松江市立の学校図書館から『はだしのゲン』が排除された問題の-3、続編のつづきです。
松江市教育委員会は会議を開きましたが結論は先送りされました。
その間、文科大臣が排除を容認するとんでもない発言をしたり、
図書館協会(「図書館の自由委員会」)が閲覧制限の撤廃を求める要望書を松江市教委に送ったという
動きはありましたが、本はまだ閉架のままです。
中沢啓治著「はだしのゲン」の利用制限について(要望)/(社)日本図書館協会 図書館の自由委員会
鳥取市の図書館でも閉架になっていたということも発覚しましたが、
こちらは、コミックコーナー(開架)に戻されたそうです。
8月22日から今日までに、『はだしのゲン』の問題を取り上げた新聞社説を集めました。
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松江市教育委員会は会議を開きましたが結論は先送りされました。
その間、文科大臣が排除を容認するとんでもない発言をしたり、
図書館協会(「図書館の自由委員会」)が閲覧制限の撤廃を求める要望書を松江市教委に送ったという
動きはありましたが、本はまだ閉架のままです。
中沢啓治著「はだしのゲン」の利用制限について(要望)/(社)日本図書館協会 図書館の自由委員会
鳥取市の図書館でも閉架になっていたということも発覚しましたが、
こちらは、コミックコーナー(開架)に戻されたそうです。
8月22日から今日までに、『はだしのゲン』の問題を取り上げた新聞社説を集めました。
【はだしのゲン】納得できない閲覧制限 2013年08月22日 高知新聞 原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」を小中学校の図書室から撤去するよう求める陳情が、高知県・市の両議会にも提出されていたことが分かった。 高知市議会が全会一致で不採択とするなど、議員からは批判の声が上がっている。県市の教育委員会も撤去はしない方針だ。「表現の自由」の重さを踏まえた当然の対応である。 原爆や戦争体験の風化が危ぶまれている時だからこそ、それを学ぶ機会を子どもから奪ってはならない。 この問題は同様の陳情を受けた松江市教委が市内の全市立小中に対し、「はだしのゲン」を自由に閲覧できない「閉架」の措置を取るよう求めたことから明らかになった。 松江市と本県の議会に陳情を提出したのは高知市の男性で、「間違った歴史認識を持った作者が執筆し」「特定の政治色の強いものだとうかがえる」としている。しかし、自らの考えと相いれないからといって、一方的に排除しようというのは戦前の検閲をほうふつとさせる。 松江市議会も陳情を不採択としたが、同市教委は首をはねたり女性を乱暴したりする場面などが過激だとして閲覧制限を求めた。確かに漫画には残酷な描写もあるが、それは原爆や戦争の非人間性をそのまま表現しているからにほかならない。閲覧制限は悲劇の実相に迫ろうとする子どもたちの目を覆うことになろう。 「はだしのゲン」の累計部数は1千万部を超え、約20言語に翻訳もされるなど世界で読み継がれている。松江市教委が市内の小中学校長に実施したアンケートでも、多くが平和学習の教材として評価していた。 にもかかわらず、教育委員にさえ諮らずに市教委事務局の独自判断で閲覧制限を決めている。不透明なやり方も問題と言わざるを得ない。 作者の故中沢啓治さんが本県の図書館を訪れた際、「はだしのゲンは本棚にいくら入れてもなくなる」と言われた。1巻を読んだ子が2巻目も読みたくて、それを秘密の場所に隠すからだ。表紙はぼろぼろになりベニヤ板で止めてあった。「作者冥利(みょうり)に尽きる」と著書に記している。 「はだしのゲン」はそれほどまでに子どもの心に根を張っている。大人の勝手な判断で取り上げないよう松江市教委には再考を望みたい。 |
社説[はだしのゲン「閉架」]平和考える機会奪うな 2013年8月23日 沖縄タイムス 子どもたちが戦争の実相に触れ、平和を考える機会を、教育現場から奪うことになりかねない。 松江市立小中学校の図書室で、原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」が自由に読めなくなった。市教育委員会が、閲覧制限を全市立小中学校に求めたからだ。 措置が明るみになって以来初めてとなる、教育委員の定例会議が22日、開かれた。制限を継続するかどうかの結論は先送りされた。あらためて協議するという。 「はだしのゲン」は、昨年12月に亡くなった漫画家、中沢啓治さんが自身の被爆体験を基に描いた自伝的作品だ。 市教委は「作品自体は高い価値があると思う」と認めつつも、暴力描写が過激だと問題視する。旧日本軍によるアジアの人々への残虐行為などだ。「教員のフォローが必要だ」と学校側に「閉架」措置を要請した。 だが、教育委員の会議では諮られておらず、校長へのアンケートでも、制限が必要と答えたのは約1割の5人にとどまっていた。 作品には、確かに残酷な描写はある。だが、描かれた惨状は戦争そのものである。 克明な描写には少年誌への連載当時も批判が寄せられた。しかし、作者の中沢さんは「現実から逃げるな」とはねつけたという。 各教育委員には、この物語に込めた作者の信念、そして戦争のむごたらしさを子どもたちに伝えてきた役割を、いま一度、思い起こしてもらいたい。「閉架」要請は撤回すべきだ。子どもたちが、図書室で自由にこの作品を手に取る機会は保障してもらいたい。 ■ ■ 閲覧制限の発端は、昨年8月、「はだしのゲン」を学校の図書館に置かないよう求める市民からの陳情だった。市議会は同年12月に不採択としたものの、「大変過激な文章や絵が占めている」との意見が出たことから、市教委で取り扱いを協議した。 下村博文文部科学相は「子どもの発達段階に応じた教育的配慮は必要」と松江市教委の判断に理解を示した。 しかし、子どもたちは、たとえすぐに全てを理解できなくても、胸をえぐられるような感情を通し、本質をつかみ取る力を持っている。だからこそ世代を超えて読み継がれてきたのだ。 一部の指摘をきっかけに、開かれた議論も十分ないまま自主規制に走る姿勢は疑問だ。 ■ ■ 教育委員会が教育現場に介入する事例が相次いでいる。 国旗掲揚と国歌斉唱に関し「一部自治体で公務員へ強制の動き」と言及した日本史教科書について、神奈川県教委は使用を希望した高校に再考を求めた。東京都教委なども「不適切」との見解を示した。 これまで自由に読めていた蔵書に許可が必要になった。これまで現場が判断していた教科書選択で、見直しが求められた。なぜか。 安倍晋三首相は全国戦没者追悼式の式辞で、アジア諸国への反省と加害責任に触れなかった。安倍政権の歴史認識に象徴される「空気」が背景にないか、注視する必要がある。 |
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社説:はだしのゲン 「事なかれ」では守れない 2013/08/24付 西日本新聞 小学生のころ「はだしのゲン」を学校の図書館で読んだ記憶を持つ人も多いだろう。原爆の恐ろしさに震え上がり、平和のありがたさを胸に刻んだものだ。 その「はだしのゲン」が、松江市の学校図書館の棚から撤去されていたことが分かり、波紋を広げている。 「はだしのゲン」は、広島出身の中沢啓治さん(昨年12月に死去)が、自らの被爆体験を基に描いた漫画である。特に原爆投下直後の広島の惨状を描いた部分は、被爆の実相を伝える資料として評価が高い。全国の学校図書館に置かれ、平和教育の貴重な教材となってきた。 松江市では昨年8月、「ゲン」の歴史認識を問題視し、学校図書館から撤去するよう求める陳情が市議会に出された。市議会は陳情を不採択にしたが、一部市議が「文章や絵が過激だ」と発言したため、市教委が取り扱いを検討した。 その結果、市教委は同12月、子どもが自由に閲覧できない「閉架」とするよう同市立小中学校に要請した。これを受け各校は、閲覧には教員の許可が必要として、書庫などに収める措置を取った。 市教委は、閲覧制限の理由について、旧日本軍による斬首や女性への性的暴行のシーンを挙げ、「発育段階にある子どもにとって、一部の表現が適切かどうか疑問が残る」と説明している。 しかし、閲覧制限の背景からは、「ゲン」に描かれた歴史観と、それに対する保守派からの批判、その矢面に立ってたじろぐ市教委-という構図が浮かぶ。 「ゲン」は、前半は少年漫画雑誌に連載されたが、後半は大人向けの教育誌などに連載された。後半では、日本軍の加害行為や昭和天皇の戦争責任など、国民の間で論議の分かれるテーマについても、より大胆に踏み込んでいる。保守派が批判するのは主にこうした部分だ。 最近では、先の戦争での日本の加害責任など、歴史の負の部分に目を向けようという意見や作品表現に対し、一部の保守勢力からの攻撃が強まっている。「ゲン」についても、ネット上では「反日漫画」などと決め付ける声もある。 しかし、論議の分かれる点はあるにせよ、実体験に基づく「ゲン」の平和思想には、戦争を知らない世代にとって計り知れない重みがある。実際に、長年にわたり多くの子どもたちが「ゲン」を読んで育ってきた。閲覧制限しなければならないほどの弊害が出ていただろうか。 そもそも図書館とは、多種多様な思想や英知の宝庫であり、その最後の守り手でもある。そこから特定の思想を排除することは、図書館の存在意義を自ら否定する行為といえないだろうか。 松江市教委は「ゲン」の取り扱いを再検討している。「ゲン」のケースに限らず、教委や図書館などの現場はさまざまな圧力や抗議にさらされることもあるだろう。しかし「事なかれ主義」で対応してしまえば大事なものが守れない。図書館の原点に立ち返って判断してほしい。 =2013/08/24付 西日本新聞朝刊= |
社説:はだしのゲン 閲覧制限は権利侵害だ(8月25日) 2013.8.25 北海道新聞 戦争の実態を知り、平和の尊さを考えるための機会を奪う行為だ。「学習権」「知る権利」の侵害は明らかである。 原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」を子どもたちが自由に閲覧できなくするよう、松江市教委が小中学校に指示していた。 断じて容認できない。市教委は直ちに制限を解くべきだ。 「ゲン」は、故中沢啓治さんが自身の被爆体験を基に身近な人たちの苦しみや死を生々しく描いた。 昨年、市教委の指示を受けた小中学校は書庫に入れて貸し出し禁止とし、閲覧に教員の許可を必要とする措置を講じた。「描写が過激で残酷な場面がある」との理由からだ。 鳥取市の市立図書館でも児童書棚から事務室内に移す手段が取られた。撤回したとはいえ、これも知る権利を奪う憂慮すべき事態だ。 しかも、松江市教委の対応について下村博文文部科学相は「違法ではなく、問題ない」と発言した。見識を疑わざるを得ない。 被爆地の広島市では小学3年の平和教育で使われている。「命の大切さや家庭愛を学ぶための教材」と位置づけているという。 戦争体験を語る世代が少なくなる中で、漫画は核兵器の残忍さを学ぶ大事な教材だ。世界唯一の被爆国として悲惨な体験を直視し、継承する重要性は言をまたない。 松江市の対応で問題なのは、閲覧制限を当時の教育長など市教委の事務局内部で決めたことだ。 教育行政の基本方針は、複数の教育委員で構成する教育委員会の合議で決定するよう、地方教育行政法で定めている。閲覧制限は知る権利にもかかわる重要事項であるはずだ。 委員会に諮らず、事務局の判断だけに依存した決定は、委員会制度をないがしろにする行為だ。 中央教育審議会では現在、その制度のあり方が論議されている。 教育行政の権限を事務方の責任者である教育長に集中させる方向で検討が進んでいるとされるが、今回の事態が独断専行の恐ろしさを露呈したといえる。熟慮が必要だ。 気になるのは、閲覧制限の決定前に「ゲン」の撤去を求める陳情が市議会に出ていたことだ。旧日本軍の残虐行為が描かれていることなどを「間違った歴史認識」と問題視する内容で、結局、不採択となった。 同様の要請は市教委にも行われていた。一連の運動が制限につながったのであれば、当時の教育長らの歴史認識も問われてしかるべきだ。 撤回の可否は22日の教育委員会で結論が出ず、26日に持ち越された。次回協議に制限の撤回と、意思決定過程の究明を強く求める。 |
「はだしのゲン」 教育上の配慮をどう考えるか(8月25日付・読売社説) 原爆の悲惨さを描いた漫画家・中沢啓治さんの代表作「はだしのゲン」について、松江市教育委員会が市立小中学校に閲覧の制限を要請したことが波紋を広げている。 現在、松江市内の大半の学校図書館では、教師の許可がないと子供が自由にこの作品を読むことができない状態が続いている。 市教委は生々しい原爆被害の場面ではなく、旧日本軍にかかわる描写の一部を、過激で不適切と判断した。アジアの人の首を面白半分に切り落とす。妊婦の腹を切り裂いて、中の赤ん坊を引っ張り出す。女性を惨殺する、といった描写についてだ。 成長過程の子供が本に親しむ小中学校図書館の性格を考えて、市教委がとった措置と言えよう。 憲法は、表現の自由を保障し、検閲を禁じている。市民が広く利用する一般の公立図書館で蔵書の閲覧を制限することは、こうした観点から許されない。 ただ、小中学校図書館を一般図書館と同列に論じることは適切ではあるまい。作品が子供に与える影響を考える必要がある。心身の発達段階に応じた細かな対応が求められるケースもあるだろう。 下村文部科学相が「市教委の判断は一つの考え方。教育上の配慮はするべきだと思う」と述べたことはもっともである。 「はだしのゲン」は、広島での中沢さん自身の被爆体験が基になっている。肉親を失った主人公の少年が困難に直面しながらも、たくましく生き抜く物語だ。 1973年に週刊少年ジャンプで連載がスタート、掲載誌を替えながら、10年以上続いた。単行本はベストセラーとなった。約20か国語に翻訳・出版されている。 連載当初は、広島の被爆シーンがリアルすぎるとの批判もあったが、そうした描写こそが原爆の惨禍の実相を伝えてきた。 被爆者の高齢化が進み、戦争体験の継承が大きな課題になっている中、「はだしのゲン」が貴重な作品であるのは間違いない。 その一方で、作品の終盤では、「天皇陛下のためだという名目で日本軍は中国、朝鮮、アジアの各国で約3000万人以上の人を残酷に殺してきた」といった根拠に乏しい、特定の政治的立場にも通じる主張が出てくる。 表現の自由を尊重しつつ、同時に教育上の影響にも目配りする。学びの場で児童生徒が様々な作品に接する際、学校側がどこまで配慮すべきかという問題を、松江市のケースは投げかけている。 (2013年8月25日01時25分 読売新聞 |
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