『美術手帖 』(美術出版社) の2008年 01月号の
表紙の絵が印象的で、、
描いたのはだれだろうと思っていたら、
一昨日のETV特集で、上野千鶴子さんと対談した松井冬子さんだった。
上野さんが、「超絶技巧」の新進気鋭の日本画家と対談したのは知っていて、
ブログで番組の案内をしたが、番組のさいしょに映し出された絵を見て、
思わず、あっと声をあげた。
タイトルは「浄相の持続」。
この絵を描いた女性(ひと)が松井冬子さんだったのだ。
その内容に衝撃をうけ、惹きつけられ見入ってしまった。
ETV特集「痛みが美に変わる時
~画家・松井冬子の世界~」
松井冬子さんは、女子美大に飽き足らず東京芸大の日本画専攻にうつり、
日本画で初めての女性博士号を取得した人、だそうである。
作品は、写実的でありながら、幽玄な美しさがある。
安楽寺「九相図(九相詩絵巻)」や、
河鍋暁斉の「骸骨図」に影響を受けたという。
映し出された作品は、
「双頭の蛇」、「思考螺旋」、「夜盲症の女」、
「毛並みが乱れた白い犬」、
「完全な幸福をもたらす普遍的万能薬」…
最新作は、「自らの内臓をドレスのようにまとう女」。
内面の衝動を、日本画の持つ繊細な技法と、強い意図で表わす、
「狂気の一歩手前でふみとどまっている絵」という感じ。
表現方法は違うけれど、メッセージは、
初期のニキ・ド・サンファル、フリーダ・カーロにどこか似ている。
その作品を、上野さんは「自傷系アート」、
「アグレッシブ」(攻撃的、積極的)だといっていた。
上野さんが衝撃を受けたという
《世界中の子どもと友達になれる》という卒業制作作品を、
上野さんは、「世界中の子が私と同じ不幸に感染しますように」
というメッセージだと読み解く。
松井さんが描く人間はすべて傷ついた女性、そして動物。
だからこそ上野さんはそこに「ジェンダー」を見て取り、
彼女の絵の痛みを「ジェンダー化された痛み」だというのだろう。
上野さんは「傷を負わなければ美しいものはつくれない」と、
松井冬子を「バロックパール」にたとえていたが、
その好きだというバロックパールを身につけていた。
上野さんとの対談の朝、松井さんはきっちりと決めた服装ではなく、
ラフなシャツドレスにストレートヘアで現れた。
満開の桜を背景に語る彼女自身が美しい女(ひと)だけど、
鼓膜が破れ首の骨が折れるほどの、暴力を受けてきたという。
松井冬子は、男性中心社会に対する怨念のすべてを
画を通して表現しているように思う。
そんな松井さんの絵と、上野さんとの対談を、
男たちはどう見たのだろう。
「男の人はなんと言いますか?」
「何人かの人は、見たくないと言いますね」
「それはねらい通りですか?」
「ねらい通りです。それみたことか、と」。
女性の感想についてはどうかと問われると、
「『よくやってくれた』って言われたことがあって、
それはすごくうれしかったですね。
ああ理解してくれたって」。
男たちは目をそむけ、女たちは「よくやってくれた」と喝采を送る。
たしかに、男性の対談者たちは、
松井冬子さんの絵を絶賛しながら、どこかずれている気がした。
上野さんは「ジェンダー化された痛み」を、「脱ジェンダー化された」
「人間の痛み」に置き換えることに「待った」をかける。
松井冬子は語る。
「自分のセラピーのために画を描いているわけではない。」
「自らの情念を吐き出す方法が絵であり、それは苦痛ではない」
そんな松井さんにかけた、上野さんの言葉が印象的だった。
「しあわせになってもいいのよ、
そこからだってじゅうぶん素敵な画は描けるわよ。
自分を追い詰めないで生きていいのよ」
「しあわせになることをためらわないで」
上野さんのことばは、同じ痛みを経験したものとしての愛情にあふれ、
あたたかく、説得力があった。
松井冬子自身が「今年であって最も感動した人」と評している
上野さんからの言葉に、彼女は、まっすぐ前を見て「はい」と答え、
すこし微笑み、そして、すこし、涙ぐんだように見えた。
「あなたが幸せになったときの画を見てみたい」
「人は予想もつかないほど変化するものだから」
そのことばは いままで「画を描く」こと以外で
生き延びることができなかった松井冬子さんの心に深く届き、
きっと、彼女と、彼女の作品に影響を与えるだろう、とわたしは思う。
そして、
「しあわせになりたいと、思わなかったの」という、
わたし自身にかけられた上野さんの温かいことばを心に呼び起こした。
松井冬子は語る。
「絵を描かなければ死んでいた」
「へたれだから死ねなかった」と。
若いころ、死ぬ直前まで追い詰められたことのあるわたしにも
この心情はわかる気がする。
暴力で心や体が傷ついた、何も表現方法を持たない女性たちは、
リストカットや摂食障害でかろうじて生き延びる。
そんな女性たちが彼女の絵を見て、共感し、やすらぎ、
「よくぞ描いてくれた」、ここにいるのはわたし、と離れられなくなる。
彼女にとって、絵を描く、という表現手段は、
きっと生き延びるために必要だったのだろう、と思う。
でも、
このまま、身を削って絵を描き続ける彼女は、幸せになれるのだろうか?
松井冬子さんに、しあわせになってほしい、とこころから思う。
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追伸・上野さんと松井さんの対談が、ユーチューブにアップされました。
松井冬子×上野千鶴子 1/2
松井冬子×上野千鶴子 2/2