本でも大きな衝撃を与えた。 公的な医療保険は高齢者と低所得者に限られ、民間保険に入れないと無保険者になる。米国ならではの光景だ。 日本では、すべての人が職場や地域の公的医療保険に入る。いつでも、どこでも、だれでも医者に診てもらえる。「皆保険」は安心の基盤である。シッコの世界にしないよう、まず医療保険の財政を確かなものにする必要がある。 患者負担を除いた医療費は、高齢化で06年度の約28兆円から25年度には48兆円へ跳ね上がる、と試算されている。それをまかなうため、保険料と税金がともに10兆円前後増える計算だ。 試算では、サラリーマンの月給にかかる保険料率は平均して約1ポイント上がる程度だが、自営業者や高齢者が入る国民健康保険は、いまでも保険料を払えない人が多く、限界に近い。患者負担を引き上げるのはもう難しかろう。皆保険を守るためには、保険料と患者負担の増加を極力抑え、そのぶん税金の投入を増やさざるを得ないのではないか。 社会保障を支えるためには消費税の増税も甘受し、今後は医療や介護に重点を置いて老後の安心を築いていこう、と私たちは提案した。医療は命の公平にかかわるだけに、優先していきたい。 もちろんムダもある。治療が済んでも入院を続けて福祉施設代わりにする。高齢者が必要以上に病院や診療所を回る。検査や薬が重複する。こんなムダを排していくことが同時に欠かせない。 医療保険の財政基盤が固まったとして、医療の現場は大丈夫か。そこが最近は怪しくなってきた。 病院から医師がいなくなっている。患者のたらい回しもよく起きる。このままでは産科や小児科だけでなく、外科や麻酔科も足りなくなる。近ごろ医師の不足や偏在が目にあまる。 医師は毎年4000人ほど増えているが、人口1000人当たりの医師は2人だ。このままいくと韓国やメキシコ、トルコにも抜かれ、先進国で最低になるともいう。先進国平均の3人まで引き上げるべきだ。医師の養成には10年はかかる。早く取りかからなければならない。 医師が充足するまではどうするか。産科や小児科など、医師が足りない分野の報酬を優遇する。あるいは、医師の事務を代行する補助職を増やしたり、看護師も簡単な医療を分担できるようにしたりして、医師が医療に専念できる環境をつくることが大切だ。 そのうえで、診療科目の選択や医師の配置に対して、公的に関与する制度を設けるよう提案したい。 医師の専門分野が偏らぬよう、診療科ごとの養成人数に大枠を設ける。医師になってからは、一定期間、医師の少ない地域や病院で働くことを義務づける、というものだ。 配置を受ける時期は、研修時や一人前になったとき、中堅になって、といろいろありうるだろうが、義務を果たさなければ開業できないようにする。 医師は命を預かるかけがえのない仕事である。だから私立医大へもかなりの税金を投入している。収入が高く、社会的な地位も高い。たとえ公立病院に勤務していなくても、公的な職業だ。 自由に任せていては、医師の偏在は解消できない。社会の尊敬と期待にこたえて、このように一時期の義務を受け入れることはできない相談だろうか。 以上の制度ができたとき、医師を計画的に養成するのは中央政府の仕事だ。しかし、それ以後は思い切り分権を進め、地域政府にまかせるべきだ。 前述した配置も、都道府県が地元の病院や医学部、医師会、市町村などと相談しながら決める。医師の多い県から出してもらう必要も生じるだろう。 その際には、プロ野球のドラフト制度をヒントにしてみてはどうだろうか。新人だけでなく中堅の医師を含めて、医師不足の県が、医師の多い県から優先的に採用できるようにするのだ。 4月からは、75歳以上の高齢者が入る県単位の高齢者医療制度が始まる。中小企業のサラリーマンが入る政府管掌健康保険は全国一本だったが、これも10月から県ごとに運営される。市町村の国民健康保険や小さな健保組合も、県単位への統合を進めている。 したがって、医療の負担と給付を決めるのも県の仕事にするのが自然だ。 医療への診療報酬は政府の審議会で決めている。これを、政府が決めるのはその基準にとどめ、知事が最終的に決めるようにしたっていい。必要とされる医療は地域によってさまざまなので、地域の実情に合わせやすくなるだろう。 長野県は、予防に力を入れて高齢者の医療費を全国最低に抑えつつ、長生きを実現している。県が責任をもつことで、そんな工夫が広がるよう期待したい。 (朝日新聞2008年01月28日(月曜日)付社説) |
希望社会への提言(13)―医療・介護に頭とカネを使おう、
の紹介を飛ばした。
新聞は見つかったのだけど、webが消えていると思ったら、あった。
希望社会への提言(13)―医療・介護に頭とカネを使おう 朝日新聞2008年1月21日付社説 ●地域政府が福祉サービスの責任をもつ ●子どもこそ未来の希望、子育て支援を手厚く これから数回は、私たちの暮らしを支える社会保障の未来図を描きたい。今回は総論として、社会保障を全体的にどう組み立てるのかを提言する。 少子高齢化が進みながら日本の人口が減り始めた。経済もかつてのような成長は期待できない。もうバラ色の社会保障像を望むことはできない。 そんな厳しい中でも、年金・医療・介護は、少なくとも今の水準を維持していこう。子育てや貧しい人々への支援、そして教育は手厚くしたい。そのためには保険料や消費税の引き上げも受け入れざるを得ないが、さらに市民も手を差しのべ合って福祉の質を高めていく。 この社説シリーズの初めに、希望社会のイメージをそんなふうに示した。要は、やみくもに「小さな政府」にするのではなく、「中福祉・中負担」で連帯型の福祉国家をめざそうという考え方だ。 それを実現するため、次の三つを提案する。(1)年金より医療や介護にもっと頭とカネを使う(2)分権を進め、医療や介護は基本的に地域政府にまかせる(3)子育て支援に力を入れる。この3原則で、持続可能な社会保障を組み立てたい。 まず最初の提案を説明しよう。 年金で生活を支え、医療や介護への出費も年金から払ってもらう。そんな年金中心の高齢者福祉を政府は描いてきた。それを修正したいのだ。限られた財政資金を有効に使うためである。 * もちろん年金は老後の柱だ。ただ、日本の年金水準は欧州とほぼ肩を並べるところまできている。現行の水準を維持できれば、ひとまず安心できるのではないか。それで足りないなら、若いころから計画的に蓄えることもできる。 それより老後で本当に困るのは、重い病気や介護が必要になったときだ。ふだんより格段にお金がかかり、年金では足りないかもしれない。しかも、そんな状態がいつ来るのか来ないのか予測はできないので、備えておきにくい。 その結果、お金のあるなしで受けられる治療に大きな差が出たり、オムツ交換の回数が変わったりするのではつらい。 同じ財政資金を使うのなら、年金を手厚くするのと、こうした不時のための備えに回すのと、どちらの方が老後の安心により役立つだろうか。一人ひとりが万が一に備えるより、社会全体でカバーし合った方が効率もよくなる。 現在でも、医療は医師不足や病院の赤字といった問題を抱えている。介護もヘルパーの報酬が低すぎて、穴があきつつある。このままで老後は大丈夫か。 社会保障への毎年の公的支出は、25年度までの20年間に40兆円以上も増えると大まかに試算されている。そのうち20兆円を医療が、10兆円を介護が占める。高齢者が急速に増えるからだ。 もっと効率をあげて支出の増加を抑え負担増を極力抑制する。それと同時に、サービスの質も高める。ここにこそ、頭とカネを使っていくべきだ。 その工夫のひとつが2番目の提案だ。医療や介護は思い切って地域政府にまかせ、住民が必要とするサービスの内容は住民が決める仕組みにしよう。 全国民が加入し、支え手が多いほど制度が安定する年金は中央政府、つまり国が責任をもつ。しかし、医療は都道府県が責任をもって運営する方がいい。2000年にできた介護保険は市町村が担当しているが、いままで以上に独自性を発揮できる仕組みにしたい。 医療や介護の負担とサービスを地域に合わせて組み立てる。住民の自主的な活動もからませて、出費を節約しながら、きめ細かな福祉を提供する。 地域政府がちゃんと運営できるか、不安がないわけでもない。だが、選挙や行政への参加を通じて住民が意向を反映させられるようになれば、納得もできるし制度が安定するのではないか。 * 最後は子育て支援である。子どもは未来の希望の星だ。子どもが減れば働き手が減り、消費も落ち込み、経済は縮小する。社会保障の担い手も減る。 子どもが欲しければ安心して産めて、立派に育てていける。子育て支援を強めてそんな社会をめざそう、という提案に異存はないだろう。 社会保障の公的支出はいま、高齢者へ70%が振り向けられ、子どもなど家庭へは4%ほどしか行っていない。 高齢者が増え続けるので、比率を大きく変えるのは難しいかもしれない。だが新たな財源を工面して、若い世代への給付やサービスを手厚くしたい。 いまのペースで少子化が進んでいくと、50年後には日本の人口が4千万人近く減って9千万人を切る。さらに今世紀末には、その半分にまで落ち込んでしまうとも推計されている。 それを食い止め、できれば反転させる。持続的で希望のもてる社会をつくるには、それが何よりも大切だ。 前述のように、高齢化によって社会保障支出は急激に増えていく。保険料や税金による負担も増やさざるを得ない。それを極力抑えるため、社会保障の中にもある無駄を徹底して排除し、効率化させていく。これは改革の大原則だ。 次週は社会保障の各論編として、まず医療から考えてみることにしよう。 (朝日新聞2008年01月21日(月曜日)付社説) |
いままでの「希望社会への提言」がアップされていた。
朝日新聞【社説】希望社会への提言
「希望社会への提言」を最初から通しで読みたい方は、ここを読んでね。
これからは、読み飛ばしても安心だ(笑)。
最後まで読んでくださってありがとう

2008年も







