常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

桜と雪

2019年04月11日 | 

昨夜から朝方にかけて春の雪になった。水分を多く含んだ雪が7㌢ほど、平地に積もった。昨日開花宣言のあった山形の咲き始めた桜にも、雪がかかった。滅多に見ない光景である。確か5年以上も前にも桜の季節に雪が降ったことがあった。その時は、悠創の丘まで散歩をし、オオヤマザクラの花に雪が積もった景色を撮影してことがある。今朝はその時以来のシャッターチャンスである。歩き悪い歩道を300ⅿほど歩いて、坂巻川の桜を見ると、雪にピンクの桜が実に美しい。

老ぬればもろく涙のちる我を

はかなしとこそ花は見るらめ 本居宣長

桜を愛した古人も多いが、本居宣長はその筆頭格と言えよう。宣長は、もう死を予期していた71歳の時、寛政12年の秋、その夜長に、好きな桜を思い浮かべ歌を詠んだ。その数、300首。題して『枕の山』で、夜の床の中で見る景色は、爛漫と咲く桜の景色であった。

まちつけてはつ花見たるうれしさは

物いはまほし物いはすとも 宣長

いま、この300首を読みなおしてみて、宣長の桜への愛を実感しなおす。それにしても、桜の花に雪の積もり景色は、宣長の300首に及ぶ多彩な歌のなかにも見出しえない。今日、桜の神が、桜を愛す人へ贈った特別の褒美なのかも知れない。


夜、テレビのプレバトを見ていると、桜の雪が積もっている状態を「桜隠し」と言い、季語になっていることを知った。雪月花、日本の美意識を代表する三つの内、二つを含むきれいな景色であると知り感動した。

寺町や椿の花に春の雪 漱石

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山林の詩

2019年04月10日 | 日記

寒が戻って、関東に平成最後の雪、というニュースが流れている。桜の開花などの春の訪れを、ブログにアップすると、郷里の友人から羨望を交えたコメントが寄せられる。北海道は桜の蕾はおろか、まだ深い雪に覆うわれているところも少なくない。歌志内市という市がある。人口の一番少ない市と知られる悲別というドラマが生まれた町である。滝川から根室本線に乗り換えて、空知川のほとりの赤平市に隣接している。炭鉱が発掘されて、芦別と並んで多くの人が住んだが、今はさびれた街になった。

この空知川の辺りへ、開拓地をもとめて国木田独歩が訪れたことがある。国民新聞の記者をしていた独歩は、佐々木信子と恋に落ち、原生林を開拓して、ここへ移住を計画した。1894年のことである。この地を独歩に紹介したのは、札幌農学校で教鞭をとっていた新渡戸稲造である。信子の母の猛烈な反対で、結婚も移住もとん挫したしたが、独歩は有名な詩を残した。

山林に自由存す

われ此句を吟じて血のわくを覚ゆ

嗚呼山林に自由存す

いかなればわれ山林をみすてし


あくがれて虚栄の途にのぼりしより

十年の月日塵のうちに過ぎぬ

ふりさけみれば自由の里は

すでに雲山千里の外にある心地す 


眦を決して天外を望めば

をちかたの高峰の雪の朝日影

嗚呼山林に自由存す

われ此句を吟じて血わくを覚ゆ  国木田独歩

空知川のほとりは、滝川から汽車で釧路へ向かった石川啄木も、その雪景色のすごさを、歌に詠んでいることでも知られる。果てしない雪景色、そして猛烈な地吹雪。北海道の原始林の風景がそこにある。

空知川雪に埋もれて

鳥も見えず

岸辺の林に人ひとりゐき 石川啄木


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春の七草

2019年04月09日 | 日記

芹、薺、御形、はこべら、仏の座、すずな、すずしろ。春の七草である。子供のころ、七草の名を覚えようとして暗唱したものだ。しかし御形がははこぐさであることを知る由もなく、仏の座がタラビコと呼ばれる早春の草であることは、図鑑で調べるだけで、今日に至るまで実物を見たことさえない。まして、すずな、すずしろがかぶと大根であることを知ったのは、ずっと長じてのことである。このうちで、一番早く花を咲かせるのは薺で、一番遅いのが芹で、この花が咲くころにはもう初夏になっている。陽暦で3月と5月、その開花の時期にふた月のもの差がある。

よくみれば薺花さく垣ねかな 芭蕉

薺は本来、陽当りのよい平地好んで繁殖する。昔、草屋根にも咲いたので、ペンペン草の生える屋根は、荒廃したあばら家を意味していた。垣根には、むしろハコベのような日陰の草がふさわしいが、芭蕉が詠んだのは、こんなところにも、という驚きを現した句である。其角が編んだ「続虚栗」には、この句に

うすらひやわづかに咲る芹の花 其角

にこの句を添えているのは、芭蕉の驚きの向こうを張ったものであろう。

春の七草は、正月7日に七草粥を食べる、ととして今に伝えられているが、春の野で摘めるようになるのは、新芽が萌えはじめるこの季節である。

 

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良寛の桜の歌

2019年04月08日 | 日記

かぐはしき桜の花の空に散る

春のゆうふべは暮れずもあらなむ 良寛

国上山(くがみ山)の五合庵に、良寛が入庵したのは1797年(寛政9)である。良寛40歳の時であった。折にふれ、実家や知人の援助を受けながら生活であったが、その基礎は山の麓の集落へ托鉢に出ることであった。越後の冬は雪深い、ここで過ごすことは、覚悟のうえであったものの厳しいものであった。それだけに、春を迎えた良寛のよろこびは一入であった。「暮れずもあらなむ」と詠んだのは、そのよろこびを端的に表した詞である。

春になると、良寛のもとへ、近隣の子どもたちが遊びにきた。子供たちと一緒になって、手毬をつき、童歌を歌った。しかし遊んでいた子供たちは夜になってそれぞれ家に帰って行く。庵に住む良寛は、老いの身を、ひとり淋しく嘆くばかりである。

今よりは野にも山にもまじらなむ

老いの歩みの行くにまかせて 良寛

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ヤマニンジン

2019年04月07日 | 日記

清明を過ぎ、春らしい陽気になった。妻と連れ立って、裏の丘に春の若菜摘みに出かけた。目指すはヤマニンジン、葉がニンジンの葉に似ているのでこう呼ばれるが、せり科の植物でいい香りがする。芽吹きだした雑木林に少し入ると、すぐに伸び始めたばかりのヤマニンジンが見つかった。付近には、花ワサビの出ているので確認すると、食用になる花茎はまだ出ていない。フキノトウで春の到来を確認し、ヤマニンジンの香りと食感で、春の味覚を喜ぶ。

令和と元号が発表されて、万葉集に注目が集まっているらしい。野辺に出て、春の新芽を摘む習慣は、この万葉集の冒頭の歌に詠まれている。

籠もよみ籠持ち 堀串もよみ堀串持ち この丘に

菜摘ます子 家告らせ名告さね

と野辺に出て、若菜を摘む乙女に向かって名を聞いているのは、この地の支配者である雄略天皇である。乙女も一人で菜摘みをしているわけではない。付近の女たちが連れ立った、若菜摘みを楽しんでいる。その中で、ひときわ美しく、女たちをまとめているように見える女性である。一族を代表して神を祭る立場の女性であると見た天皇は、家と名を問う。この時代、これは女性へ結婚の申込みを意味している。万葉集の冒頭にこの歌が置かれていることは、この妻問に始まって、万世にわたって子孫が繁栄していくこと意味している。


我が家では、この野遊びは、妻問いの意味もないが、かってここでノビルや花ワサビ、ヤマニンジンを採って春の味覚を楽しんだことを思い出し、二人で今晩食べる分だけのものを収穫した。野辺にはキクザキイチゲが群落をなして満開、小さな流れの辺りにナズナの可愛い花が咲いていた。


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