「肖像写真 時代のまなざし」(岩波新書)につづいて、多木浩二さんの本を読んだので、
その感想を、ごくカンタンにとりまとめておこう。
本書カバー裏に次のような内容紹介が掲げてある。
『伝説の写真雑誌「プロヴォーグ」の理論的支柱であった著者の30年にわたる写真論を集成。内容は、真の形而上学的考察、写真史を画した写真家、人間の知覚を変容させた科学写真、写真メディア、ファッション写真などの議論に及ぶ。哲学、芸術史、記号論などの豊かな知見を背景に、「写真に何が可能か」「写真とは何か」を問う』
少し読みすすめていけばわかるが、この人は理論の人である。理知的で、抽象的なことばを哲学者のように駆使し、写真とはなにかを、さまざまな切り口によって解き明かしていく。長い期間にわたってあちこちに発表された論攷を、
第1部 写真を考える
第2部 さまざまなる表徴
第3部 メディアの興亡
第4部 モードの社会
の4部にわけて、一冊としたもので、全体が通して書かれた書き下ろしでも、連載でもない。抽象的な論議が具体的な写真作品とからみあっていないところは読みにくく、わたしにはやや関心が薄くなってしまう。
わたしにとって興味深いのは「来るべき言葉のために 中平卓馬の写真集」「ウォーカー・エヴァンズと大恐慌時代」「東松照明の軌跡」といった写真家論と、そこに具体的な論拠をもった写真論。
『エヴァンズは見えるものの表面に立ち止まり、触りうるものにこだわるが、それを解読してみようとか、そこになんらかの社会的政治的関心を投入しようとはしていないのである。彼の写真はわれわれの眼の前にあまりにも明快なイメージとして存在するのに、その意味を探ろうとする私の言葉のはるか彼方に立ち止まる限界をもっているかと思うと、突然、言葉の限界を超えて直接われわれに近づいてくる。こうして写真と言葉、相互の限界が関係しあう領域からエヴァンズの写真が発生してくる場所をとりあえず想像してみることができるだろう。長年エヴァンズの写真との付き合いから私が得た最大の収穫は、この時代の写真の切実な問題は、写真は近代世界がみずからを世界化するひとつの方法だったことである。文学的な言語と呼応するのを期待しないで、写真に固有の世界との関係を把握しなければならなかった』(「ウォーカー・エヴァンズと大恐慌時代」本書158ページ)
『優れた写真とは、実際の対象から感受しているが意識化できないでいる知覚を明確に可視化しているものである。われわれがある写真に魅力を感じ、イメージに魅せられているとは、その写真を現実に連接するのではなく、イメージのなかで、対象の細部や、それらの事物が織りなす関係に現実の空間のなかでは感じない強い想像力をかきたてられている場合をさしたのである』(「ウォーカー・エヴァンズと大恐慌時代」本書168ページ)
こういった部分を読んでいると、多木さんが新しいことばを手探りしつつ、悪戦苦闘し、写真と真っ正面から対峙しようとしていることが理解できる。写真家が一瞬で、そのすぐれた直感力によって世界を切り取る場面に立ち会い、ことばの網で、ねばり強く置き換えようと、その知力をぎりぎり操作していく。そのさまは、ある場面では、知的な綱渡りと称してもいいほど。必ずしも隅々まで明快に理解できるとはいわないが、それは、写真とことばが、人間の能力の、ある意味で対極に位するものだからであろう。写真とことばは、補完的な場合があるが、本質はそうではない。多木さんは、そのことを、ほんとうによく考えている。
ことばも写真も、時代の刻印を否応なしに背負って、そこに立っている。
まなざしによる理解だけで成立するのが、すぐれた写真の条件である・・・とわたしは考えている。
「ウォーカー・エヴァンズと大恐慌時代」というこの論文は、リブロポートから刊行された、エヴァンズの写真集「アメリカ 大恐慌時代の作品」の解説として書かれたものの再録である。わたしがこの一文を読んだのは、この写真集が刊行されたときであるから、1994年か5年のこと。それ以来、エヴァンズの作品群とともに、多木さんのことばは、記憶の底にぼんやりと沈んでいたわけである。
写真とはなにかと考えなくとも、写真は撮れるし、愉しむことができる。ましてや、デジカメ全盛、一億総カメラマン時代といわれる昨今である。
いまさら多木さんのむずかしい評論集など用はない――といういわれ方もされるだろう。しかし、ここに展開されている考察は、決して「屁理屈」「小理屈」などではない。おそらく多木さんは、ジャーナリズムの表舞台で踊る「評論家」ではなく、書斎の人なのであろう。むろん、知の冒険家として、未開の分野を切り開いてきた批評家であり、わが国における近現代写真の、もっともすぐれた理解者のひとり。
論攷によっては、行間から、とっくに知っていたはずの写真が、はじめて見るイメージのように、いきいきと立ち上がってくる。圧巻というほかない。
評価:★★★★☆
その感想を、ごくカンタンにとりまとめておこう。
本書カバー裏に次のような内容紹介が掲げてある。
『伝説の写真雑誌「プロヴォーグ」の理論的支柱であった著者の30年にわたる写真論を集成。内容は、真の形而上学的考察、写真史を画した写真家、人間の知覚を変容させた科学写真、写真メディア、ファッション写真などの議論に及ぶ。哲学、芸術史、記号論などの豊かな知見を背景に、「写真に何が可能か」「写真とは何か」を問う』
少し読みすすめていけばわかるが、この人は理論の人である。理知的で、抽象的なことばを哲学者のように駆使し、写真とはなにかを、さまざまな切り口によって解き明かしていく。長い期間にわたってあちこちに発表された論攷を、
第1部 写真を考える
第2部 さまざまなる表徴
第3部 メディアの興亡
第4部 モードの社会
の4部にわけて、一冊としたもので、全体が通して書かれた書き下ろしでも、連載でもない。抽象的な論議が具体的な写真作品とからみあっていないところは読みにくく、わたしにはやや関心が薄くなってしまう。
わたしにとって興味深いのは「来るべき言葉のために 中平卓馬の写真集」「ウォーカー・エヴァンズと大恐慌時代」「東松照明の軌跡」といった写真家論と、そこに具体的な論拠をもった写真論。
『エヴァンズは見えるものの表面に立ち止まり、触りうるものにこだわるが、それを解読してみようとか、そこになんらかの社会的政治的関心を投入しようとはしていないのである。彼の写真はわれわれの眼の前にあまりにも明快なイメージとして存在するのに、その意味を探ろうとする私の言葉のはるか彼方に立ち止まる限界をもっているかと思うと、突然、言葉の限界を超えて直接われわれに近づいてくる。こうして写真と言葉、相互の限界が関係しあう領域からエヴァンズの写真が発生してくる場所をとりあえず想像してみることができるだろう。長年エヴァンズの写真との付き合いから私が得た最大の収穫は、この時代の写真の切実な問題は、写真は近代世界がみずからを世界化するひとつの方法だったことである。文学的な言語と呼応するのを期待しないで、写真に固有の世界との関係を把握しなければならなかった』(「ウォーカー・エヴァンズと大恐慌時代」本書158ページ)
『優れた写真とは、実際の対象から感受しているが意識化できないでいる知覚を明確に可視化しているものである。われわれがある写真に魅力を感じ、イメージに魅せられているとは、その写真を現実に連接するのではなく、イメージのなかで、対象の細部や、それらの事物が織りなす関係に現実の空間のなかでは感じない強い想像力をかきたてられている場合をさしたのである』(「ウォーカー・エヴァンズと大恐慌時代」本書168ページ)
こういった部分を読んでいると、多木さんが新しいことばを手探りしつつ、悪戦苦闘し、写真と真っ正面から対峙しようとしていることが理解できる。写真家が一瞬で、そのすぐれた直感力によって世界を切り取る場面に立ち会い、ことばの網で、ねばり強く置き換えようと、その知力をぎりぎり操作していく。そのさまは、ある場面では、知的な綱渡りと称してもいいほど。必ずしも隅々まで明快に理解できるとはいわないが、それは、写真とことばが、人間の能力の、ある意味で対極に位するものだからであろう。写真とことばは、補完的な場合があるが、本質はそうではない。多木さんは、そのことを、ほんとうによく考えている。
ことばも写真も、時代の刻印を否応なしに背負って、そこに立っている。
まなざしによる理解だけで成立するのが、すぐれた写真の条件である・・・とわたしは考えている。
「ウォーカー・エヴァンズと大恐慌時代」というこの論文は、リブロポートから刊行された、エヴァンズの写真集「アメリカ 大恐慌時代の作品」の解説として書かれたものの再録である。わたしがこの一文を読んだのは、この写真集が刊行されたときであるから、1994年か5年のこと。それ以来、エヴァンズの作品群とともに、多木さんのことばは、記憶の底にぼんやりと沈んでいたわけである。
写真とはなにかと考えなくとも、写真は撮れるし、愉しむことができる。ましてや、デジカメ全盛、一億総カメラマン時代といわれる昨今である。
いまさら多木さんのむずかしい評論集など用はない――といういわれ方もされるだろう。しかし、ここに展開されている考察は、決して「屁理屈」「小理屈」などではない。おそらく多木さんは、ジャーナリズムの表舞台で踊る「評論家」ではなく、書斎の人なのであろう。むろん、知の冒険家として、未開の分野を切り開いてきた批評家であり、わが国における近現代写真の、もっともすぐれた理解者のひとり。
論攷によっては、行間から、とっくに知っていたはずの写真が、はじめて見るイメージのように、いきいきと立ち上がってくる。圧巻というほかない。
評価:★★★★☆