マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

ライスはもちろんパスタ、うどん、中華麺も美味しい宮城製粉のスパイシーカレーチキンレッグ

2025年01月20日 07時46分41秒 | カンタンオリジナル
業務スーパーにしか売っていない宮城製粉のスパイシーカレーチキンレッグ

しばらく間をあけると、じわじわ押し寄せてくるスパイシーカレーの香り、味。

さまざまなスパイス業界がいろいろな調味料を販売しているが、勝るとも劣らないスーパースパイシーさをお安く買い求めることができる宮城製粉のスパイシーカレーチキンレッグ

スパイシーなカレールウは多め、しかも身がほろほろに崩れる、皮はつるっと剥がれ食べやすい。

高齢者にも最適なチキンレッグは、2本も入って298円。

ただ、若干の骨があるにはある。

わが家も、超高齢者のおふくろに食べてもらえるよう、前もって除去している鶏骨は大骨、中骨、小骨

すぐに見つかるから調理もしやすい。

なんせ時短。

電子レンジでチン(※湯せん可)するだけでできあがるが、ご飯や麺は別途の調理は要りますが・・

ライスはもちろんパスタ、うどん麺も美味しい宮城製粉のスパイシーカレーチキンレッグ。

この日のお昼に食べたスパイシーカレーチキンレッグはライス。



カレーといえば、大好物の福神漬けを添えて。

食べて美味しい福神漬け添え。

今度、食べるときは、とろけるチーズを載せて食べたいスパイシーカレーチキンレッグ。

ライスでもえーし、茹で生中華麺でも・・

(R4. 4.16 SB805SH 撮影)

和歌山からの帰り道に立ち寄る京奈和かつらぎ西道の駅

2025年01月19日 07時48分41秒 | あれこれテイクアウト
今年も、拝見してきたJNP和歌山支部第12回写真展

奈良まで戻る距離は遠い。

遠くではあるが、高速道が完成してからは繋ぎが良くなり、時間的にも余裕が生まれた。

ただ和歌山から奈良橿原・曲川までの京奈和道路は、ずっと一車線が続く。

周りの変化はあるには、あるが眺めは一辺倒。

岩出の高速道に入る前に用をたしたスーパー松源。

住まいする大和郡山にもあるスーパー松源。

休憩兼ねて、ウロウロ探した店内に見つけた美味しい食材。



「レンジでステーキをガーリック&ペッパー味」は、数日前の6日に食べためちゃ旨食材。

その日に食べた「レンジでステーキをガーリック&ペッパー味」は、ご近所スーパーのハッスル5日で買い物


奈良県桜井市戒重に所在地する東都㈱の製造・販売する美味しい食材が、ここ和歌山の松源にも商売していたんだ。

お土産ではないが、我が家の食卓で食べたい「レンジでステーキをガーリック&ペッパー味」を見―いつけた。

疲れが出やすい帰り道。

毎日に服用している利尿剤の影響もあり1時間ももたない身体事情に度々利用させてもらっていり幹線上にあるサービスエリア。

早くももよおしてきた。

丁度いいくらい距離にある京奈和かつらぎ西道の駅に助けられる。

ココ、京奈和かつらぎ西道の駅は、口コミ数が圧倒的に多い

施設は、それほど広くなく、どちらかと云えば小さい、コンパクトな感じだが、美味しいものとか、季節や時間的にピタッとはまったときに寄れば、選び放題。

今回の入店に買った商品は、まずは第一に冷たいアイス。

この日の気温は割合に高くなった。

水分補給に家からもってきた冷たいお茶も減りっぱなし。



口の中がべっとりに選んだアイスは、森永の新モナ王。

早い話が、アイス最中。

がつがつ、ばりばり食べてすっきりした美味しい新モナ王。

滅多に買うことがない商品だが、今日は許す。

なぜかって・・・そりゃぁ300円もするんだぜ。

手造りこんにゃくよりも高値のアイス。

滅多に食えるもんでない。

お家買いは、たいがいが箱売りアイス。

5~6本入りのお安いアイス。

センタンアイスなんて、美味しいよな。

特に美味しい、と口が欲しがっているアイスは、クランチシュガーコーンマルチパック

センタンアイスの工場が、地元大和郡山にあるご近所だけに、スーパーサンデイ売りなら5本入り198円。

買い物に野菜、果物を狙っていたが午後4時では、えーもんなし。



仕方なく、といえば失礼だが、手造りこんにゃくなら家人も喜ぶ手造りこんにゃくたかちゃん蒟蒻が230円。

安くて美味しい手造りこんにゃくはさまざまな料理に使えるからいいのだ。

で、その後の18日の晩食にあがったこんにゃく料理。

たかちゃん蒟蒻をごろごろ形。

牛蒡に牛肉とともに炒めたこんにゃくがめっちゃ旨いねん。



市販売りのこんにゃくよりも、一層旨い自家製こんにゃく。

歯ごたえは跳ねないこんにゃく。

ずり、ぐり感触がなんとも言えない旨さ。

地産地消店で求めるこんにゃくは、角が尖っている成形こんにゃくは避け、角が丸いごろごろタイプに手が動く。

尤も、調理は味がしみやすい手でちぎった方が旨くなる。

(R4. 4.13、18 SB805SH 撮影)

和歌山入りに買っていたローソン岩出・S&B食品のにんにく背脂

2025年01月18日 07時50分47秒 | あれこれテイクアウト
JNP和歌山支部第12回写真展を拝見に、奈良から京奈和道路を走ってきた。

高速道を抜けて下りた和歌山の岩出。

一つ目の信号に近い岩出店のローソンにトイレを借りたお礼に買った美味しい、ラーメンつくりに使いたいS&B食品が販売している瓶詰め所品がにんにく背脂。



えー、思わずのけぞった商品が、コンビニエンスストアで見るとは・・・

1瓶が350円のにんにく背脂はレジ支払い。

熱いラーメンたっぷり入れて食べたい逸品。

ときには、味の薄いカップ麺にでも使えるS&B食品のにんにく背脂


その後は、もっと安く。

業務スーパーにも見るようになった商品

売れすぎ、良好らしい。

(R4. 4.13 SB805SH 撮影)

盛り上がり、繁盛、評判高い鶏のから揚げ専門店は・・

2025年01月17日 08時00分52秒 | あれこれテイクアウト
家でつくって食べている好物の一つに挙げられるメニューは、鶏のから揚げ。

タルタルソースもかけて食べると美味しいから揚げ。

かつてはダイコンおろしにポン酢かけも。

たまには、そういう味で、また食べたいと思っているんだが、炊事場で揚げていた鶏のから揚げの香りが、その思いを打ち消して冷蔵庫から取り出す容器は、甘酢生姜。

回転寿司屋に行けばガリであるが、とにかく酒の肴にもなる甘酢生姜が断然に美味しい。

適量だから回転寿司屋でも、お腹のちょい足しに注文することがあるから揚げ盛り。

マオネーズも添えてくれているが、私はさらに食べたくなる甘酢生姜添え。

ラーメンチェーンて店でも、あれば食べてしまう美味しい鶏のから揚げ。

残念ながら、ラーメン店では、どこもかしこも必ず添えるのは、マヨネーズと千切りキャベツ切り・・

お家でも食べるし、外食機会にも食べてきた美味しい鶏のから揚げ。

町中を走っていると、ときおり目に飛び込むから揚げ専門店。

品物と価格調査に立ち寄った天理市別所町の四ツ辻信号。

プライスカット天理北店から見たら信号の北西に、また店舗が新しくなった。

ときおり食べていためちゃ旨い横浜家系ラーメン店の一蓮家。

私にとっては、激辛ラーメンを食べた令和2年7月21日を最後に、しばらくしたら閉店になっていた。

もっと味わいたかった横浜家系一蓮家は、もうない。

食べたくなれば大阪・兵庫まで足を運ばなあかん。

その跡地に入った店舗はラーメン店ではなく、なんとテイクアウト専用鶏のから揚げ店舗。

店名は、その名もから揚げ専門店の「あげよし」


揚げて、佳しであろう。

右隣りも合わせて出店した店舗は、フルーツサンド専門店の「果実堂」。

から揚げ専門店は、他府県出身のから揚げ店が、あちこちに出店開き。

大分県がいちばんに多いが・・・・

うち一店舗が進出し大和郡山市筒井町の信号の角地。

狭こい店舗で揚げては売るテイクアウト専門店の中津しょうゆから揚げ専門店の「鶏笑」


2回の入店に2回も食べた鶏のから揚げは、まぁ美味しいが、その大きさと価格帯で断念した。

その後、しばらくしたら閉店になっていた。

大和郡山には、山田町に近い矢田町にもから揚げ専門店があったが、消えた。

一度も、買わずのうちに消えた。

住宅、道路事情など周囲の環境からみても立地した店舗は繁盛と、までいかないまま消えた。

本日、拝見した「あげよし」のメニューの幟。



単品買いより、から揚げ弁当なら・・という考えが立ち上がる。

ここの道路事情は、えーと思うが、気がついたときは、すでに信号を通りこしてしまう。

言ってみれば、死角。駐車場にバンバン立てる幟は目立ってしかたないくらいに本数増やすのも佳しと私は判断したが・・・・

ネットで調べにみた閉店した横浜家系一蓮家のHPに、なんと、から揚げ専門店あげよしがあるではないか。

一蓮家からの業転出店やん。

(R4. 4.12 SB805SH 撮影)

山添広瀬・西方寺の花まつりに出会った水と火の暮らし道具

2025年01月16日 07時27分39秒 | 民俗あれこれ
山添広瀬・西方寺の花まつりに地元民が調理し売っていたひろせ名物のさいら寿司(※秋刀魚のひらき)を拝見していた

それは、それは、美味しい郷土料理。

祭りになれば、各家で仕入れ、焼いて食べていたひろせ名物のさいら寿司。

蝶理していた方たちからお話を聞かせていただいた。

後の時間に取材は入っていないが、もう少し経てばお昼の時間帯。

つくりたてのさいら寿司を買っても、今は食べずに帰ってからだ。

若干、心もちの時間を活用して探してみる広瀬の民俗。

ぶらぶら、ふらりと見ていく西方寺の花まつりは、村の一大イベント。

ショーイベントが連続する午後3時までの滞在に集中する余裕はない。

うろうろしていた際に見つかった道具は大型装置。



見た目でわかった装置は、火防対応に消火する装置。

手前に置いていた装置は、消防ホースを積載している移動用の台車。

真っ赤な色を塗った消防道具。

牽引具があるから、消防自動車が要る。

奥に見える道具も消防装置。



手押しポンプを搭載したこれもまた移動用に台車がある。

型式はわからないが、年代もんだろう。

だが、金属製となれば、比較的に新しい年代だと推定した装置。

埃が付着している状態だから、たぶんに引退した消防ポンプと消防ホースの一体もん。

そういえば、ここ広瀬の火の見櫓は、ここからでも見える道路の向こうに建つ。

村の消防団施設が目の前に建っている。

置き場がなくて、ここは「ブックカフェひろせ」。広瀬幼稚園が廃され、遺した校舎に据えていた消防装置は、子どもたちの学びにもなる村文化財。

大切な文化財である。

これまでの調査から、ポンプ消防装置はいくつかの村々が保存していることがわかっている。

保管場所は、神社や寺院にしている場合もあれば、個人が所有する自宅保存もある。

実は、つい最近の取材で判明した地域もある。

ふり返りながら揚げていく手押しポンプ消防装置を保管している県内外の地域を列挙する。

まずは、奈良県北部により近い京都府南部地域の一例。

都府木津川市加茂町銭司・春日神社の木製手押しポンプ消防装置は吊るし保存

明治廿一年九月寄贈の龍吐水(※りゅうどすい)は、消防ポンプに放水口もある美品の逸品。

奈良の龍吐水事例も比較に、ここにリンクしておく。

一つは、明治十一年(1878)~明治二十年に製造された奈良県山添村・切幡(きりはた)の木製龍吐水は、寺本堂の裏に吊るして保存していた。

二つ目の事例は、桜井市・小夫(※おぅぶ)の龍吐水は、元庄屋家の井戸近くに吊るし保存していた木製手押し消防ポンプ

銭司・春日神社の消防ポンプ同様の、美麗な放水口があることから、同年代の製造であろう。

三つ目の事例もまた、宇陀市・榛原の柳の元庄屋家に吊るし保存している龍吐水であるが、製造年代は江戸時代。

なんと、嘉永二年(1848)製
には驚いたものだ。

四つ目の事例は、奈良市東部・上誓多林(かみせたりん)もまた、江戸時代に製造された木製の龍吐水

こもまた、元庄屋であろう。

玄関入口の真上から吊るし保存している龍吐水は、安政五年(1858)製。

それぞれの龍吐水は、暮らしの民俗遺産。

大切な遺産は、奈良県内にそれほど多くない。

「一説によれば、享保年間(1716~36)にオランダから渡来したとも、また、宝暦四年(1754)年に長崎で、オランダの技術者の指導で造られたとの説もある」、と東京消防庁が伝えるHPに記載している。

なお、同HPに「龍吐水は、江戸時代中ごろから明治10年代にかけて使用されてきましたが、明治17年(1884)年末に、国産の手押しポンプが量産されたことに伴って、廃止されることに」なった、とある。

また、金属製の手動消防ポンプも拝見したことがある。

場所は、奈良高取町・佐田の春日神社の拝所に保存。

元々は、消防団の倉庫に収納していたが手狭になったことから、場を移した


金属だけに重量感がある手動手押し消防ポンプには製造関係を示す銘鈑プレートは外れて落下したのか、拝所地面に埋もれており、判読不明。

年代は不明だが、あくまで推定であるが、戦前~戦後であろうか。

ただ、車体側面に墨書文字があった。

「第七ヵ八〇師 専賣特許 大阪北區中之島裏橋北詰東 製鐵所阿堅商店 電話長一〇六八番」であった。

おそらく大量生産のポンプでなく、専賣特許の手造りであろう。

場には、ポンプを乗せていたであろう、と思える車輪など解体木造台車もあった。

ネット調べに見つかった、ほぼ同類に近い型の金属製の手押し消防ポンプ。

埼玉県春日部市の施設郷土資料館に保存されている「腕用ポンプ」に、さも似たりの「内出町自警団」ポンプ
である。

さらに、ネットをぐぐった中に、茨城新聞ニュース動画が見つかった。

大きな車輪を装備した台車に載せて登場した腕ポンプに目を奪われた。

動画コメントによれば「60年ほど前まで消火作業で活躍した手動の腕用ポンプ。茨城県笠間市赤坂の大池公園で開かれた笠間市消防出初め式にお披露目。同市大古山地区の旧消防団詰め所に眠っていた腕用ポンプは、100年以上前の明治時代に作られ、1955年過ぎまで使われた可能性がある」と
・・・

ほぼ同型と判断するならば、高取町佐田に遺されていた金属製の手押し消防ポンプも、また明治時代まで遡る時代もん。

「大字廣瀬 消防組」の消防ポンプも、おそらく同時代とも考えられる。

いずれも大切に保存されるようお願いしたいものだ。

さて、西方寺の花まつり・村の一大イベントフェアに話題を戻そう。

なにげに目に入った鉄製の道具がある。

これとまったく同じ形態道具を見たことがある。



実は、前月の3月31日に訪れた奈良県大淀町にある施設。

今木が在所の今木社会法人ひまわりわかば直売所で販売していた「ロケットストーブ」
とそっくり。

四角い筒が上方に一本。右上角度に向けた一本。

倒れないように、土台は幅広くとった脚がある構造。

ひまわりわかば直売所売り場に見たのとほぼ同じような構造。

直売所で売っていた製品名が「ロケットストーブ」。

傍におられた女性は、これはそんなのと違いまして・・・と、いう。



この装置の撮り位置を変え、斜め前から見て、この道具の役割が見えた。

そう、今からはじまるショータイムは、演武ショー。



侍姿の後ろに張った白い布。中央に「武」の文字が見える。

衣装は侍の方もおられるし、忍者姿の方も・・・

ショータイムプログラムにあった「リー村山さんによる抜刀ショー」

そうか、この見たこともない道具に挿していた藁束は、居合切りの抜刀ショーに用いられる道具だったんだ。

なるほど、と頷いたが、「ロケットストーブ」は、専らの用途はアウトドア。

電気もガスもいらない暖房器具として、アウトドアシーンで人気の“ロケットストーブ”。

温かいだけでなく、加熱調理器として煮炊きにも使える道具。

また、非常用の防災グッズとしても注目されている道具
・・

垂直に据えている四角い筒も、斜めの筒も煙突の役目。

その煙突の効果を活かした“ロケットストーブ”は、少ない燃料で高火力の火を生み出せるギア(※装置)。

ヒートライザーという煙突状の排気管と、バーントンネルという燃焼管からなる、実にシンプルな構造。

薪や小枝などが燃料。

キャンプ場や野外にあるもので火を起こせることから、非常用のギア(※装置)としても威力が発揮できる。

(R4. 4. 9 SB805SH 撮影)

山添広瀬・西方寺の花まつりに広瀬郷土料理のサイラのひらき寿司を知る

2025年01月15日 07時49分48秒 | 大和の郷土料理
山添広瀬・西方寺の花まつりに撮影日を間違え、前日にこの日も来ていた写真家のSさんが、声をかけてくれた。

それは、「ひろせ名物のさいら寿司(※秋刀魚のひらき)」だ、という。



云われてはじめて気づくサイラの開き(頭・胴・尾の三つ切り)。



家庭用のホットプレートで鉄板焼きをしていた。



焼いたサイラの開きに酢飯仕立ての俵型のおにぎりをセットしたメニューは600円。

このフェアに使えるチケット売りで購買する。



秋祭りなどがあるときに焼いて食べていたサイラ寿司を“広瀬寿司”と、いうからややこしい。

にぎり寿司を販売しているワケではなく、売り場がここ広瀬だから、広瀬の地で売るサイラの開き。



ちなみに、サイラの開きは、吉野町小名でも聞いたことがある脂ののった焼き魚。

そう、サイラは、秋刀魚のことであるが、山添村室津ではカマスの開きをサイラと呼んでいたことを思い出した。



また、天理市の檜垣町もさんまをサイラの開きであった。

和歌山県から奈良県・東吉野村経由で運ばれたサイラの開き。

おそらく行商人が運んでいた、と推定した。

和歌山の方言に「サイラ或いはサエラ」がある。

例文使用に「おかずはサイラの開きしかないんやけど、そんでええか?(※おかずにサンマの開きしかないが、それでいいか?) 今晩、サイラの塩焼きすら(※夕飯は、秋刀魚の塩焼きにする)」、とある。

秋刀魚やカマスの魚を腹開き処理した“サイラの開き“は、方言とともに運ばれた行商人がもたらす、物流の民俗の一例であろう。


広瀬は、これら3カ所から、より離れた地域。



サイラの開きは、どこから来たのだろうか。

民俗調査に、またひとつ増えた。



かつては、家でもつくって食べていたが、今ではつくることもなく・・・と、話してくれた。

だが、サイラの開きを焼いていた高齢女性は、今でもそのときおりにしている、という。

焼きあがったサイラの開きを袋入れしていたKMさんもまたお話してくださる。

ここ名張川は、かつて鮎がよく捕れた川だった。

そういえば、鮎釣り名人らの姿は見なくなった。

云十年も前に訪れた名張川。

上流地に流れる青連寺川。

川沿いの道路をドライブ。

季節は秋だったが・・綺麗な川の流れ
に沿ってたどり着いた広瀬辺り。

釣り人の姿は数人。

それは落ち鮎狙いだったかもしれない。

当時、カメラを所有していない時代。

家族同乗の紅葉狩り観光を楽しんでいた記憶がある。

その名張川に鮎の姿が・・・

年々減ってきたから、仕方なく大和郡山にある奈良県中央卸売市場に求めたサイラの干物。

それらを仕入れて焼いている、と・・・

サイラの寿司売り場に並んでいたKBさんに伺った。

鮎の生息が徐々に変化、釣りにかかる漁は減り、この先は乏しくなる、と判断された。

子どものころから口にしていたというKMさんは、昭和24年生まれ。

サイラの寿司を復活しよう、と・・・

サイラの開きよりも安い鰯に移り変わった。

今では鰯も秋刀魚も少なくなったからどちらも高額になった。

そのイワシは酢漬け処理をして食べていた。

酢漬けのイワシは、大阪の箱寿司のような木型に詰めてつくる押し寿司。

小鯛鮨をつくるのと同じようにして食べた酢漬けも美味しかった、という。

11月3日の祭りにもてなすイワシの酢漬け。

サイラの寿司も祭りに食べる。

昔から食べていたという広瀬の郷土料理だった。

焼いていた高齢女性は、今でも家でつくって食べているというから、機会があれば、是非取材したいものだ。



帰宅に持ち帰ったひろせ名物のさいら寿司(※秋刀魚のひらき)。

かーさんに一つ。脂がのた開きの秋刀魚にすし飯おにぎりが、えー味している、と・・

同様に食べた私もぱくぱく食べた郷土料理が旨い。

かつて広瀬に富士講と大峰山上講があった。

KMさんが高校4年生のとき、男になるといわれて連れて行ってもらった大峰山上講。

山から降りて一週間後に、今度は富士講のお誘い。

村にあった山添文庫が企画実施していた富士山登山。

広瀬では男の子が生まれた親は、大きくなったら山上講や富士講に参加できるよう資金を積み立てていたそうだ。

また、広瀬も両親が揃っていたらサシサバ(※またはトビウオ)をしていた。

食べたら、とてもしょっぱかったことを覚えている盆の行事だった。

名張川で捕れた鮎は刺身で食べていた。

頭から食べていたという鮎。

名張川の鮎は、広瀬に魚影は見られない、と云われたが、最近のネット情報によれば、釣果を得ている人たちもいる、と中日新聞社が取り上げていた

また、オトリ券を発行する山添村・波多野漁協管内には8地区におよぶ

(R4. 4. 9 EOS7D/SB805SH 撮影)

山添広瀬・西方寺の花まつりにまさかの奇遇繋がりに、ご縁はさらに・・

2025年01月14日 07時55分36秒 | 山添村へ
3日に訪れた毛原に住むFさんが伝えてくれた山添村広瀬の西方寺の花まつり。

初めて立ち寄った広瀬の地。

13年前の平成22年。

ずいぶん前になるなぁ、と独り事。

下見がてらにたどり着いた広瀬。

その日は4月8日だった。

広瀬の花まつりは4月8日とわかったが、当時の状況でいえば中断中


出会った方の話によれば「十数年前、花まつりの舞台は、西方寺から保育園に移っていた。それもいつしか統廃合し、保育園は廃園になった。つまり舞台がなければ、花まつりは実行できない。広瀬に早くも少子化の波が・・・。子どもがいない広瀬にスクールバスは通ることない。
広瀬の山の上。スクールバスが走る県道80号線まで、自家用車に子どもを乗せて、バスに乗車。ここ広瀬で暮らすには、車がいる。生活に必要な足が車。年寄りでも車に乗らないと生活は難しい・・」と、話してくれた西迎寺観音講・講中のIさん。

かつて同一日の8日は、子ども涅槃もしていた、と・・・

その花まつりの現在は、西方寺の花まつりを主題に村の一大イベント行事に移っていた。



西方寺・本尊に国指定の重要文化財がある。

鎌倉時代の仏師・快慶作の仏像
木造阿弥陀如来立像(※座高98.5cm)が指定文化財とあり、現在は頑丈に建築された収蔵庫に収めている



ネット「いこ~よ」、nomuten氏が参拝記事を執筆した「ホトカミ」および浦野英孝氏が運営する「奈良観光」が紹介している西方寺・本尊の木造阿弥陀如来立像は「元々は伊賀の地にある天台真盛宗“九品寺”の末寺。記録によれば、貞観三年(861))に、清和天皇の病気平癒のために再建された西方寺。当時は27人の尼僧が安住した、と西方寺過去帖に記されているようだ。現在は収蔵庫のみが、広瀬小学校の校地に建っており、鎌倉時代の仏師、快慶の作、本尊の木造阿弥陀如来立像を安置、所蔵している国の重要文化財・・(※一部の文を補正した)。現在の設置場は、元は廃広瀬小学校、移転後に広瀬幼稚園(保育園とも)にしたが、それも廃園に。その跡地に建てた西方寺・収蔵庫」と・・・

なお、nomuten氏があげた参拝記事に「大和の国から伊勢街道へ出る路の傍らに小さなお堂を作った。その後、清和天皇病気平癒祈願の護摩法要を行ったところ見事に治癒し、861年に七堂伽藍を創建。後の1495年に真盛上人に帰依し、天台真盛宗となり、尼僧が・・云々」とある。

拝観(※有料)するには、水・土日祝日に午前10~午後3時まで営業している最寄りの「ブックカフェひろせ(廃幼稚園校舎を再利用)」にお尋ね願いたい

この記事を書いていて気付いた寺院。

えっ、まさか・・・・・驚きを隠せない。

私は分家であるが、本家筋のご先祖は伊賀に生まれ、代々を継いできた。本家とともに墓参りしていた寺院は、なんと伊賀上野の守田(現伊賀市)に在地する。

「寺伝によれば、奈良天平年間、聖武天皇の詔命により、行基菩薩がこの地に49院を建立したのが当寺の由歴で、その後、大同二年(807)に、巖如(げんにょ)上人が、その本坊跡地に弘法大師の霊場のひとつを建立して中央山蓮台寺と名付けた、とされる。さらに、時代変遷のうちに荒廃を極めた明応年間(1491年ころ)に、天台宗の高僧の慈接(じしょう)大師真盛(しんせい)上人が、伊賀の地を訪れた折りに、当地に念仏道場を再建し、寺号を改め天台宗袖合山九品寺と称した。その後の明治11年に天台宗真盛派として分派、さらに昭和21年に天台真盛宗とし、今日に至る(※ブログ「伊賀へいらっしゃい」より引用、若干補正した)」

遡ること、平成27年11月12日。

私の祖母、おおばあさんの兄の娘。

慕っていた叔母のふーちゃんが逝去し、その日の四十九日満中陰法要に参列していた九品寺。

本家並びに、先祖代々が眠る墓石がある三重県伊賀市守田にある天台真盛宗袖合山九品寺


その日、親族らとともに調べた古い墓石年代の刻印。

判読できた暦年は、すべてが江戸時代。

わりあい明確だった年号は文化元年(1804)、天保二年辛卯(1831)、寛政六年(1794)、宝暦五年亥(1755)である。他にも文化、文政(1818~)に天明年間(1789~)もある。宝暦五年の墓石が先祖代々の最古のようだった。

まさかの展開である。

山添広瀬・西方寺は九品寺の末寺。今まさに西方寺の花まつりに参拝していた。

寺縁が結ばれていたわけだ。

可能性はないかもしれないが、先祖代々のどなたかが関連しているかもしれない。

そんなありがたい広瀬・西方寺の花まつり村イベントの主催は、前述した最寄りの「ブックカフェひろせ」

村の人たちが運営している施設。

村在住の方もFBで伝える村のイベントは、協力・販売に地元野菜トラック市場に生ビール・ソフトドリンク、おやき・たこ焼きに山添村観光協会も。

日曜日のつもりだったが、土曜日開催に気づいても、午前10時から行われる法要は間に合わない。



だが、花まつりだけに、甘茶かけもしていると思われたから、午後3時までのイベントに久しぶりに訪れた広瀬。

ちなみにお花まつりに欠かせない甘茶かけ。



お釈迦さまがお誕生された4月8日に祝う仏教行事。

生まれたばかりのお釈迦さまが、7歩歩き、右手で天を、左手で地面を指さしながらおっしゃった、とされる天上天下唯我独尊の姿に甘茶かけ。



そのお姿をご寄贈してくださった前西方寺住職の名も記している。

寄贈日は、まさにこの年の令和4年。4月吉日であった。



さて、児童公園に集まった人、人、人でうまる。



これよりはじまるショータイム。



大正琴の演奏、川本三栄子演歌ショー、エイサー踊りにリー村山&武魂忍者ショーに盛り上がる。



階段下に停めてあった軽トラに村の女性たち3人が売り子をしていた。



山菜わらびにタラの芽がいずれも1セットが100円だけに買い求めた。



ところで、陸海苔(※オカノリ)のことを聞いてみたが、さぁ聞いたことがないから知らない、という。

ご婦人たちがいうには。私らはオカヒジキにオカワカメは、知っているがオカノリなんてものは聴いたことがないなぁ

今年は、特に筍が不作らしい。

ここはフクマルとか山の神も拝見した広瀬ですよね、と伝えたら、フクマルは知らんけど・・・に、えっ。

そうそう、広瀬の呼び名はフクマイリだった

そう話してくれた男性はあとでわかったが、昭和24年生まれのKTさん。

そのKTさんがいうには、大和郡山市に知り合いが居る、と・・・

大和郡山市内にあるリフォーム会社のスターマイン。

会長のやじさんは、よく存じている、という。

事業所は、我が家から歩いて10分ほどの距離。

ご縁は、たしか我が家の小さな、小さなリフォームをお願いした。

ソレは、玄関ドアだけのリフォーム。

かーさんの思いに、やや高めの云十万円のドアに取り換えた。

まさか、ここ広瀬に出会うとは・・・・奇遇な。

(R4. 4. 9 EOS7D/SB805SH 撮影)

今年も美味しくいただいた葉たまの季節は終焉を迎えた

2025年01月13日 07時49分51秒 | カンタンオリジナル
葉たまねぎが売り場に見られなくなるのは、ほんに寂しい。

地産地消、地元産の売り場にしか見ない葉たまねぎ。

早いときは、年末に見ることもあるが、それはよほどのこと。

1月もまだ早い。

待つほどに食べたくなる葉たまねぎ。

だいたいが、2月から3月間の季節限定の野菜。

季節が突然に終わってしまう年もある。

ありがたいことに、4月に食べられたら、そりゃ嬉しいことよ。

我が家で食べる葉たまは、すき焼きを筆頭に、ポトフなどの鍋もの。

炒め物に揚げ物。

焼きそばラーメン、チジミ焼きなどのB級グルメに、煮もの、汁もの、おひたし、ぬた和え物・・・

かーさんの好みでしょうか、玉子とじ煮物料理が、圧倒的に多いテッパン料理。

もう、なんべんも食べてきたから、画像も食べた記録もない。

で、ラスト季節になった4月に食べた葉たま料理を揚げておく。

2日の晩食に配膳してくれた葉たま料理は、葉たまとしめじの炒め物。



これだけでもうまいんのに、ふっと頭によぎった香味のにんにくチューブ。

混ぜて、まぜて食べたら、めっちゃ旨いやん。



そして季節の最後に食べたテッパン料理の葉たまの玉子とじ煮が旨いんだよなぁ。

(R4. 4. 2、 6 SB805SH 撮影)

肉の河内屋富雄中町店売り切り落とし国産豚肉で調理したニラ和え台湾豚肉そぼろ

2025年01月12日 07時47分18秒 | カンタンオリジナル
気がついたときは、すでに営業していた肉屋さん。

富雄から南へ走る。

富雄川沿いに走る、と急に現れる2車線が1車線になる場がある。

しかも急なカーブに、土地の状況を知らないドライバーがまっすぐ突っ込んだら、それは、それは・・・まず間違いなく事故に・・。

昼間でも飛ばすドライバーがいる。

前後に走っている車が、そんなんであればロースピードに落とす。

大阪から転居した大和郡山市。

富雄川沿いの道は、生活道路。

最近は、少なくなったが、季節問わずラッパの音が聞こえてくる。

就寝していた夜中の時間帯がいちばん多かった記憶がある。

転居した当初は、ゲロゲロ鳴く蛙の合唱団を聞いていた。

風の流れから、東方面から聞こえてくる音は近鉄電車。

稀に聞こえてくる梵鐘の音色。

いい環境に越してきてよかった、と今も思う。

さらに変化があったのが、富雄川沿いに、あれよこれよ、という間に営業している店舗は益々増えてきた。

その一つが肉屋さん。

急カーブに信号がある。

その場所を示す「霊山寺前」信号。

速度が上がる新道ができる前は、富雄川に沿ってだったから緩やかなカーブだった
が・・・

その信号北側で営業がはじまった肉屋さんは「肉の河内屋」富雄中町店

オープンしたときの映像が記録されている。

一介の肉屋さんに大行列があったんだ。

富雄からの帰り道に気がついた幟の数々。

毎週金曜日は、特別サービス。

一度は、入店してみるか。

お気に入りのお肉があれば、買ってみよう。

特価に見つけた切り落としの国産豚肉。

わが家ではいちばんよく使う国産豚肉。

かーさんは、牛肉も豚肉も国産しか食べない。



100gあたりが、なんと78円。

そんなワケもあって、買ってきた切り落としの国産豚肉。

冷凍保存してから一週間目の8日に調理したニラ和え台湾豚肉そぼろ。

もちろん、味付けはS&B町中華シーズニングシリーズ・名店の裏メニュー街中華台湾肉そぼろ



切り落とし国産豚の脂身が気に入った。

甘くて美味しい脂身であるが、産地は見えない。

(R4. 4. 1、 8 SB805SH 撮影)

数年ぶりに顔を合わせて食事する家族3人の晩食

2025年01月11日 07時50分40秒 | あれこれテイクアウト
前夜に帰国した次男と久しぶりに味わう我が家の晩食。

買い物に出かけていたかーさん。

いつものスーパーマツゲンに美味しい総菜があったから買ってきた、という。

大きなシュウマイがそれだ。

一方、私は民俗取材の帰りに立ち寄ったスーパートライアルで買ってきた2品。

一つは、今じゃどこのスーパーでも、冷凍食品にでも超メジャーになった大分の鶏天。

もう一つは、珍しい、というか、まさに珍味な総菜はイカの口ネギ焼。

どれも、今夜にいただく美味しいテイクアウト商品。

スーパーマツゲンが売り出ししていた大きなシュウマイは、温かいうちに食べてもらおうと、温野菜専用の道具を使用した蒸調理。

熱くてほくほくになった大きなシュウマイが旨い。

噛んでわかる、中から溢れる肉汁。

そのままでも美味しいが、私はシュウマイと、いえばからし添え。

旨味シュウマイに刺激を求めるからし添え。

そりゃぁ、美味いに決まっとる。



炒めた野菜を添えて皿に盛ったイカの口ネギ焼。

イカの口はコリコリ。

その食感を愉しむイカの口ネギ焼。

味は味噌焼きだけど、はっきり、云ってこれは酒のおつまみじゃね。



もう一品が、これも野菜炒を添えて皿に盛った大分の鶏天。

姿、形の見立てはナゲットのような・・・。

頭の中に認識したナゲット感は、まったくなくほんまの鶏天。

正直、美味いやん。

ガツガツ食べた大分の鶏天。

もちろん、これだけのおかずなら腹ペコ状態の次男。

炊事場に立って、ちゃちゃっと調理した手料理。

あるものの食材で調理するから、何になるのかは彼のおまかせ。

(R4. 4. 9 SB805SH 撮影)