二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

愛書家のたわごと ~「フローラ逍遥」その他の本

2015年05月24日 | エッセイ(国内)
はじめにお断りしておかねばならないが、正確にいうと、「愛書家になりそこねた男のたわごと」ということになる。
愛書家はコレクターに準ずる。しかし、コインだとか、切手だとか、テレホンカードなどのコレクターと比較し、ランク的にはもっと、財力があって、知的水準も高いランクの人たちであろうと信ずる*´∀`)ノ

わたしの場合は財力はもちろんのこと、知的水準もたいしたことはない、ハハハ´Д`
だから「なりそこねた」ということになる。

それはさておき、たまには「本」の話。
世の中には1年2年まったく本を読まないひとがふえているそうである。
日本人の2人に1人は、1年間まったく本を読まないという番組をNHK「クローズアップ現代」でやっていたと記憶している。
活字離れは確実にすすんでいると、わたしも周りを見渡しながらかんがえる。
たまに読んでいる人がいるけれど、訊いてみると「映画の原作だから」
な~んて答えが返ってくる。
世間の話題についていきたいというだけの人が大勢いて、ベストセラーはそういう人たちが生み出す。買ってはみても、最後まで読むことはめったにない。

新聞社もそうだろうが、出版界も氷河期を迎えたといえるだろう。その一方で、皆さん小型の情報端末(スマホなど)の愛用者が驚くほどふえて、自転車に乗りながら、街角を歩きながら、そういった液晶画面とさかんに対話している。
紙の媒体から、液晶へと、世界を見る手段が変化したのだ。
愛書家は減ることはあっても、今後ふえることはないだろう。わたしなど、旧世代の旧人類。なにしろ、1日たりと、本を読まない日はないのだから。

さて、ようやくここから本題に入る(笑)。

トップの画像は、澁澤龍彦さんの本2冊。
1.「フローラ逍遥」1987年刊 平凡社 3,800円+税
2.「犬狼都市」1988年刊 福武書店 2,699円+税

いずれも1980年代に刊行された、豪華な函入りの本だが、稀覯本というわけではない。。
このころはまだ本が「えらかった」のだ。まるで美術・工芸品のように、装丁・造本とも丁寧に美しく仕上げてある。

とくに「フローラ逍遥」は、眼を瞠るほど美しく、本を工芸品のように愛好する人には、すばらしく魅力的!
挿絵はすべて、過去のものから引用。
その挿絵だけ見ていても、十分愉しめる。





水仙 椿 梅 菫 チューリップ 金雀児(えにしだ) 桜 ライラック アイリス・・・
それらをふくめ、25種25点以上の絵画、挿絵が収められ、博覧強記で知られた澁澤さんのエッセイが25種すべてにそえてある。

巻末の「図版解説」は植物学・本草学の大家八坂安守さんが書いておられるのが本格的。資料提供は国立国会図書館、八坂書房、陽明文庫。
「フローラ逍遥」は「犬狼都市」ともども、近所のBOOK OFFで格安に入手した。
買ったままろくに読みもせず、しばらく使わないベッドの上に放り出しておいた。

この「フローラ逍遥」がどんな書籍かはつぎのレビューを見ればわかるだろう。

《とにかく装丁と図版の美しい本である。愛書家ではないにしても、できればハードカバーで手元に置きたい。
内容は荒俣宏氏も指摘するように、プリニウス的な博学をもっとも良く披瀝している。
重くもなく、さりとて軽くもなく。問いかけると思えば、さっと身を翻すような、押しつけがましさや高踏的なところがない澁澤龍彦氏の術中にはまることが出きる本、澁澤ファン向けの本だと言える。》(アマゾンの書評よりまるさんのレビュー)

こんなリッチな装幀・造本の書籍、いまつくるとしたら、2倍かそれ以上の売値になるのではないか?
わたしは澁澤さんを読むときは河出文庫か新潮文庫で読む。
したがって、この2冊、装飾品みたいなもの。まあ、わたしが人に自慢できる、数少ない愛蔵品といっていい♪

「犬狼都市」は上品なモスグリーン系の色の布装、またシルバーの陰刻が凝っている。扉には若き日の澁澤さんのポートレートがあり、澁澤ファンのために、澁澤ファンが作ったような装丁で、装丁者は菊池信義さんとある。
むろん天地に装飾用のはなぎれが使ってある。



ほかにも、こんな本がある。
左から「一房の葡萄」小川国夫(冬樹社刊)「彼の故郷」小川国夫(講談社刊)「日暮れ竹河岸」藤沢周平(文藝春秋社刊)。



そして、「彼の故郷」はじつは著者サイン入り(;´ρ`) 床の間に飾る掛軸みたいに、大きな印まで押してある。これが小川国夫さんではなく、漱石、鴎外、荷風、あるいは三島由紀夫だったりしたら、途方もない高値で取引されるだろう。小川さんの著者サイン本はほかに2冊ある。
これらがまた、ある種の工芸品。
ふだんはわたしは、手軽な文庫本で読書している。若いころはドストエフスキー全集だとか夏目漱石全集、小林秀雄全集などを集めたことがあったが、それで読んだことは一度もない。
どういうわけか、個人全集はいまでも豪華函入りが多いようである。そして途轍もない(わたしから見て)値段がついている。

その種の“全集”は、きっと図書館とか、眺めているだけで満足がえられるという人が買うのだろう。
函入りの本も、もっぱら所有欲を満たしたいというコレクター、愛書家のために存在するようにおもわれる。

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