みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

人工透析中止 徹底検証が求められる/人工透析中止問題 医療の原点に立ち返れ

2019-03-19 21:35:17 | ほん/新聞/ニュース
少し遅咲きの超巨大輪の椿が咲きました。

花の大きさは手の平を広げたくらい。
やさしいピンクと赤の花です。

赤と白の絞り咲きの岩根絞りも多くなってきました。



アオキの花は、小さな紫褐色で目だたないのですが、
花が終わると、赤い楕円形の実がつきます。
  
アオキの下には、ちょっと変わったクリスマスローズ。

秋に収穫して室(地下室)に保存しておいたショウガがあるので、
細切りにして、佃煮を作ります。

醤油は薄味にして、甘みが強い蜂蜜の雑蜜を入れて、
     
ことことと、20分ほど煮て水分がなくなればできあがり。

ひねショウガになっているので、辛みが強くて、
少し食べるだけで、体が温まります。


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後半は、
人工透析中止問題についての、北海道新聞と岩手日報の社説を紹介します。

   社説:人工透析中止 徹底検証が求められる
03/19 北海道新聞

 腎臓病患者にとって、人工透析の中止は死を意味する。それを医師が提案すれば、場合によっては誘導になる恐れはないか。

 東京都の公立福生病院で昨年8月、医師から透析の中止を選択肢として示され、中止を選んだ腎臓病を患う当時44歳の女性が1週間後に死亡したことが分かった。

 女性は終末期の患者ではなく、透析を続けていれば延命できた可能性があった。

 都と日本透析医学会は、学会の提言などに反する可能性があるとして、病院への立ち入り検査を実施した。

 医師の行為、病院側の対応が適切だったのか、疑問が残る。意思決定に至るプロセスを含め、徹底的に検証しなければならない。

 透析医学会の提言によれば、透析中止を検討するのは、患者の明確な意思表示があることはもちろん、透析が生命の危険につながったり、患者の全身状態が極めて不良な場合などに限定している。

 女性は、腕からの透析が難しくなり、医師から首から管を挿入する方法と、透析をやめる選択肢があること、やめれば命に関わることを説明された。

 この段階で女性は入院しておらず、終末期だったとは言い難い。

 説明を受けた当日に女性が透析中止を決め、意思確認書に署名したのも性急な印象を否めない。

 女性は5日後に体調を崩して入院し、死亡前日「こんなに苦しいなら、また透析をしようかな」と話すなど気持ちが揺れ動き、病院側にも伝わっていたという。

 心身が追い込まれ、患者の意思が変わることは珍しくない。

 だからこそ、透析医学会の提言は、医師や看護師に加え、可能なら福祉関係者らも含めた医療チームが患者が自己決定を行う際のサポートを定めている。

 こうした医療チームを備え、患者や家族を十分に支援できていたのだろうか。

 さらに、提言は、倫理的な問題に関して、倫理委員会や外部委員会などの助言があることが望ましいとの条件も挙げている。

 だが、倫理委員会は開かれておらず、幅広い視点からの検証が不十分だったと言わざるを得ない。

 この病院は2013年から18年にかけ、透析中止や透析を始めない非導入に関して倫理委を開いていなかった。この間、約20人が透析中止や非導入を選んで死亡したとの情報もある。

 これらの疑問に対し、病院自ら説明責任を果たすべきだ。


  社説:人工透析中止問題 医療の原点に立ち返れ
2019.03.19 岩手日報

 週3回、1回3~5時間。人工透析治療(血液透析)の患者への負担は大きいが、受けなければ命に関わる。

 東日本大震災時、被災地では停電や断水など混乱の中、医療者が透析時間を短縮するなどして対応。教訓を踏まえ、来るべき災害時の備えとして関係機関のネットワーク化などに力を入れている。

 希望を見失いがちな患者を励まし、命をつなぐための努力を多くの医療者が続けている中、東京都の公立福生病院では何が起きていたのか。昨夏、腎臓病の女性に医師が人工透析をやめる選択肢を示し、治療に苦しんでいた女性が受け入れ、約1週間後に死亡した。

 他の患者への透析治療も中止していたとみられ、都や日本透析医学会が調査に乗り出している。

 学会は2014年、終末期の透析中止についての提言を策定。中止を検討するケースとして「続行が生命の危険につながる」「中止の意思が明確で、死が確実に迫っている」などを挙げた。患者の意思の尊重が大前提で、医療側が患者や家族と十分に話し合い、場合によっては専門家でつくる倫理委員会の助言に従うことも求めている。

 福生病院では、どうだったのか。女性は中止に同意する文書に署名していたが、死亡する前日に「こんなに苦しいなら、また透析しようかな」と発言していたという。命を守るという医療の原点、患者の揺れる意思に寄り添うという提言の趣旨からも逸脱していたとしか思えない。

 そもそも、女性は終末期の患者ではなく、医療側から透析中止を提案してはいけないケースだった可能性も指摘されている。医師の価値観をはじめ、一連の経緯について詳細な解明が求められる。

 人工透析患者は年々増加しており、17年末で約33万人に上る。患者団体によると、医療費が高額として「税金の無駄遣い」と中傷を受ける患者も多いという。

 医療が進歩し、社会保障費が増大する中、透析に限らず「金と命」をてんびんにかける風潮がはびこっている。麻生太郎財務相が13年、社会保障制度改革国民会議で「政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うとますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと」と述べたのは象徴的だ。

 今後も社会保障費の増大が見込まれる中、この種の風潮の高まりが懸念される。だが、医療の原点を見失ってはならない。

 終末期や死について、患者も家族も身近な問題として受け止め、考えたい。医療者と共に、繰り返し考えるプロセスの先に、あるべき終末期医療の姿を見いだしたい。
 


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3月18日(月)のつぶやき

2019-03-19 02:03:00 | 花/美しいもの
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