常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

栗ご飯

2015年09月24日 | グルメ


食卓にも秋が来た。近所からいただいた栗を、妻が栗ご飯にする。山で採ってきたキノコ(サワモダシ)の味噌汁。そして、秋ナスの漬物。秋の味覚がこれどもかと、口のなかで踊る。考えて見ると、畑で採れたものは、近所にお裾分けをしているが、それ以上に季節の珍しいものをいただくことが多い。我が家の食卓は、多くの人の善意のかたまりのようなものだ。生きているというより、生かされていると言うべきか。感謝、感謝である。

栗飯のあとのまどゐを長くせり 荒井 正隆

この秋は、キノコの出がいいようだ。松くい虫、奈良枯れと山の木々はご難続きだが、その分キノコが多く出る。急に秋めいてきたことにも関係がありそうだ。山形産のマツタケも出わまったが、小ぶり2本8000円などという値段を聞いては、口にすることはできない。里山で雑キノコやナメコを探すのがせいぜいだ。キノコ採りに山へ入る老人の遭難騒ぎが相変わらず多い。秋を楽しみたいが、うかつな行動は慎むべきだ。

山形産の新米もそろそろ出てくる。昨日、知事さんがモンペ姿で、子供たちと稲刈りのパフォーマンスをした。「つや姫」が市場に好評であることもあって、今年はパリで日本食のPRイベントを行い、つや姫を試食してもらうと意気込みを語っていた。
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稲架

2015年09月23日 | 日記


稲架と書いて「はさ」と読む。刈り取った稲を乾燥させるために、田に稲をかける装置である。写真のように一本の木に、上手に稲束を掛けていく方式もあれば、木を縦横に組んで稲を掛ける方法もある。雨から米を守り、風を通して乾燥をより早くする。コンバインで刈り取った稲をその場で脱穀する機械化が進んでいるが、稲架で自然乾燥させた米は食べた味が違う。農家ではもう稲架を立てなくなったが、自家用の米はこのように稲架に掛けて丁寧に自然乾燥させる。

杭稲架の幾千万や陸奥の雨 石塚 友二



稲刈りが始まると、桜の紅葉が始まる。紅葉した葉は、風もないのにはらはらと散っていく。落ち葉を踏みながら、朝の散歩をすると、季節の変わりが早いことに驚く。連日の猛暑にぐったりとしていてから、ひと月しかたっていない。

湿りたる落葉掃く音はじまりぬ 星野 立子



柿の実が色づきはじめると、柿紅葉が目をひく。紅、朱、黄をとりあわせて艶やかに紅葉するので、落ち葉を拾って料理の盛り付けの飾りにすると、食卓を一段と引き立てる。俳句の季語は、もう晩秋になっている。
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鐘楼

2015年09月22日 | 日記


柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡 子規

この句が生まれたのは、明治28年10月20日(1895年)ごろのことである。この年4月、子規は日清戦争の従軍記者として、金州、旅順などに約1ケ月滞在、5月9日講和成立の報に接した。ところが、5月17日帰国の船中で大喀血を起こす。22日、神戸につくと神戸病院にただちに入院したが、重態であった。その後、須磨の保養院で治療に専念したが、9月になって松山に帰省、ここで高等学校の教員になっていた夏目漱石の下宿に寄寓、50日を過ごした。

だが、結核の治療は当時は決め手がなく、次第に子規の身体をむしばんでいくことになる。症状がやや落ち着いた子規は、10月の20日ごろに上京した。陸羯南の日本新聞の仕事に戻るためである。上京の途上、奈良に立ち寄り、法隆寺の諸仏に参拝したあと、茶店で渋茶を啜りながら、好物の柿を食べていると、鐘楼から鐘の音が聞こえてきた。もうこの時点で、子規は自分の身体を蝕んでいる病が不治のものと覚悟を決めていたようである。

当時の法隆寺は、現在の歓光地化した寺とは違い、参詣に訪れる人も少なく、茶店も淋しいものであった。神仏に自分の病をどうにかして欲しいとの願いが込められての法隆寺訪問であったかも知れない。食べた柿は、大和名産の御所柿、柿好きな子規はこの多きな御所柿を一度に5,6個も食べたという逸話もある。この有名な句を詠んだ後、子規は俳句革新に全生命をかけて取り組む。しかし、腰痛が悪化、カリエスとの診断を受ける。病床にありながら、『墨汁一滴』、『病牀六尺』などの連載を続けた。明治35年8月19日(1902)、名句が生まれて7年後、35年の生涯を閉じた。
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曼珠沙華

2015年09月21日 | 


曼珠沙華はサンスクリット語の、マンジュシャカ。仏界の天国に咲く花である。村の墓地に続く細道に、真っ赤な花を咲かせる。彼岸のころに咲くので、彼岸花とも呼ばれる。もう40年も前になるが、父が亡くなって、納骨の時、沼津の寺に赤い曼珠沙華の花が咲いていた。その時の印象が鮮やかで、そんな遠い日の記憶が今もはっきりと残っている。

曼珠沙華ふしぎは茎のみどりかな 長谷川双魚

曼珠沙華に葉がないのは、この植物の繁殖の特異性にある。地中の鱗茎から花茎が出て花が咲き花が終わると長い緑葉が出てくる。この葉で光合成をして、地中の球根を分裂させて多くの子苗を作って増やしていく。誰も手入れしなくとも、曼珠沙華の群落が野一面に広がっていく仕掛けである。

昭和20年代であったと思う。「赤い花なら曼珠沙華、オランダ屋敷に雨が降る」という歌謡曲があった。子どもながらに、曼珠沙華はどんな花か知りたいと思った。葉はなく、赤い花だけが怪しく咲き乱れる。天国に咲く花と言われるだけあって、お寺の庭に似つかわしい花である。

午後お彼岸の墓参りにお寺へ行く。朝、見つけた畑の近くのものより、立派で咲き始めの曼珠沙華を発見、早速撮影して写真を入れ替えた。穏やかな天気で、墓参りも気持ちよく終わった。

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紅葉

2015年09月20日 | 日記


高山では紅葉が始まった。ナナカマドの赤い実が秋を実感させる。シラビソの緑が混じり、全山の紅葉にはまだ間があるが、燃えるような錦繍の秋が待ち遠しい。種田山頭火の乞食行脚は、晩秋のなか、酒を飲み、紅葉を愛で、温泉で温まる日々であった。

「また造り酒屋で一杯ひつかけた、安くて多かったのはうれしかつた、そこからここまでの二里の山路はよかった、丘から丘へ、上るかと思へば下り、下るかと思へば上る、そして水の音、雑木紅葉ー私の最も好きな風景である、ずゐぶん急いだけれど、去年馴染みの此宿へ着いたのは、もう電灯がついてからだった、すぐ入浴、そして一杯、往生安楽国!

 すこしさみしうしてこのはがきかく(元寛氏、時雨亭氏へ) 種田 山頭火」

こんな山頭火の日記を拾い読みしていると、自分の日々の過ごし方の好悪が、いかにも山頭火に似てきているような気がしてびっくりする。
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