大和の民俗写真展に協力いただいた方たちは、たくさんおられる。
県内を何か所ごとにくくりをして出かける回数を、極力無駄のしないように、コースを決めて、村のあちこちに出没する巡拝みたいな、ようなお礼参り。
今日のコースは、山添村。
毛原に下笠間、大塩、切幡から旧都祁村に移動するが、都合で順替えすることもあろう。
大和の民俗写真展とは、平成23年10月29日からはじまった「私がとらえた大和の民俗」写真展。
当事業は奈良・大和郡山市に所在する奈良県立民俗博物館が主催事業の写真展。
奈良の民俗文化を写真でとらえる写真家さんたちの作品を展示する事業。
10回目のテーマは、コロナ禍でもあり、写真展事業から撤退を告げられ、最後の展示になった各自が掲げたフリーテーマ出展。
私は、〆に考えたコロナ禍における記録、としてテーマに掲げた我が家の介護にその時季にも、しなければならない民俗の行事・風習記録取材を主に、映像化したテーマを3枚組で表現した「コロナ禍、そのときのT家・・」
3枚組のうち2枚がおふくろの介護。
うち1枚のサブテーマが「看る」。
もう1枚がコロナ禍に外食ができなかったときに註文した食事は「通販もテイクアウト」。
そして3枚目が、すべてが民俗の行事・風習記録から、地域ごと選んだサブテーマが、コロナ禍「で、あっても、なかっても・・」しなきゃならない、習俗がある。
神社行事に地域の行事。
そして暮らしの民家にも・・
すべて、コロナ禍時期に収録した、各地域の一枚。
その数、27行事。
貴重な記録ばかりの写真を、一枚のプリントにすべてを掲載したロナ禍「で、あっても、なかっても・・」。
そのテーマ映像に、ご協力をいただいた方たちを訪ね歩き。尤も、訪問の足は軽バン車。
見慣れている人たちもいる。
午前9時10分前。
お逢いする時間帯の隙間に見ていた毛原の風情。
今日は朝からシトシト降る雨の日。
畑の向こうに見えた霞む桜樹。
時間待ちに見ていた景観の一枚。
1軒目に訪ねた行先は、山添村毛原。
お世話になったFさんに、Nさん。
載せた毛原の行事は、桃の節句に、御石洗い。
Nさんは、忙しく外出中につき不在。
母親に代理人として10回目の「私がとらえた大和の民俗」写真展図録を献本した。
Fさんは、息子さんの引っ越しに出かける直前に逢えたので、図録を献本した。
ちょっとの時間差で、たまたまお逢いできた。
今日の毛原、午後4時からはじまる神武さんの祭典には帰路に就いているだろう。
時間的に心の余裕ができたんか、ふと行きたくなった隣村の岩屋。
初めて通った急坂の山道。
おっ、とこれは見逃せないと、雨降りもようの外気は冷たい。
急坂に植えられた桜樹も、いい雰囲気だ。
トンドでは、と思える痕跡もある地域の風情に佇んでいた。
ここまで来たなら、見逃せない場がある。
ここは岩屋の中出。
急坂に広地。
葉付きの竹で囲った中央に大きな岩がある。
ご神体と推定できる、ここは下出の山の神の地である。
正月七日に行われる山の神。
現在は、その日を清掃の日とし、クラタテなど、山の神に捧げる供物揚げも、別途の日にされる。
なお、岩屋の山の神の場は5カ所。
予め確認しておきたい地域である。
プラバケツに、石がごろごろ入っている。
岩屋は、他の地域と違って、水平に据えた芝垣の形態にしたカギ。
その芝垣に吊る藁つくりタワラの中に入れる小石、である。
短時間に見て回った岩屋を離れ、再び訪れた毛原。
そうそう、忘れてはならないF・Sさんにもお礼に立ち寄った。
毛原の第一歩にお逢いしたF・Sさん。
まあ、上がってと、通された談話室での会話は、すべてが暮らしの民俗。
話題が沸騰し、なんと2時間も滞在してしまった。
お昼の時間だけに、ストップをかけて、旧都祁村に尤も近いエリアにある素食事処を目指す。
針テラスで、といえばどなたもわかる餃子の王将針インター店。
食事を済ませた、次の行先は、奈良市都祁白石。
白石の信号の角地で営業している辻村商店。
お商売につくったサシサバ。
貴重な映像を撮らせてもらった。
献本の図録は、店主のTさんに提供した。
いつもなら奥さんもおられるが、今日は講の寄合に不在だった。
帰りがけにもらった塩漬けの紅鮭に、いつもありがとう。
次の行先は、再び山添村入り。
白石からは、そんなに遠くない。山添村・下笠間に向かう。
訪問したお家は、F家。
当主のKさんは村葬儀の出席のため不在。
娘さんに手渡した図録を預かってもらった。
ところで撮らせてもらった門屋下に干していたどんこ椎茸。
なんぼほどあるのか、あまりの多さに圧倒されていた。
ただ、その迫力さをお届けするには至っていない。
うーん、難しい被写体に手をこまねき、茫然状態。
まだまだ腕が足らん。
次の行先は、同山添村の大塩。
なにかとお世話になっているY家を訪れる。
ここ大塩にきたら、必ずや見ておきたい風の祈祷札。
墨書に見る文字は「奉修 風雲除災区内安穏五穀成就祈攸」。
祭事取材は、ずいぶん前。
平成23年7月10日に行われた村の行事の夏神楽。
行事名に”神楽”はあるが、舞はない。
村神主が祈祷に祝詞を奏上する。
神事、直会を終えた二人のドウゲが、竹に書かれた「奉修 風雲除災区内安穏五穀成就祈攸」を、村境の地、七カ所に一本ずつ立てていく風の祈祷札立て。
併せて拝見していた。
その護符を見届けてから、伺う当主のYさん。
お家で迎えてくれた。
早速、おうすをたててくれた大塩の茶。
”茶”で思い出した行事に茶願すましがある。
5月に豊作を願う茶願の祈願。
収穫した茶の豊作を祝す茶願すまし。
神事は、二つとも大塩の八柱神社で行われる。
美味しいおうす味わいながら、話した会話にえっ・・・
実は、安曇(※あずみ)に、移住を考えている、という。
また、長話しがさらに・・・・私も同じ病いの話題に、滞在時間が1時間半。
そうそう、話こんでいて、すっかり忘れていた図録の献本。
大塩の取材行事の上出井戸の七日盆の井戸替えを載せていた。
さて、時間も遅くなってきた。
訪れた時間は、午後5時。
4月だから、まだ明るいが・・・
本日のラスト巡拝は、同じく山添村。
目的地は切幡。
なにかとお世話になっているT家にお願いした農の道具。
今では、どこの農家さんであっても使わなくなったぶとくすべ。
お電話をいただきお家取材。
T夫妻、ともどもが再現したぶとくすべの使用方法。
農の民俗に大切な記録に立ち会うことができた。
感謝、感謝のお礼に献本した図録。
伺ったこの日の夫妻は不在。
息子のMさんの奥さんが応対してくださった。
何度か入室した玄関。
見返りに見た、コレは・・・あじさいのまじない。
女性がシモの世話にならんようにと願うあじさいのまじない。
花は枯れていたが、コレは?と尋ねたら、おばあさんがした、という逆さ吊りの紫陽花は、まさにであるが、私が取材した方たちが吊るした場所はトイレであるが、T家は玄関。
土用の丑の日に、ここへ飾ったそうだ。
紅白の水引で括っていたあじさいのまじない。
聞き及ぶ縁日は、6月中に6が付く日、つまり6月6日に6月16日と6月26日であるが・・
そうこう、話しているときに帰宅されたOさんに、著書本の『大和奈良の年中行事』も、献本した。
切幡に住む何人かに献本していたが、肝心要のT家にはさしあげてなかった。
今になっての遅い気遣いに、えーもんもらったんや、これ持って帰りと云われて手にしたソレは真っ白。
家内生産している三輪素麺のフシを大量にいただいたが、普段、市場などで見る端っこのそうめんのフシではなくストレートな麵。
塩気が多いから、普段食べているそうめんそのものだから、普通通りに時間かけてゆがいてや、と・・・
(R4. 4. 3 SB805SH 撮影)
県内を何か所ごとにくくりをして出かける回数を、極力無駄のしないように、コースを決めて、村のあちこちに出没する巡拝みたいな、ようなお礼参り。
今日のコースは、山添村。
毛原に下笠間、大塩、切幡から旧都祁村に移動するが、都合で順替えすることもあろう。
大和の民俗写真展とは、平成23年10月29日からはじまった「私がとらえた大和の民俗」写真展。
当事業は奈良・大和郡山市に所在する奈良県立民俗博物館が主催事業の写真展。
奈良の民俗文化を写真でとらえる写真家さんたちの作品を展示する事業。
10回目のテーマは、コロナ禍でもあり、写真展事業から撤退を告げられ、最後の展示になった各自が掲げたフリーテーマ出展。
私は、〆に考えたコロナ禍における記録、としてテーマに掲げた我が家の介護にその時季にも、しなければならない民俗の行事・風習記録取材を主に、映像化したテーマを3枚組で表現した「コロナ禍、そのときのT家・・」
3枚組のうち2枚がおふくろの介護。
うち1枚のサブテーマが「看る」。
もう1枚がコロナ禍に外食ができなかったときに註文した食事は「通販もテイクアウト」。
そして3枚目が、すべてが民俗の行事・風習記録から、地域ごと選んだサブテーマが、コロナ禍「で、あっても、なかっても・・」しなきゃならない、習俗がある。
神社行事に地域の行事。
そして暮らしの民家にも・・
すべて、コロナ禍時期に収録した、各地域の一枚。
その数、27行事。
貴重な記録ばかりの写真を、一枚のプリントにすべてを掲載したロナ禍「で、あっても、なかっても・・」。
そのテーマ映像に、ご協力をいただいた方たちを訪ね歩き。尤も、訪問の足は軽バン車。
見慣れている人たちもいる。
午前9時10分前。
お逢いする時間帯の隙間に見ていた毛原の風情。
今日は朝からシトシト降る雨の日。
畑の向こうに見えた霞む桜樹。
時間待ちに見ていた景観の一枚。
1軒目に訪ねた行先は、山添村毛原。
お世話になったFさんに、Nさん。
載せた毛原の行事は、桃の節句に、御石洗い。
Nさんは、忙しく外出中につき不在。
母親に代理人として10回目の「私がとらえた大和の民俗」写真展図録を献本した。
Fさんは、息子さんの引っ越しに出かける直前に逢えたので、図録を献本した。
ちょっとの時間差で、たまたまお逢いできた。
今日の毛原、午後4時からはじまる神武さんの祭典には帰路に就いているだろう。
時間的に心の余裕ができたんか、ふと行きたくなった隣村の岩屋。
初めて通った急坂の山道。
おっ、とこれは見逃せないと、雨降りもようの外気は冷たい。
急坂に植えられた桜樹も、いい雰囲気だ。
トンドでは、と思える痕跡もある地域の風情に佇んでいた。
ここまで来たなら、見逃せない場がある。
ここは岩屋の中出。
急坂に広地。
葉付きの竹で囲った中央に大きな岩がある。
ご神体と推定できる、ここは下出の山の神の地である。
正月七日に行われる山の神。
現在は、その日を清掃の日とし、クラタテなど、山の神に捧げる供物揚げも、別途の日にされる。
なお、岩屋の山の神の場は5カ所。
予め確認しておきたい地域である。
プラバケツに、石がごろごろ入っている。
岩屋は、他の地域と違って、水平に据えた芝垣の形態にしたカギ。
その芝垣に吊る藁つくりタワラの中に入れる小石、である。
短時間に見て回った岩屋を離れ、再び訪れた毛原。
そうそう、忘れてはならないF・Sさんにもお礼に立ち寄った。
毛原の第一歩にお逢いしたF・Sさん。
まあ、上がってと、通された談話室での会話は、すべてが暮らしの民俗。
話題が沸騰し、なんと2時間も滞在してしまった。
お昼の時間だけに、ストップをかけて、旧都祁村に尤も近いエリアにある素食事処を目指す。
針テラスで、といえばどなたもわかる餃子の王将針インター店。
食事を済ませた、次の行先は、奈良市都祁白石。
白石の信号の角地で営業している辻村商店。
お商売につくったサシサバ。
貴重な映像を撮らせてもらった。
献本の図録は、店主のTさんに提供した。
いつもなら奥さんもおられるが、今日は講の寄合に不在だった。
帰りがけにもらった塩漬けの紅鮭に、いつもありがとう。
次の行先は、再び山添村入り。
白石からは、そんなに遠くない。山添村・下笠間に向かう。
訪問したお家は、F家。
当主のKさんは村葬儀の出席のため不在。
娘さんに手渡した図録を預かってもらった。
ところで撮らせてもらった門屋下に干していたどんこ椎茸。
なんぼほどあるのか、あまりの多さに圧倒されていた。
ただ、その迫力さをお届けするには至っていない。
うーん、難しい被写体に手をこまねき、茫然状態。
まだまだ腕が足らん。
次の行先は、同山添村の大塩。
なにかとお世話になっているY家を訪れる。
ここ大塩にきたら、必ずや見ておきたい風の祈祷札。
墨書に見る文字は「奉修 風雲除災区内安穏五穀成就祈攸」。
祭事取材は、ずいぶん前。
平成23年7月10日に行われた村の行事の夏神楽。
行事名に”神楽”はあるが、舞はない。
村神主が祈祷に祝詞を奏上する。
神事、直会を終えた二人のドウゲが、竹に書かれた「奉修 風雲除災区内安穏五穀成就祈攸」を、村境の地、七カ所に一本ずつ立てていく風の祈祷札立て。
併せて拝見していた。
その護符を見届けてから、伺う当主のYさん。
お家で迎えてくれた。
早速、おうすをたててくれた大塩の茶。
”茶”で思い出した行事に茶願すましがある。
5月に豊作を願う茶願の祈願。
収穫した茶の豊作を祝す茶願すまし。
神事は、二つとも大塩の八柱神社で行われる。
美味しいおうす味わいながら、話した会話にえっ・・・
実は、安曇(※あずみ)に、移住を考えている、という。
また、長話しがさらに・・・・私も同じ病いの話題に、滞在時間が1時間半。
そうそう、話こんでいて、すっかり忘れていた図録の献本。
大塩の取材行事の上出井戸の七日盆の井戸替えを載せていた。
さて、時間も遅くなってきた。
訪れた時間は、午後5時。
4月だから、まだ明るいが・・・
本日のラスト巡拝は、同じく山添村。
目的地は切幡。
なにかとお世話になっているT家にお願いした農の道具。
今では、どこの農家さんであっても使わなくなったぶとくすべ。
お電話をいただきお家取材。
T夫妻、ともどもが再現したぶとくすべの使用方法。
農の民俗に大切な記録に立ち会うことができた。
感謝、感謝のお礼に献本した図録。
伺ったこの日の夫妻は不在。
息子のMさんの奥さんが応対してくださった。
何度か入室した玄関。
見返りに見た、コレは・・・あじさいのまじない。
女性がシモの世話にならんようにと願うあじさいのまじない。
花は枯れていたが、コレは?と尋ねたら、おばあさんがした、という逆さ吊りの紫陽花は、まさにであるが、私が取材した方たちが吊るした場所はトイレであるが、T家は玄関。
土用の丑の日に、ここへ飾ったそうだ。
紅白の水引で括っていたあじさいのまじない。
聞き及ぶ縁日は、6月中に6が付く日、つまり6月6日に6月16日と6月26日であるが・・
そうこう、話しているときに帰宅されたOさんに、著書本の『大和奈良の年中行事』も、献本した。
切幡に住む何人かに献本していたが、肝心要のT家にはさしあげてなかった。
今になっての遅い気遣いに、えーもんもらったんや、これ持って帰りと云われて手にしたソレは真っ白。
家内生産している三輪素麺のフシを大量にいただいたが、普段、市場などで見る端っこのそうめんのフシではなくストレートな麵。
塩気が多いから、普段食べているそうめんそのものだから、普通通りに時間かけてゆがいてや、と・・・
(R4. 4. 3 SB805SH 撮影)