二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

わが家にコタロウがやってきた♪

2017年01月07日 | Blog & Photo
十月一日に亡くなったテンちゃんの三カ月の喪が、正月に明けた。彼を埋葬するとき、わたしが心の中で約束したのだ。
テンちゃんが亡くなって約一か月、ネズミの害に耐えかねた父が、知り合いに頼んでおいた子猫がやってきた。
なにしろ、夜寝ていると、枕もとをネズミが走っていくというのだから。粘着シートには、おもしろいようにネズミがかかったが、後の始末が面倒。米や野菜を食い荒らすのは、もちろん、食べるものがないと、柱や階段の踏み板まで齧ってしまう。
だからわが家の猫は、単なる愛玩の対象たるにとどまらない(´ρ`)
猫の声がするだけで、ネズミはぴたりと出現しなくなる。効果抜群なのだ(^^♪





世間ではこのところ、猫の人気度が急上昇しているらしい。
一昨年だったか、昨年だったか、ペットとして飼育されている個体数で、猫が犬をわずかに上回ったという報道を見たことがあった。
日本では、推計でどちらもほぼ1000万匹(頭)が飼育されているそうで、どんな田舎町でも、ペットショップが、必ず、一軒や二軒あるはず。
猫の数が多いというのは、高齢化社会では、犬より猫のほうが飼いやすいという事情がからんでいるからだろう。ネット上にあるデータをあれこれ閲覧していくと、単身世帯では、犬より、圧倒的に猫のほうが飼われている。


猫好きは大昔から存在し、いろいろな文学で取り上げられているが、わたしの記憶に一番鮮明なのは、梶井基次郎の「愛撫」である。
《猫の耳というものはまことに可笑なものである。薄べったくて、冷たくて、竹の子の皮のように、表には絨毛が生えていて、裏はピカピカしている。硬かたいような、柔らかいような、なんともいえない一種特別の物質である。私は子供のときから、猫の耳というと、一度「切符切り」でパチンとやってみたくて堪たまらなかった。これは残酷な空想だろうか?
 否。まったく猫の耳の持っている一種不可思議な示唆力によるのである。私は、家へ来たある謹厳な客が、膝へあがって来た仔猫の耳を、話をしながら、しきりに抓つねっていた光景を忘れることができない。》(梶井基次郎「愛撫」冒頭・引用は青空文庫)

梶井にはほかに「交尾」という作品があり、ここにも、猫が描かれている。どちらも小説というより、むしろエッセイというべき小品であるが・・・。

猫の耳を切符切りでパチン・・・こんなふうに、いわばオブセッションとして猫の耳のことを取り上げたのは、梶井の手柄だろう。耳のほか、「あの眼、あの鼻が好き」という人がいるかと思うと、「やっぱり足裏の肉球でしょ」「いやいや、尻尾ですよ、あの尻尾こそ、やつらの魔法の杖なんですから」という人がいる。



この一枚は夜遅くまで外で遊び呆けて、玄関を閉められてしまい、敷地内同居のわたしの家に迎えいれて一夜を過ごした、つぎの朝のコタ(コタロウをコタと呼ぶことが多い)。
あちこちうろつき回らないように、リビングのドアは閉めておく。
翌朝、おはようと挨拶したわたしに対し「にゃ~、にゃ~」なにか訴えているが、この健気さこそ、子猫の身上(*^ー゚) 「よせやい」とは、絶対にいえない・・でしょ。





コタロウと命名したのはわたしだけれど、餌の当番は父親だから、お気楽、お気楽♪
専属モデルだと思って、パチパチ撮っている。白黒猫のように見えるが、わずかに茶が混じっている。つまりコタロウも三毛ネコということにな~~る(^-^*)/
猫の癒し効果は絶大!!
見た瞬間、眼にハートマークが点灯するというのが、猫マニアの特徴(笑)。

なにをかいわんや・・・かくいうわたしも( ´ー`)
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