「国会で審議されている安全保障法制は違憲だ」という世論の声が、
憲法学者の「違憲」の指摘をきっかけに大きくなっている。
マスコミ各社も、連日、記事や社説で安保法政について、論じている。
いまが正に正念場だと思う。
憲法第10章「最高法規」には、以下の規定が明示されている。
第10章 最高法規
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
第98条の「憲法その条規に反する法律、命令、国務行為は効力を有しない」、
を守るのは言うまでもないけれど、
第99条の「・・・国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、
この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」も、ちゃんと遵守すべきです。
社説:安保法制 説得力欠く「合憲」見解 2015年6月11日 中日新聞 集団的自衛権を行使するための安全保障法制を「合憲」とする文書を、安倍内閣が示した。憲法学者三人が「違憲」と断じたことへの反論だが、説得力を欠き、合憲だとは、とても納得できない。 集団的自衛権の行使容認を正当化するため、最高法規である憲法を、下位法の安保法制に無理やり当てはめたとしか思えない。 文書は、日本を防護するための集団的自衛権の行使は、日本への攻撃が発生した場合に限って武力行使を認める従来の憲法解釈の「基本的な論理」を維持し、「論理的整合性、法的安定性は保たれている」と結論づけている。 安倍内閣が、集団的自衛権の行使容認を正当化するための論拠として再び持ち出したのが、最高裁判所が一九五九年、自衛権の行使を「国家固有の権能の行使」と認めた、いわゆる「砂川判決」だ。 ただ、この判決では、旧日米安全保障条約に基づく米軍駐留の合憲性が問われ、日本が集団的自衛権を行使できるか否かは議論されておらず、判決も触れていない。 この判決後、岸信介首相は集団的自衛権の行使について「自国と密接な関係にある他国が侵略された場合、自国が侵害されたと同じような立場から他国に出かけて防衛することは、憲法においてできないことは当然」(六〇年二月十日、参院本会議)と述べている。 砂川判決が行使を認めた自衛権に、集団的自衛権が含まれていないことは明らかではないのか。 歴代内閣はその後も、集団的自衛権を有しているのは当然だが、その行使は日本防衛のための必要最小限度の範囲を超え、許されないとの憲法解釈を堅持してきた。 国会や政府部内での長年の議論の積み重ねを軽んじ、一内閣だけの判断で、違憲としてきた集団的自衛権の行使を合憲と変えてしまうことが許されるはずはない。 自民党が衆院憲法審査会の参考人として推薦した憲法学者までもが、国権の最高機関である国会の場で、安保法制を違憲と断じた意味は重い。安倍内閣は謙虚に受け止め、一連の法案を撤回すべきではないのか。合憲と主張する憲法学者の実名をいくら並べても、国民は納得するまい。 日本を取り巻く国際情勢が変化しているというのなら、集団的自衛権の行使ありきで非現実的な事例を持ち出すのではなく、変化に即した現実的な防衛政策を検討すべきだ。それが海外で武力を行使しない「専守防衛」の枠内にとどまるべきことは当然である。 |
社説:憲法と安保法制 議論の積み重ねは重い(2015年6月12日 中日新聞)
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社説:安保法制―違憲の疑いは深まった 2015年6月12日(金)付 朝日新聞 違憲の疑いは晴れるどころか、ますます深まった。 衆院特別委で審議中の安全保障関連法案は憲法に適合するか否か。きのうの衆院憲法審査会で、与野党が正面から意見をぶつけ合った。先週の参考人質疑で憲法学者3人が「違憲」と断じたのを受けてのことだ。 法案決定までの与党協議を主導した自民党の高村正彦副総裁らは正当性を主張したが、説得力があったとは言い難い。 高村氏は1959年の砂川事件判決を取り上げ、「憲法の番人である最高裁は必要な自衛の措置はとりうると言っている。何が必要かは時代によって変化していくのは当然だ」と憲法解釈の変更を正当化した。 また、「54年に自衛隊をつくった時にも、ほとんどの憲法学者は憲法違反だと主張していた。(自衛隊をつくった)先達の常識のおかげで平和と安全を維持してきた」と述べた。 自民党の平沢勝栄氏も「学者の意見に従って戦後の行政、政治が行われていたら、日本はとんでもないことになっていた。憲法栄えて国滅ぶの愚を犯してはならない」と語った。 これに対し、民主党の枝野幸男幹事長は「自衛隊違憲論は、9条の解釈が確立する前の白地での議論。参考人の意見は定着した政府の憲法解釈を前提として集団的自衛権の容認は憲法違反だと論理的に指摘したものだ」と反論。砂川判決についても「判決から集団的自衛権の行使容認を導きうるのなら、判決後も政府が一貫して行使は許されないとしてきたことをどう説明するのか」と問うた。 一連の自民党議員の主張からうかがえるのは、法案を違憲と断じた憲法学者の指摘をおとしめようという意図だ。平沢氏の発言にいたっては「学者の言うことなど聞く必要はない」と言わんばかりの、専門家に対する侮辱であり、国民に対する脅しでもある。 最高裁について高村氏らは「憲法の番人」と持ち上げてはいるが、一票の格差是正を迫る最高裁の指摘をのらりくらりとかわしてきたのはだれか。 与党側が慌てて乱暴な説明をしなければならないのは、集団的自衛権の行使はできないとした72年の政府見解の論理はそのままに、結論だけを「できる」と百八十度変えた閣議決定があまりに無理筋だったからだ。 政府は「これまでの憲法解釈との論理的整合性及び法的安定性は保たれている」と繰り返すが、とても納得はできない。 深まるばかりの疑義に、安倍首相はどう答えるか。 |
社説:安保転換を問う 政府の反論書 毎日新聞 2015年06月11日 ◇やはり「違憲法案」だ 憲法違反の疑いがある法案を数の力で強引に押し通せば、国の土台が揺らぎかねない。憲法は、国家権力を縛るものだという立憲主義の精神にも反する。憲法学者3人が国会で、集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法案は「憲法違反」だと指摘したことは、こんな根本的な問題を改めて突きつけている。 政府は、憲法学者の指摘に反論し、安全保障関連法案は合憲だとする見解をまとめた。「これまでの政府の憲法解釈との論理的整合性および法的安定性は保たれている」としている。だが見解は、基本的に昨年7月の閣議決定文を焼き直した内容に過ぎず、論理が通っていない。 ◇法体系の信頼揺るがす 見解は、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈変更について、憲法9条のもとでも「自衛の措置」が認められるなどとする1972年の政府見解の基本的論理を維持したまま、安全保障環境の変化を理由に「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」としていた結論について、認識を改めたと説明している。 つまり、他国への武力攻撃でも、存立危機事態など武力行使の新3要件を満たせば「わが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として、一部、限定された場合」に集団的自衛権を行使できるとした。 同じ基本的論理をもとにしながら、安全保障環境が変わったからという理由で、結論を集団的自衛権の行使は「できない」から「できる」にひっくり返している。これで論理的整合性が保たれているとはとても言えない。 憲法98条は、憲法は国の最高法規であって、憲法に反する法律は無効だと定めている。99条は、政府や国会議員に憲法を尊重し擁護する義務を負わせている。政府が憲法解釈の変更を全くしてはいけないというわけではないが、変更は決して恣意(しい)的であってはならず、過去の憲法解釈との論理的整合性が取れていなければならない。 そうでなければ憲法は規範性を失い、国民から信頼されなくなる。論理的整合性を超えて解釈変更が必要というのなら、憲法改正を国民に問わなければならない。 中谷元防衛相は衆院の特別委員会で、将来的に安全保障環境が変われば、解釈が再変更される可能性があるとの認識を示した。憲法をあまりに軽視している。 政府が、国際法上の集団的自衛権一般ではなく、限定的な集団的自衛権の行使だから認められる、と言っていることも、うのみにできない。 集団的自衛権行使の新3要件は基準があいまいだ。限定がかかるかどうかは時の政府の裁量による。 政府見解は、憲法解釈変更の基本的論理は、59年の砂川事件最高裁判決と「軌を一にするものだ」とも強調している。憲法学者が違憲と指摘しても、憲法の最終的な解釈権は最高裁にあると言いたいのだろう。 だが判決は、集団的自衛権を認めたものではない。砂川判決を曲解すべきでない。 ◇個別的自衛権でできる 安倍晋三首相は「切れ目のない備えを行う法整備が、日本人の命を守るために不可欠」というが、そのためになぜ集団的自衛権の行使が必要なのかという論理的な説明はない。 沖縄県・尖閣諸島の防衛は、集団的自衛権ではなく個別的自衛権にもとづくものだ。北朝鮮情勢もほとんどが個別的自衛権の解釈の範囲で対応できるのではないか。集団的自衛権の行使を認める法案を夏までに急いで成立させる必要があるというなら、なぜその代表例が中東・ホルムズ海峡での機雷掃海と邦人輸送中の米艦防護なのか、納得がいかない。 安倍政権は、個別的自衛権の拡大解釈は他国から信頼されないというが、理屈をねじ曲げて憲法を政権に都合よく解釈するほうが、よほど法体系への信頼を傷つける。 解釈変更に賛成する側からは、憲法を守って国が滅びてもいいのかといった、極端な議論も聞こえてくる。しかし、憲法の安定性を損なうことこそ、国家運営のリスクになる。まして自衛隊という実力組織の運用に関する根本原理を軽々に変更すべきではない。。 |
最後まで読んでくださってありがとう
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明日もまた見に来てね
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