庭には、赤と桃と白の
3本のアメリカハナミズキの花が咲いています。
いちばん先に咲いたのは、赤花のアメリカハナミズキ。
河津桜と仙台しだれ桜の間に咲いています。
赤いガクがねじれて咲く、めずらしい品種です。
大きくならない「矮性」というラベルだったのですが、大きく育っています。
花弁のような赤いのはガクで、
中心の小花がほんものの花弁です。
小花の花弁が順番に咲くので、外の赤花のガクは
けっこう長い間咲いています。
こちらは、桃花。
平たくて大きな花が咲きます。
前庭にある白花のハナミズキ。
3本の中では、いちばん先に植えたハナミズキです。
純白の花が咲くのですが、開いてから寒さにあって
少し茶色になっていますね。
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後半は、昨日に続いて、
チェルノブイリ原発事故から30年の記事。
朝日新聞の社説と中日春秋(朝刊コラム)です。
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3本のアメリカハナミズキの花が咲いています。
いちばん先に咲いたのは、赤花のアメリカハナミズキ。
河津桜と仙台しだれ桜の間に咲いています。
赤いガクがねじれて咲く、めずらしい品種です。
大きくならない「矮性」というラベルだったのですが、大きく育っています。
花弁のような赤いのはガクで、
中心の小花がほんものの花弁です。
小花の花弁が順番に咲くので、外の赤花のガクは
けっこう長い間咲いています。
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平たくて大きな花が咲きます。
前庭にある白花のハナミズキ。
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純白の花が咲くのですが、開いてから寒さにあって
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チェルノブイリ原発事故から30年の記事。
朝日新聞の社説と中日春秋(朝刊コラム)です。
社説:チェルノブイリ 原発事故の過酷な教訓 2016年4月27日 朝日新聞 旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発で、史上最悪の事故が起きて30年がたった。 人間には1世代にあたる長い歳月だが、放射性物質は今も現場周辺を汚染したままだ。 爆発した4号機は核燃料を取り出すこともできず、コンクリートの「石棺」で覆われた。だが、それも老朽化し、かまぼこ形の巨大な新シェルターで石棺ごと覆う工事が進んでいる。 子どもの甲状腺がんを始め、避難民や周辺住民の健康被害は今も続く。事故は継続中だ。 原発の過酷事故をめぐり、チェルノブイリはさまざまな教訓を世界に示した。にもかかわらず、5年前には福島第一原発事故が起きた。人類はどこまで教訓をくみ取ったのだろうか。 隣国ベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチさんは、昨年のノーベル文学賞を受けた。著書「チェルノブイリの祈り」の邦訳が出て03年に初来日した際、「だらしないロシア人だからあのような事故が起きた。日本では学者たちがすべて緻密(ちみつ)に計算している。ありえない」と言われたと、朝日新聞との会見で語った。 日本の社会は、産業界や行政、学者、メディアも含め、チェルノブイリの事故をどこか「ひとごと」のようにしてしまっていた責任を免れない。 謙虚に教訓を学び、原発は恐ろしい事故を起こすものとの前提で安全対策を一から点検していれば、福島第一の事故は避けられたかもしれない。 生かされた教訓もあった。原発の近隣地域で放射能に汚染された飲食物の摂取と出荷を早期に禁じたことは、住民の内部被曝(ひばく)を防げなかったチェルノブイリの反省があってのことだ。 だが、放射線と放射能の違いや原発事故の特徴など、基本的な知識が、周辺住民にさえ行き渡っていなかった点は同じだ。 福島の事故から5年。日本は森林の大半を除き、周辺を除染する選択をした。とはいえ、実際には放射能を別の場所に移す「移染」でしかない。 地球環境意識の高まりとともに、世代も国境も超えて影響を及ぼす環境汚染が原発事故の特徴と認識されるようになった。 遠隔地に長期避難すると、住民の帰還への思いは年齢や職業などによって分断されていく。たとえ帰れるようになったとしても、元通りのコミュニティーの復活はありえない。 事実上半永久的に人間と地球に取り返しのつかない被害をもたらす放射能汚染の理不尽さ。 原発のそんなリスクを、チェルノブイリは語り続けている。 |
中日春秋(朝刊コラム) 2016年4月27日 中日新聞 一九八六年四月二十六日にチェルノブイリ原発事故が起きて八年後の一九九四年、福島の浜通りに住む詩人・若松丈太郎さんは、かの地を訪れた ▼強制退去のため廃虚となった街を歩けば、幼稚園には玩具が放置され、机には広げられたままの書類があった。さっきまで人がいた気配はあるのに、誰もいない街。帰国した若松さんは、連詩「かなしみの土地」を書いた ▼<…私たちが消えるべき先はどこか/私たちはどこに姿を消せばいいのか/…私たちの神隠しはきょうかもしれない/うしろで子どもの声がした気がする/ふりむいてもだれもいない/なにかが背筋をぞくっと襲う/広場にひとり立ちつくす> ▼この詩を書いた時、詩人は、ウクライナで原発難民となった人々の思いを代弁したつもりだった。だが二〇一一年の春、「かなしみの土地」は、若松さん自身の思いを表す詩となってしまった。福島の原発事故で避難を強いられた一人となったのだ ▼二十二年前にウクライナを訪れた後、若松さんはこういう一文も書いた。<私たちは私たちの想像力をかりたてなければならない。最悪の事態を自分のこととして許容できるのかどうか、想像力をかりたててみなければならない>(『福島原発難民』コールサック社) ▼チェルノブイリから三十年。フクシマから五年。原発は今も、私たちの想像力を試し続けているのだ。 |
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