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土井敏邦さんの「イスラエル政府の報道規制に抗議します」というメールが届いた。
昨年6月、京都シネマで映画「沈黙を破る」を観て、
土井さんとイスラエル軍の元兵士の話しを聴いた。
映画「沈黙を破る」土井敏邦監督―元イスラエル軍将兵が語る“占領”(2009.6.3)
その後、『沈黙を破る─元イスラエル軍将兵が語る“占領”─』の本も読んだ。
土井さんの呼びかけと、それにいたる経過は、
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土井敏邦さんの「イスラエル政府の報道規制に抗議します」というメールが届いた。
昨年6月、京都シネマで映画「沈黙を破る」を観て、
土井さんとイスラエル軍の元兵士の話しを聴いた。
映画「沈黙を破る」土井敏邦監督―元イスラエル軍将兵が語る“占領”(2009.6.3)
その後、『沈黙を破る─元イスラエル軍将兵が語る“占領”─』の本も読んだ。
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イスラエル政府の報道規制に抗議します 2009年12月27日 記(2010年1月15日 掲載) 2009年12月27日は昨年のガザ攻撃開始から1年目に当たります。 この日に合わせて、私は、イスラエル政府の報道規制に対し、公に抗議する決心をしました。それは一般的な報道規制に対する訴えではなく、私個人への規制が契機となり決意した抗議です。 昨年夏より、私は2度にわたってイスラエル政府によって、プレスカード発行を拒否されました。これによって私はガザ地区での取材の道を絶たれました。 しかし、この問題は私個人の問題に終わらず、パレスチナを取材するジャーナリスト全体に関わる問題だと考えています。 以下は、イスラエル政府に対する私の抗議文です。 →英語版/English イスラエル政府の報道規制に抗議します ジャーナリスト・土井敏邦 約1400人の犠牲者、5000人を超える負傷者を出したガザ攻撃から1年が過ぎました。 1985年以来、ジャーナリストとしてパレスチナ・イスラエルの現場を取材してきた私にとっても、これほどまでの破壊と殺戮を目の当たりにしたのは初めての体験でした。 私は、ガザ攻撃の「終結」直後から3週間にわたって現場を取材し、その結果を、NHKのTV番組や岩波ブックレット、また世界報道写真展での映像展示、さらに数々の報告会、集会で伝えてきました。 その一方、2009年春にドキュメンタリー映画『沈黙を破る』を公開し、イスラエル国防軍(IDF)の元将兵たちによる占領地における加害の証言を伝えました。 それから数カ月後の2009年8月下旬、私はその後のガザ地区の実態を取材するため、いつもの通りエルサレムにあるイスラエル政府のプレス・オフィスでプレスカードを申請しました。これがなければ、イスラエルに占領・封鎖されているガザ地区に入れません。しかし当局は、私へのプレスカードの発行を拒否しました。パレスチナ取材を始めて以来、20数年間で初めてことです。理由は「提出されたアサイメント・レター(推薦・委任状)はドキュメンタリー制作会社からのもので、報道機関からではない。ドキュメンタリー制作にはプレスカードを発行しない」というものでした。しかし過去2回、同じドキュメンタリー制作会社「シグロ」のアサイメント・レターでプレスカードは発行されていたのです。ただこの時点で、過去2回の時と違っていたのは、「シグロ」が制作した私のドキュメンタリー映画『沈黙を破る』が劇場公開された直後だったことです。 それから3カ月後の11月、私はガザ攻撃から1年目の実態を取材しようと、再びプレスカードを申請しました。今度は、ある報道機関からのアサイメント・レターによる申請でしたが、また拒否されたのです。理由は告げられませんでした。 その直後、イスラエルの『イスラエル・ナショナル・ニューズ』(2009年11月30日版)が、プレス・オフィスのダニー・シモン代表にインタビューをし、次のように伝えていることを知りました。 「イスラエルは、事実を伝えない反ユダヤ主義のジャーナリストは認めないと語った。シモン氏は、意図的に虚偽を伝え、ハマスの犯罪を隠蔽するための“イチジクの葉”の役割を果たしているジャーナリストたちがいると強調した」 つまり私がプレス・オフィスから「事実を伝えない反ユダヤ主義のジャーナリスト」の1人とみなされたことが、プレスカードの発行拒否の大きな要因の1つと思われます。 しかし私はジャーナリストとして、自分で現場を取材して確認した事実をできうる限り正確に伝えてきました。断じて「意図的に虚偽を伝え」たことはありません。また「ハマスなどパレスチナ側の犯罪を隠蔽する」報道をしたこともなく、むしろ自治政府の腐敗、ハマスの強権支配の実態など、パレスチナ側の負の部分もきちんと伝えてきました。一方、ドキュメンタリー映画4部作『届かぬ声─パレスチナ・占領と生きる人びと』では、自爆テロで負傷または犠牲となったイスラエル市民の家族の現実と心情や、また“占領”がイスラエル社会の“倫理・道徳観”を崩壊させるという危機感を抱き、“占領”に反対し闘うイスラエル人たちの姿も伝えてきました。 今回のガザ攻撃に関する私の報道も、それが決して偏向したものではないことは、その後のアムネスティー・インターナショナルや国連調査団の報告からも明らかです。その報告はイスラエル軍の攻撃は「深刻な国際法違反」と告発しています。 このように、「パレスチナ側のプロパガンダ」のための報道ではなく、「パレスチナ問題の真の解決のために伝えなければならない事実」を、私は真摯に報道してきました。イスラエルのこのような武力攻撃や“占領”は単にパレスチナ人を苦しめるだけではなく、イスラエル国民の“倫理・道徳観”を崩壊させ、長期的にはイスラエル国民が求める真の安全と平和の可能性を自ら破壊することになると考えるからです。そういう私が「事実を伝えない反ユダヤ主義のジャーナリスト」という烙印を押されることを断じて受け入れることはできません。 プレスカードが取得できないということは、今後、私は取材のためにガザ地区に入れないということを意味します。 学生時代、イスラエルの「キブツ」(農業共同体)に滞在していたときに友人に誘われ、私が初めてガザの難民キャンプを訪れたのは32年前のことです。そこで住民から投げかけられた「君が滞在するキブツは誰の土地だったか知っているのか」という問いが、私の“パレスチナ問題”との出会いでした。 その後、ジャーナリストとしてパレスチナ・イスラエルの取材を開始した1985年以来、私は数えきれないほどガザ地区に通い、取材を続けてきました。第1次インティファーダ(民衆蜂起)以前、インティファーダの真っただ中、湾岸戦争下、オスロ合意の直後、自治政府の登場、アラファト政権下の腐敗、第2次インティファーダ、ユダヤ人入植地の撤退、第2次レバノン戦争下、ハマスの強権統治の実態、封鎖の惨状、そしてガザ攻撃……。私は、激しく揺れ動くそのガザの情勢の中に身を置き、占領の下で生きる人びとの生活と声を記録し、伝え続けてきました。ある意味では、私はジャーナリストとして、また人間として、“ガザ”に育てられたといえます。 そのガザの“現場”と20数年間に築き上げてきた“現地の人びととの絆”を、私は今、イスラエル政府によるプレスカード発行拒否によって奪われようとしています。その絶望感は舌筆しがたいものがあります。 ガザ地区の住民たちは長年、“封鎖”という“占領”のなかで、治療や勉学、仕事のためにガザの外に出ることもできず、海外で暮らす家族との再会も果たせない状況が続いています。もちろん、そんな住民の現実の深刻さやその苦悩に比べることはできませんが、私自身もガザ地区から断ち切られるようとする今、その“痛み”のほんの一端ですが、身を持って知った思いがします。 長年にわたって中東問題を伝えてきた、ある親しいジャーナリストは、私にこう書いてくれました。 「イスラエルの介入で取材の場を奪われたジャーナリストとして、つまり、自分をパレスチナ問題の当事者として、その不当性を訴えつつ活動するというあり方もあるのではないでしょうか。私は、土井さんの問題は、『ガザの現状が伝えられなくなる』という問題以上に、重要な問題だと思います。まさに、占領そのものの問題なのですから」 私がプレスカード発行を拒否され取材の場を奪われることは、私自身が“パレスチナ問題の当事者”となることであり、この現実と闘うことは、まさに私自身がジャーナリストとして“イスラエルの占領と闘う”ことを意味するという現実を、私はその言葉に突き付けられ、教えられた思いがします。 しかし、これは私だけの問題ではありません。今後、私のようにパレスチナ側に起こった被害やイスラエル側の実態を報道するジャーナリストは、「事実を伝えない反ユダヤ主義のジャーナリスト」という烙印を押されてプレスカードの発行を拒否され、報道規制を受ける可能性が十分あります。これは明らかに、イスラエルの“占領”に起因する不当な報道規制です。これを看過すれば、今後、パレスチナ側の実態を伝えることが難しくなります。 私は、パレスチナの現場を取材し続けるジャーナリストであり続けるために、イスラエルのこの報道規制に対して記者会見、シンポジウムや集会、署名活動などを通して抗議し、正当な報道の自由を尊重するようにイスラエル政府に求めていくつもりです。 どうか、みなさんのお力を貸してください。 2009年12月27日 (ガザ攻撃開始から1周年の日に) |
『沈黙を破る─元イスラエル軍将兵が語る“占領”─』 (2008年5月9日 岩波書店) 本書は、元イスラエル軍将兵たちが占領地の自らの体験と内面の葛藤、イスラエル社会への影響を語るインタビュー集を中心にし、イスラエル側から見た“占領”の実態を描き、さらに旧日本軍将兵たちとの共通点と相違点を模索したものです。 私にとって、本書の完成は2つの大きな意味があります。 1つは、この23年間、私が取材し伝え続けてきた“被害者”パレスチナ人側の視点からの“占領”に、“加害者”側の証言が加わることで、“占領”の実態がより立体的・重層的になり、かつ実証的に見えてきたこと。 もう1つは、「なぜ日本人の自分が、遠いパレスチナ・イスラエルの問題を追い続けるのか」という、長年私の中にずっとつかえていた問いに、本書によって初めて具体的な答えの一部を提示できたことです。 私のライフワークとなった“パレスチナ”と、学生時代からのもう1つのテーマだった“日本の加害歴史”との接点の一端を、本書によってやっと見出すことができたという思いです。 元イスラエル軍将兵の証言を通し“侵略・占領する側”の実像を見つめることで、その“鏡”に、かつて侵略者で占領者であった日本の過去と現在の“自画像”を映し出し、私たち日本人自身のあり方を見つめなおすことを促すような本にしたいと願い、書き上げました。 なお現在、制作中のパレスチナ記録映像シリーズ全4作品『届かぬ声─占領と生きる人びと─』(仮題)の第4部『沈黙を破る─元イスラエル軍将兵が語る占領─』(仮題)の後半は、本書の内容を映像化したものです。 企画を思い立ってから4年、取材と執筆に足掛け3年を要しました。ジャーナリストとして“パレスチナ”と関わって23年になる私の模索の一到達点といえるかもしれません。 ぜひお読みいただき、率直なご批評をいただければ幸いです。 2008年5月9日 土井敏邦 関連ページ:拙著『沈黙を破る』を出版に寄せて・「あとがき」から 沈黙を破る─元イスラエル軍将兵が語る“占領”─ 序章「沈黙を破る」とは ──なぜイスラエル将兵の証言を日本に伝えるのか 占領の日常 ──「沈黙を破る」証言集より なぜ「沈黙を破る」のか ──メンバーの元将兵と家族らへのインタビュー 旧日本軍将兵とイスラエル軍将兵 ──精神科医・野田正彰氏の分析から 映画『沈黙を破る』情報 (2010.1.15更新) 【上映情報】 東京・板橋区文化会館大ホール 2010年1月31日(日)12:30 東京・ポレポレ東中野 2010年2月6日(土)-2月26日(金)10:05 石川・シネモンド 2010年2月13日(土)-2月26日(金) 公式サイト:上映情報 |
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