毎日新聞を読んでいたら、今年の毎日書評賞に、
毎日新聞で書評を担当している小西聖子さんの本に決まったと知りました。
わたしは、毎日の小西さんの書評を愛読しているだけれど、
よく読んだら、書評をまとめた『ココロ医者、ホンを診る』という本が、
毎日書評賞に選ばれたとのこと。
まっよい本みたいだから、身内の本でも許しましょう(笑)。
小西聖子さんの書評は、共感するところが多くて好きなので、
『ココロ医者、ホンを診る』をぜひ読んでみたい。
明日東京に行くので、探して買ってくることにしましょう。
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年末の小西聖子さんの書評で印象に残っているのが、
『ウイグルの母 ラビア・カーディル自伝』。
昨年のウイグル暴動の時に、テレビに出ていた女性が
強く心に残っていて、それで、このひとだと知りました。
この本も読みたいと思っているのだけど、岐阜の本屋さんでは
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毎日新聞で書評を担当している小西聖子さんの本に決まったと知りました。
わたしは、毎日の小西さんの書評を愛読しているだけれど、
よく読んだら、書評をまとめた『ココロ医者、ホンを診る』という本が、
毎日書評賞に選ばれたとのこと。
まっよい本みたいだから、身内の本でも許しましょう(笑)。
毎日書評賞:小西聖子さん『ココロ医者、ホンを診る』 喜びの声/山崎正和さん選評 毎日新聞 2010年1月10日 第8回毎日書評賞が小西聖子さんの『ココロ医者、ホンを診(み)る--本のカルテ10年分から』(武蔵野大学出版会・1995円)に決まった。小西さんの喜びの声と選考委員、山崎正和さんの選評を紹介する。 ◇特に「女性」と「トラウマ」に関心 「病跡学」の視点から探究したい 過去10年間に執筆した書評の中から、編集者が56編を選んだ。改めて目を通してみて「こんなに自分の思いを書いているとは正直、思わなかった。これでは書評じゃなくてエッセー」と苦笑する。 「今週の本棚」の執筆者を1993年から務める。春には18年目を迎えるが、「評論家ではない私がやっていいの」との思いは今も変わらないという。だから自称“アマチュア”書評家。「一読者として面白いと思った本について趣味のように書いた評を、良かったと言っていただけるなら、本当にうれしい」と受賞を喜ぶ。 当初は「私がやる以上、何か趣向がなければ」と、書き出しに心理テストを入れたり、ゲームの攻略本などを積極的に紹介したりした。 続けるうちに気付いたのは「自分は本を診ている」ということ。精神科や心理臨床で患者の話を聞くように、著者と“会話”をしながら読んでいると感じるようになった。例えば、二谷友里恵さんが郷ひろみさんとの離婚のてんまつをつづった『楯(たて)』(2001年、文藝春秋)の書評は「本当は2人をカウンセリングしながら、こういう話題を取り上げたい」と思いつつ書いたという。 「治療には、相手の世界に没入して理解するという『物語を読み解く目』と、症状から冷静に診断する『論理的な目』の両方が必要。こうした二重の視線は書評にも、向いているかもしれません。著者に共感して読みながら、言うべきことははっきり言うようにしています」 いつも苦労するのは本選び。途中まで読み進んで「これじゃない」と横に置くこともしばしばだ。新刊には常に目を光らせ、夫に書店へ“偵察”に行ってもらうことも。仕上がった評を最初に読むのも夫の役割という。「『何これ』『わからん』と時々言われるのですが、一番ダメ出しが多いのは私の専門領域の本。面白いですよね」 手掛けるジャンルは心理学から文学や数学、芸能まで幅広いが、特に興味があるのは「女性」と「トラウマ」の問題。女優ジェーン・フォンダさんの自叙伝や俳人、杉田久女の評伝などを紹介してきた。今は本業であるトラウマの治療と研究で手いっぱいだが、いずれは「病跡学」の視点で女性の生涯を探究したいという。著名な人物について、多くの資料から精神医学的分析を加える学問だ。 「一冊の本で病跡を分析するのは“インチキ”なのですが、それでも確かに、書いている人や書かれた人の内面的なストーリーが浮かび上がってくる瞬間がある。一瞬にして謎が解ける感覚は読書の醍醐味(だいごみ)です」<文・佐々本浩材/写真・武市公孝> ◆選考を終えて--山崎正和 ◇「ココロ医者」は本を「聴く」 『ココロ医者、本を診(み)る』という表題だけを見ると、あるいは読者は軽い抵抗を覚えるかもしれない。なにしろ医者は患者にとって絶対の強者であって、それに「診る」と言われると、はなから裁かれているような怯(おび)えとひがみを感じがちなものだからである。 だがまえがきを読むとすぐわかることは、著者であるこの医師が精神科医であり、臨床心理士を兼ねた医者だということである。素人の私でも知っていることだが、臨床心理士が「診る」とはじつは「聴く」ということであって、患者と同じ平面に立って秘められた本心を吐露させることを意味している。 患者を冷たく見下ろすのではなく、かといって患者の主張や訴えに巻き込まれるのでもなく、共感と客観を微妙に両立させて聴くのが仕事なのである。だとすればこれは本を読むという作業の妙諦(みょうてい)そのものであり、書評という仕事の理想に通じる態度ではないだろうか。じっさいページを繰るごとに、これが理想的な書評集であることがわかってくる。 第一に、著者の紹介する本の内容の要約がすばらしい。私はかねて本が読めるとは粗筋が語れることだと信じていて、批評の半ば以上は作品の要約にあると考えてきたが、著者はあらためてそれを傍証してくれる。 対象は小説から自然科学書、暴露本にまで広がっているが、それぞれに書評を読めば内容のおおむねがわかる。著者の専門とする精神病理学史が面白いのは当然だが、数学のフェルマーの定理について、その証明の歴史を書いた大冊の要約は圧巻である。証明に絶望して死んだ学者もあれば、自殺を決意した男が偶然にこの謎を知り、面白さのあまり自殺を忘れたという逸話もある。科学の解説書が興奮を誘うという印象さえ与えるのは、摘みだされる勘どころがよいからである。 第二に魅力的なのは、著者の視座がおとなの良識に満ち、しかも繊細な鋭利さを秘めている点にある。女優ジェーン・フォンダの自伝を読んで、その積極果敢な人生を讃(たた)えながら、三度の結婚の相手がつねに「父代わり」の庇護者(ひごしゃ)だったことを指摘し、老境にはいっても若く前向きの生き方を貫く姿勢を見て、「疲れる」と呟(つぶや)く批評には共感を覚える。子供向けに未来予想を説く科学解説書を紹介して、そこで読者として想定されている健全な「少年」像を疑い、原著者の無邪気さを心配するくだりは鋭い。 当然ながら、とくに説得的なのは著者が臨床心理学の見識を背景に、現代の社会や個人の解説に批評を加える文章である。ペットを愛玩してペットロス症候群に悩む人と、ペットを虐待する人がじつは同質であって、他者と適切な距離をとることができない現代人の病弊の現れだという一節は、書評の域を超えている。「子供を産めば、寂しくなくなる」という利己的な動機で、妊娠したがる女性がいるという著者自身の報告には慄然(りつぜん)とさせられた。 そのうえで著者がときとして示す、強烈な批判の冴(さ)えに驚かされる。ホラー小説の巧みな設定と人物造形を褒めたうえで、作者自身が自分の物語に酔って、意識的にそれを操作する手つきが見えないという指摘は、専門の文芸批評として凡百の見識ではない。 最後にこの著者が書評を始め、一冊にまとまるまで書いたのが、毎日新聞の書評欄だったということが嬉(うれ)しい。この欄は書評の作法と気品の標準を確立し、それを完全に体現する批評家を生んだのである。 ============== ◇毎日書評賞選考委員 中村桂子(JT生命誌研究館館長)▽丸谷才一(作家)▽山崎正和(劇作家) ============== ■人物略歴 ◇こにし・たかこ 精神科医、武蔵野大教授。1954年、愛知県生まれ。筑波大大学院医学研究科修了。著書に『犯罪被害者の心の傷』『ドメスティック・バイオレンス』(ともに白水社)など。犯罪被害者の心のケアに取り組んでいる。 |
小西聖子さんの書評は、共感するところが多くて好きなので、
『ココロ医者、ホンを診る』をぜひ読んでみたい。
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年末の小西聖子さんの書評で印象に残っているのが、
『ウイグルの母 ラビア・カーディル自伝』。
昨年のウイグル暴動の時に、テレビに出ていた女性が
強く心に残っていて、それで、このひとだと知りました。
この本も読みたいと思っているのだけど、岐阜の本屋さんでは
見つからないので、こちらも東京で買ってこようと思っています。
今週の本棚:小西聖子・評 『ウイグルの母 ラビア…』=ラビア・カーディル著 ◇小西聖子(たかこ)・評 毎日新聞 2009年12月27日 ◇『ウイグルの母 ラビア・カーディル自伝』=ラビア・カーディル、アレクサンドラ・カヴェーリウス著 (ランダムハウス講談社・2520円) ◇内省よりも怒りをにじませ突き進む道 ラビア・カーディル、六一歳。世界ウイグル会議議長および在米ウイグル人協会会長。今夏のウイグル暴動の時に、取材が殺到した銀髪の女性である。 二〇〇九年七月五日に中国新疆(しんきょう)ウイグル自治区の区都ウルムチで民族問題から生じた暴動は、公式発表でも二百人近くの死者を出した。中国政府は事件発生からこの暴動は国外のテロ組織が主導した国家分裂活動であるとし、ラビア・カーディルが暴動の主導者だと主張している。本書のサブタイトルには「中国に一番憎まれている女性」とある。 本人は「ウイグル人にも漢人にも死んでほしくはない」とテロの意図を否定。目標は祖国の人々の人権の尊重であると話し、ノーベル平和賞候補に三回も選ばれている。さらに本書冒頭にはダライ・ラマ法王十四世の推薦の辞が付いている。世界に問題を知ってもらうことが必要--そうダライ・ラマは言っているが、確かにラビアだけでなく、ウイグル自体を私たちはほとんど知らない。 「私の国は、ずっと昔から独立と自由を求めて戦ってきたのだ」とラビアは言う。清朝がはじめて東トルキスタンの一部を占領したのが十八世紀、十九世紀の光緒帝(こうしょてい)の時代には「新疆省」が設置され、この地は初めて中央集権体制に組み込まれた。辛亥(しんがい)革命後、一九三〇年代、四〇年代には東トルキスタン人は漢族支配からの独立を戦い、一時は東トルキスタン共和国政府を樹立することもあったが、ソ連、軍閥、国民党政府などの複雑な影響を受ける中、戦いは悲劇に終わる。一九四九年、毛沢東率いる中国共産党が新疆に侵入する。共産党政府は多数の漢人に東トルキスタンへの移住を命じ、またイスラム社会の上流階級である大地主や世襲の宗教指導者層の財産を奪い処刑した。一九五五年には「新疆ウイグル自治区」の設立が宣言された。こういう歴史の中で、ラビアの家族は、祖父の代から独立のために戦ってきたのである。 この地の事情を複雑にしている原因がいくつかある。新疆ウイグル自治区は中国の面積の六分の一を占めるが、アフガニスタン、パキスタン、旧ソビエト連邦の諸国、インド、チベットなど、地政学的に世界の紛争地域に接している。また地下には石油や金、ウラン、鉄鉱石などが豊富に眠っているという。近年、中国の経済発展とともに、大量の資本が流入し、また新たな問題が生まれている。漢人が増加し、地域の支配層となり、ウイグル人と漢人の生活格差は開く一方である。 ラビアは一九四八年にアルタイ山脈にある砂金採掘場で生まれた。その時父はグループで砂金探しをしていたが、ラビアの生まれた場所近くで大きな金を掘り当て、グループ全員が助かった。両親はこの瞬間から、彼女のことを神がウイグル人に与えた贈り物だと考えるようになったという。このエピソードはラビアにもくり返し語られ、ラビアの「自分は民族の子」「人を助けないといけない」という信念を形成するのに大きな影響を与えている。 父は当初は比較的裕福で商売を営んでいたが、二度にわたって、解放軍に家を追い出された。結局ラビアは貧困の中でそだち、中学を出てすぐ親のための結婚をする。飢饉(ききん)、イスラム社会の中での女性への圧迫や暴力など、たくさんのことが襲いかかるが、彼女は果敢に立ち向かう。 ラビアは、ゼロから初めて商売を成功させ、一九九〇年代には中国で七番目の大富豪となり、人民政治協商会議の委員となって、全国大会で演説もしている。嫌いな夫とは別れ、個人的に好きな男性と再婚する。九人の子どもを産む。富豪になるのも大変だが、自由な結婚も、一人っ子政策の下たくさんの子どもを産むのも、どれ一つとっても東トルキスタンでは捨て身の覚悟が必要なことだ。人との軋轢(あつれき)も避けられない。 一九九九年、ラビアはウルムチで、アメリカ議会の使節団に会おうとして家を出た時に逮捕され、二〇〇五年まで獄中にあった。巻末約百ページ弱にわたる中国の獄中の体験の記録には恐怖を覚えずにはいられない。世界からの監視の圧力のせいで身体的暴力はなされなかったと書いてある。確かにそうだが、逆に明確に暴力だとわかること以外は何でもあることが、またリアルな恐怖感を誘う。このような環境を耐え抜く人なのである。 今、ラビアはワシントンDC在住だが、不審な事故があったりして、危険の中で生活している。そんなときに書かれる自伝は、当然のことながら、さまざまな目的を持っている。ラビアを題材に東トルキスタンの人権問題について伝え、理解を求めるという目的。ラビアの存在を世界に知らせ、彼女とその家族の安全をすこしでも守るという目的。民族差別、暴力、旧(ふる)い家族の因習と戦う女性の個人史を示したいという気持ち。 内省よりは怒りが前に出て、時に周囲の人への酷薄感さえ漂うほど主張の強い文章。ラビアは、前を見つめてひとり困難の中を突き進む。(水谷尚子・監修、熊河浩・訳) |
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