年がかわって2020年の二日目。
わたしのバースディ。
毎年、子どもたちが集まって新年&誕生日祝をしてくれます。
うれしいプレゼントもいただきました。
今年はフランボワーズのホールケーキは予約せず、
高島屋に行って、シフォンケーキを買ってきて、
皆でわけっこして食べました。
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1月1日の中日新聞と朝日新聞の社説。
どちらも国連の「持続可能な開発目標」(SDGs〈エスディージーズ〉)の一節で結ばれています。
<われわれは貧困を終わらせる最初の世代になり得る。同様に、地球を救う機会を持つ最後の世代になるかもしれない>
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1月1日の中日新聞と朝日新聞の社説。
どちらも国連の「持続可能な開発目標」(SDGs〈エスディージーズ〉)の一節で結ばれています。
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社説:誰も置き去りにしない 年のはじめに考える 2020年1月1日 中日新聞 二〇二〇年。目線を少し上げれば二〇二〇年代の幕開けです。 この十年を区切る年明けに見すえたいのは、一世代が巡る十年先の世の中です。より豊かな未来を次世代に渡すために、私たちはこの二〇年代をどう生きるか。 その手がかりにと、思い起こす場面があります。 秋のニューヨークで、国連に集う大人たちに時の少女が物申す。つい最近も見かけたようなシーンが四年前にもありました。 暗がりの傍聴席に照らし出されたのはマララ・ユスフザイさん。当時十八歳。同席した各国の若者たちを代表して、階下の首脳たちに語りかけたのです。 次世代と約束のゴール 「世界のリーダーの皆さん、世界中の全ての子どもたちに世界の平和と繁栄を約束してください」 一五年九月。国連サミットの一幕でした。この会議で採択したのが「持続可能な開発のための2030アジェンダ(政策課題)」。貧困、教育、気候変動など十七分野にわたり、世界と地球を永続させるべく取り決めた開発目標(SDGs)です。その達成期限があと十年先の三〇年。マララさんたち次世代と世界が交わした約束のゴールでした。 合言葉が二つあります。 SDGs独自の取り組みで、一つ目は「誰一人も置き去りにしない」ということです。 置き去りにされなければ、次世代の誰もが平等に、尊厳と希望を持って生きられる。そういう社会が次々に循環する。持続可能な希望の未来は、私たちが目指すべき約束のゴールでもあります。 ただ一方で自覚すべきは、SDGsの起点ともなった過酷な現実です。いまだ数十億の人々が貧困にあえぎ、いや増す富や権力の不均衡。採択後四年たつ今もやまぬ紛争、テロ、人道危機…。 賑わう子ども食堂に光> これほど険しい現実を期限内に克服するには、もはや先進国も途上国もない。二つ目の合言葉は「地球規模の協力態勢」です。 全ての国の人々がそれぞれ可能な分野で協力し、複数の課題を統合的に解決していくしかない。アジェンダはそう促します。 いわば総力戦の協力態勢なればこそ、社会の隅々から置き去りの人を見逃さず、救出もできるということでしょう。 そんな世界の流れに棹(さお)さして、私たちの日本も進みます。 この年末にふと甦(よみがえ)った光景はリーマン・ショック後の〇八年。東京都内の公園で困窮者の寝食を助けた「年越し派遣村」でした。 「役所は閉まっている。周辺の(派遣切りなどで)路頭に迷う人が誰一人排除されぬよう、われわれで協力し合って年末年始を生き抜くぞ」 開村式で村長の社会活動家、湯浅誠さんが張り上げた一声です。この定見。今にしてみれば湯浅さんは、SDGsの置き去りにしない協力態勢を、はるか以前に先取りしていたのかもしれません。 あれから十年余の昨年暮れ。都内の会合に湯浅さんの姿がありました。今度は民間協力で運営する全国の子ども食堂の支援です。 NPO法人「むすびえ」の設立一年祭で、湯浅理事長が力説したのも、子ども食堂の支援を通じて「誰一人置き去りにしない社会をつくる」ことでした。 子ども食堂はいま全国に三千七百余。この三年で十二倍の急増です。確かに子どもの貧困は深刻だが、食堂が子どもに食事を出すだけの場なら、逆に気兼ねする子も多く、この急増はあり得ない。湯浅さんの見立てです。 貧しさに関係なく、例えば子連れの親たちが子育ての手を休めにやって来る。一人暮らしのお年寄りが自作の料理を持ち寄る。 誰も置き去りにされない。多世代が頼り合う地域交流の場として必要とされ始めた。だから急増しているのだ、と。国連にも呼応し食堂を応援する民間企業、団体の動きも勢いづいています。 派遣村以後の貧困から格差も極まった日本で、子ども食堂の賑(にぎ)わいは、SDGs社会に差す希望の光といってもいいでしょう。 あとはこの賑わいを他分野にもどう広げていくかです。でも民間だけではやはり限界がある。巨大な政策システムを回す政治の原動力が、総力戦には不可欠です。 政治が無関心であれば もしも政治が、格差社会の断層に、弱い人々を置き去りにしたままで、次世代の未来にも無関心でいるならば、変えればいい。まだ十年あります。主権者一人一人が望んで動けば、変えられます。 マララさんたちとの約束のゴールに向け、私たちはこの二〇年代をどう生きるか。「歴史的意義」をうたうアジェンダの一節です。 <われわれは貧困を終わらせる最初の世代になり得る。同様に、地球を救う機会を持つ最後の世代になるかもしれない> |
(社説)2020年代の世界 「人類普遍」を手放さずに 2020年1月1日 朝日新聞 「普遍」とは、時空を超えてあまねく当てはまることをいう。抽象的な言葉ではあるが、これを手がかりに新たな時代の世界を考えてみたい。 国連の「持続可能な開発目標」(SDGs〈エスディージーズ〉)は、17の「普遍的な」目標を掲げている。 たとえば、貧困や飢餓をなくす、質の高い教育を提供する、女性差別を撤廃する、不平等を正す、気候変動とその影響を軽減する、などだ。 2030年までに「我々の世界を変革する」試みである。「誰も置き去りにしない」という精神が、目標の普遍性を端的にあらわす。 15年に採択され、4年が経つが、進み具合は思わしくない。昨年9月、ニューヨークで開かれた初の「SDGサミット」で、国連のグテーレス事務総長は訴えた。「我々は、いるべき場所にほど遠い」。サミットは、この先を「野心的な行動の10年」と位置づける宣言を出した。 目標にどこまで迫ることができるか。それが20年代の世界を見る一つの視点になる。 ■リベラルめぐり応酬 人権、人間の尊厳、法の支配、民主主義――。 めざすべき世界像としてSDGsも掲げるこれらの言葉は、西洋近代が打ち立てた普遍的な理念として、今日に生きる。 基本的人権の由来を記した日本国憲法の97条にならえば、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」である。 帝国主義や植民地支配といった近代の負の側面を差し引いても、これらが国境を越えた物差しとして果たしてきた役割は、とてつもなく大きい。 たとえば人権保障は、1948年に世界人権宣言が採択され、その後、女性、子ども、性的少数者へと広がっていった。 だが、21世紀も進み、流れがせき止められつつあるかに見える。「普遍離れ」とでもいうべき危うい傾向が、あちこちで観察される。 ロシアのプーチン大統領は昨年6月、移民に厳しく対処するべきだとの立場から、こう述べた。「リベラルの理念は時代遅れになった。それは圧倒的な多数派の利益と対立している」 リベラルという語は多義的だが、ここでは自由や人権、寛容、多様性を尊ぶ姿勢を指す。 発言は波紋を呼んだ。当時のトゥスクEU首脳会議常任議長は「我々はリベラル・デモクラシーを守る。時代遅れなのは権威主義、個人崇拝、寡頭支配だ」と反論した。 自由と民主主義が押し込まれている。 プーチン氏は強権的なナショナリズムを推し進め、米国のトランプ大統領も移民を敵視し、自国第一にこだわる。 欧州では、排外的な右派ポピュリズムが衰えを見せない。 香港で続くデモは、自由という価値をめぐる中国共産党政権との攻防である。 自由民主主義陣営の勝利と称揚された冷戦終結は、決して「歴史の終わり」への一本道ではなかった。 ■固有の文化、伝統? 日本はどうか。 「民主主義を奉じ、法の支配を重んじて、人権と、自由を守る」。安倍政権は外交の場面で、言葉だけは普遍的な理念への敬意を示す。 しかし、外向けと内向けでは大違いだ。 国会での論戦を徹底して避け、権力分立の原理をないがしろにする。メディア批判を重ね、報道の自由や表現の自由を威圧する。批判者や少数者に対する差別的、攻撃的な扱いをためらわない。 戦前回帰的な歴史観や、排外主義的な外交論も、政権の内外で広く語られる。 旧聞に属するとはいえ、自民党が野党時代の12年に作った改憲草案は象徴的である。 現行憲法がよって立つところの「人類普遍の原理」という文言を、草案は前文から削除してしまった。 代わりに「和を尊び」「美しい国土を守り」などの文言を盛り込んだ。日本の「固有の文化」や「良き伝統」へのこだわりが、前文を彩る。 この草案にせよ、現政権のふるまい方にせよ、「普遍離れ」という点で、世界の憂うべき潮流と軌を一にしていることはまぎれもない。 ■予断許さぬ綱引きへ 近代社会を、そして戦後の世界を駆動してきた数々の理念。それを擁護し、ままならない現実を変えていくテコとして使い続けるのか。その値打ちと効き目を忘れ、うかつにも手放してしまうのか。予断を許さない綱引きが20年代を通じ、繰り広げられるだろう。 SDGsはうたう。 「我々は、貧困を終わらせることに成功する最初の世代になりうる。同様に、地球を救う機会を持つ最後の世代にもなるかも知れない」 高く掲げられる理念は、差し迫った眼前の危機を乗り越えるためにこそある。 |
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