Polepole Life new

びわ湖の湖南に在住。
亡きA.コッカーNOIRと山歩きを愛すシニアライフを綴ります。

NOIRはNOIR。

2007-12-22 11:40:01 | NOIR(A.コッカー)




 
前記事のとおり、『やれば出来る』うちのコですが。。。







飽きっぽいのが玉に瑕きず。






「おなか、かぜひくよぉ~。」





 
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おお~♪

2007-12-21 10:36:10 | NOIR(A.コッカー)




左。




正面。




右。





goodぐっ・じょーぶ!







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今回の本

2007-12-20 12:38:15 | 






  

    

    


□ 別冊『太陽』クマガイ モリカズ   
     何もかも、すごくステキ。美術にとりわけ興味のない人にでも
     この本を見せて廻りたい
とおもうような作品とその人柄。
     自由に、意のまま生きながら芸術に真摯で
     いきものを愛し、人好きで人にも愛された人。

□ ベルンハルト短篇集 ふちなし帽
     トーマス ベルンハルト (著), Thomas Bernhard (原著)
     西川 賢一 (翻訳)
     文章の雰囲気、あらすじは一つひとつ味もひねりもあって
     面白いのに。。。どこか肌が合わない。
     入り込めなかった。
     弱者の妥協や屈折した人生観・生き方にどうしても
     反発してしまう。

□ 聖地チャームンディ・ヒルへ
       ―「気づき」までの1001の階段

     Ariel Glucklich (原著) 小川 敏子 (翻訳)
      インドへ友人に誘われるまま療養に来た青年が聖地に
     続く階段で出合った老人は青年を導くかのように寓話を
     語り始める・・・。

      インドへ向かう人は、どこかこんな出会いを期待
     している部分があるのかもしれない。
     実際、インドで聖地を訪れると、どこからかふわりと訪れる
     怪しげなガイドや、いたるところで修行する人を見かける。
      著者もそんな実体験から刺激されての執筆かと想像したら
     ヒンドゥー教、サンスクリット文学を専門とする大学教授だった。   
      青年に声を掛けてきた不思議な老人の寓話は宗教観
     にそったインドの人々には理解しやすいものなのだろうか?
      
      インドの賢老人とアメリカ人の青年の会話の間で、
     どちらの文化にも属さない日本人である自分を意識しながら、
     この本は青年と一緒に老人に翻弄されながら面白く
     読み進んだ。

□ 理想的な結婚の後始末
     エイヴリー・コーマン (著), 大谷 真弓 (著)
     原題 『A Perfect Divorce』: 完全な離婚。
     この本に書かれているのは、ずばり離婚後両親と
     その一人息子が、それぞれのあたらしい居場所を
     見つけて、大きなダメージから再び立ち上がるまでを
     描いている。
     といってもその離婚は、それほど悲惨だったわけではない。
     両親の双方が経済的恵まれて、双方が息子を大切に
     思っている。息子も、反発する事無く親の離婚を受け止め
     やがて自立していく。

     心に残るのは両親のそれぞれが一人暮らしの息子の部屋で
     1つの家族としてうまくいっていた頃の三人の写真が
     飾られているのを見て、息子の心中を知りショックを
     受けるシーンだ。離婚にあたって、子供が受けるいたみを
     この本の主人公達は過小評価していたのだ。

     この本は、おしゃれなTVドラマを見ているよう。
     それでいて離婚後のそれぞれの心の中の復縁の可能性や
     互いの新しい家族関係や恋愛・仕事を軽妙に描き
     ながらも、大人のエゴや社会的なヒエラルキーなど
     随所に生々しく現実感を現し、・・・見かけより中身があった。
     最後はちょっと息子の未来を中心に、ご都合主義に
     景気よくハッピーにまとめてしまっている感あり。
     
     
□ ミルン自伝 今からでは遅すぎる
      A・A・ミルン (著), 石井 桃子 (訳)
     『クマのプーさん』の著者の自伝。
      恵まれた幼少期と恵まれた才能。
      努力しても本人より秀でることのなかった兄を
      何度も協調するあたり。。。鼻持ちならない。
      インテリのやさしいおとうさん像を想像していたので
      読まない方がよかったかな。^^;

□ 12番目のカード
      ジェフリー ディーヴァー (著) 池田 真紀子 (翻訳)
      内容(「BOOK」データベースより)
      ハーレムの高校に通う十六歳の少女ジェニーヴァが
      博物館で調べものをしている最中、一人の男に
      襲われそうになるが、機転をきかせて難を逃れる。
      現場にはレイプのための道具のほかに、タロット
      カードが残されていた。単純な強姦未遂事件と
      思い捜査を始めたライムとサックスたちだったが、
      その後も執拗にジェニーヴァを付け狙う犯人を
      まえに、何か別の動機があることに気づく。
      それは米国憲法成立の根底を揺るがす百四十年前の
      陰謀に結びつくものだった。そこにジェニーヴァの
      先祖である解放奴隷チャールズ・シングルトンが
      関与していたのだ…。“百四十年もの”の証拠物件を
      最先端の科学捜査技術を駆使して解明することが
      できるのか?ライムの頭脳が時空を超える。

      うーん。残念。貸し出し期間切れで読み終えることが
      出来なかった。予約が多くついているので、
      再度借りることはないだろう。どこかで、ブックレヴュー
      を読んで借りてみたけれど、面白さをすごく感じる
      とこまで至らなかったし。。。



 
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年賀状

2007-12-17 09:44:48 | イヴェント
 



年賀状を書き終えた。




    ←こんな感じ。
    で、下にひと言を書き添えた。




夫のプライベートの年賀状も同じデザイン。
ルミナリエの前で、2人並んでニッコリ。

恥ずかしげもなく、「プリントゴッコ」使用の頃から
白黒コピーしたものの一色刷りに、時には後から色を
加えたりして、夫婦の写真をよく使かっている。

年賀状をご挨拶に訪問させていただく代わりだと考えて、
お目ざわりase2はご勘弁していただく。

近年、プリンターが扱いやすくなってPCで年賀状を
作ることになって、すっきりして楽にはなったけど
やや味気なく、写真が鮮明すぎるのにも閉口する。
それもまあ、久しぶりに逢えるチャンスが出来た時
驚かれるよりはいいだろう。

残るは、夫のプライベートの宛名印刷と仕事関係用の年賀状。
それに、今年は義父の年賀状の宛名印刷が加わった。

義父の年賀状の裏は例年、とてもシンプルだけれど
印刷屋さんに頼んでいる。
「もったいないね。そっちも私、作ろうか?」
というと、夫は
「長年の付き合いで注文してるんだから、いいんだよ」という。

なるほどね。
考えれば年賀状というもの自体、合理性や損得を考えたら続かない。
年賀状を書きながら、会えない友だち・親族を思ったり、
薄いご縁で毎年下さる年賀状に感謝したり、、、
目にも見えない部分の付加価値が大切なのだと思う。

来年は、手間隙かけ版画でもつくろうか?







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パンズ・ラビリンス

2007-12-16 10:35:55 | 映画・観劇





『パンズ ラビリンス』公式サイト ダウンロード用壁紙から
http://www.panslabyrinth.jp/main.html
1944年のスペイン内戦下を舞台に現実と迷宮の狭間で3つの
試練を乗り越える少女の成長を描くダーク・ファンタジー。
『デビルズ・バックボーン』のギレルモ・デル・トロ監督が
メガホンをとり、ファシズムという厳しい現実から逃れるため、
架空の世界に入り込む少女を通じて人間性の本質に鋭く切り込む。
イマジネーションあふれる壮大な視覚技術を駆使して生まれた
クリーチャーや深く考察されたテーマに根ざした巧みな演出が衝撃的。
(シネマトゥデイ)
 



滋賀県での上映が始まる前から待っていた映画、
『パンズ・ラビリンス』。
最終日12/14にやっと観に行くことができた。



「残酷で理不尽な昔話。そのままでいいんです。現実もそうなんだから。
今のように洗練させて毒を消さなくても、残酷で理不尽な世界、
その中でこそ道徳が学べるんです。」
偶然にも、数日前TV画面の中でそんな大意を語る筒井康隆をみた。

 それは、この映画に対して語ったものではなかったけれど、
「それでも、ここまで目を覆うシーンでなくても・・・」
映画の序盤その言葉を思い出して、何度もそう思った。

むごさ、理不尽さを通して観終わって感じたのは
それを包み込んだまま、胸につかえてしまった哀しさだった。

レジスタンスがアンプルや食品庫の開錠したキーを残すなど
気なった事はあったけれど、幻想の部分のキャラクターの
姿かたちや、怪しげなパントマイムのような動き、少女を
囲む暗い浴室や森の絵画的な美しさ、力に頼ろうとして
破滅していく少女の母親と捨て身で生き残るレジスタンスの
女性、ラストの展開・・・

一生のうちでも、何回もは出合えない、すばらしい映画に
数年ぶりに出会えたと感じた。


 




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