ここ2ヶ月ばかり、つげ義春の作品が手許にあつまってきた。
「ガロ」の編集部にいて、つげマンガの誕生に立ち会った高野慎三さんの本ととんぼの本をあわせると、いまのところ8冊。
つげ義春って何者だったのだろう?
2014年1月、芸術新潮が「つげ義春デビュー60周年特集号」を出したことで、つげさんのブームが静かに再燃しているように見える。
バックナンバーが欲しいと思ってネットを検索したが、オークションで定価の約2倍という値がついているのであきらめた(^^;)
しかし、とんぼの本「つげ義春 夢と旅の世界」は芸術新潮のつけ特集をリメイクしたもので、現行版で手に入ることがわかった。そして、今日それを買ってきた。
「ガロ」はおもしろいぞ!
「つげ義春知ってる? 読むなら貸そうか」
東京暮しをしていた70年代に、友人からそういってつげさんをすすめられた記憶がある。しかし、マンガには興味が薄かったし、「ねじ式」をはじめとするその稚拙なタッチに、当時は拒絶反応しか起こらなかったのだ。
「ねじ式/夜が掴む」つげ義春コレクション 1(ちくま文庫)
「李さん一家/海辺の叙景」 〃 3( 〃 )
「近所の景色/無能の人」 〃 4( 〃 )
「苦節十年記/旅籠の思い出」 〃 6( 〃 )
「義男の青春/別離」新潮文庫
「新版 貧困旅行記」 〃
「つげ義春を旅する」ちくま文庫 高野慎三著
「つげ義春: 夢と旅の世界」新潮社とんぼの本
つげ義春さんについては「ねじ式」というシュールなマンガの評価がずば抜けて高いが、ほかに「李さん一家」「海辺の叙景」「紅い花」なども熱心な支持者がいるようである。
非常に寡作なマンガ家であるが、その分純度はびっくりするほど高く、非権威主義的なメディアの中につげ的世界といえるものをつくり出している。
小説家になぞらえれば、島尾敏雄、川崎長太郎に近いがまったく独自な、「意味」に還元しきれない奇妙な味わいが感じられる。
わたしが理解しえた範囲で、つげ的世界の特徴を列挙してみる。
・絵がへた(登場人物がぎこちないし、遠近法がしばしば狂っている。わざとそう描いてみた・・・とご本人はいう)
・起承転結の結がないお話しが多く「無意味へのアプローチ」が目覚ましい
・鬱的気質が全体に靄のように立ちこめている
・女好きの主人公(性的にはかなりアナーキー)
・貧乏話が大半をしめる
・主人公が無気力で、やる気がない(俗に「超低空飛行」といわれる)
・旅へは出たがる(とくに僻地の温泉街)
いちばん輝いていたのは、調べてみると、60年代後半から70年代半ばころの10年間である。
つげさんの父は板前、母はお座敷女中であった。したがって、彼の温泉好きは、親の血をひいているといえないことはないだろう。
つげ義春は、マンガを書くのと並行し、60年代末から、しばしば温泉旅行をして、後年、それをエッセイにまとめ、好評を博するようになる。写真の趣味がその時代からあったため、そのあとつぎつぎ消えゆく藁ぶき屋根の商人宿や、湯治場の写真を数多く写している。彼自身は民俗学者「宮本常一の本から影響をうけた」と語っているが、これらの写真は、往時をしのぶ貴重な資料として、平成の世に注目をあびるようになる。
いまでいう秘境趣味のさきがけとでもいうのか・・・観光化の波が押し寄せる以前の鄙びた温泉街の様子が、ありありと写し止められ興味深いものがある。彼はそれらをペン画などにして、作品の背景に時折使用している。代表的な作品の中で、それがすばらしい効果を発揮している。
貧乏生活というのは、人間のあこがれや欲望、不安やあきらめが露骨にあらわれてくるものである。
つげさんは、幼児のころ虐待をうけて、それを心の奥底に沈めている人なのではないかとわたしはボンヤリと想像している。他人の理解を絶する心のキズをもった登場人物がじつに多いのはだれだって気がつかないわけはないだろう。
それを景物にまで投影せざるをえないところに、マンガ家としての「昏さ」が潜んでいる。
厭人癖、自閉症と、つねに隣り合った場所に立っている。マンガは読者のためにというより、自分のために書いているのだ。それは無気力と絶望の淵に沈みかけた自分自身(・・・とつげさんが認識しているもの)を救抜するため、その必要にせまられて書いているといえる。彼にはストーリーテラーの才能がなかったので、余計そちらにのめり込んだのかもしれない。マンガが売れて、流行作家になってしまえば、つげ的世界があらわれることはなかった。
彼は何度か世間から見捨てられた。そうなってしまうと、半世捨て人の境遇は、それなりに居心地がいいのである。
つげさんの旅は、そういう旅であると、わたしは思う。
「つげ義春」というのは、紛れもなく、一つのキーワードたりえている。少なくとも彼のファン、読者は、そのことを嗅ぎつけ、浸りこもうとしている。
その最初のお一人こそ、高野慎三さんであった・・・とわたしは思う。つげさんは、昭和という時代の貧しさ、哀しさの最期を看とった人であることを、ファンならば知っている。
手塚治虫さんにいく前に、マンガというものの独自な表現領域があることを教え導いてくれたのが、わたしの場合、つげさんであった。
そういわれても、まだ半信半疑だなとおしゃるなら「蒸発旅日記」(「新版 貧困旅行記」新潮文庫)を読んでみるがいいだろう♪ つげ義春が到達した境地がどんなものであったか、知りたいというならね。
わたしはこのエッセイを読んで、ほとんどひっくり返ってしまった(/_;) 「それでも生きていくのかね。ああ、そういう生き方があったか」と。
知識人の思想や文学の対極にあるのが、彼のマンガであり、エッセイである。まさに「超低空飛行の人」としてのつげ義春は永遠である。わたしの好奇心の大鍋が、ぐつぐつと沸騰しかけている。
なんだろうなあ、ことばにはならないが、なんだかすげえや(?_?)
つげさんのマンガの原画は、いまや途方もない値段がついているらしい。遺された写真に価値を見出している人もふえている。そのほとんどは、僻地の滅亡しかけた温泉街の情景である。
1987年「別離」が、彼が発表した最後で、それ以降、新作マンガは一編も発表していない。
手塚さんが昭和という時代を駆け抜けたスーパースターだったとすれば、つげさんはいわば、その対極において、知る人ぞ知るにぶい輝きを放っていたマンガ家であった。
「小説の時代は、もしかしたら、太宰治の退場とともに終ったのかもしれない」
「現代美術はピカソをもって終ったのかもしれない」
そんなことを最近のわたしはしきりに考える。写真と物語の融合をめざすマンガ、アニメ、コミックのさきがけとして、つげさんの存在は今後、ますます大きくなる可能性をもっている。21世紀、時代のうねりはどこをめざし変化していくのか?
不透明極まりない未来に対し、比類を絶した孤絶感を有するといわざるをえないいわば未知の領域が、この人の足跡の奥に、いまもうもれている。
わたしはたぶん、手に入る限りの彼の作品を買い、その世界にひたることになるのだろう。
「ガロ」の編集部にいて、つげマンガの誕生に立ち会った高野慎三さんの本ととんぼの本をあわせると、いまのところ8冊。
つげ義春って何者だったのだろう?
2014年1月、芸術新潮が「つげ義春デビュー60周年特集号」を出したことで、つげさんのブームが静かに再燃しているように見える。
バックナンバーが欲しいと思ってネットを検索したが、オークションで定価の約2倍という値がついているのであきらめた(^^;)
しかし、とんぼの本「つげ義春 夢と旅の世界」は芸術新潮のつけ特集をリメイクしたもので、現行版で手に入ることがわかった。そして、今日それを買ってきた。
「ガロ」はおもしろいぞ!
「つげ義春知ってる? 読むなら貸そうか」
東京暮しをしていた70年代に、友人からそういってつげさんをすすめられた記憶がある。しかし、マンガには興味が薄かったし、「ねじ式」をはじめとするその稚拙なタッチに、当時は拒絶反応しか起こらなかったのだ。
「ねじ式/夜が掴む」つげ義春コレクション 1(ちくま文庫)
「李さん一家/海辺の叙景」 〃 3( 〃 )
「近所の景色/無能の人」 〃 4( 〃 )
「苦節十年記/旅籠の思い出」 〃 6( 〃 )
「義男の青春/別離」新潮文庫
「新版 貧困旅行記」 〃
「つげ義春を旅する」ちくま文庫 高野慎三著
「つげ義春: 夢と旅の世界」新潮社とんぼの本
つげ義春さんについては「ねじ式」というシュールなマンガの評価がずば抜けて高いが、ほかに「李さん一家」「海辺の叙景」「紅い花」なども熱心な支持者がいるようである。
非常に寡作なマンガ家であるが、その分純度はびっくりするほど高く、非権威主義的なメディアの中につげ的世界といえるものをつくり出している。
小説家になぞらえれば、島尾敏雄、川崎長太郎に近いがまったく独自な、「意味」に還元しきれない奇妙な味わいが感じられる。
わたしが理解しえた範囲で、つげ的世界の特徴を列挙してみる。
・絵がへた(登場人物がぎこちないし、遠近法がしばしば狂っている。わざとそう描いてみた・・・とご本人はいう)
・起承転結の結がないお話しが多く「無意味へのアプローチ」が目覚ましい
・鬱的気質が全体に靄のように立ちこめている
・女好きの主人公(性的にはかなりアナーキー)
・貧乏話が大半をしめる
・主人公が無気力で、やる気がない(俗に「超低空飛行」といわれる)
・旅へは出たがる(とくに僻地の温泉街)
いちばん輝いていたのは、調べてみると、60年代後半から70年代半ばころの10年間である。
つげさんの父は板前、母はお座敷女中であった。したがって、彼の温泉好きは、親の血をひいているといえないことはないだろう。
つげ義春は、マンガを書くのと並行し、60年代末から、しばしば温泉旅行をして、後年、それをエッセイにまとめ、好評を博するようになる。写真の趣味がその時代からあったため、そのあとつぎつぎ消えゆく藁ぶき屋根の商人宿や、湯治場の写真を数多く写している。彼自身は民俗学者「宮本常一の本から影響をうけた」と語っているが、これらの写真は、往時をしのぶ貴重な資料として、平成の世に注目をあびるようになる。
いまでいう秘境趣味のさきがけとでもいうのか・・・観光化の波が押し寄せる以前の鄙びた温泉街の様子が、ありありと写し止められ興味深いものがある。彼はそれらをペン画などにして、作品の背景に時折使用している。代表的な作品の中で、それがすばらしい効果を発揮している。
貧乏生活というのは、人間のあこがれや欲望、不安やあきらめが露骨にあらわれてくるものである。
つげさんは、幼児のころ虐待をうけて、それを心の奥底に沈めている人なのではないかとわたしはボンヤリと想像している。他人の理解を絶する心のキズをもった登場人物がじつに多いのはだれだって気がつかないわけはないだろう。
それを景物にまで投影せざるをえないところに、マンガ家としての「昏さ」が潜んでいる。
厭人癖、自閉症と、つねに隣り合った場所に立っている。マンガは読者のためにというより、自分のために書いているのだ。それは無気力と絶望の淵に沈みかけた自分自身(・・・とつげさんが認識しているもの)を救抜するため、その必要にせまられて書いているといえる。彼にはストーリーテラーの才能がなかったので、余計そちらにのめり込んだのかもしれない。マンガが売れて、流行作家になってしまえば、つげ的世界があらわれることはなかった。
彼は何度か世間から見捨てられた。そうなってしまうと、半世捨て人の境遇は、それなりに居心地がいいのである。
つげさんの旅は、そういう旅であると、わたしは思う。
「つげ義春」というのは、紛れもなく、一つのキーワードたりえている。少なくとも彼のファン、読者は、そのことを嗅ぎつけ、浸りこもうとしている。
その最初のお一人こそ、高野慎三さんであった・・・とわたしは思う。つげさんは、昭和という時代の貧しさ、哀しさの最期を看とった人であることを、ファンならば知っている。
手塚治虫さんにいく前に、マンガというものの独自な表現領域があることを教え導いてくれたのが、わたしの場合、つげさんであった。
そういわれても、まだ半信半疑だなとおしゃるなら「蒸発旅日記」(「新版 貧困旅行記」新潮文庫)を読んでみるがいいだろう♪ つげ義春が到達した境地がどんなものであったか、知りたいというならね。
わたしはこのエッセイを読んで、ほとんどひっくり返ってしまった(/_;) 「それでも生きていくのかね。ああ、そういう生き方があったか」と。
知識人の思想や文学の対極にあるのが、彼のマンガであり、エッセイである。まさに「超低空飛行の人」としてのつげ義春は永遠である。わたしの好奇心の大鍋が、ぐつぐつと沸騰しかけている。
なんだろうなあ、ことばにはならないが、なんだかすげえや(?_?)
つげさんのマンガの原画は、いまや途方もない値段がついているらしい。遺された写真に価値を見出している人もふえている。そのほとんどは、僻地の滅亡しかけた温泉街の情景である。
1987年「別離」が、彼が発表した最後で、それ以降、新作マンガは一編も発表していない。
手塚さんが昭和という時代を駆け抜けたスーパースターだったとすれば、つげさんはいわば、その対極において、知る人ぞ知るにぶい輝きを放っていたマンガ家であった。
「小説の時代は、もしかしたら、太宰治の退場とともに終ったのかもしれない」
「現代美術はピカソをもって終ったのかもしれない」
そんなことを最近のわたしはしきりに考える。写真と物語の融合をめざすマンガ、アニメ、コミックのさきがけとして、つげさんの存在は今後、ますます大きくなる可能性をもっている。21世紀、時代のうねりはどこをめざし変化していくのか?
不透明極まりない未来に対し、比類を絶した孤絶感を有するといわざるをえないいわば未知の領域が、この人の足跡の奥に、いまもうもれている。
わたしはたぶん、手に入る限りの彼の作品を買い、その世界にひたることになるのだろう。