常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

月の歌

2015年09月27日 | 日記


今日は中秋の名月。今のところ、空に雲が多いが、晴れの予報なので玲瓏な月が楽しめそうだ。新古今和歌集には、藤原家隆が詠んだ月の歌12首が入集している。家隆の月の歌は当時、一世を風靡した。高名の僧正が赤痢に罹って重態になったが、夢に家隆の月の歌をみて全快したという逸話が残っているほどである。

ながめつつ思ふもさびし久方の月の都の明け方の空 藤原家隆

月を眺めながら、当時の人々はさまざまな空想そした。月面に人間が降り立った現代とは違って月は想像の世界であった。月の都とは、広寒宮といい、華麗な宮殿が想定されていた。月の天子は、夜この宮殿に多くの天女を集め歓楽の限りを尽くした。夜が明けて、歓楽の時間が過ぎてしまうと淋しいことだ、家隆は月をながめながら、そんなことを想像した。

かぐや姫の伝説は、竹取り翁に育てられた姫が5人の貴公子の求婚を断り、帝のお召しにも応じず、月の都へ帰っていくというものだが、その昇天の日は中秋の名月の日であった。庭に咲いたバラをかぐや姫の美しさに例えてみたが、どうであろうか。

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行乞

2015年09月26日 | 日記


種田山頭火は大正14年に出家し、禅の修行をした。その修行の方法は主に、行乞の旅である。旅の費用は旅の道々、家の前で行う托鉢によって得ていた。雨が降って托鉢をできないと、修行ができないばかりか、旅の費用もたちまち底をついてしまう。昭和5年に出た旅は、九州の各地を行乞しながら巡った。

このみちや
いくたりゆきし
われはけふゆく

しずけさは
死ぬるばかりの
水がながれて

山頭火はこの旅を日記に書き残した。その日記の冒頭に、この句を書き付けた。行乞という日を送りながら、酒や風呂も、そして秋の景色も楽しんだ。その日記は、読んで大変に面白い。現代を生きるものとって、山頭火の境地はどこか憧れのようなものがあるからだ。

そんな旅を続ける山頭火の前に小さな少女が現れた。学校に入る前の、お茶目な少女だ。その子の家の前に山頭火が立つと、少女は家のなかに駈け行って、母から一銭をもらってきてくれた。それだけではない、山頭火の前を行って家々の奥さんを探しては、一銭をもらってきてくれた。少女の行いを、「ありがたいやら、おかしいやらで微苦笑しながら、行乞を続けた」とその日の日記に書いている。山頭火の行乞の旅には、こんな微笑ましいシーンもあった。

9月28日の朝日新聞、文化文芸欄に山頭火の記事が載った。山頭火の悲劇的な生涯が略記されている。山口県の大地主の長男に生まれたが、9歳で母親が自殺、進学した大学は神経衰弱のため中退。帰郷して酒造りを始めたが破産。妻子を連れて熊本へ逃げ出す。さらに弟の自殺、自身の離婚、心身の疲弊。酒に溺れ泥酔状態で電車に飛び込む自殺未遂。禅寺に預けられ、そこで出家した。放浪の旅と日記、句作。放浪から11年後、昭和12年の日記には、「やりきれなくて街に出かけて酔う」「無にはなれるが、空にはなかなかなれない」と書いている。

昭和15年、流転の旅の末、山頭火は四国・松山で57歳の生涯を閉じた。
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コウロギ

2015年09月25日 | 日記


畑に虫の音が、と書いてから20日以上が経った。夜、テーブルで夕飯を食べていると、締め切ったベランダから、ギギッ、ギギッという音が聞こえてきた。戸をあけ放つと、コロコロと甲高い声で鳴くコウロギであった。7階のベランダに緑のカーテンとしゃれて、ゴーヤを植えたので、その茂みを慕ってコウロギがきたらしい。静かな夜に、あまりに高い音に聞こえるので、階下や階上の人が迷惑するのでないかと思われるほどの鳴き声であった。茂みを手で揺すると、鳴き声がぴたりと止んだ。

きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしき独りかも寝む 西京極摂政太政大臣

百人一首に採られている歌だが、当時キリギリスというのは、今のコウロギであったらしい。大きくコロコロと鳴くのは、一番大きいエンマコウロギであると、ものの本には書かれている。ベランダのコウロギは鳴き止んで3分もしないうちにまた甲高く鳴きだした。ベランダで虫の音を聞くのも風流だと思い、しばらく戸を開けたままにしておいた。

中秋の名月が近づいている。散歩して歩く家の庭に、もう咲き終わりそうなクレマチスの花がきれいに咲いていた。畑に五月菜の種を撒きおえる。来春、あのほろ苦い五月菜を食べるためだ。ニンニクの芽の球根も埋め込んだ。あとは、ニラの植え替えをすばかりである。

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秋明菊

2015年09月25日 | 


秋明菊の最盛期である。近所を散歩していても、満開の秋明菊があちこちで見受けられる。秋風が吹いて、花がだんだんと少なくなっていく季節、この花の美しさは際立っている。原産地は台湾、中国で日本にも自生種があるらしい。中国のお寺で、ある修行僧がこの花をお土産に持っていったところ、あまりに美しさに驚いた僧侶が、まるで黄泉の国に咲く花のようだ言ったので、秋冥菊と呼ばれるようになったいう。冥の字は暗いイメージなので、後になって明の字に改められた。

花言葉は「薄れゆく愛」。この花を見ていても、なぜこんな花言葉になったのか不思議な気がする。花びらのように見えるのはガクで、中心に小さな花が集まっている。花が終わると、この部分に綿毛ができ、小さな種子がゴマのようにつく。風にのって飛散し、子を増やしていく。菊という名がついているが、キンポウゲ科の花でアネモネの仲間である。

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秋ナス

2015年09月24日 | 農作業


茄子の生命力は強く、秋風が吹いても木は成長し、まだまだ花をつけている。ただし、実の成長は気温に大いに左右される。一時気温が下がったときは、ほとんど実が大きくならず、今年はもう終わりかと思ったが、ここ4、5日の夏日で、びっくりするほどの収穫があった。皮の肌理が細かくなり、食感もぱりぱりして美味しい。

秋茄子をうましと噛みぬ老いたりや 中山一庭人

辰巳浜子が『料理歳時記』のなかで、秋ナスの丸揚げについて書いている。ヘタをつけたまま丸洗いしたナスを、ふきん水気を取り、竹串で茄子の表面にぶすぶすと穴をあけ、熱い油にくぐらせる。これは、ナスの皮が破裂して、油が飛び散るのを防ぐためだ。ナスは揚がると餅みたいにぷーっとふくれあがり、油から出すとしゅうーっと萎む。揚げたてのあつあつをおろし生姜としょうゆで食する。辰巳浜子の料理法は読んだだけで、おいしさが伝わってくる。

安保法案が参院の特別委員会で強行採決された日、辰巳浜子の娘で料理研究家の辰巳芳子が朝日新聞のインタビューに答える記事が載った。題して、「台所から考えるいのち」。「私は大豆100粒運動というキャンぺーを始めました。1人100粒をまき、育て、収穫する。増産のためじゃない。大豆なら将来の日本を助けてくれるから。運動10年、小学生3万人が大豆に親しんでくれた。国の立て直しには、こういう具体的で無私無欲の農業施策が欠かせません」国を、日本人を本当に守る一番の基本は、食べるものを国の中できちんと収穫できる農業のあり方を先ず、確立することから始めなければならない。
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