夜な夜なシネマ

映画と本と音楽と、猫が好き。駄作にも愛を。

『セイジ 陸の魚』

2012年02月28日 | 映画(さ行)
『セイジ 陸の魚』
監督:伊勢谷友介
出演:西島秀俊,森山未來,裕木奈江,新井浩文,渋川清彦,
   滝藤賢一,宮川一朗太,二階堂智,津川雅彦他

ミナミで1本、キタで3本、計4本をハシゴしたのは人生初。
4本のうちどれから書こうか迷うところですが、
4本目にテアトル梅田で観た本作から。

俳優として活躍する伊勢谷友介の監督第2作。
辻内智貴の累計10万部を突破したベストセラー小説『セイジ』の映画化です。

まだバブルの熱気が冷めやらぬ20年前。
さしたる苦もなく就職先が内定した大学4年生の「僕」は、
学生最後の夏休み、ふと思い立って、自転車で一人旅に出かける。

ところが、ブレーキが故障して暴走し、酒屋の軽トラックと衝突。
軽トラを運転していたヤンキーもどき、酒屋の息子カズオは、
旧道沿いのドライブイン“HOUSE475”へ、怪我をした「僕」を連れていく。
美人女性オーナーの翔子から手当てを受けた「僕」は、
なんとなくそのまま居着いて“HOUSE475”を手伝うことに。

“HOUSE475”には寡黙な雇われ店主セイジがいた。
ほとんど口を利こうとしないセイジがときおり発する言葉は、
人びとの心をとらえて離さないらしく、
見かけは寂れたドライブインなのに、夜な夜な常連客が集まってくる。
「僕」は彼らから「旅人」と呼ばれ、可愛がられるようになる。

特に不満もないけれど、何か特別な楽しみがあるわけでもない。
そんな毎日を送ってきた「僕」が、“HOUSE475”で居場所を見つけます。

伊勢谷友介の第1作は未見で、彼の俳優としてのイメージから、
なんとなく小難しい作品を撮る人ではないかと思っていたため、素直さにびっくり。

もちろん一筋縄では行きません。
終盤に起きる凄惨な事件によって、何もかもが吹っ飛びます。
そのとき、幼い魂を救うためにセイジがすること。

セイジ役の西島秀俊はやはり役柄のほうがついてくる役者に思えてなりません。
『松ヶ根乱射事件』(2006)が私の心に強烈な印象を残した新井浩文演じるカズヤは、
後ろ姿だけが映るシーンに思わず唸りました。
肩を少し落とすだけなのに、心情が深く表されています。
ちょっぴり気になる渋川清彦も味のある役で大満足。

そうそう、『春、バーニーズで』(2006)のプールのシーンで、
上半身裸の西島秀俊を見て、ちょっと貧相だなぁとがっかりした覚えが。
本作の裕木奈江との絡みのシーンでは、ちらりとしかわかりませんが、
かなりがっちり鍛えたっぽい。
『探偵はBARにいる』(2011)のときの大泉洋と張り合えそう。(^o^)
森山未來演じる「僕」のエプロンが“HOOTERS(フーターズ)”であることにもご注目。

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再び、ちがう意味で涙目になった本

2012年02月26日 | 映画(番外編:映画と読み物)
感極まってではなく、別の意味で涙目になった本の前回はこちら
今度は心が折れそうになった本、2冊。

気になる本を常時50冊ほど積みあげておいて、
1冊読み終わるたびに、次はどれを読もうかと悩む時間が幸せです。
この2冊は、手に取っては止め、また手に取っては止めと、
後回しにしつづけてきたのですが、ついに。

1冊目は角川ホラー文庫、貴志祐介の『天使の囀り』。
アマゾン調査プロジェクトに参加した5名は、
滞在地から離れた沢地で、オマキザル科ウアカリ属のうち、特に珍しい種の猿を発見。
人を怖がる様子もなく近づいてきたウアカリを難なく仕留めて食す。
滞在地へ戻ったところ、彼らが寄ったその沢地は「呪われた沢」と呼ばれていたらしく、
たいへんな騒ぎとなって、原住民からただちに追い出される。

さて、5名のうちのひとりだったのが作家の高梨。
彼の婚約者である精神科医の早苗は、帰国後の高梨の豹変ぶりに驚く。
死恐怖症(タナトフォビア)だった高梨が死をまったく恐れず、快活にすら見えたが、
時折「天使の囀り(さえずり)」が聞こえるとつぶやいていたかと思うと、
死に魅入られたように自殺してしまう。
ほかにも不可解な手段による自殺者が相次いで……。

500頁余りの作品で、半ばぐらいまでは「ホラー?」と首をかしげるほどです。
ところが以降はもう「助けて~」状態の涙目。
けれど先が気になってやめることができません。めちゃめちゃ面白いんだもん。

ここからかなりネタバレ。

ウアカリの肉には線虫(=寄生虫)が宿っていて、
これが脳内に侵入すると、自ら最も恐れるものによって捕食されようと行動します。
ウアカリの場合は、最も恐れる者=人間だったわけですが、
高梨の場合は死に支配され、死に捕食される=自殺という途を辿ることに。
ネコ科の動物恐怖症だった者は、サファリパークでトラの前に立ちはだかり、
喰いちぎられて死亡というように。

線虫は快楽を刺激する神経にも影響を与えるため、一時はポジティブな考え方になります。
それを利用した自己啓発セミナーも登場。
しかし、線虫に全身を冒された最終段階は、映像化不可のおぞましさ。
それでも、この恐ろしさは同著者の『黒い家』の狂気のオバハンよりはマシ。
最後に早苗が選んだ行動も、それでよかったのだと思えて、しんみり。

もう1冊は、これも角川ホラー文庫、飴村行の『粘膜蜥蜴』。
軍国主義による支配が続く戦時下の日本という設定で、3部構成。
第1部は国民学校初等科にかよう堀川真樹夫と、その同級生で病院長の息子、月ノ森雪麻呂が中心。
第2部は真樹夫の兄、美樹夫が戦地で体験する悪夢。
第3部は彼らの総出演による摩訶不思議な物語。

真樹夫が誘われて仕方なく行った雪麻呂の自宅には
死体をホルマリン漬けにしたプールがあるし、使用人は爬虫人だし、
精神に異常をきたした軍人が地下にいるし、とにかく不思議な世界。
あまりにヘンテコな世界なので、涙目になりつつも笑いました。
グロテスクな描写が多いですが、第3部の会話にはふき出してしまうものもあります。
また、第1部の謎が第2部、第3部へと移るうちに綺麗に解き明かされ、
軽妙と言えなくもない、これまた困った作品です。

アマゾンを研究分野とする知人がいて、猿を食べた話も聞いたことがあります。
それとかぶって嫌だなぁと思っていたら、
『粘膜蜥蜴』では病院長が猿の脳みそで薬をつくると噂話が出てきてゲンナリ。
毛がホワホワ見える豚なんてまだかわいいもんやと思ってしまったのでした。

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『キツツキと雨』

2012年02月23日 | 映画(か行)
『キツツキと雨』
監督:沖田修一
出演:役所広司,小栗旬,高良健吾,臼田あさ美,古舘寛治,
   森下能幸,嶋田久作,平田満,伊武雅刀,山崎努他

『南極料理人』(2009)がとってもよかった沖田修一監督の作品。
全国のシネコンで公開中。

人里離れた山間の村。
3年前に妻を亡くした木こりの克彦は、息子の浩一と二人暮らし。
浩一は定職に就かずにぶらぶら。
にわか雨が降ろうとも洗濯物の取り込みすらしない浩一に克彦はイライラするが、
最近は父親と息子の間でまともな会話ができずにいる。

ある日、克彦は立ち往生している車を見かける。
ゾンビ映画の撮影をしているというスタッフたちを克彦の車に乗せ、
撮影に合いそうな場所まで案内することに。

同乗させたスタッフのうちの一人はくるくるとよく動くが、
もう一人はひどく気弱そうなうえに、まったく動かない。
実はその気弱そうな若者こそが、動かなくても当たり前、監督の幸一だった。

なりゆきでゾンビとして出演することになった克彦は、
最初は嫌々だったものの、初めて目にする映画の撮影現場に興味を惹かれる。
やがて、現場のあれこれを率先して手伝うように。

一方の幸一といえば、起床して靴下を履こうにも、
どこかから「その色はやめとけ」と幻聴が聞こえるような精神状態。
好きな甘いものを絶てば撮影が成功すると信じようとしているが、
役者は勝手、スタッフも適当で、どうすればいいのか思い悩み……。

冒頭の克彦とスタッフの会話に、
全部言わずともわかってもらえると思うのは喋り手の傲慢だなぁと苦笑い。
けれど、『南極料理人』も然り、本作にも悪い人は一人も出てきません。

映画のことを何にもわかっちゃいない克彦に、
それとなく幸一が相談を持ちかければ、てんで見当外れなアホなことを言われる。
けれどもそれが救いとなっていたりして、
先日読み終えたばかりの伊坂幸太郎の『モダン・タイムス』に出てきた、
「楽観とは、真の精神的勇気だ」という言葉を思い出しました。

役者陣の表情がとてもいいです。
克彦(役所広司)が幸一(小栗旬)から映画のあらすじを聴くところなど、
まさに少年のように目をキラキラと輝かせる顔。
浩一(高良健吾)が予想もしなかった克彦の(親戚に向けた)一喝に唖然とする顔。
ベテラン俳優(山崎努)の痔に苦しむ顔も最高ですが、彼はさすが。
のちほどたったひと言で幸一と観客を泣かせます。

この監督の作品は、食事のシーンが相変わらず楽しい。
味付け海苔の「正しい食べ方」。見ていて嬉しくなりました。

そうです、ゾンビは走らないんです。これ以外では。

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『ドラゴン・タトゥーの女』

2012年02月20日 | 映画(た行)
『ドラゴン・タトゥーの女』(原題:The Girl with the Dragon Tattoo)
監督:デヴィッド・フィンチャー
出演:ダニエル・クレイグ,ルーニー・マーラ,クリストファー・プラマー,
   スティーヴン・バーコフ,ステラン・スカルスガルド,ロビン・ライト他

『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』(2009)のハリウッド・リメイク。
オリジナルのスウェーデン版でハマり、ハリウッド版の公開も心待ちにしていました。

あらすじはスウェーデン版と丸ごとと言っていいほど変わりがないので、
上記のリンク先(のリンク先)をご覧ください。

凝ったタイトル・シークエンスに定評があるデヴィッド・フィンチャー監督。
『ソーシャル・ネットワーク』(2010)のときもワクワクしましたが、
本作のそれはまるでミュージック・ビデオ。
オープニングのシーンを背景に出演者の名前が映し出される作品が多いなか、
本作ではトレント・レズナーとカレンOがカバーしたレッド・ツェッペリンの曲に乗せて、
なんとも邪悪なイメージの映像が流れ、掴みバッチリ。

『ぼくのエリ 200歳の少女』(2008)をリメイクした『モールス』(2010)の場合、
舞台もアメリカに移したために、しんと、凜とした冷たさが薄らいだように思いました。
オリジナルもリメイクも面白かったけれど、
あの冷たさの点でオリジナルのほうが好きだなぁって。

この『ドラゴン・タトゥーの女』は、ハリウッド・リメイクでありながら、
舞台は同じくスウェーデン、ストックホルム。
そのせいかおかげか、オリジナルと同じ冷ややかさが漂います。

オリジナルとリメイクの細々とした違いにはニヤリとしてしまいます。

まず、主人公のミカエルの娘がリメイク版では登場。
彼女は敬虔なクリスチャンで、一方のミカエルはそれをよく思っていません。
聖書が事件の鍵となる点はどちらも同じですが、
背景に宗教を強く感じさせるのはリメイク版で、ミカエルにヒントを与えるのが娘です。
オリジナル版には宗教よりももっと大きな社会問題があることを感じます。

リスベットと会うきっかけとなる状況も双方では異なります。
オリジナル版ではリスベットのほうからある仕掛けをして、ミカエルに連絡を取りました。
これも含めて、全体的にリメイク版のリスベットのほうが受動的でヤワ。
腐りきった後見人への「お仕置き」はどちらも痛快でしたが、
ひったくりに遭ったときや車の炎上シーンの彼女は、
リメイク版のほうが数段たくましくて強烈。

これもリメイク版のリスベット役、ルーニー・マーラが可愛すぎるからかと。
オリジナル版はカッコよすぎてシビレましたけれど、
ラストシーンはルーニー・マーラが演じるからこその切なさ。
これ、当然続編もあるんですよね。
でないと、この切なさをどこに持って行けばいいんでしょ。

ダニエル・クレイグのミカエル役も私にはあり。
ステラン・スカルスガルドの狸親父ぶりもなかなか。

どうしても姪のハリエットが殺されたとミスリードしたいキャッチコピーですが、
いや、死んでないって。
真相が明らかになるシーンでは、知っていたにもかかわらず、
またもや泣いている私でした。(T_T)

配給はソニー・ピクチャーズなのに、
オリジナルに忠実にアップル社製品がバンバン映っていたり、
過去を洗いだすために調べる紙媒体がオリジナル版では伝票、
リメイク版では新聞記事なんてところもおもしろい。

やっぱり原作も読みたくなり、注文したところです。

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『サラの鍵』

2012年02月17日 | 映画(さ行)
『サラの鍵』(原題:Elle s'appelait Sarah)
監督:ジル・パケ=ブランネール
出演:クリスティン・スコット・トーマス,メリュジーヌ・マヤンス,ニエル・アレストリュプ,
   エイダン・クイン,フレデリック・ピエロ,シャーロット・ポートレル他

ミニシアター系でロングラン中と言ってもよさそうなフランス作品。
ふだんは整理券のみ配布の劇場で、本作は座席を指定しています。
この平日もそこそこの客入り。

原作はタチアナ・ド・ロネのベストセラー小説。
前述の『グッド・ドクター 禁断のカルテ』でこの日のチョイスをちょっぴり後悔しましたが、
その後に本作を観て、気分が昂揚しました。

2009年のフランス、パリ。
アメリカ人の女性ジャーナリスト、ジュリアは、フランス人の夫と娘とともに暮らす。
夫が祖母から譲り受けたマレー地区のアパートへの引っ越しを検討中。

そんな折り、ジュリアはヴェル・ディヴ事件の記事を書くことに。
ヴェル・ディヴ事件とは、1942年7月16日から17日にかけて、
ナチス占領下のフランスでユダヤ人約13,000人がフランス警察に検挙され、
ヴェル・ディヴ(=屋内競輪場)に運ばれたあと、ドイツの強制収容所に送られた事件。
(この事件については『黄色い星の子供たち』(2010)をどうぞ。)
政府はこの事実をフランス史の汚点として長らく認めようとしなかったため、
ジュリアの同僚であるまだ若いフランス人たちは何も知らず、
自国がおこなったことに衝撃を受けている様子。

ふと、ジュリアの頭に疑問が生じる。
祖母がマレー地区のアパートを手に入れたのは1942年の8月。
この地区にはユダヤ人が大勢住んでいたと聞いている。
戦争中、なぜ祖母たちは急に引っ越しを?
ヴェル・ディヴ事件の直後に空室が出たというのは単なる偶然なのか。
調べるうちに、このアパートに住んでいたユダヤ人一家の娘サラのことを知り……。

物語は、2009年と1942年を交互に見せながら進みます。

当時10歳のサラは、フランス警察がアパートに押しかけたさい、
弟のミシェルに納戸の中に隠れるように言います。
これはただのかくれんぼだから、怖がらないで。
私がいいって言うまで出てきちゃ駄目よ。必ず迎えにくるから。
そのままヴェル・ディヴから強制収容所へと連れて行かれたサラは、
弟を助けに行かなきゃ、その一心で収容所を脱出します。

サラを助ければ自分の身も危うくなる。
そうわかっていながら彼女に手を差し伸べる幾人かに、
良心はきっとある、そう信じずにはいられません。

老夫婦の助けでなんとかアパートへ辿りつきますが、
弟が生きているはずもなく、凄まじい光景を目にするサラ。
それは彼女の心に一生影を落とし続けます。

サラがどこかで生きているかもしれないと考えたジュリアは、
45歳で妊娠中でありながら東奔西走。
真実を知ることでみんなが幸せになるかどうかはわからないと思いながら。

罪の償いかたって、どうすればいいのか。
独りよがりになっていることが多いでしょう。
だけど、本作を見れば、これもひとつの償いかた。
ラストには読めるシーンが待っていましたが、
そうであったがゆえに涙を誘います。

しかし、どれもこれも泣いてからに、
最近涙が一滴もこぼれなかったのは前述の作品ぐらい。(^^;

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