常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

雪の晴れ間

2012年12月10日 | 日記


降り続く雪に、何センチ積もるか心配していたが、今朝晴れ間が見えた。暗い雪の日は憂鬱だが、太陽が顔を見せるとほっとする。きのう、ユニクロで暖パンとヒートテックフリースの下着を買い込んだので早速着用する。とても暖かく快適だ。ベランダから見える葉山は、雪と光でくっきりと見え、山容は別物のようである。手前にせり出した三角の三吉山が、後に続く葉山にはっきりと独立を主張しているのだ。

義母の家に行く。今日持参した味噌汁は、先日山中で採ってきたシメジの豆腐汁である。「キノコの香りがしてうまい」と3度ほど言った。雪のなかからは、エノキダケが採れるのだが、今回は珍しくシメジを見つけた。シメジは折からの雪で凍っていたので、味噌汁にいれると砕けてしまった。だが山のキノコの独特の香りが汁のなかで広がり、思いがけずにおいしい味噌汁になった。ついでに、家の前の雪を片づける。朝、道路の除雪車がきて、家の前に雪を積み上げていく。道路は車が通れるようになるが、家への小路はこの固まった雪を片付けなければならない。一人暮らしの老人にできる作業ではない。

雪を楽しむのは、雪国に住む人間の知恵だ。スキーに雪山、山中で見る雪景色は実に美しい。この冬も、そんな雪との対話が楽しみである。だが家の中にあって、庭の雪が庭木を押しつぶすように積もるのを感じながら、書物を開くのもまたよい。江戸の漢学者、管茶山の詩をじっくりと吟味しよう。

  冬夜読書

雪は山堂を擁して 樹影深し

檐鈴動かず 夜沈沈

閑かに乱帙を収めて 疑義を思う

一穂の青燈 万古の心

読書の燈火は、稲の穂のような蝋燭の火である。この燈火が照らし出すのは、古の先学の書であり、その心だ。雪のなかで古典に親しむ管茶山の姿が目に浮かぶようである。

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雪の日

2012年12月09日 | 日記


昨夜からの雪に、外の家の屋根に雪が積もり、今年初めての雪景色になった。気温1℃。家の中は薄暗く、冬篭りの言葉が実感される。

謡曲に「鉢木」というのがある。雪の夜、佐野に住む老武士の家に、旅の僧が一夜の宿を求めた。老武士は、佐野源佐衛門常世といい、僧に栗ご飯でもてなし、暖をとる焚き木もないからと、大切にしていた松や梅を切って薪にした。「私は一族の者の横領にあっていまは、落ちぶれているが、いざ鎌倉のときは、老骨に鞭打って駆けつける所存です」と武士の面目を語る。

払へども払へどもわが袖の雪 夏目 漱石

旅の僧が雪のなかで悩む様子を謡曲では七五調の謡いで語る。
「今降る雪に行きがたを失い、ただひと所に佇みて、袖なる雪を打ち払いうち払いし給う気色、古歌の心に似たるぞや」とある。謡曲を習った漱石は、雪に会ってこの「鉢木」の場面を思い出して俳句に詠んだ。

佐野の常世に宿を借りた僧は、前執権北條時頼であった。鎌倉の召集を受けた常世は痩せ馬のまたがって鎌倉へ馳せ参じた。これを見た時頼は、常世を武士の鑑と称え、莫大な恩賞を与えた。

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登り納め

2012年12月08日 | 登山


今年の登り納めの山は、高瀬地区から山寺へ通じる芦沢峠だ。天候は荒れ模様。9時の登山開始に降っていた雪は、霙から雨に変わる。峠道は沢筋についているが、水に削られて細くなり、その上に落葉が散り敷いている。山中の道は笹に覆われ、GPSを頼りに、道なき道を行く。標高が最高で380mと低く、風もないので、さほどの難渋ではないものの、雨に濡れ視界もなくさんざんな山行となった。

芦沢峠は御通沢ともいわれ、山寺の開祖慈覚大師円仁が、山寺へ入った道と言い伝えられている。かっては生活道として、下刈りが行われていたが、今は通る人もなく、ところどころ
にある道形は、すぐに途切れる。山菜採りやキノコ採りの、わずかな踏み跡のような気がする。里山がこのように荒れてしまうのは、残念だが、時代の流れで致し方のないことか。

今年最後の山行が、悪路と悪天候というふたつの悪条件に見舞われ、残念なものとなってしまったが、一年を通じて大きなアクシデントもなく、無事で終えられたことをよしとしなければならない。加齢とともに衰える体力をケアしながら、来年のすばらしい山行を実現できるよう年末年始を自重して過ごさなければならない。
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ドンガラ汁

2012年12月07日 | 日記


爆弾低気圧は北海道の方へ去っていったが、寒気が入って寒い日だ。こんな日に食べるのが、寒ダラのドンガラ汁である。ドンガラとは庄内地方の方言で、アラ汁のことである。丸々と太ったタラの身を取ったあとに残る骨や内臓を鍋に放り込んで、ネギと豆腐だけの味噌仕立ての鍋だ。骨や肝臓、白子など、タラの味が贅沢に汁に溶け出して、熱々の汁は何ともいえない美味である。腹の中から、暖めてくれる北国ならでは食べものといえよう。

庄内では、寒になるとこのドンガラ汁はなくてはならないものだ。かっては、タラ漁にも豊、凶があって不漁の年は、タラに法外な値がつく。それでも財布を叩いてでも買うののがこの地方の人たちである。タラ汁会をあちこちで開いて、地域のコミュニケーションのツールになっている。家庭では、4人家族で一尾分のドンガラで汁を作れば、3日間は食べられる。これも飽食以前の日本人の食生活の知恵であったであろう。

濤音の鍋にとどろき鱈煮ゆる 広瀬 長雄

どういう訳か鱈の淡白な身が好きである。湯豆腐には必ず塩ダラを入れて、鱈ちりにする。この鍋を食べるたびに冬も悪くないと思う。そんな消寒の食べものが、鱈ちりであり、少し贅沢なドンガラ汁である。

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師走の畑

2012年12月06日 | 農作業


師走の声を聞くと、街角にクリスマスのイルミネーションが飾られるようになった。爆弾低気圧が通過中で日本海沿いに強風が吹いている。一日心電図は結果を見てもらったが、大きな問題はないということであった。24時間動いた心電図で、不整脈が2回現われたのみだ。心エコーも前回と変化はなかった。

朝、畑に行く。畑の片付けと、大根、ブロッコリーを収穫してきた。もう気温が下がって、ブロッコリーの生長は望めない。ネギが太くなり、ホウレン草の葉は大きくなっていた。あと残っている牛蒡を積雪前に掘らなければいけない。一年の畑は、妻が介護にまわったので十分に手を入れることが出来なかった。その反省の上で、来年に望む。もっときめ細かく畑に通い、野菜の勉強を基本に戻ってすることだ。

タマネギは少し生長したように見える。春の雪解けとともにアサツキが芽を出し、ニラが萌えるはずだ。ホウレン草は冬を越して、甘みが増しているだろう。ネギは雪のなかから、掘れるように目印をつけておくこと。

辰巳浜子の『料理歳時記』に大根の葉を捨てずに使う知恵が書いてある。

「青い葉の部分はしごいて、さっと湯通しをして、細かく刻んで塩味をして菜飯にしましょう。茎は糠味噌に入れたり、刻んで大根のしっぽや皮をまぜて大阪漬けにします。青い葉を温度の低い油でからりと揚げて箸で細かくつぶし、大根おろしに混ぜ合せ、二杯酢または三倍酢で和えます。酢はゆず、レモン、すだちなどを使えば理想的な栄養食になります。」

店先で買う大根の葉は、日にちが経っていて、辰巳浜子いうようにはいかないが、畑から抜いてきた大根は、大根の葉がおいしい。刻んで油を加えたケンチン汁など、大根独特の風味があって、まことに懐かしい味である。

大根引き大根で道を教へけり 小林 一茶
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