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みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

【連載】奪われる子 国際離婚の陰で/ 『笑顔を取り戻した女たち』(パドウイメンズオフイス)

2010-01-23 07:24:28 | ほん/新聞/ニュース
昨日から、来年度の選挙講座の打ち合わせと遊びを兼ねて
伊豆に来ています。

朝7時過ぎに出発して、東名高速をひたはしり、沼津インターで下りて三島で昼食。
伊豆高原を天城越えして、下田近くに到着したのは2時半。
昨年から来たいと思っていたのですが、やっぱり伊豆半島は大きくて遠いです。

伊豆下田蓮台寺温泉 老舗旅館 | 清流荘

温泉に入って、懸案の打ち合わせはだいたい済ませました。
後半は、南伊豆から西伊豆。
海に沈む「日本一の夕日と堂が島ランセンターが楽しみです。

 伊豆 堂ヶ島 天然温泉 | 堂ヶ島温泉ホテル | 公式サイト

インターネットがつながらないといけないので、
記事をいくつか予約投稿してきました。

まず、来る前に読んでいた本を紹介します。

『笑顔を取り戻した女たち―
マイノリティー女性たちのDV被害 在日外国人・・障害』

(東京自治研究センターDV研究会 編集/パドウイメンズオフイス/2007)

『笑顔を取り戻した女たち』は、改めてよみなおしたのですが
とってもよい本です。


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昨年から、国際結婚が破綻した場合、子の帰属の民事的解決のために結ばれた
「ハーグ条約」がらみの事件がありました。

この問題が表面化するきっかけが、たまたま「山県市」の女性だったことと、
親の離婚でほんろうされる女性や子どものことが他人事とは思えなかったので、
ずっと記事を集めていました。

1月10日から三日間、中日新聞に連載された
【連載】奪われる子 国際離婚の陰で、を紹介します。


奪われる子 国際離婚の陰で(上) 異なる親権制…ハーグ条約未加盟の壁 連れ帰ると誘拐犯 
東京新聞 2010年1月10日 朝刊

 二〇〇六年夏、米国東南部ノースカロライナ州の空港。見送りに来た十四歳の長女は別れる間際、「一緒に日本に帰る」と泣き叫びながら渡辺美穂さん(49)に駆け寄ろうとした。だが、米国人の元夫に腕ずくで阻まれた。それ以来、渡辺さんは長女に会えないままでいる。
 米兵だった元夫とは神奈川県座間市で知り合い、一九八九年に国際結婚した。元夫はすぐに渡辺さんに暴力を振るうようになった。結婚生活をやり直すため米国で暮らし始めたが、暴力はやまず、元夫は渡辺さんへの傷害容疑で逮捕された。渡辺さんと長女は避難施設に一時身を寄せ、九五年に日本に戻った。
 帰国後に離婚。しばらくして、元夫は長女との面会を求めるようになった。熱意に負けて〇五年夏、中学生になった長女に往復航空券を持たせ、米国に一人で送り出した。
 元夫は長女を空港で出迎え、そのまま消息を絶った。家を引っ越し、居場所すら分からなくなった。外務省を通じて捜索を頼んでも手掛かりすら得られなかった。
    ■
 「今、お父さんといるの」。長女から突然電話があったのは一年を過ぎたころ。長女は元夫と暮らし、地元の中学に通っていた。「お父さんから電話したらダメだって言われていたの」
 連れ戻すために大急ぎで渡米した渡辺さんは、元夫から驚くべきことを聞かされた。「娘を日本に連れて帰ると誘拐犯になるよ」
 渡辺さんは、離婚時には一方の親が親権を持つ単独親権制の日本で離婚届を出し、自分が親権者だと思っていた。だが、離婚後も双方に親権がある共同親権制の米国で、元夫は離婚手続きの時か、どこかの時点で自分だけを親権者と指定していた。
 国際結婚が破局した場合、子どもの争奪トラブルを防ぐためのルールとして「ハーグ条約」がある。米国は加盟しているが、日本はしておらず、加盟国同士で行われる離婚手続きの相互承認ができない。
 元夫に無断で長女とともに帰れば、米当局から誘拐犯として指名手配される身になる。そうなれば米国にも行けなくなる。「長女を米国に行かせたのが間違いだった」。渡辺さんは悔やみながら、一人で日本に戻るしかなかった。
    ■
 日本人の元妻が連れ帰った長男(8つ)に会いたくて来日し、「犯罪者」になったスペイン人の男性がいる。
 マドリード在住の会社員ホセ・カルチョさん(51)は昨年六月、埼玉県に住む元妻の家を訪ねた。面会はかなわず、思い余った末、向いの家の塀に「パパは来たよ。パパを忘れないで」と赤いペンキのスプレーで書いてしまった。
 器物損壊容疑で警察に逮捕され、罰金十二万円を払って釈放された。警察では「二度と日本には来ません」という念書への署名も迫られた。元妻が「彼を家に近づけないで」と届けていたからだ。
 スペインに戻り、昨年十一月に再来日したが、元妻の家の近くまで行くのが精いっぱいだった。「家の近くを歩いているだけでも、捕まるかも…。もう息子には会えないのか」。ホセさんの目が潤んだ。
    ◇
 国際結婚の破綻(はたん)と同時に、国境をまたいで始まる子の争奪。ハーグ条約に加盟する欧米各国から今、日本に加盟を求める声が高まっている。子と引き離された親たちの苦悩を通じ、条約加盟の是非を考える。 (この企画は佐藤直子が担当します)

 <ハーグ条約> 国際結婚が破綻した場合、子の帰属の民事的解決のために結ばれた条約。離婚した親の双方が共同で親権を持ち、子と同居しない場合は面会権がある。一方の親が面会権を確定させないまま居住国から子を母国に連れ帰った場合、子を連れ出された親が返還を申し立てると、相手方の国の政府は元の居住国に帰す協力義務を負う。欧米など約80カ国が加盟。主要8カ国のうち未加盟は日本とロシア。条約には離婚後も双方が共同養育するという考え方があり、単独親権となる日本は批准が難しい。国連子どもの権利委員会は日本に批准を勧告している。


新聞記事
奪われる子 国際離婚の陰で(中) 未加盟国の日中 はざまで 孤独な闘い10年 
東京新聞 2010年1月11日 朝刊 

 「今日はお父さんと一緒だよ」。中国人の元夫(54)が、小学校に向かう通学路から長女(8つ)と次女(7つ)を中国に連れ去ったのは一九九九年六月。離婚調停のさなかだった。東京・多摩地区に住む杉本菜七さん(43)の国境を隔てた孤独な闘いは、このときから始まった。
 上海出身の元夫との国際結婚は暴力が原因で十年で破局。九八年に杉本さんは長女と次女を連れて家を出た。母子の保護施設に身を寄せながら進めた離婚調停で、娘たちの親権を争った。だが、元夫は突然話し合いを放り出し、娘たちを待ち伏せて中国に連れ去った。査証の必要ない香港経由で中国に入国したという。
 娘たちを捜す杉本さんは気の遠くなる日々を過ごした。国際結婚が破綻(はたん)した親の一方が、不当に子を国外に連れ去らないよう相互の政府間で協力し合うハーグ条約には、日本も中国も加盟していない。警察に訴えても「連れて行ったのは父親なんでしょ」と取り合ってくれなかった。
    ■
 連れ去りから一年余り後の二〇〇〇年十月に離婚が成立。日本の裁判所で親権を得てからも、杉本さんは娘たちを救い出したい一心で駆けずり回るしかなかった。日本の外務省や中国政府、国会議員らに支援を求めた。
 しかし、元夫の実家がある上海市の日本領事館からも「何もできない」との回答が戻ってくるだけ。「親権者は私。なぜ娘を取り戻せないの」。杉本さんは中国語を学び、中国に渡って自力で娘たちを捜そうとしたが、それも徒労に終わった。〇四年になり、警視庁がようやく国外移送誘拐容疑で元夫を指名手配したが、捕まる見込みはなかった。
 転機が訪れたのは昨年一月。日本国籍のまま中国で暮らしてきた娘たちが「旅券の更新には親権者の署名が必要」と十年ぶりに帰国した。本来なら五年前の更新時に再会できていたはずが、日本領事館のミスでチャンスを逃していた。それだけに杉本さんの喜びは大きかった。逮捕を恐れた元夫は同行しなかったため十八歳と十七歳に育った娘二人と水入らずの時を過ごせた。
 ただ、最初は娘たちの表情は硬かった。「お母さんは精神の病気だと聞かされていた。でも違うね」。三カ月の滞在で、心を開くようになった長女が教えてくれた。
    ■
 学業を残してきた娘たちはいったん中国に戻った。二カ月後、長女だけが自力で日本に逃げ帰ってきた。父親の虐待に耐えきれなかったのだ。同年九月、長女を連れ戻そうと、羽田空港に現れた元夫はそのまま逮捕された。
 昨年暮れ、東京地裁立川支部の法廷で、杉本さんは被告となった元夫と対峙(たいじ)した。判決は懲役二年、執行猶予三年。犯行当時は離婚が成立しておらず、元夫がまだ親権者だったことや、中国にいる次女が元夫との同居を望んだことなどが考慮された。元夫は判決後すぐに釈放された。暴力で傷つけられ、娘を奪われたのに、納得のいく結果ではなかった。
 国境を越えて子を奪われる悲劇。身をもって体験した杉本さんはハーグ条約への加盟を日本政府に求めてきた。「もし日本も中国も条約に加盟していたら、私たち親子にも違った十年があったはず」。同じ悲劇を誰にも繰り返してほしくないと、そう強く願う。

 <増える子の奪取事件> ハーグ条約未加盟の日本では、子を連れ戻そうとした外国人の親によるトラブルが増加。欧米各国の要請を受け、外務省は昨年12月、条約加盟の是非を検討するため「子の親権問題担当室」を新設した。同室によると、外国政府が伝えてきた子の奪取事件は昨年10月時点で▽米国73件▽英国33件▽カナダ36件-など。米国関係では福岡県で昨年9月、米国人元夫が2人の子を連れ戻そうとして、未成年者略取容疑で県警に逮捕される事件があった。


新聞記事
奪われる子 国際離婚の陰で(下) 片方のみ親権 悲劇続く日本 
2010年1月13日 中日新聞

「私の子」なぜ会えぬ 親権共同化 遅れる日本
 その朝、千葉県印西市の中西アイ子さん(58)の長男(32)は、なかなか起きてこなかった。「そろそろ…」。声をかけるために長男の部屋に様子を見に行った中西さんが見たのは、長男の自死した姿だった。
 両親らにあてた数通の遺書があった。三歳になる一人息子の写真の裏にはペンで走り書きがされていた。「お母さんの言うことを聞いて立派な大人になってほしい」
 大学の研究者だった長男は、妻の浮気の発覚をきっかけに離婚を決意。命を絶った二〇〇七年七月のその二カ月前から別居を始めていた。だが、一人息子の引き取りをめぐって争いとなり、妻は息子と会わせようとしなかった。
 「子は母親が引き取るのが常識の日本では、父親が親権を得るのは難しい」。離婚の際に子と引き離された親たちのグループの情報を調べながら、長男は親権を求めて思い悩んでいた。
 「親権は法廷で争えばよかった。命を絶つことはなかったのに…」。息子に慰めのつもりで「再婚すれば、また子どもを持てる」と話したことを中西さんは今も悔やむ。
    ■
 離婚後、一方の親だけが親権者となる単独親権制の日本では、親権を取れなかったもう一方の親が養育にかかわれなくなるケースが後を絶たない。
 親子のきずなは保ち続けたいと、離婚後も定期的に子と会う「面会交流」を求める親が増えている。だが、制度として確立されておらず、回数や程度はあくまで夫婦間の話し合いや、司法判断に委ねられている。
 東京都国立市の植野史(ふみ)さん(50)は十一年前、夫の暴力が原因で離婚した。家庭裁判所の調停員は「経済力のある方がふさわしい」と、夫の方を四歳の息子の親権者とした。
 以来、息子と会えなくなった。昨年秋、高校生になった息子の修学旅行先が分かり、成長した姿を一目見ようと旅行先に向かった。ひと目で息子が分かり、気づかれないように携帯電話のカメラに姿を収めた。
 「私を再び受け入れてくれるかな」。その後、息子との面会を求める調停を家裁に申し立てた。
    ■
 東京で暮らす米国人の大学教員スティーブ・クリスティさん(53)も、日本人の元妻との間にもうけた長男に自由に会えないでいる。四年前、夫婦仲が悪化。元妻は当時小学五年生だった長男を連れて姿を消した。
 元妻が「暴力夫」と警察に偽りの届けもしていたため、長男の消息は三年間もつかめなかった。やっと居所を知った今も親権者の元妻の意向で長男にはなかなか会わせてもらえない。「私の子どもでもあるのに不条理だ」と憤る。
 米国では離婚後も双方の親が子育てにかかわるのが常識。だが、日本は違った。「米国で離婚していれば、親としての権利を持てたのに」とクリスティさんは残念がる。
 親がたとえ離婚しても父母ともに子どもの養育にかかわれる仕組みを日本でも探れないのだろうか。子どもにとって父は父、母は母に変わりはないのだから。
(この企画は佐藤直子が担当しました)
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<欧米の家族観と国内法整備> 共同親権が主流の欧米では、離婚後も双方の親と子の関係や接触は維持されるべきだと考えられている。ハーグ条約は一方の親による子の連れ去りを、他方の親が子に接触する正当な権利を奪うのみならず子が親との関係を維持する権利を阻む行為とみなす。同条約加盟には親権の共同化、一緒に暮らせない親子の面会交流権の保障、日本人配偶者が海外で家庭内暴力(DV)被害を受けて子連れで逃げ帰った場合への対処など国内法の整備が必要とされている。



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コメント (2)
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