みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

おススメの本:『ヤマネコドーム』津島佑子著/講談社、『眼の海』辺見庸著/毎日新聞社

2013-08-24 10:11:58 | ほん/新聞/ニュース
8月になって外に出ることが減ったので、
家で本を読む時間が増えました。

最近読んでよかった本を、何冊か紹介します。

一冊目は、津島佑子さんの『ヤマネコドーム』。
7月の新聞や雑誌の書評で取り上げられている評判の本です。


『ヤマネコドーム』津島佑子著/講談社

二冊目は、辺見庸さんの『眼の海』。
昨年高見順賞を受賞した詩集です。
受賞した時に読みたいと思っていたのですがみつからなくて、
先日、岐阜県図書館に行ったら、目の前にありました。


『眼の海』辺見庸著/毎日新聞社

三冊目は、村上由佳さんの『天翔る』。
ダブって買ったからと、ケンさんがもってきてくれました。


 『天翔る』村上由佳著/講談社
特集ページ
内容紹介--------------------------------------------------------------------------------
天に向かって走る。ただ一途に、光を求め――
その牧場には、かけがえのない何かを喪った人たちが集まっていた。
傷つき居場所を失った一人の少女が、馬と出会い、その才能を開花させてゆく。
ひたむきに生きる人々の間に紡がれるたしかな絆と、命の輝きを描き出す感動の長編小説。

看護師の貴子が出会った少女、まりもは、ある事件から学校に行けなくなってしまった。貴子は少女を牧場へと誘う。そこで待ち受けていたのは風変わりな牧場主と、乗馬耐久競技(エンデュランス)という未知の世界だった――。
北海道の牧場を舞台に描かれる命の輝き。底知れぬ感動をよぶ、祈りと希望の物語。



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以下は、『ヤマネコドーム』と『眼の海』の書評です。

    『ヤマネコ・ドーム』 津島佑子著 
評・角田光代(作家)

見ないふりをしたもの
 米兵と日本人女性のあいだに生まれた混血孤児であるミッチとカズ、彼らの幼なじみのヨン子、そしてホームで暮らす他の混血孤児たちは、ある事件に遭遇する。

 かくれんぼのさなか、ホームの子どもで、その日オレンジ色のスカートをはいていたミキちゃんが池で溺死したのである。成長した彼らは、この忌まわしい記憶から逃げるように、世界じゅうへと散らばっていく。けれど、数年に一度、オレンジ色の衣類を着た女性が殺害されるという事件が起き、その都度、彼らは事件を思い出し苦しむことになる。

 この小説に流れる時間をつなぐのは、第二次世界大戦と東日本大震災である。敗戦後、ゆたかになることに重きが置かれ、多くのものが見ないふりをされ、放置されてきた。戦争孤児という存在のように。しかし見ないふりをしたからといってなくなるわけではないと、たとえば二年前の原発事故がきっかけで、多くの人は思ったのではないか。放置してきたものは、オレンジ色の記憶のように私たちをつかまえる。

 ミキちゃんを池に落としたのはだれなのか、だれの記憶にもなく、読み手にも明かされない。語り手がなだらかに変わっていき、他者と他者の境界線があいまいになり、それは読み手との境界線までもあいまいにし、その事件の当事者は、ミッチかもしれないし私かもしれないような、ざわついた気持ちになってくる。私もまた、読むことでその場に立ち会った錯覚と、淡い罪悪感を抱くのである。このざわついた気持ちは、原発事故が起きたとき、私も、今まで何も考えなかったことでその事故に荷担していたのではないかと不安になった気持ちと、よく似ている。

 読み手にいろんな方向から問題を突きつけてくる小説だけれど、読後、深い安堵あんどに包まれる。オレンジ色の恐怖にさらされながら、いや、その恐怖を共有しているがゆえに、登場人物のすべてがどれほど離れても強く、血を分けた家族よりしっかりと繋つながりあっているからだ。

 ◇つしま・ゆうこ=1947年、東京都生まれ。作家。『火の山―山猿記』で、谷崎潤一郎賞など。
 講談社 2000円
2013年7月22日 読売新聞)


  今週の本棚:三浦雅士・評 『ヤマネコ・ドーム』=津島佑子・著
毎日新聞 2013年06月16日 

 ◇混血孤児の謎の事件に“現在”を問う力作長篇
 小説の現在を問う力作。

 「ミッチ、あなたはとにかく、日本に戻ってきた。外国のどこかで、あなたはテレビを見た。自分の眼(め)が信じられない、巨大すぎる津波の映像。それだけでもじゅうぶん、この世の終わりだと感じていたら、つづけて、四つもの原子力発電の施設が爆発したという。」

 冒頭の一節。ミッチは戦後日本を象徴するアメリカ兵が残した混血孤児。あなたと呼びかけているのは一歳年下のヨン子。ミッチには双子のようにして育ったカズがいる。四歳のときに一緒に「ホーム」からママのもとに引き取られた。ママの従妹(いとこ)がヨン子の母で、彼女たち二人は「ホーム」を経営している「朝美母さん」を助けていたのだ。

 「ホーム」にはさまざまな肌の混血孤児がいて、成長するとともに世界各地に分散する。養子にもなれば留学もする。成功もすれば失敗もする。ベトナム戦争に従軍して行方不明にもなる。作者は一九四七年生まれ。混血孤児は作者と世代をともにするが、本質的に国際性を帯びている。物語は、ヨン子、ミッチ、カズの三人の視点から縦横に語られてゆくが、その視点の背景につねに「ホーム」がある。

 「ヤマネコ・ドーム」は、五〇年代、アメリカがビキニ環礁ほかで行った核実験の汚染物質を集めて現地に作った巨大ドームを示唆する。福島原発事故と呼応するが、しかし題材の今日性がこの小説を力作にしているのではない。

 「ドーム」は同時に混血孤児たちが体験したある事件を象徴している。孤児たちはよくヨン子の家に遊びに来ていたが、ある時、近所の池で孤児のひとりのミキちゃんが溺死した。そのとき傍(そば)に立っていたのが近くに住む母子家庭の子、ター坊だった。孤児たちは池の周辺でカクレンボをしていたらしい。フランス人形のように可愛かったミキちゃんはそのときオレンジ色のスカートをはいていた。

 事件は事故死とされたが、ター坊が突き落としたとする噂(うわさ)が立った。ター坊の母は、ター坊が精神障害を抱え、オレンジ色に過剰に反応することから、その犯罪を確信し、被害者の位牌(いはい)を手作りして拝みつづけている。ミッチたち三人も、以後、間歇(かんけつ)的に続くオレンジ色にまつわる通り魔殺人事件に注目している。ター坊はここで放射能に等しい意味を帯びている。

 ター坊の母は大陸からの引揚者だったらしい。事件当時、ター坊は九歳、ミッチとカズは八歳、ヨン子とミキちゃんは七歳。ター坊にしても「ホーム」の仲間になってもおかしくなかった。いや、いっとき、ター坊も仲間に加わっていたのではなかったか。

 こうして、小説の隠された主題が明らかになってくる。噂はター坊を犯人とするだけではない、黒い肌のカズ、緑色に眼が光るミッチをも犯人に数え入れていたのである。のみならず、そうであったかもしれないと、カズ自身、ミッチ自身、あやふやな記憶に秘(ひそ)かに怯(おび)えていた。まるで推理小説だが、しかし、小説を力作にしているのは、犯人は誰でもありうるというこの謎を、言語そのものの仕組みと重ね合わせている点にこそある。

 カズとミッチとヨン子は、別々の体験をしているにもかかわらず、まるでその体験を取り換えることができるかのように感じている。感情移入である。まさに文学の力だが、それはしかし人間の責任というものを再考させずにおかない。

 小説の仕組みは、ヒロシマもフクシマもほんとうはあなたが惹(ひ)き起こした事件だったのではないかと問うているに等しいのである。

 力作の理由だ。
(講談社・2100円)



  【書評】ヤマネコ・ドーム 津島佑子 著 
2013年6月30日 東京新聞

◆血や国を超越する関係性
[評者]与那覇恵子=東洋英和女学院大教授、現代日本文学

 本書は、気を緩めてしまうと一瞬、どの時代のどこに居るのか分からなくなってしまうほど、三人称の多声が響きあう巧妙な語りで展開されていく。

 登場する人物も多彩である。戦後に米兵と日本女性との間に生まれたミッチとカズ、ミキなど多数の「混血孤児」。母子家庭のヨン子とター坊。ブリトン人とアイヌの女歌手。ブルターニュの「魔法使い」に、城館の女主。時間と空間は錯綜(さくそう)しつつも、ベトナム戦争や湾岸戦争、チェルノブイリに9・11、ケネディの暗殺事件などの、世界への参照点が織り込まれている。

 冒頭の現在時は3・11後の五月。場所は、見えない放射性物質に汚染されている東京。六十歳を過ぎたミッチとヨン子は、世界の変異を眼にして八歳と七歳の時に遭遇した、オレンジ色のスカートを池の水に浮かべて死んだミキちゃんの記憶を呼び起こす。子供たちにオレンジ色は原発の爆発のように、一瞬にして安穏な生活にひびを入れた禍々(まがまが)しいものとして共有された。

 その感覚を最も体現していたのが殺人犯と目された九歳のター坊である。数年に一度の発作と、それに関連するかのようにオレンジ色を身につけた女性が殺害されるがそれに説明はない。ター坊は、放射能に代表される見えないものの脅迫から逃げられず、破壊的になっていく力を表すのであろうか。

 最後は、ター坊の死後「放射能の煮こごり」のような部屋で暮らす彼の母親を、ミッチとヨン子が連れ出す場面で終わる。行く先は、植物や動物や生者や死者が共に生存するブルターニュの森がイメージされている「ヤマネコ・ドーム」ということになろうか。絶望の中に血にも国にもこだわらない新しい関係を築こうとする希望の声が聞こえる。

 戦後六十年の世界の経験と彼らの経験との重なりによって、致命的な暴力性が潜在する私たちの生きてきた歴史を改めて辿(たど)り直す物語となっている。
 つしま・ゆうこ 1947年生まれ。作家。著書『火の山-山猿記』など。
(講談社・2100円)

◆もう1冊
 津島佑子著『葦舟、飛んだ』(毎日新聞社)。団塊の世代で幼なじみの男女五人が付き合いを再開し、戦争の時代の影をたどる物語。



 今週の必読:混血孤児たちの視点で描く戦後 『ヤマネコ・ドーム』 (津島佑子 著)
2013/07/16 週刊文春WEB
評者:荻野 アンナ

 日本の作家なら3・11を看過できない。直接的なアプローチとも、マスコミの雑音とも別の「場」で、津島佑子氏は黙々と不幸の根を掘り続けていた。

 作中で「場」は池の形を取る。突き落とされたのか、事故なのか。ひとりの少女が溺死する。

 彼女は「ミキちゃん」という日本名で、フランス人形の容姿を持っていた。時代は戦後、アメリカ兵との混血孤児、という設定である。

 この時点で私は客観的な読者たり得ない。孤児ではなかったが、私も当時「あいのこ」と呼ばれた混血児のひとりである。

「日本語、お上手ですね」

 今でも時々、母語を褒められる。帰化し、母方の姓を名乗っているため、複雑な家庭背景を連想されたりもする。

 混血児は、どこにも帰属できない、という認識をアイデンティティの礎(いしずえ)とせざるを得ない。同時に、その存在そのものが、単一民族の幻想を生きる日本を根底から告発することになる。

 そこで作品に戻る。少女が溺れた現場にいたのは、同じく混血孤児のミッチとカズ、彼らとはきょうだいのような関係のヨン子、そして発達障害のター坊。

 どうやらター坊がミキちゃんの背中を押したようだが、子どもたちの記憶は曖昧である。彼らは全員がミキちゃんの死を原罪として背負い、その後を生きる。

 べトナム戦争から9・11を経てフクシマまで、アメリカ的な倫理(むしろ倫理の欠落)が世界を蝕む過程が、こうして個のレベルで引き受けられる。

 原罪の恐怖と不安に追われた流離の人生。ある者は殺し、ある者は死ぬ。あるいは放射能の「銀色の煮こごり」に閉じ込められる。

 まったく、「こんなことがいつまでくり返されるんだろう」。過去へと「吹き過ぎ」た時間は、「また、いつか未来から吹き戻ってくる」。

 しかし作中で流された大量の涙に洗われた心にとって、「未来」はもはや、恐れるに足りない。救いとしての文学の力に圧倒された。


 命がけの強靱な詩語 高見順賞の辺見庸『眼の海』  
2012年4月6日 朝日新聞

 命がけで生みだされた、これほど強靱な詩の言葉はまれだろう。辺見庸(67)の詩集『眼(め)の海』(毎日新聞社)が高見順賞を受賞した。東日本大震災以後に書かれた詩ばかりだが、悲嘆や鎮魂の震災詩ではない。3・11を文化的、歴史的、地球的な視点からとらえる姿勢に貫かれ、とりわけ震災後の言語状況に対する危機感は深い。

 〈類化しない 統(す)べない かれやかのじょだけのことばを/百年かけて/海とその影から掬(すく)え/砂いっぱいの死者にどうかことばをあてがえ〉(「死者にことばをあてがえ」から)

 この詩をはじめ、第1部「眼の海」の27編は震災直後から、〈わたしの死者たち〉に背中を押されるように集中的に書かれた。故郷の宮城県石巻市は壊滅的な被害を受け、友人らが亡くなった。自らの表現をささえる土台としての故郷が失われた衝撃は大きかった。

 反動で何も書けなくなった時期を経て、第2部「フィズィマリウラ」の24編には思索の深まりがある。フィズィマリウラとは辺見が名づけた、正体不明の異形のもの。目に見えぬ放射線のように、みぎわをさまよう。オサマ・ビンラディンの美しい顔も、アラビア海から三陸の海に流れつく。

 「ビンラディンの暗殺、中東や北アフリカの争乱、欧州の信用危機と、3・11の前後から世界は暴力的な気配に満ちている。そんな状況の中で3・11を重層的にとらえ、俯瞰し、変な言い方だが突き放して、宇宙的な視点から見たかった」

 高見順賞の選考会で『眼の海』は、〈あらゆる『まがい』や『ごまかし』を切り捨てた、ことばだけで挑む、苛烈な営為〉(藤井貞和)、〈これまでの現代詩の現実認識をゆるがす見事な詩集〉(荒川洋治)と、詩人たちから圧倒的な評価を得た。

 3月の贈呈式で辺見は語っている。「言葉と言葉の間には屍(しかばね)がある。おびただしい死体から言葉が薫(くゆ)りたってくる。私がいま享受している奇(く)しき生も、おびただしい死から押しだされるように生まれてきた」

 死と破滅への予感は、昨年、中原中也賞を受けた最初の詩集『生首』(毎日新聞社)でも濃厚だった。

 辺見のなかで詩と散文に境界はない。詩は散文へと変容し、再び詩へ戻り、ときには散文のなかに詩が内包されている。黙示録を思わせる文明論集『水の透視画法』(共同通信社)が昨年、詩集中心の藤村記念歴程賞で最終候補になったのは象徴的だ。

 「ただ、詩は散文より、もっと深い水深で、激しい水圧に耐えながら書く」

 2004年に脳内出血で倒れ、05年に結腸がんを患った。残りの命をかけて3・11を考えぬき、表現し、死者に言葉を届けたい。

 〈アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である〉――ユダヤ系ドイツ人哲学者テオドール・アドルノの命題が脳裏にある。あれほどの殺戮(さつりく)と苦悩を経てしまった世界で、美しいだけの詩など書けるのか、という問いかけとして。

 「3・11を体験した今、私たちの言葉も以前と同じであっていいのか。この国には言葉が人に届かない危うさがある。震災直後に放映された、とってつけたような優しさを強調するテレビCMのように。震災を表現する言葉も、もっと自由であっていい。関東大震災の焼け跡を歩き、『あゝ愉快と 言つてのけようか。/一擧(いっきょ)になくなつちまつた。』と詩に書いた折口信夫のように」


 今週の本棚・新刊:『眼の海』=辺見庸・著  
毎日新聞 2012年01月29日 東京朝刊

 詩文集『生首』(二〇一〇)後の新詩編を収録。去年三月の大震災を言語と意識の世界でとらえたもの。研ぎ澄まされた旋律が、どの一編にもひびきわたる。災害がもうひとつの都市をつくりだす光景を記す「こうして水中都市はできた」は、「水を鋤(す)いている」人々の姿を密度のある表現で書きしるす。

 第二部・書き下ろしの詩群は、ひろく人間の運命に眼を向け、これまで見えなかった生き物の影を呼び出す。少しずつ体験が深化、新たな臨場感をつくりあげることに。詩人が何を書き、何を見返していくのか。その過程が一冊の詩集の内部で絵巻のように示されるのは異例。日本の詩の表現への信頼を高めるという点でも、特別な詩集である。

 「野墓にも瓦礫にも/次から次へとわいてくる、/顔をかくしたヒトヨタケ。/そこいらじゅう、/かれもかのじょもヒトヨタケ。/わたしらは、/ハラタケ目ナヨタケ科の/ヒトヨタケ属ヒトヨタケ。」。最後に置かれた一編「フィズィマリウラ」は預言者のことばの時制を解き、「現在の真景」と「存在比」、世界の果てを見通して深い感銘を与える。第四二回高見順賞受賞詩集。(門)
(毎日新聞社・1785円)


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8月23日(金)のつぶやき

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