常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

エンドウ豆

2020年05月11日 | 日記
同じ花でも野菜の花はいとおしい。花を見たあと、成長しておいしい野菜になることが約束されている。花のなかに、すでに完成形を見ている。エンドウ豆の花が、畑の一番花として咲いた。花がさいてから、2週間ほどでサヤエンドウが収穫できる。サヤエンドウは実の入らない内に収穫して食べる。味噌汁にして豆腐をあしらったものがたまらない。

花豌豆畝ひと筋に蜑が畑 甲賀 山村

ここのところ、山菜が食卓に上がる機会が増えた。外出自粛だが、知人から独活をいただいたり、畑のウルイ、出始めた蕗などだ。刻んで豚肉を入れて山菜汁にする。一年ぶりの懐かしい味だ。初どりのワラビの味もまた感動ものだ。
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竹の秋

2020年05月10日 | 日記


風薫る5月、待っていた雨がようやく降ってきた。定植したばかりの野菜だけが雨を欲しがるのではない。新緑が雨のなかで、微妙な変化を見せる。黄色を帯びた山の樹木の葉に少しだけ緑が加わる。パレットから一筆加えるようにかすかに緑が濃くなっていく。この微妙な変化は、そこへ足を運んではじめて知ることができる。そんななかで、黄葉した葉が入り混じっている。よく見れば竹の葉だ。竹はこの季節、根の方から筍が伸びてくる。竹の栄養は葉に蓄えることを止めて、筍の成長にまわされる。そのために葉は黄葉して根元に散り積もる。積もった葉にも豊富な養分が含まれていて、筍の成長を促す。

竹秋の風騒ぎしてあたたかき 清水甚吉


ふと、竹林の地面に目をやると、あちこちから筍が頭を出している。もうひと月以上も前からスーパーに筍が並んでいるが、今年はなぜかまだ食べていない。コロナ騒ぎで、筍の旬を味わうという、心のゆとりを失ったかも知れない。どの野菜でも言えることだが、取り立ての新鮮さが春の味覚の肝だ。なかでも、朝どりの筍の味は忘れられない。作家の檀一雄も言っている。 「何によらず、新鮮なものはおいしいが、タケノコとトウモロコシだけは、掘ッタ、食ッタ、モイダ、食ッタでなくては、たちまちガタガタ落ちの味になる。」檀の勧めるタケノコの竹林焼きなるものを一度試したいと思っていたが、ついこの年になるまで実現することはできなかった。せめて、旬の時期の地物の採りたてを味わってみたい。

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崩れ

2020年05月09日 | 登山
昨日、千歳山に登っていると、最初の階段を登り切り、神社の参道である鳥居の付近に、土木用の工具やチェンソーを手にした5、6人の作業をする人がいた。ロープを張り、土留め用の杭や網を張る作業中であった。見ると、崖の斜面のひび割れが大きくなり口を開けた状態だ。その上に立つ木の根がむき出しになっている。崩落の危険があるのかも知れないので、「崩落ですか?」と聞くと、「そうです」と手短な返答があった。倒木の危険を避けるために、大木の伐採も考えているのかも知れない。この山は、コロナで自粛中の市民が、唯一身体を動かせる場所であるらしく、子どもづれで散策している人も多い。万一大きな崩れや、倒木に襲われたら、と恐怖感に捉えられた。

そこを過ぎると、今まで通りの山道になる。3日ほどの間に季節は進み。山道の脇の緑は更に増え、山ツツジの赤が道を彩り華やかになった。一日一万歩は確実に効果を上げている。3月の運動強度が頂上付近で4.8であったものが、この日は2.4と半数以下になっている。最大酸素摂取量もついに37㎖となり、やや良好から非常に良好の範囲に入った。

畑に水やりをしてから帰宅、幸田文の『崩れ』を読み返した。静岡県と山梨県の境にある安部峠の大谷崩れを見たのは、幸田文が72歳の時である。この作家が何故これほどの高齢になって、各地の高山の崩壊現場に立って、その実際を見る気になったのか、この本を読んで知って欲しい。その時の恐怖感を抱きながら、スケールの大きい大谷流れを見た光景を次のように記している。

5月の風は薫風だが、崩壊は憚ることなくその陽その風のもとに、皮のむけ崩れた肌をさらして、凝然とこちら向きに静まっていた。無惨であり、近づきがたい畏怖があり、しかもいうにいわれぬ悲愁感が沈殿していた。

富士の大沢崩れの現場で、幸田は地質学者に崩れとはどいうことか聞いた。学者の答えは「地質的に弱いところ」という答えが返ってきた。幸田は思う、そうか崩れは大地の弱さなんだ。急に崩れが身近なものに思えてくる。可哀そうに思えてくる。老境の作家が、このような現象に挑み、老体に鞭打って崩れの現場に足を運んで書いたことに深い共感と感動を覚える。


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牡丹

2020年05月08日 | 
植物学の碩学、牧野富太郎博士に『植物知識』という著書がある。講談社学術文庫に収められた122頁の小冊子である。この本の「あとがき」で博士は、自身の植物愛について述べている。「まず世界に植物すなわち草木がなかったら、われらはけっして生きていけないことでその重要さが判るではないか。われらの衣食住はその資源を植物に仰いでいるものが多いことを見てもその訳がうなずかれる。植物に取り囲まれているわれらは、このうえもない幸福である。」

この本には18の花、4つの果実が記載されているが、牧野博士が最初に取り上げたのが牡丹である。牡丹の特徴を巨大な美花といい、花容、花色すこぶる多様。その満開を望むと、その花の偉容、その花の華麗に驚嘆を禁じえない、述べている。牡丹の名の由来は丹は中国人が丹色すなわち赤色を上乗としたためであり牡は、春に出る芽が雄々しく、盛んに出ることから牡丹となったと説いている。すべての植物を愛した博士ではあったが、なかでもっとも好んだ花が牡丹であったのであろう。

また日本の古名が二十日草であることの説明のために藤原忠通の和歌を引いている。

咲きしより散り果つるまで見しほどに
 花のもとにて二十日へにけり 忠通

一つの花が咲き、次の花が咲き、株上の花が残らず咲き尽くすまでを見て、二十日もかかった、と歌の意味を解釈している。さらに、樹の高さは通常90㌢~120㌢、だが博士が見た最大のものは飛騨高山の奥田邸の180㌢の大木で、花の数百輪で日本一だ、そちらに行く折があればぜひ見て欲しいとまで書いている。

牧野博士は1862年高知県の造り酒屋の長男に生まれ、明治7年に新しい学制ができて小学校へ入学。数年で卒業できるほどの学力をつけて中退、早くから興味を持った植物学を独学で学んだ。植物分類学の世界的権威となった。新種1000、新変種1500の日本植物を命名し、採取した植物は60万点に及ぶと言われる。
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野菜苗の定植

2020年05月08日 | 農作業
風もないのにリンゴの花びらがはらり、はらりと落ちていた。昨日、野菜苗を買って準備していた畑に定植した。トマト、キュウリ、ナス、ツルムラサキ、ピーマン、甘ナンバンなどである。種は天気を見て、雨の続きそうな日を選んで蒔く。ムクドリが耕した畑に来て、餌を啄んでいた。3月に暖かい日が続いたので、畑仕事も早まるかと思っていたが、4月の低温で、定植ははほぼ平年通りになった。山登りが出来ない日が続くが、土をいじって精神を安定させる。

行く春の後ろを見せる藤の花 一茶

藤の花が日ごとに美しさを増している。この花の元気が、苗の定着も約束してしてくれる。作業は3時ころから、夕日のなかで終了。畑のなかで、歩数計は6000歩を示した。だが、この歩きでは体力向上には覚束ない。そんなことを考えながら、根本の土に力をこめて苗をしっかりと安定させた。

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