みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

こだわりトマトに挑戦 【寺町知正さん】/妥協を許さぬ生き様-悼む:柳原和子さん

2008-04-05 22:25:57 | ほん/新聞/ニュース
一週間ぶりに岐阜へ帰ってきました。
連れ合いに、新聞でも再会しました(笑)。

先にアップさせてもらいますね。

 いきいきセカンドステージ【寺町 知正さん】
こだわりトマトに挑戦
2008年04月02日

 夏野菜の代表格の一つはトマトだ。
 無農薬でトマトを作ることができれば他の野菜は簡単だが、もともと乾燥した南米高原地帯原産の作物だから、日本の高温多雨な気候は不向きで、数年たつと病気に悩む人が多い。連作障害があるので、ナス科の作物を3~4年栽培していない場所を選ぶ。
 菜園でトマトが作りにくくなったら、袋培地で栽培を試みてはどうだろう。病原の土から離すために、肥料袋などに新しい土を入れ、畑の土の上に逆さにし、上部に穴を開けて苗を植える。レジ袋で試したことがある。乾燥するから水やりもいるが、トマトの味を良くし、耐病性も増す。
 トマトも最近は多品種が出回っている。新たな品種を作るのも楽しい挑戦だ。ミニトマトは作りやすいが、私は好きではないので放任栽培していた。が、数年前、抜群においしいプチトマトに出会ってから、3本仕立てにしてまじめに世話をしている。
 夏野菜はどれも基本的に接ぎ木苗をすすめている。値段が100円高くても、必ず元はとれる。ただし、接ぎ木部分に土が来ると、病気に強い台木に接いだ意味がなくなるから、注意が必要だ。
 最後に今話題の食用ほおずき、「ストロベリートマト」の紹介。枝周り直径1・5メートル以上になり、霜が降りるまで実が100個以上付く。その味わいはとりこになる。
 ともかく、安全、安心、美味にこだわる農法はセカンドライフに向くし、実は、新しい農業の一つのスタイルでもあると思う。
(朝日新聞 2008年4月2日)


同じ日の毎日新聞に、柳原和子さんの追悼記事。

悼む:ノンフィクション作家・柳原和子さん=3月2日死去・57歳
 ◇妥協を許さぬ生き様--柳原和子(やなぎはら・かずこ)さん


 旅立ちの朝は、病室の窓辺に置いた鳥かごで文鳥が歌を添えた。東京都内の緩和ケア病棟。姉と2人の友人にみとられて、安らかな最期だった。
 20歳の春、卵巣がんを患った母親が、闘病の果てに47歳で早世した。治癒の見込みがなくなった時の医師の手のひらを返すような態度に憤り、「母と同じ年齢でがんになって、物書きとしてすべてを記録する」と心に期した。
 私が彼女と出会ったのは80年春、カンボジア難民のキャンプだった。その探究心と行動力に圧倒された。帰国後、難民の子供の記録を本にした。ほどなく、40カ国を旅して在外日本人の物語を出版。四国巡礼、医療過誤、薬害エイズ……。精力的に取材を続け、再会した時は、物書きの心構えと葛藤(かっとう)を熱く語った。
 母親の享年に達した春に、くしくも同じ卵巣に悪性腫瘍(しゅよう)が見つかる。以来10年、自らの闘病の軌跡にがん患者へのインタビューを重ねながら、心の痛みに寄り添おうとしない現代医療の実態を「がん患者学」などに記した。医師と対等に渡り合う知識を身につけ、闘病記の域をはるかに超えた数々の作品を残した。
 03年冬に再発。昨夏まで執筆を続け、秋には「安寧に暮らしたい」とすべての治療をやめた。年明けに体調が急変し、京都の家から文鳥を連れて入院した。1月末に、病院に友人や支援者を招いてパーティーを開く。白いブラウスを着飾り、ふらつく体をおして、最後まで立ったまま別れのあいさつをした。握手した手に意外なほど力を感じた。
 「遺灰は伊豆の海にまいてほしい」。生前、遺言を残した。妥協を許さぬ生き様にたもとを分かつ人もいたが、素顔は繊細で心優しい、寂しがり屋だった。【萩尾信也】
(毎日新聞 2008年4月2日)


撮りためた画像はたくさんあるのですが整理できておらず、
今日のところは、早めにお風呂に入って、ご飯を食べて寝ます。

庭の花がどんな風になっているのか・・・楽しみです。


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コメント
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