昨日からかかりっきりで、途中リソグラフのトラブルもあり、
どうなることかと思いましたが、ぶじ刷り上りました。
半年振りに作ったのですが、へっとへとに疲れています。
もう文字を見るのもイヤ、と最後の力を振り絞って、記事を書いて送信したら、
ログイン画面が現れて、跡形もなく記事が消えてしまってガーン。
こういうときに限って、コピーを忘れてるんです。
気を取り直して、またブログ記事を書いてます。
66号の依頼原稿は、10日締め切りで順調に届いていたのですが、
わたしが書くはずの原稿に手がつかず、けっきょく
金沢の控訴審から帰ってから、1600字の記事と
表紙の1200字の2P分を一気に書きました。
月刊『創』5月号に掲載された「つくばみらい講演中止事件」の
上野さんの記事も、転載の許可を得て載せさせてもらいました。
「む・しネット」会員の方には、じきに届くのでお楽しみに。
明日は「向老学学会」で朝から名古屋へ出かけるので、
通信をwebにアップするのは、あさって以降になります。
明日の基調講演は、上野さんなので、暑い名古屋へ出かけていきます。
600席ということですが、ずい分前に満員御礼になったようです。
人気ブログランキングに参加中
応援クリックしてね
超売れっ子の上野さん、
名古屋だけでなくて、西に東に講演にお仕事に飛び回って、
金沢での裁判の23日もすでに予定がはいってて来られなかったのですが、
宿泊先のロビーで、読みたかった日経を見つけたのでコピーしてもらいました。
この「[4] 人生のピークを過ぎて」は、ネットでけっこう評判になっていました。
「エイジングとポストモダン社会」 [4] 人生のピークを過ぎて――上野千鶴子さん 【 やさしい経済学「21世紀と文明」08.07.22日経新聞(朝刊)】 「もしあなたがもう一度人生を生きなおせるとしたら、何歳にもどりたいですか?」という質問がある。これに対する答えには、ジェンダー差がある。女性は30代と答え、男性は50代と答える人がいちばん多いという。 女の30代は出産・育児に夢中な年齢だ。子どもの手が離れてほっとする時期までに、人生のうちでもっとも充実感を感じるときかもしれない。他方、男の50代は、社会的地位と収入のピークだろう。 人生のピーク(絶頂期)はいつか?いつがピークかは、過ぎてしまわなければわからないものだ。自分が下り坂にあって、振り返ったときにはじめて、あれが人生のピークだったのか、とわかる。そんなものだろう。生産性のカーブで見れば、体力、気力、経験のバランスのとれた40代がピーク。それからあとは、過去の遺産でめしを食っているようなものだ。若い世代から搾取と言われてもしかたがない。年功序列賃金体系が崩壊すれば、若いうちの低賃金を年とってからの高所得で補償することなど期待できなくなる。会社とも、その時・その場で貸し借りなしの決済をしたほうがよい。開業の医師や登録へルパーは、経験や年齢を問わず、報酬は同じ。わたしは教師をなりわいとしているが、毎年受けいれる学生の人数は同じ。基本的にはくりかえしだから、年齢にかかわらず給与が一定でもかまわないと思っている。 職人仕事なら自分の生産性のピークはよくわかる。経験や技術で生産物の単価は上がるかもしれないが、若さにまかせての大量生産はできなくなる。年齢とともに衰えを受けいれ、能力に応じた戦線の縮小をはかり、収入に応じた生活規模を考えればよい。 なのに、世の中にあふれているのは、成長、発展、拡大、進歩の思想とノウハウばかりである。これに対して後退と縮小の思想もノウハウも不足している。 社会や個人だけではない。家も家族も、最大規模を前提に考えられている。子育てのピークも、じきに終わる。家族の縮小期をプランに入れた住宅設計が必要だと、かねてより建築家に提案しているのだが…。家族の数だけ個室を壁で仕切って、親業を卒業した後、物置と化した子ども部屋をもてあましている人は多い。もっとも家を一生もの、と考えずに、いさぎよく縮小撤退路線で住み替えを選択する人たちも増えてきた。 ピークを過ぎても人生は続く。そして下り坂の景色も悪くない。 (日本経済新聞 2008.7.22) |
先週の日曜日の岐阜新聞には、前に紹介した、
『ポスト消費社会のゆくえ』の書評ものっていました。
書くのも読むのもイヤ、だったはずですが、、、
今日もだらだらと長くなってしまいました(アーァ)。
集中力が途切れてるようです。
昨日は、ともちゃんの誕生日。
お互い忙しかったのでイベントは特になし。
お昼はともちゃんが特製冷やし中華を作ってくれて(笑)、
夜はテルテルさんが沖縄から送って下さったステキなグラスで、
かんぱーい
人気ブログランキングに参加中
応援クリックしてね