みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

「エイジングとポストモダン社会」上野千鶴子&【2008年上半期ヒット記事ランキング】(日経)

2008-07-22 23:34:32 | ジェンダー/上野千鶴子
昨日はすずしげな「海の日」、
今日は24節季の「大暑」(たいしょ)
梅雨も明けて、一年で一番暑いころで、
全国で猛暑日を記録している。

大暑(たいしょ)は、二十四節気の1つ。
7月23日ごろ。およびこの日から立秋までの期間。
太陽黄経が120度のときで、快晴が続き気温が上がり続けるころ。六月中。
暦便覧には「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」と記されている。
夏の土用が大暑の数日前から始まり、大暑の間じゅう続く。
小暑と大暑の一ヶ月間が暑中で、暑中見舞いはこの期間内に送る。


梅雨が明けて、トマトが一段とおいしくなってきた。
今年は雨が少なかったので、乾燥を好むトマトは、豊作だ。
   

  

ここ数日、アクセスも急増していて、gooのランキングも100番台。
pvは2500くらいで、アクセスIPはなんと1100台。

一日にコンスタントに1000人以上の人が見に来てくださっている。

一番アクセスが多いのが、

手作り梅干し~いよいよ土用干し(2005-07-29)

三晩の土用干しの意味~祖母の梅干し・2 (2005.8.6) も多い。

どうやら「土用干し」で検索して訪問しているようだ。

その割には、「人気ブログランキング」があがらないのだけど(笑)、
見に来た人は、ぜひクリック↓をお願いしますね。

人気ブログランキングに参加中 
応援クリックしてね
 



ランキングでおもしろいのが、
「日経BP」の【2008年上半期ヒット記事ランキング】。

「総合」「コラムニスト別」「月別」でアクセス数の多かった記事を掲載。
愛読している遥洋子さんの記事も上位に入っています。
 
2008年上半期記事 総合ランキング ベスト30
【2008年上半期ヒット記事ランキング】
 

2008年1月1日から6月23日までに日経ビジネス オンラインに掲載された
すべての記事から、アクセス数の多かった記事のベスト30をお届けします・・・

2008年上半期 コラムニスト別アクセスランキング
【2008年上半期ヒット記事ランキング】
 
数多くのコラムをかかえる日経ビジネス オンラインで、
アクセス数の多かったコラムニストのベスト10と主な執筆コラムを紹介します。・・・

2008年上半期記事 月別ランキング
【2008年上半期ヒット記事ランキング】

1月から6月23日まで、それぞれの月でアクセス数の多かった記事を
3本づつ紹介します。・・・


日経といえば、上野千鶴子さんが日本経済新聞の
「やさしい経済学「21世紀と文明」」に、
「エイジングとポストモダン社会」というコラムを連載している。

関係ないけど、
明日は上野さんが原告代表の福井訴訟の第2回口頭弁論の日。
上野さんは忙しくて来られないのですが、記事でお会いすることにしましょう(笑)。

 「エイジングとポストモダン社会」――[1] 老いはスキャダル?
戦後の日本は、久しく続いた長老支配を破る民主化の時代でもあった――上野千鶴子さん
 
(やさしい経済学「21世紀と文明」08.07.17 日本経済新聞)

 「老いは文明のスキャンダルだ」と言ったのは、あのシモーヌ・ド・ボーヴォワールである。近代文明社会は、進歩、成長、発展を旗印にしてつきすすんできた。新しいことがよきことであり、古いことは弊履のごとく投げ捨てられる。「ふるーい」ということばを投げかけることが、それを全否定する表現であることが、「常識」になって久しい。
 こんな社会では老いることがそのまま悪となる。だから人々は老いに直面することを避けたがる。老いを否認し、若さの価値を称揚する。若作りをし、アンチエイジングに励み、「老いてもこんなに若々しい」人たちが、モデル高齢者になる。
 だがすべての社会がそうではなかったことを比較老年学は教えてくれる。片多順さんによれば、老人の地位は①近代化の程度と反比例の関係にある。②人口の高齢化が低いほど、③定住の程度が高いほど、④文字を持たない社会ほど、⑤大家族であるほど、⑥財産の種有権をもっているほど、高くなる。
 敗戦までの日本はそういう社会だった。戦争中の日本軍の捕虜に聞き取り調査をするだけで、日本に一歩も足を踏み入れないまま『菊と刀』を書いてしまった文化人類学者のルース・ベネディクトは、人生の自由度曲線が日米で対照的であることを述べている。アメリカでは成長するにしたがって責任とともに個人の自由度が高まるのに対し、日本では子どもと老人が自由度の極致にあって、成人期は義理としてがらみに拘束され責任ばかり重くて自由のもっとも少ない年齢なのだ、と。逆にアメリカでは子どもと老人は無力な存在として制約を受ける。これなら日本の子どもたちが「おとなになんか、なりたくない」ということにも理由があるし、アメリカの老人たちが老いを受け入れたくない気持ちもわかる。だが、この日米の違いは文化差などではなく、実は歴史の時差だったことが戦後に判明する。未曾有の近代化、アメリカ化、経済成長の過程で、日本の高齢者の地位は急速に低下していった。とはいえ、近代以前の停滞社会に戻ることがのぞましいわけでも、できるわけでもない。戦後の日本は、久しく続いた長老支配を破る民主化の時代でもあったのだから。
…………………………………………………………
上野千鶴子(うえの・ちづこ)
48年富山県生まれ。京大大学院博士課程修了。
専門はジェンダー研究。
-------------------------------------------------------------------------
「エイジングとポストモダン社会」――[2] 老いはじめた日本
 だれも教えてくれなかった時代と世代の経験を、私たちは迎える――上野千鶴子さん
 
(やさしい経済学「21世紀と文明」 20008.07.18日本経済新聞)

 人間だけでなく社会も老いる。日本はとうとう人口減少期に入った。もっともかんたんなロストウの近代化理論によれば、近代化の指標は人口曲線で示すことができる。人口爆発期の開始が近代化のテイクオフ(離陸)、人口増加のプラトー(高原)期が近代化の成熟だ。近代化というものを文字通り変化の時代、過渡期だとすれば、私たちの社会はすでに「近代化」の過程を通過してしまったことになる。だとすれば近代化を推進してきたさまざまな価値や理念を転換しなければ、次の時代を生き抜けないのは自明だろう。
 日本のように後発近代化を経験した国は、短期間のあいだに近代化のサイクルをひととおり通過する圧縮近代を経験することになる。韓国の場合はその圧縮の程度はもっと高い。そのなかでも、私の世代、戦後ベビーブーマー(人口構成の特徴から堺屋太一さんによって「団塊の世代」と呼ばれた)は、特異な位置を占める。つまりベビーブーム世代にとっては、敗戦から復興の高度成長の時代が自分自身の成長期と重なり、日本社会の成熟期と停滞期が自分たちの向老期と重なるからだ。
 人間は生れてくる時代を選ぶことができない。もし戦時中に青春を迎えていればさんざんなめにあったことだろう。どの時期に青春期を過ごすかは、その後のものの見方に、身体化されたと言ってよいほどの影響を与えるように思える。
 わたしたちの世代は、成長に対する信頼を持っていて、時間が経てば事態は今よりよくなるだろうという根拠のない信念を持つ傾向があるのに対し、それから30年たった今の若い世代は、時間が経てば今より事態が悪くなるという、これも根拠のない身体化された不安の感覚を持っているように感じる。それというのも彼らがものごころついてこの方、日本はずっと不況とデフレスパイラルを抜け出せず、少子高齢化を経験してきたからだ。それがちょうど団塊ジュニア世代にあたることは、なにかの皮肉としか思えない。楽観的で革新的な親の世代のもとで、不安と守りの子ども世代が育ったからだ。「ボクらが若いころは…」と自分たちの価値観を押しつけることはやめた方がよい。彼らが置かれている環境は、30年前とはすっかり変化しているからだ。
 気がつけば自分が高齢期に近づいている。だれも教えてくれなかった時代と世代の経験を、私たちは迎えようとしている。
--------------------------------------------------------------------
「エイジングとポストモダン社会」――[3] 人生85年時代の到来
 年寄りはうざい、ださいと差別したら、かならずそのツケは返ってくる――上野千鶴子さん(東京大学教授)
 
(やさしい経済学「21世紀と文明」 日本経済新聞 2008.07.21)

 人生85年だという。平均寿命は男79歳、女86歳(2006年)だが、現在50代を過ぎている人は、もっと長生きすると覚悟した方がよい。80歳を超えて生きる確率は女性が4人に3人、男性が2人に1人強。死ぬに死ねない長寿社会が来た。
 昔から長寿は人間の切なるのぞみだったのに、それを実現した社会で、どうして老いを忌避し、嫌悪しなければならないのだろうか。PPK(ぴんぴんころり)と聞くたびに、私は老いを拒否する思想を感じとってしまう。
 サクセスフルエイジング(成功加齢と訳す)は、アメリカ生まれの概念。老いを拒絶する最たる思想だ。定義は「死の直前まで中年期を引き伸ばすこと」と、ジェロントロジスト(老年学研究者)の秋山弘子さんが教えてくれた。老いを見たくない、聞きたくない、避けたいと否認し、抵抗する人にとっては、ある朝ぽっくり、は理想だろう。
 だが老いのつらさは、他人から軽んじられ、厄介者扱いされる差別視だけではない。若さを至上の価値とする成長期の価値観をそのままもちつづけることで、他のだれに言われるまでもなく、自分自身によって自己評価が下がることが、もっともつらく、受けいれがたいのである。こんなはずはない、ふがいない、なさけない…この老人の「自己否定感」は、あらゆる社会的なマイノリティーに共通する感情である。差別されることの最大のつらさは、自分で自分を受け入れることのできない自己否定感のつらさである。
 男性が女性差別を、健常者が障害者を差別するのは、自分がそうはならないという安心感があるからだろう。だが、老人差別だけはそうではない。年寄りはうざい、ださいと差別したら、自分が高齢になったときに、かならずそのツケは返ってくる。だれもがいつかは障害をもち、無力になり、持っていたものを失っていく人生の下り坂。それをだれもが経験するようになったことを歓迎したい。
 人生85年時代には、人生の上り坂と下り坂が半々。上り坂のときには、昨日まで持っていなかった能力や資源を今日は身につけてどんどん成長・発展することができた。下り坂とは、昨日まで持っていた権力や資源を、しだいに失っていく過程である。
 問題はこれまで、人生の上り坂のノウハウはあったが、下り坂のノウハウは誰も教えてくれなかったことだ。そして上り坂よりは、下り坂の方がノウハウもスキルも要ることは、山登りを経験した人なら誰でも知っている。


いよいよ、夏本番。十六ささげと白レイシもとれはじめ、
  

  
 
初物の十六ささげのお浸しと、ゴーや入りマーボ茄子を食べました。
  


人気ブログランキングに参加中 
応援クリックしてね
 
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カサブランカが咲きました!/レッドとイエローとオリエンタル系白も。

2008-07-22 00:00:56 | 花/美しいもの
今年もカサブランカが咲きました!

例年より数日早い開花で、全部咲けば40輪ほどです。



昨年植えた一株は、
茎が帯状になって、15輪も花をつけています
3年前に植えた球根は、茎が細くなって、
花の重みで折れたので、部屋の中に活けています。

一昨日、一輪だけ咲いたのですが、
昨日はみるみるうちに、開花していきます。


開くと同時に、むせ返るような芳香を放っています。
  

まっ白で、優雅で、ゴージャスで、それでいて、うつむきに咲くさまは、
どこかはかなげで、ことばもなく見とれています。
  

  

一足先に咲いたのは、鉢植えのイエローカサブランカ。
「カサブランカ」は、「カサ=白い」「ブランカ=家」というスペイン語ですから、
ほんとは白い花だけをカサブランカというのですが、
花の形や咲き方はカサブランカと同じで、クリーム色です。
  
正式な品種名は「コンカドール」。

こちらはやはり鉢植えの「レッドカサブランカ」。


  


庭の岩の後ろには、見上げるほどのオリエンタル系の白い百合も。
2メートル以上もあるでしょうか、


マキノキに登っているノウゼンカズラまで届きそうです。
花はカサブランカより大きいくらいで、少し上向きに咲いています。

名前が分からないので調べてみたら、
クリスタルブランカかシベリアのようです。

鉄砲ゆり系の雰囲気もありますね。

オリエンタル系の花は、本来下向きに咲く性質があるそうですが、
上向きに咲くように改良されたとか。


♪上をむーいてあーるこう♪って、歌いたくなるような・・・
カサブランカより少し元気な感じがしますね。


人気ブログランキングに参加中 
応援クリックしてね
 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする