お正月3日目の夕ご飯は、
昨日もらった北海道のズワイガニ。
まる一日、冷蔵庫にいれて自然解凍。
まだ中のエラとミソのところが少し凍っています。
足を半分に追って、甲羅にカニみそをとりだしましょう。
まだ冷たいので、電子レンジで人肌に温めます。
つれあいには、ブリ大根の身をとりだした出汁で、
真鯛を炊いてあげました。
すき焼きのような風味で、おいしいとの感想です。
ローストビーフもつれあいです。
カニはさすが食べきれなかったので、足を半分を残しました。
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ところで、
12月24日の中日新聞に、
相模原事件に関して、熊谷晋一郎さんのインタビュー
が載っていたので、紹介したいと思って記事をとっておきました。
年を越してしまったのですが、ちょうど今日、生活面に
「<いのちの響き>相模原事件の被害者家族」の記事が出たので、
熊谷さんのインタビュー記事と合わせて紹介させていただきます。
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昨日もらった北海道のズワイガニ。
まる一日、冷蔵庫にいれて自然解凍。
まだ中のエラとミソのところが少し凍っています。
足を半分に追って、甲羅にカニみそをとりだしましょう。
まだ冷たいので、電子レンジで人肌に温めます。
つれあいには、ブリ大根の身をとりだした出汁で、
真鯛を炊いてあげました。
すき焼きのような風味で、おいしいとの感想です。
ローストビーフもつれあいです。
カニはさすが食べきれなかったので、足を半分を残しました。
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ところで、
12月24日の中日新聞に、
相模原事件に関して、熊谷晋一郎さんのインタビュー
が載っていたので、紹介したいと思って記事をとっておきました。
年を越してしまったのですが、ちょうど今日、生活面に
「<いのちの響き>相模原事件の被害者家族」の記事が出たので、
熊谷さんのインタビュー記事と合わせて紹介させていただきます。
<いのちの響き>相模原事件の被害者家族(上) 元気な姿だけで幸せ 2017年1月3日 中日新聞 相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」が襲われた事件で、けがを負った障害者とその家族は少しずつ日常を取り戻し始めている。「確かに、障害のない子より手はかかるかもしれない。でも、だからこそ、元気に生きてくれているだけで幸せ」と思いながら。凶行のやいばでできた心と体の傷を、親子の愛情と絆で癒やそうとしている。 冬の日差しが親子三人を温かく包み込む。昨年十二月半ば、尾野剛志(たかし)さん(73)とチキ子さん(75)夫婦は、長男の一矢さん(43)を連れて神奈川県厚木市内の公園に繰り出した。 お昼の弁当は、チキ子さん手作りのおにぎりやコロッケ。一矢さんの好物ばかりだ。無心でほおばり、時折、「だめーっ」と大声を出すわが子を、チキ子さんは隣でにこにこしながら見つめ、剛志さんはカメラに収めた。 やまゆり園で暮らしていた一矢さんは事件後、市内の施設に住まいを移した。首や腹を複数刺され、一時は命も危うかった。「絶望的な状況から、よくここまで元気になってくれた」。二人には、歩けるまで回復した姿がいとおしくてたまらない。 生まれたころの一矢さんは「おとなしくて、手のかからない子」だった。でも、なかなか言葉をしゃべらず、三歳児健診で自閉症と診断され、重い知的障害も分かった。その直後、一矢さんの実の父親が水難事故死。チキ子さんは、同県座間市の自宅でクリーニング店を営みながら、一人で子育てをした。トラック運転手だった剛志さんと出会い、暮らし始めたのは一年後。「お人形のようだ」。剛志さんは一矢さんをかわいがった。 一矢さんの成長はゆっくりだった。「食べる」などの単語を覚え、おなかがいっぱいになると「おなかが痛いよー」と言った。静かにしているのでチキ子さんが目を離すと、店の洗濯物を散らかしていたずらした。チキ子さんに仕事がある日中は保育園に通園。小学校では特別支援学級に在籍した。普通学級の同級生たちがよく面倒を見てくれ、修学旅行にも一緒に行けた。 「ぎゃー」。水が大嫌いで、風呂に入る前はいつも泣きわめいて大騒ぎだ。「できることを一つでも増やしてあげたい」。二人は願い、辛抱強く一緒に風呂に入った。一矢さんは小学校に上がるころになると、泣かずに入れるようになった。 朝は着替えの練習。チキ子さんは、洋服の裏表や前後ろをわざと逆にして置いた。服を手に取り悩む一矢さん。最初はうまく着られなかったが、正しく着たら「すごいねーっ」とめいっぱいほめた。達成できた時の喜びはひとしおだった。 でも、近所の目は違った。小学校からの帰り道、一矢さんが路地で虫を捕まえて帰ると、「うちの敷地で物を盗んだ」と店に苦情が来た。「早く施設に入れろ」との匿名電話も度々。剛志さん自身、かんしゃくを起こして泣き叫ぶ一矢さんに、手を上げてしまったことも。「自分も世間の目を気にしているんじゃないか」と自問した。 成長とともに障害は重くなった。気に入らないことがあると、顔や腕を血が出るまでかきむしる。やめさせようとしても、力が強くなって手に負えない。 「このままでは一矢も私たちも身が持たない」。案じた二人は、一矢さんを厚木市の知的障害児施設に預けようかと考えた。中学一年の時だった。自ら子どもを手放すような寂しさを感じたが、施設の職員が掛けてくれた一言に救われた。 「親御さんだけでよくここまで育てられましたね。でも、施設に任せるのは決して恥ずかしいことではないですよ」 こうして一矢さんの親元を離れた生活が始まった。 ◆自閉症や知的障害の特徴は? 自閉症や知的障害のある人は、周囲の世界をどのように見て、どう感じているのか。愛知県心身障害者コロニー中央病院児童精神科医師の吉川徹さん(44)に聞いた。 -自閉症と知的障害はどのような障害ですか。 自閉症は、身ぶりや手ぶり、表情などによるコミュニケーションが苦手かどうかで判断されます。話し言葉も不得手な人がいます。人付き合いも苦手で、興味や関心の幅が広がりにくく、繰り返しの行動が多いのが特徴です。 知的障害は、以前は知能指数が低いことを指していましたが、最近は知能の発達の遅れのため日常生活を送るのが難しい人を指す場合が増えています。 例えば、計算が難しかったり、記憶して意味が分かる言葉が少なかったり、気温に応じて衣服を調節できなかったり、一週間の計画を立てるのが難しかったりします。 -周囲の人からの言葉は理解していますか。 理解できていたり、できていなかったりします。例えば、「お風呂だよ」と声を掛けて風呂に行けたとしても、「お風呂」という単語や意味を理解しているとは限りません。なぜなら、音の並びや、手に持っているタオルを手がかりに、同じように風呂に行ける場合もあるからです。 ある行動を身に付ける際、手を取って教えるか、目の前で手本を示すか、あるいは絵や言葉で理解してもらうのか、どのやり方が一番効率よく伝わるかは人によって異なっています。 障害によって言葉が出てこなくても、心の中に言葉が浮かんでいると主張する専門家もいますが、立場によって意見が違っていて、まだはっきりしていません。 -障害のあるわが子のことを、「体は成長したが行動は幼い」と感じる親もいますね。なぜですか。 知的障害の人は、新しい行動を覚えるのが得意ではありません。自閉症の人は変化が苦手なことが多いので、両方の障害があると、幼い時の行動パターンが大きくなっても続くことがあります。 -心は成長しているのでしょうか。 中高生になると、命令されるのが好きではなくなる人が多くなります。自分の好みがはっきり分かり、それを求める気持ちも強くなる。これは自立心の表れなので、その意味で心は成長しているといえます。ただ、物の見方や感じ方、考え方の道筋は多くの人とは違うので、それに合わせて接するのが重要です。 -具体的にはどうすれば? 達成できたかどうかより、挑戦したことを評価してあげて。例えば、パズルができたときだけ拍手するより、最初の一個をやり始めたときに「そうそう」と強く反応してあげると良い。 できるかできないかだけに周囲が関心を示すと、障害のある人はできることしかやらなくなり、育ちにくい。障害によって限界はありますが、新しい行動や関心を身に付けられれば暮らしの幅が広がり、結果的に本人の自己決定支援につながります。 (添田隆典) |
「不要な存在」になる不安 熊谷晋一郎さんインタビュー 2016年12月24日 中日新聞 東大先端科学技術研究センター准教授 熊谷晋一郎さん 頼る仲間広げ連帯を くまがや・しんいちろう 1977年、山口県生まれ。小児科医。東京大卒。専門分野は、障害や病気のある本人が、仲間の力を借りて、自らの生きづらさを探究する「当事者研究」。著書に「リハビリの夜」(医学書院、新潮ドキュメント賞受賞)など。 障害者46人が殺傷された相模原事件からおよそ5カ月。障害とは無縁の人々の間では、記憶の風化が加速しているようにも映ります。けれども、内心では、事件が突きつけた「優生思想」におびえているのではないでしょうか。脳性まひ当事者でもある熊谷晋一郎・東京大先端科学技術研究センター准教授と、現代社会の諸相を考えます。 (論説委員=大西隆) 大西 事件は、優秀な人のみに生きる価値があるという優生思想のおぞましさを広めました。でも、精神障害者が知的障害者施設を襲ったという構図に閉じ込められて、健常者にとっては人ごとという空気を生んでいるような気がします。 熊谷 ちょっと角度を変えて見ると、障害の有無にかかわらず、現代人は「自分は明日から不要とされないか、用無しとされないか」という不安を抱えている時代だと思うのです。それが右肩上がりに強まっている。 例えば高度成長のころは、マニュアル通りに黙々と働く人が健常者のかがみでした。しかし、テクノロジーが進み、そういう労働は機械化された。黙々と働く人は頑固で融通が利かない、コミュニケーション能力がない、創造性がない障害者として扱われるようになってしまった。 自閉症と診断される人が30年間で20倍ぐらいに増えています。ところが、30年前の診断基準で調べたら、全く増えていなかったという研究結果がある。つまり社会変動によって障害の定義が広がり、病理化された。昔は問題のなかった人が現代では問題視されるのです。 大西 コミュニケーション障害は「コミュ障」と呼ばれ、子どものいじめさえ招いている。 熊谷 そうですね。人工知能(AI)やロボットが人間に取って代わるという未来予測とか、社会の求める能力基準の移り変わりを背景にしながら、多くの人々が「自分は障害者になるかもしれない」と戦々恐々としている。優生思想的な考えは障害者のみならず、大多数の人々を苦しめているといえます。 大西 排外主義的なドナルド・トランプさんが新大統領に選ばれた米国や、欧州連合から離脱する英国。大陸では極右勢力が台頭している。日本特有の傾向ではなさそうですね。 熊谷 トランプさんの当選について、上院議員バーニー・サンダースさんは演説で、没落しつつある中産階級の不安をうまく利用したと表現していました。慶応大の財政学者、井手英策さんは、日本では年収800万円の層が最も保守的との知見を教えてくれました。まさに恵まれているはずの中間層が見えない不安にさいなまれている。 今や人類は分岐点に立たされていると思うのです。より障害化させられた弱い立場の人々を排除して、自分の価値を高めようとする排他主義的な社会に向かうのか。それとも、不要とされる不安を共有する仲間と連帯して、能力の優劣とは無関係に生きていける社会に向かうのか。どっちにかじを切るか。 願わくば、連帯の方に持っていきたい。それは分配の仕方と絡んでくるでしょう。生産能力に応じて資源を与えるという貢献原則ではなく、生きることそのものに対して無条件で資源を与えるという必要原則をもっと考えなくてはいけない。社会的に有用かどうかが問われない分配の仕組みです。反優生思想とか分配の問題は、中間層にとってこそ重要かもしれない。 大西 成長なくして分配なしという掛け声の下、国家的には「1億総活躍」が提唱され、障害者をふくめて、稼ぐ力を称揚する風潮が強い。能力主義がさらに勢いを増しています。 熊谷 障害者もこんな能力を発揮できるというレトリックがはびこるたびに怖くなる。パラリンピックに感動するのも同じ文脈でしょう。もちろん、私たちは近代的価値の中で生きているから、潜在能力を開発するための配慮や支援は欠かせません。でも、それは車の両輪の一つ。もう一つ大切なのは、社会の役立たずでも生きていて良いという思想と分配制度です。 「不要な存在」になる不安 重要な問いの立て方としては、個人の尊厳をどう守るか。尊厳とは暴力を受けない権利、意思を踏みにじられない権利です。社会的有用性と、生きて良いという尊厳をつなげてはならない。そこをきちんと主張していかないと、事件の一番大事な問題には届かない。能力開発とか自己実現でなく、尊厳からスタートするべきだと思います。 大西 優生思想的な発想を支持する言説も目立ち、暴力の多発が憂慮される時代です。 熊谷 今度の事件で明らかになったのは、頼れる先、依存先が少ない人々は暴力に巻き込まれやすいということです。被害者にも、加害者にもなる。 私もそうですが、お風呂に入ったり、服を着替えたりするときは、介助者に依存する必要があります。暴力を振るわれたら太刀打ちできない。そのときには、その人を切ることができるように、多くの介助者を確保しておかなければいけない。 しかし、施設では介助者よりも障害者の方が多く、暴力が常態化するリスクが高い。障害者運動が施設や家族という限られた相手に頼るのではなく、地域での暮らしにこだわってきた理由の1つも、そこにある。 大西 加害者にもなると。 熊谷 人はどんな状況に陥ると、暴力的になるかという研究があります。暴力と犯罪との関連では3つのことがいわれている。1つ目は、反社会的な態度。人命や財産を軽んじる思考や行動のパターンを持つ人。2つ目は、労働や教育、余暇活動といった場から締め出されたような社会的に排除された人。3つ目は、薬物依存の影響です。 依存症者の多くはむしろ暴力被害経験があり、他人を信用することが難しい。トラウマ(心的外傷)の中で、自分を裏切らない物質に頼ってしまう。薬物以外に依存できない病気です。社会的排除はずばり依存先を奪うことだし、反社会的態度もトラウマや排除との関連がいわれる。すべて依存先の少なさという点で共通しているのです。 大西 事件の容疑者は施設の職員でした。大麻を使用していたと伝えられています。 熊谷 隔離された施設の職員も、人手不足の中でぎりぎりの労働を強いられ、逃げ場はないでしょう。危険な人ほど関わりが必要なのに、容疑者は精神医療に囲い込まれてしまった。とすると、本当の加害者はだれだったのか。一部の人を排除して、依存先を奪った地域社会といえるのではないでしょうか。 暴力に巻き込まれないためには、依存先を分散することが大事です。人類というのは相互依存ネットワークをつくり、個体の弱さを補ってきた。ただ、社会が健常者向けにデザインされて、障害があると依存先が1カ所に集中しがちなのです。 大西 いつ「障害者」になるかもしれないと恐れている健常者も、不安を共有する依存先を増やしておくべきですね。 熊谷 他人に頼らない自立とか自己決定といった近代的な価値には、能力主義が組み込まれています。だから障害が重いか軽いかによって、障害者さえも序列化されるという優生思想的な問題が出てきてしまう。 私はかねて、自立とは依存先の分散であると考えてきました。分散すれば選択肢も広がります。人間は多くの人やものに薄く、広く依存しなければ生きていけない。障害の有無を超えて多くの人々が依存し、連帯できる社会づくりが望まれます。 貢献原則と必要原則 公正な所得分配の在り方を考えるときの基本原理。貢献原則は個人の功績に応じて分配するという考え方。障害者や病者、失業者らは排除されやすい。対して、個人のニーズに応じて分配するという考え方が必要原則。社会保障制度の根拠となる。個人の能力や努力とは無関係なので、経済効率は損なわれがちになる。 |
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