ここ数日、新聞各紙にも大きく報道され、
宮崎駿監督の4年ぶりの最新作アニメということで期待が高まる。
読売新聞には、記事のほかに「全面広告」まで出ているし、
公式ホームページには、作品にかける宮崎駿監督の思いや、
物語のあらすじが詳しく紹介されている。
映画「崖の上のポニョ」
物語 海辺の小さな町
海に棲むさかなの子ポニョが、
人間の宗介と一緒に生きたいと我儘をつらぬき通す物語。
同時に、5歳の宗介が約束を守りぬく物語でもある。
アンデルセンの「人魚姫」を今日の日本に舞台を移し、
キリスト教色を払拭して、幼い子供達の愛と冒険を描く。
海辺の小さな町と崖の上の一軒家。
少ない登場人物。
いきもののような海。
魔法が平然と姿を現す世界。
誰もが意識下深くに持つ内なる海と、波立つ外なる海洋が通じあう。
そのために、空間をデフォルメし、絵柄を大胆にデフォルメして、
海を背景ではなく主要な登場人物としてアニメートする。
少年と少女、愛と責任、海と生命、
これ等初源に属するものをためらわずに描いて、
神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。
宮崎 駿
プロフェッショナル「仕事の流儀」も、宮崎駿と「ポニョ」の番組のようだ。
プロフェッショナル「仕事の流儀」スペシャル 8月5日(火) 22:00~23:28 (88分) 放送予定 宮崎駿のすべて~ 「ポニョ」密着300日 ~ 映画監督・宮崎駿(67)の4年ぶりの新作「崖の上のポニョ」が7月に公開される。宮崎自身が「最後の長編」と語る、宮崎アニメの集大成ともいえる作品だ。「プロフェッショナル仕事の流儀」では、去年3月、映画の構想準備段階の密着ドキュメントを放送した。番組はその後も密着取材を続行、2年間、のべ300日にわたって宮崎駿の創作の現場を記録し続けてきた。番組では宮崎がヒロイン「ポニョ」などキャラクターに思いを寄せ、徐々に成長させてゆく独特の手法をはじめ、密着カメラだけが知りえた宮崎アニメの秘密を徹底的に解明する。映画作りが大詰めを迎えるなか、宮崎が見せた涙。これをきっかけに映画は予期せぬエンディングへと向かってゆく。カメラは映画誕生のドラマを克明にとらえた。 また、これまでほとんど語られることのなかった宮崎駿の半生を取材。原点とも言える幼少期の体験から、過去の苦悩や挫折まで、知られざる人間・宮崎駿の歩みにも焦点を当てる。 さらに、番組キャスターを務める脳科学者・茂木健一郎と住吉美紀アナウンサーが、映画完成直後の宮崎を直撃。宮崎アニメの名場面を多数おりこみながら、映画監督・宮崎駿の秘密に徹底的に迫る88分の夏休みスペシャル |
宮崎駿監督の作品は「もののけ姫」も「千と千尋の神隠し」も
「ハウルの動く城」も、ほぼ公開と同時に劇場で見た。
この映画も、8月5日の「プロフェッショナル」の前に
ぜひ見ておきたいと思っているのだけど、7月下旬は日程がつんでいる。
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ともあれ、新聞各紙を紹介しますね。
「崖の上のポニョ」きょう公開~のびやか 現代版 人魚姫 宮崎駿監督「子供たち 祝福したい」 「ポニョとの約束守り、子どもを祝福」宮崎駿監督が語る 朝日新聞 2008年7月18日 宮崎駿監督の4年ぶりの新作「崖(がけ)の上のポニョ」が19日から全国公開される。海辺の小さな町を舞台に、「人間になりたい」と願う魚の子ポニョと5歳の少年、宗介の交流を描いた。画面の隅々まで、人が、海洋生物が、自然が動き回り、アニメーションのだいご味を存分に楽しめる快作だ。「子供たちを祝福したかった」と語る監督の思いやいかに? (野波健祐) 崖の上の一軒家に母親のリサと住む宗介は、ある日、ジャムのビンの中でもがくポニョに出会う。家出したポニョを、「僕が守ってあげるからね」と約束して連れ帰る宗介。しかし、ポニョを連れ戻そうとする海の勢力がすぐそこまで迫っていた……。 下敷きにしたのは監督が9歳のとき初めて読んだ文字だけの本「人魚姫」。人魚が海の泡になってしまうアンデルセンと異なり、ポニョの願いをかなえるべく、宗介は、リサやポニョの母である海の精霊、デイサービスセンターの老女たちに見守られ奮闘する。 シンプルな筋運びは前作「ハウルの動く城」の反省から。「わかりにくいと言う人が多くて。ならば5歳の子供にわかってもらえる話を作ろうと。5歳というのはものごとがわかっているのに、言葉にできないもどかしさを抱えている。そんな子供に最小限の言葉だけでも楽しんでもらいたかった」 確かに絵は「ハウル」と比べてすっきり。その分、動きの密度は濃い。とりわけ水の表現が秀逸だ。 宗介を好きになったポニョは、人間になるため海の力の源泉となる魔法を解き放つ。穏やかな海は突如、荒々しさを増し、町に嵐が押し寄せる。巨大魚のようにうねり迫る波と車に乗ったリサが繰り広げる“カーチェイス”。嵐で水没した町にポニョと2人ボートでこぎ出す宗介の眼に映る、うようよと動き回る古生代の海洋生物……。CGを使わずすべて手書きで、その数、実に17万枚に上る。 「デジタルになって画面の密度がどんどん高まり、描いている方も、せっつかれているようで神経質になっている。一方で、日本のアニメは昔から絵を動かさない美学みたいなのがあった。この世界に入って45年ほどですが、当時から絵の枚数を減らせと言われ続けてきた。じゃあ一度、存分に枚数を使い、アニメの原点である線だけの動きを追求してはどうかと」 話しながら海が描かれた画面写真を示す。「ほら、この水平線なんて、いびつな鉛筆書きの線をそのまま残してある。今回、スタッフの間で、我々は“実線主義”を貫く、なんて言い合いました。従来の日本アニメなら髪だけ動かしていたものを、顔全体を一コマ一コマ手で書いていった。すると、今まで感じられなかった息づかいのようなものが生まれたんです」 CGが向かうリアリズムとは対極のいびつさが、会ったとたんに絶対の信頼で結ばれる、大人からすればありえない、宗介とポニョの関係を成り立たせている。そう、「未来少年コナン」のコナンとラナのように。あれから30年、2008年はコナンの物語のきっかけとなる大戦争の年だ。 「コナンも、ヒロイズムに目覚める10歳くらいの少年に向けた話でした。いま、あの時代よりも世の中が窮屈になっているから、もっと伸びやかに作った。約束を守りたいと思いつつ約束を守れなかった我が人生を顧みつつ、宗介に約束を守らせることで、子供たちを祝福したかった」 アニメは子供のもの、監督はそう言い続けてきた。 「コナンのころは美意識に基づいた一種の終末思想がありましたが、そんなきれいな終末は来ず、どろどろ、ぐしゃぐしゃのまま21世紀がやってきた。じゃあ今、何をよりどころにするのか。人間がすべてを捨てても最後まで捨てないはずの子供ではないか。ひとまず産まれた子供をみなで祝福し、一緒に苦しみながら生きましょう。そんな風に思います」 物語は最後にすてきなおまけを用意している。「ポ~ニョ、ポ~ニョ、ポニョ、さかなの子~」の主題歌にのり、作品にかかわった約420の名が50音順にパッパと出てきて、サッサと終わる。華やかな絵本をめくっている気分になる、エンドクレジットだ。 「スタジオに住み着いている3匹の猫も、スポンサー会社もすべて並列に名前を置いた。どこか21世紀的で、いいでしょう?」 (2008.7.19 朝日新聞) |
オールザットシネマ「崖の上のポニョ」 (スタジオジブリ、日本テレビ、東宝ほか) 柔らか おおらか 深遠 読売新聞 2008年7月18日 宮崎駿監督のアニメーション映画に、柔らかさが戻ってきた。「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」といった作品では、失われつつあった柔らかさだ。 物語が複雑になり、絵の精密さが増すにつれ、宮崎アニメは気高くなって、少し寂しい気持ちがしていたら、4年ぶりの新作は、ふっくらとして、おおらか。アニメの楽しさを満喫し、幸福な気分に浸ることができた。 主人公は、さかなの子・ポニョと、海辺の一軒家で暮らす5歳の男の子・宗介。陸に上がって弱っていたポニョを大事にしてあげる宗介と、自分をいたわってくれる宗介のことが好きになるポニョ。何と、素朴で純粋な感情だろう。 一度は海に連れ戻されてしまうポニョだが、何としても、宗介に会いたいと願い、再会を果たす。「宗介、好き」。何度も「好き」と繰り返すポニョ。愛情を伝えるのに、これほど、率直でおおらかな言葉があるだろうか。前半は、柔らかい感性の出会いを、いつくしむように描き出す。 映画の後半は、冒険の物語。大津波が宗介たちを襲い、町は水の底に沈む。宗介は母親と連絡が取れなくなり、ポニョとともに捜しに行く。 短い旅の途上、彼らが出合うのは、生と死の物語だ。暗くて怖いトンネルの中でポニョは正気を失い、死後の世界のような明るい場所で、おばあちゃんたちが生気を取り戻す。死ぬこと、生きることが、ファンタジーの意匠を借りて、語られる。 宮崎監督の伝えたかったことが一気にあふれてくるかのようだが、謎解きは不要。謎は謎のままで受け止めればいい。それが、子供の感性だ。大人にとっては、柔らかい感性をいまだに持っているかを試す、リトマス試験紙となろう。 絵が大胆な変貌(へんぼう)を遂げた。全編手描きによる、パステル画のようなタッチで、映画のもう一つの主役である海が描かれる。冒頭の海の美しさはこの上ない。水中を浮遊する無数の生き物たち、細かい水泡、水中にさし込む淡い光。丁寧な手仕事の大きな成果である。 そして、圧巻なのは、ポニョが宗介に会うために、海中から登場するシーン。文字通り、生き物と化した大波と戯れながら、ポニョは宗介の乗った自動車と追いかけっこを繰り広げる。圧倒的なイマジネーションの世界に驚かされる。 ネット上ではぎすぎすした言葉が飛び交い、CG製の映像はリアルさの追求にまい進している。そんな時代に、穏やかな口調で、子供たちに語りかけることが、どれほど重要か。しかも、深遠なことを、分かりやすく。その難事に、宮崎監督は挑み、格闘し、大きな達成を得た。柔らかい映画は、実は、凄(すご)みを備えた傑作である。1時間41分。日比谷スカラ座など。 (近藤孝) (2008年7月18日 読売新聞) |
シネマの週末・甘辛クロスビュー:崖の上のポニョ ■あらすじ 海辺の崖(がけ)の上の家に住む5歳の宗介は、父親が留守がちで寂しい思いをしている。そんな宗介はある日、ビンに頭を突っ込んだ魚のポニョを助けた。ポニョは宗介を好きになって人間になると決意し、宗介はポニョを守ると約束する。しかし、ポニョの父親はそれを許さず……。宮崎駿監督。1時間41分。日比谷スカラ座ほか。 ◇童心の世界に浸る 「ポーニョ〓ポーニョ〓」で始まる主題歌が頭から離れない。物語はシンプルで、水中を自由に泳ぎ回るポニョや海の生き物などを色彩豊かに描写。5歳の少年がポニョを守り抜く冒険活劇である。 CGを使わず、すべて手描き。宗介やポニョの視点で描いているので、のどかな海辺だけではなく、嵐の海さえもほほ笑ましく見える。勇気や思いやりの大切さが画面からにじみ出てくる。「アニメは子供のために作る」という宮崎監督の創作の原点を色濃く反映した作品になった。 宮崎作品は「もののけ姫」以降、物質文明批判などのメッセージ性が強まったが、今回はトーンダウン。「となりのトトロ」に代表される素朴で懐かしさを感じさせる世界に回帰した。いつのまにか童心の世界に浸り、素直な気持ちで物語に見入ってしまうのである。ポニョの父親の不思議など、説明のない部分はあるが、想像力を少し発揮してほしい。汲々(きゅうきゅう)として暮らす大人たちにも、安らぎの時間が約束されるだろう。(鈴) ◇「試練」が手ぬるい 滑り出しは、期待にたがわず素晴らしい。手描きアニメ表現の可能性を探る求道(ぐどう)的姿勢。海水が重量感を持ってふくれあがり、魚に変じて飛びはねるかと思えば、バケツのしぶきは単純な白い線。背景はときに色鉛筆で描かれる。CGが絶対にかなわない繊細さだ。 物語も一筋縄ではいかぬ宮崎アニメの厳しさを予感させる。ポニョの父親は不穏な空気をまとい、ポニョは嵐を引き起こして人間の脅威となる。間中心の自然観。この先どうなるのかと、快調に盛り上がる。 ああ、それなのに。「海の母」が記号的美人として登場するあたりから、いつもと違う雰囲気に。「もののけ姫」で野性の少女と人間を対峙(たいじ)させ、「千と千尋の神隠し」で10歳の少女に試練を与えた宮崎監督が、5歳の男児にはずいぶん手ぬるい。宗介の誓いを阻む障害はあっけなく解消し、世界はたやすく守られる。今さら「となりのトトロ」の素朴さに戻られても……。頑固でとっつきにくい人のままでいてほしかった。(勝) ============== 毎日新聞 2008年7月18日 東京夕刊 |
宮崎駿監督の『崖の上のポニョ』がいよいよ公開!!
新境地となった「海」と「母親」の描かれ方とは?(7/17 日経トレンディネット)
・・・・宮崎駿が「海」にこだわった理由はずばりここにある。常に我々を見守る“母のような存在”として「海」を描いているのだ。そして「海」を用いて、母の重要性を表現している。宗介が暮らす場所が離島に設定されているのも、四方が海に囲まれることで“包まれている”感じを明確に示すためであろう。
海を描き、母と子という人類に普遍の問題を取り上げ、宮崎アニメの新境地を見せた本作だが、母と子の理想的な関係を追求するあまり、愛に溢れたおとぎ話に見えてしまうきらいもある。「理想的な関係でない子はどうしたらいいのか?」といった問題は脇に置かれてしまっているのだ。・・・・・
主題の「海」が「母」の記号になっているというところが、
わたしも気になるけれど、見てみないことには、はじまらないね。
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