ストローバレイ家の介護奮闘記

90→→92歳の母を支える4姉妹の泣き笑い奮闘記・・とその後

なんくるないさー

2010-11-05 14:41:04 | 日常
               
                 美しい沖縄の空と海

昨日朝早くにホテルを出て、8時15分沖縄発のJALで東京に戻ってきました。美しい自然、人々の人懐っこさと逞しさ、おいしい料理と泡盛、力強い三線の音色、すっかり沖縄に魅了されてしまいました。

東京に戻ったら、我が家とSV家の猫たちが待っていて、洗濯物や片付けも待ったなしで、SV家の花も萎れかかっていて、道に枯葉が落ちていて、何となくあわただしい生活が戻ってきました。それでも母を見送った後ずっと引き摺ってきた疲労感が、今回の旅で随分解消された気がします。

これから又いつもの日々が始まるけれど、「なんくるないさー!」(挫けずに正しい道を歩くように努力すれば、何とかなるさ)。(三女)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

基地巡りとお買い物(11/3)

2010-11-05 14:32:27 | 日常
               
         壺屋やちむん通りで子供たちがシーサー太鼓のご披露

滞在4日目。文化の日も夫は一日中会議に参加です。沖縄最後の一日なので私は基本的に国際通りでお土産を買って過ごそうと思っていましたが、せっかく沢山時間があるので、午前中は思い切ってタクシーで中部エリアの基地巡りをすることにしました。

沖縄の中心部は道が整備されていて、ホテルの前から1時間弱でまずは普天間基地周辺に到着。運転手さんが少し離れた高台にある「よくテレビなんかに出てくる撮影ポイント」に連れて行ってくれました。高台には公園があり、その中に更に登る展望台があって、そこからは住宅地と海に面した基地の滑走路が見えます。展望台には大きな望遠レンズをつけたカメラマンが3人ほど、飛行機が飛び立つ瞬間を捕らえようと構えていました。私が見ている間に離陸したのは飛行機1機とヘリコプター1機のみ。意外に静かでした。

普天間を後にして、延々と続く米軍施設を右に、閑散とした一般の家や店舗を左に見ながらずっと行くと嘉手納飛行場に着きます。こちらは道の駅の4階から基地を見渡すことができます。ここでも大きなカメラを持った人が数人いましたが、飛行機の離発着はなく基地は静まり返っていました。

ニュースでしか知らなかった沖縄の基地を直接見て社会科見学は終了。国際通りに戻り、午後は予定通り買い物をすることに。まずは壺屋やちむん通りに行って、赤くて小さな可愛らしいシーサーを買った後、たまたまやっていた子供たちのシーサー太鼓とエイサーの演舞を見物。

その後公設市場で海ぶどう、ミミガー、ラフティ、豆腐ようをゲット。国際通りに出て、肉巻きおにぎりとシークワーサー・ジュースで腹ごしらえをした後、Y子とDちゃんお揃いのTシャツと私のかりゆしを買って、買い物は全て終了。

ホテルに戻ってシャワーを浴びて一休みした後、会議から戻ってきた夫と、国際通り外れにある那覇で最も古い居酒屋「小桜」に。地元の人たちに混じって、みそピー、島らっきょう、スーチカー、スルルーの南蛮漬けなど、この3日間で食べ残した沖縄料理を食べ、泡盛を飲みながら、沖縄最後の夜をしみじみした気持ちで過ごしました。(三女)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

首里城・戦跡・おきなわワールド巡り(11/2)

2010-11-05 10:38:22 | 日常
               
  首里城の「歓会門」。訪れる人への歓迎の意を込めてつけられた名前だそうです。

到着3日目のこの日、夫は会議参加のため、私は観光バスを使って典型的な沖縄観光ツアーをすることに。ツアー参加者はご夫婦1組と単独参加の男性3人、女性(私を含め)2人、合計7名と少人数で観光会社には気の毒みたいでしたが、ゆったりした旅となりました。

最初に行ったのは首里城。沖縄戦でほとんどが焼けてしまったものを、1992年に復元したとのこと。復元された建物からは華やかな琉球文化の面影が感じられました。

次に行ったのは旧海軍司令部壕。ここは沖縄戦で日本海軍司令部が持久戦に耐えるようにと掘られた地下陣地で、「沖縄県民斯ク戦ヘリ」で有名な大田實司令官以下の将兵が終戦間際に自決した場所です。こんな暗いところで絶対に勝てない戦いをしていたのかと思うと、胸が苦しくなりました。

次はひめゆりの塔。平和祈念資料館には看護要員として動員された女学生達の笑顔の写真が展示されていて、余計に悲しくなりました。ここには当時の彼女達と同じ位の年頃の子達が沢山修学旅行で訪れていました。

ひめゆりの塔から東にある平和祈念公園に向う道筋は、住民が戦火に追われ大勢亡くなった地域です。さとうきび畑が続くこの地域を、なぜ焼き尽くさなければならなかったのか、本当に戦争とは理不尽で惨いものだと実感させられました。

平和祈念公園。かつて追い詰められた住民たちが飛び降りた断崖と美しい海を見渡す公園には、慰霊碑が整然と並び、沖縄で亡くなった軍人も一般住民も、日本人もアメリカを含む他の国の人々も、敵味方の区別無く、戦争の犠牲者として名前が刻まれています。

最後に行ったおきなわワールドでは、天然記念物の鍾乳洞「玉泉洞」を見た後エイサーの演舞を見学。今の平和で元気な沖縄を見せてくれました。全てのコースを終了して、ホテルに戻ったのは4時半近く。内容が濃くて重くて、けれどガイドさんの大らかさ、明るさに救われた、充実したツアーでした。(三女)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする