二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

街角小景を集める

2011年11月25日 | Blog & Photo


たまに自分が撮ったのに、よくわからない被写体がある。
「なぜ、こんなものを写したんだろう?」
人は、つねに「意味のあること」だけをやっているわけではないし、健康にいい生活ばかりを送れるわけではない。
まあ、ある種のエピキュリアンなのだろうが、享楽の仕方が、やや変わっている。
マイノリティーである。サッカーだの、ゴルフだの、行楽地への旅行だの、趣味の園芸だのには、ほとんど興味がない。
昨年の10月からはじめているのは、「街角小景」を集めること・・・と、表現してはみるが、これも、どうもしっくりこないのは、なぜだろう。

小さな旅であることは、まちがいない。
その一瞬だけ、タイムスリップしている。
自分が「発見した」景物への興味。「ある光景」としか名づけようのない光景がもっている、フォトジェニックな輝きに魅せられ、カメラを向ける。
自分自身への関心ではなく、外側にあるものへの関心。
そこに、想像力がはたらく余地があって、わたしのパーソナルな感性をインスパイアしてくれるものが「街角小景」としての、ささやかな価値を生み出す・・・と思っているのだけれど、その行為自体は、マイノリティーに属する。
「あ、カメラをやっているんですか?」
「写真がご趣味なんですね」
しかし、わたしの写真を見て、困惑する方のほうが、圧倒的に数が多い。

有名な観光地だとか、富士山だとか、眼がさめるようなビキニのギャルだとか、美しい花だとか――そういう被写体がほとんどないから、共感しにくいのだろう。
ほんとうは、これらの小景の魅力を説明するのはむずかしいのだが、以下いくつか写真をピックアップし、おもしろさの手がかりについて、コメントを付してみよう。

トップにあげたのは、淫祠といえるような、ちょっと大きめの犬小屋ほどの小社で見かけたふくろうの置物。その淫祠がなににまつわるものかは、確認しなかったけれど、庚申信仰か、六地蔵か・・・おそらく、その種のコードにつながるものだろう。隣には、招き猫が置いてあった。このふくろうは、チェロ(たぶん)を弾いている。そこが気に入った。



さて、こちらは、壊れた照明器具。
下はわかるが、上の四角い鉄さび色のフレームも、その昔は、照明器具であったのだろう。
肥料店の文字が残されているが、丸と四角が、壊れたまま放置され、オブジェとなった。



そして、これ。
まるで浅草の「仲見世」風景のように、女性向けの洋服が、店舗の外壁にぶらさがっている。
が、のぞきこんだら、なんと、二宮金次郎像がある! 小学校の校庭からは、つぎつぎ撤去されてしまったらしいけれど、それをもらいさげて、飾り物にしたのだろう。しかし、なんというこのミスマッチ。おもわず笑ってしまった。



さらに、これ。上州名物「焼まんじゅう」を売っているのだが、はじめ廃屋ではないかと思った。
しかし、幟旗は真新しい。お隣のご主人が庭先から顔を出したので「まだ、お店はやっているんですか?」と、お訊ねしたら、にっこり笑って、「ええ、やってますよ。やってますとも」と。





また、つぎの二枚。
上は黄色(といより、山吹色)に眼が反応した。
乗降客のほとんどいない東武線の小駅。屋外はさんさんと陽光が降りそそいでいて、そこにちらっと見える樹木の緑が、空間のありよう、この時間の風情を語っている。
下は「保育園」「幼稚園」の、いわば集合看板。
めざめ、つくし、こひつじ、あけぼのは象徴語、さかいとふちなは地名からとられている。
産婦人科や病院、コカコーラの看板もある。
これらは、歳月がたって、風雪にさらされることによって、さらにフォトジェニックになってゆく(笑)。

街はそのままワンダーランド。驚異ともいえるそのディテールは、とても、とても、ことばではいい尽くせない。だから・・・写真を、撮る。
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