マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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大柳生太鼓踊り

2005年08月23日 01時42分30秒 | 奈良市(東部)へ
奈良市大柳生の太鼓踊りは江戸時代始めに流行した風流芸能のひとつで、もともとは田楽などの系統芸能と考えられています。

大きく枝が開いた造花の飾りを背中に着けて、胸の前に下げた「カッコ」と呼ばれる太鼓を叩きながら踊る、優雅で勇壮な踊りで、県の無形民俗文化財に指定されています。

始めにひと踊りをした後、地区の代表によって口上が読み上げられます。

「謹んで太鼓踊りの奉納の由来を申し上げる。・・・さぁー踊り子一同、ご用意なされぇーそうろうや。」大太鼓の合図で「大ジュンヤク」踊りが始まります。

「シナイ」飾りを背負った八人の踊り子は中踊りとよばれます。

背中の「シナイ」は紙で作った花飾りとヒノキをうすく削って作った房がつけられています。

背中に大きな御幣をつけた大太鼓打ちは4人の少年たちが担当します。

踊り子の近くにいる「サイハイ」を振る羽織の人たちは師匠と呼ばれ、拍子役を務めます。

「大ジュンヤク」を踊った後、「ダイゼンオドリ」「シノビオドリ」と続きます。

こららの踊りは「タンカ」とよばれ、説話や当時流行した歴史物語、風俗ものの内容が盛り込まれ節を付けたものです。

当家宅の中で白い装束を着た方は「明神(みょうじん)」さんです。

地元の夜支布(やぎゅう)山口神社の分霊である回り明神を一年間お祀りする当家の方です。

太鼓踊りは回り明神さんに見えるように、庭先で奉納されるもので約1時間ほど行なわれます。

太鼓踊りは雨乞いを祈願するものですが、大柳生では戦いの出陣、凱旋の踊りと考えられています。

太鼓踊りを終えると盆踊りが始まります。

昔は地区の若い人たちが勝ち抜き戦で相撲をとっていたそうです。
(H17.8.17撮影)