JAZZ最中

考えてみればJAZZばかり聞いてきた。いまもJAZZ最中。

クラゲの生活

2024-09-08 16:28:31 | その他
孫たちが七五三なので、着る着物の打ち合わせにした。女の子にはオクサンが昔北着物、男の子には我が息子も甥っ子たちも代々着ている着物を着てもらう。それの合わせにくるというこのtになったが、それは夜、昼にはまずここで会った。



江の島は小学校の遠足以来だから60年以上来ていない、というよりバスで来たと思うから初めて。

12時過ぎについて、まず行ったのがここ。

 

ビルの3階からはこんなのが眺められる。

 

もちろんビールをいただきながらお昼にする。



 

でその後江の島に渡るかというとそうじゃなく水族館。

 

下の方のまだ1歳の子がイルカの写真をみてパシャーンとういうことなので本物を観に来た。

クラゲの展示が多いみたいで、そちらをメインにこちらは楽しんだ。

 

 

 

なんかクラゲの生活ってのも良いような気がする。

そして目的のイルカショー、前もって席を予約してくれていて、とても良いところで見ることが出来た。



 

夜はわが家、なんと給湯器が一昨日壊れて動かない。オクサンの友達のところにお風呂を借りに行くという大騒ぎをしたけど、よるには業者さんがなおしてくれて、本日からは問題なし。

 
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デュオの記録 CHICK COREA & GARY BURTON SAN SEBASTIAN 2007

2024-09-06 17:16:01 | 聞いてますCDおすすめ


チャールズ・ロイドの古い演奏のDVDを買うときについ一緒に買ってしまったDVD。
2007年行われたスペイン。サン・セヴァスチャンのフェスにデュオで出演した二人のDVD。
バートンの新作が出ないので、まあいいかと買ってしまった。
コリアとバートンのデュオは1972年の「Crystal Silence」以来続いていて、日本公演も何度か見たおぼえががる。
今回の2007年6月25日の演奏は、アルバム「THE NEW CRISTAL SILNCE」を2007年3月10,12日に録音したそのツアーでの演奏の一つになっている。



ふたりの演奏はもちろん安定した技量と、音楽家同士の息のあった掛け合いが、このツアーも続いたわけで、まあ記録が一つ追加された。
コリアは亡くなったし、バートンも引退して演奏はないので、最期のデュオの記録はいつなのだろうか。
今回は映像なので探したら2011年ブルーノートで行われた23日間のチック・コリアのコンサート「The Musician」にバートンがゲスト出演して弦楽4重奏をバックに共演している。



そして最後は翌年2019年9月4日にアルバム「Hot House」を録音している。



バートンが2017年にいんたいして、コリアな2021年2月9日に亡くなっている。今のところこれが最後の演奏にんるわけだ。
こうやって二人の塩素をアルバムで見ていて気が付いたけど、最後のアルバム「Hot House」のジャケで使われている写真は前年のブルーノートでの二人の演奏写真がそのままで、結構簡単に、もしくは時間が取れなかったんだと、勘ぐってしまった。



CHICK COREA & GARY BURTON SAN SEBASTIAN 2007

チック・コリア
ゲイリー・バートン

1.Love Castle
2.Native Sense
3.Alegria
4.Bud Powell
5.No Mystery
6.Waltz For Debby
7.Crystal Silence
8.La Fiesta
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若い日々 CHRLES LLOYD QUARTET RTBF STUDIO 1966

2024-09-04 17:21:50 | 聞いてますCDいいと思う


ネットで見つけて買ったDVD。チャ-ルズ・ロイドがキースやデジョネットをメンバーにしての映像。
ベルギーのTV放送用に録ったもの。

この時期のことを中山康樹氏の著書「キース・ジャレットの頭のなか」から纏めてみよう。
キースに関してのこの本の第1章がまさにこのころ。だかあらチャールズ・ロイド・グループから始まるかというと、その前4か月間はアート・ブレーキ―のところにいて、66年に「バターコーン・レディ」というアルバムに参加している。ジャレットがロイドのグループに参加したのは1966年2月と思われる。
そして「ドリーム・ウィーヴァー」を1966年3月29日に録音する。



ロイドのマネジャージョージ・アヴァンキャンは過去にロイドの売り出しに失敗しているため、新しいグループの新作の前にヨーロッパ・ツアーを組み、そこでの成功をもとにアメリカに凱旋することにした。それが今回の映像になる。ロイド・グループは1966年4月28日スウェーデンでジャレットが参加した初めてのライヴをおこなった。その5日後、ベルギーの放送局用の映像がこれになる。
とにかくみんな若い。26歳ぐらいだった。



このころのロイド・グループが青春だったから買った。
参加2ヵ月のキースはアピアノの中に手をつっこんだりするけれど、まだきーすにはなっていない。ちょっと片鱗を見せる程度。

 

デジョネットのステックを持つ手が大写しになるけれど、実に柔らかく握るんですね。



特筆したいのはセシル・マクビー、斬新なベースラインとそれを安定して弾くテクニック、これが一番驚いた。



そして
アメリカに帰り1966年9月8日にモントルーで大ヒット作を生む。



翌年1967年6月18日にスイスMontreux jazz festivalの時にはベースがロン・マクルーアに変わっていたけど、日本にはこのマックルーアと来た。
それでマクルーアが好きになったのを想えている。



若い日々の出来事。

CHRLES LLOYD QUARTET RTBF STUDIO 1966

チャールズ・ロイド(ts, fl)
キース・ジャレット(p)
セシル・マクビー(b)
ジャック・デジョネット
May/2nd/1966

1.East Of The Sun
2.Love Song To A Baby
3.Of Course, Of Course
4.Manhattan Carousel
5.Island Blues
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黒い海 船は突然、深海に消えた  井澤理江 著

2024-09-02 15:51:23 | 


2022年に講談社から出版されたドキュメンタリーだが、紹介を読んで、図書館に予約した。半年ぐらいなって順番が回ってきた。
まず第一に著書にするには難しい題材にたいして、臆することなく進む姿に著者、井澤理江氏に敬服をする。
内容は2008年に起きた、漁船の沈没事故についての話になる。



別の取材で著者が、この事故(事件)の当事者の酢屋商店社長の野崎哲氏(沈没した漁船の船主)に出会うことから始まる。
著者は、まるで知らなかった事故について不審に思う野崎氏の話に興味をもち、調べ始める。その調査の過程と著者の考えが、このドキュメンタリーに記される。

沈んだのがこの漁船、就航間もない見た目には立派な漁船だと思う。



 銚子沖の洋上で”パラ泊”という航法で停泊していた第58寿和丸が突然姿を消す。ちょっと品からの引用。

 幾度となく海の事故を観てきた古参の漁協職員たちも解せなかった。あの程度の気象状況で、なぜ突然135トンもの船がひくり返ったのか。それに沈むまでの時間が短すぎる。
 事故直後に僚船が現場海域に到着した際、風は10メートル、波の高さは2メートル程度だった。漁師にとって、遭難を懸念するような天候ではない。気象庁の基準によれば、会場では畔の強さが13.9メートル以上とよそkされた場合に、最も下のランクの「海上風警報」がでる。17.2メートル以上で「海上強風警報」。24.5メートル以上が予想されると、「海上暴風警報」だ。
 大道(3人の生存者の1人)は「漁を控えるのはかぜが13メートルを超えたとき」と言う。だからこそ、そんな強い風でもないのに、パラ泊にはいったのがうれしかった。

3人が救助され、4名が死亡確認、13人が行方不明になった。生存者の3名の証言から、助かるまでの状況は、そのすさまじさは本を読んで欲しい。
2回の衝撃と衝撃音から海に投げ出されるまで、2分ぐらいだったと3人は言う。

事故の報告が運輸省運輸安全委員会から報告されたのは3年後の東日本大震災から1か月の時、事故の原因は”波”とされた。事故の後に流れ出ている油のりょうから、何らかの衝突事故が起きたのではと推測もされたが、それを完全に否定するものだった。そして調査項目までが非開示、油の量推定も方法の間違えが指摘される。何らかの衝突、それを著者は潜水艦が相手だったと推測していく。多くの潜水艦による事故もあらいだされる。しかし検証のできる船は5800メートルの海の底、地元議員や多くの署名をあつめて、海中捜査を嘆願するも却下された。

今後の安全を確保するために真摯な調査がなされたのだろうか。17人の命が失われたこの事故に新たな展開はあるのだろうか。
証明する証拠を持つことが出来ないこの事故に対して、著者はこの本の上梓後も諦めてはいない。この本の才魚の1行。

 取材の道のりは長いが、望みは捨てていない。



 
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