みどりの一期一会

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新しい生き方を…社会の中で闘う女性活動家たち『未来を花束にして』/キャリー・マリガン&&ベン・ウィショーが語る…『未来を花束にして』が作られた意義

2017-01-27 18:53:39 | ほん/新聞/ニュース
咳が収まらないし、食欲もないので、
玄米麦ごはんで、甘酒を作っています。
炊飯器で保温して8時間なので、もうすぐ出来上がります。
口内炎もできているので、夕ご飯は「飲む天点滴」と言われる甘酒にするつもりです。

本題ですが、
イギリスの女性参政権運動をえがいた映画「未来を花束にして」が
今日、封切になりました。 

東海地方では「伏見ミリオン座」で上映しています。
上映時間は、明日からは「9:45、11:50、16:40、20:45」の4回。

新聞の映画評などで取り上げられていますが、ぜひ観たいと思っている映画です。

 未来を花束にして 公式サイト

藤原帰一の映画愛 未来を花束にして
2017年1月23日 毎日新聞

女性参政権運動の時代 差別残る現在から問う
 大英帝国の全盛時代といえば、第一次世界大戦前の十数年ですね。国王はエドワード7世からジョージ5世、イギリス海軍の圧倒的な力を支えに広大な植民地を支配する、いわばボーア戦争の無慈悲な指揮官キッチナーが象徴する時代。イギリス本土ではこれまでにない繁栄の続く、シャーロック・ホームズが活躍するロンドンのイメージ。いまでもノスタルジーを込めて描かれることの多い時代です。

 でもその時代には裏の顔がありました。貧富の格差が激しく、産業労働者の不満を背景として労働党が発足する。男でも財産がなければ参政権を認められず、女性に至っては誰も投票権を認められない。その時代のイギリスで展開した女性参政権運動を題材としたのがこの映画です。

 舞台は第一次世界大戦直前、1912年のロンドン。24歳の女性モード・ワッツは、7歳の時から洗濯工場で働いてきました。女性参政権運動はもちろん、これまで政治に関わることはなかったんですが、職場の友人に誘われて公聴会に参加したら前に押し出され、こともあろうに首相の前で証言することになる。そんな偶然のできごとに背中を押されるように、モードは女性参政権運動に加わってゆきます。

 ただ、同じ洗濯工場で働く夫サニーは、モードの政治活動を認めません。集会に参加して警官に捕まったモードを厳しく非難し、最終的には家からモードを追い出して、息子のジョージに会うことも禁止してしまいます。職場を追われ、家を追い出され、息子にも会えなくなったモードは、女性社会政治同盟(WSPU)のメンバーとともに、暴力に訴えてでも女性の参政権の実現を求める活動を展開していきます。

 昔のことだと思わせない映画です。女性の参政権は既に実現していますから、映画にすると、どうしても幸せな現在の視点に立って不幸だった過去を見つめるようなものになりやすい。昔は大変だったんだな、というわけですね。ところがこの映画は、不幸な過去を現代から離れた世界として描くのではなく、その時代のなかに観客を巻き込んでしまいます。

 といっても、過去のイギリスを美化しているわけではありません。婦人参政権の運動というと、私が思い出すのは「メリー・ポピンズ」に出てくるお母さんですが、そのお母さんは、豊かな銀行家の妻という立場を脅かされることなく参政権運動に加わることができました。それとは違い、この映画に出てくる女性の現実は、ひたすら悲惨、職場では男性幹部による性的虐待も横行しています。この映画では男の特権や女性への差別をおどろおどろしく描くようなことは特にしていませんが、まさにだからこそ、不公正な社会の姿がそのまま伝わってきます。

 映画に引き込まれる理由は、一貫して主人公モードの視点に徹しているからでしょう。逆にいえば、運動全体の姿はそれほど描かれていない。リーダーのエメリン・パンクハーストを演じるのは名優メリル・ストリープですが、もう気の毒なくらい、少ししか出番がない。ヒラの活動家がリーダーに出会う機会なんて、たいしてないわけです。

 だから主演女優に力がなくてはいけませんが、そのキャリー・マリガンがいい。黙って耐えることに慣れてきた女性が胸のうちに潜めた絶望と怒りを、激しい言葉や大仰な演技に頼ることなく伝えています。

 女性の参政権は実現した。いまのイギリス首相も女性です。でも、社会的な不公正がなくなったわけじゃない。今なお性による差別が残る社会だからこそ、この映画は過去のエピソードに終わらない力を持っています。(東京大教授)
      ◇
 次回は「エリザのために」です。

■監督 サラ・ガヴロン
■出演 キャリー・マリガン/ヘレナ・ボナム・カーター/ブレンダン・グリーソン/アンヌ・マリー・ダフ/メリル・ストリープ/ベン・ウィショー
■106分、イギリス
■東京・TOHOシネマズシャンテ、大阪・大阪ステーションシティシネマほかで27日公開  


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 【特別映像】キャリー・マリガン&ベン・ウィショーが語る…『未来を花束にして』が作られた意義
cinemacafe.net 2017/01/12
 
キャリー・マリガン、ヘレナ・ボナム=カーター、そしてメリル・ストリープらが競演を果たし、およそ100年前のイギリスで参政権を求めて立ち上がった女性たちを描く『未来を花束にして』。いよいよ1月27日(金)より日本公開となる本作から、主人公の労働者階級の若き母親を演じたキャリーと、その夫を演じたベン・ウィショーのインタビュー映像がシネマカフェに到着した。

女性には投票権も親権さえも認められていなかった1912年のイギリス。ロンドンでは、女性たちによる参政権運動が先鋭化し、女性参政権論者(Suffragist)の中でも過激な活動を行う者たちは“Suffragette”(サフラジェット)と呼ばれていた。そのカリスマ的リーダーであるWSPU(女性社会政治同盟)のエメリン・パンクハーストは、「言葉よりも行動を」と呼びかけていた――。

本作で、7歳から洗濯工場で働く若い母親モードを演じたキャリーは、実生活でも1児の母。この映画に関わるまでは、本作の原題であり、「言葉より行動を」をモットーに活動したWSPUを指すサフラジェットのことは、「帽子を被って歌いながら行進する姿しか知らなかった」と言う。

しかし、本作への出演が決まり、さまざまな資料をあたっていく中で、労働者階級出身の女性が書いた自叙伝を読み、「モードと同じように、彼女も中産階級や上流階級の女性たちと出会う中で参政権運動に加わるようになり、そしてついに自分自身の声を見つけた。撮影所でもその本を離さなかった」と明かしている。そんな彼女が、いまの時代に『未来を花束にして』を作る意義、そして世界における女性の権利などをインタビュー映像で率直に語っている。

まず、「女性の参政権運動について描かれた映画よ。主要な製作陣もほぼ女性なの。業界ではとても珍しいことよ。特に今回のような題材の映画は少ないわ」とキャリー。本作について、「ただ座って政治を議論する映画じゃないわ。実際に戦闘的な手段を用いて行動を起こし、声を上げた女性たちの映画よ」と説明する。「サフラジェットの活動は歴史的な大事件だったけど、100年もの間、詳細に描かれることはなかった。人々が事実を知るために正しく伝える必要があったの」と語る。

一方、プライベートで同性婚を公表しているベン・ウィショーは、自身が演じたような、女性の人権に対して鈍感で世間の基準に従う夫サニーについて、「当時の男性は“男らしさ”という概念にとらわれている。模範となる人物がいなかった彼らに同情するよ」と語り、「サフラジェットの女性たちは信念を貫く覚悟があり、本作をみると勇気づけられると思う」と評している。「これは普遍的なテーマだと思う。女性に限らず男性にとってもね。理想を掲げ、それを貫くためには、時に群集を相手に“正気じゃない”と批判されたとしてもね」と、彼女たちの活動の意味にも触れた。

また、先日の第74回ゴールデン・グローブ賞では、セシル・B・デミル賞を授与されたメリル・ストリープのスピーチが万雷の拍手を浴び、話題となったが、本作でも実在したWSPUのカリスマ的リーダー、エメリン・パンクハーストに扮し、キャリー演じるモードに感銘を与えるスピーチを披露している。

『未来を花束にして』は1月27日(金)よりTOHOシネマズシャンテほか全国にて公開。


  【シネマモード】新しい生き方を…社会の中で闘う女性活動家たち『未来を花束にして』
cinemacafe.net 2017/01/26

男女平等に参政権がある時代に生まれた私たちにとって、それはあって当然。でも、サウジアラビアで婦人参政権が認められたのは2015年のこと。現代でも女性が政治参加することが当たり前ではない世界がまだあるのです。

映画『未来を花束にして』は、1912年のロンドンを舞台に、男性中心の社会の中で、婦人参政権を獲得するために自らを犠牲にして闘った女性たちのドラマ。当時、女性は感情的で気まぐれで、男よりも劣っているため政治には向かないとされていて、男の所有物のように扱われていました。どんなに虐げられても、抗議の声など聞き入れられず、黙って男に従って生きるのが当たり前だと思っていた時代。女性活動家たちの言葉に触れ、いまとは違った生き方ができる可能性に気づいていくヒロイン、モードが強さを花開かせていく姿が印象的です。

モードは、洗濯女。当時は、電気洗濯機が一般家庭に普及していませんから、洗濯は大変な重労働だったと言います。洗濯女たちは、生活に不可欠な衣・食・住の「衣」を支える縁の下の力持ちだったわけです。重労働に加え、洗剤やガス、熱湯に日々晒される過酷な環境、恵まれない待遇に耐えながらも、黙々と働いていたモードたちの姿を観ていて、数年前に訪れたインドはムンバイの巨大洗濯場「ドービーガード」を思い出しました。

ムンバイには、100年以上の歴史を持つ巨大屋外洗濯場があり、毎日ムンバイ中にあるホテルや病院をはじめ、街の洗濯屋、個人宅から莫大な量の洗濯物が運ばれてきます。たまたま、その中を見学する機会があったのですが、そこには、何人もの洗濯夫・婦がいて、洗う、乾かす、届けるところまでを引き受けているのです。言うなればそこは、来る日も来る日も誰かの汚れ物を綺麗にする人々が暮らすひとつの街。誰かが美しく着飾ることができるのも、彼らの仕事あってこそなのです。きっと彼らは、美しく豪華なドレスをクリーニングしていても、それを着て出かける日が自分にやって来るとは考えもしないのでしょう。徹底した格差社会であるインドでは、産まれた環境から抜け出すのはとても大変なこと。その可能性が少なければ少ないほど、ありえない希望を抱く者も少ないわけで、だからこそ格差があることに疑問を持つ人も少ないのでしょう。

モードが、婦人参政権獲得のために、下院の公聴会で証言をする場面で、なぜ参政権を望むのか尋ねられ「いまとは違う人生を生きられるかもしれないから」と話します。女性たちから奪われてきた多くの可能性にモードが気づきはじめる様子がとても心に響くのです。

権利が当然のようにあるからと言って、決してないがしろにしてはいけないことを、この映画は教えてくれているのです。出演したメリル・ストリープが言っています。
「すべての娘たちはこの歴史を知るべきであり、すべての息子たちはこの歴史を心に刻むべきである」
映画はイギリスで実際に起きた事件をモチーフに作られていますが、世界の女性たちは、この権利を手にするために同様に闘ってきました。

もし、自分の一票に大して意味がないと思っているなら、ぜひこの映画を観て欲しいと思います。自分が投じる一票ぐらいでは何も変わらないと思っていても、あきらめずに自分の意志を主張し続けることの大切さを感じることができるでしょう。私たちにできることはそれぐらい。でも、それによって大きな変化を生むことができるかもしれないという希望に、当たり前のことが当たり前にある幸せに、本作はしっかりと気づかせてくれるのです。


メリル・ストリープ、「進歩に敏感」“言葉よりも行動を”呼びかけた活動家に感情移入(BIGLOBE 2017.1.26)

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1月26日(木)のつぶやき

2017-01-27 01:03:49 | 花/美しいもの
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