佐々木俊尚さんの「グーグル Google――既存のビジネスを破壊する」がとてもおもしろかった。ネット上のレビューをいくつか読んでいるうち、これと双璧をほこる売上げをしめしたのが、梅田さんの「ウェブ進化論」だというふうにたぐるのは容易である。
最初に手に入れたのは「ウェブ時代をゆく」だった。しかし、読み出してすぐに「ウェブ進化論」からさきに読まねばならないと、気がついた。
ひとつの本が、つぎの本をつれてくる。あるいは、一人の人間が、つぎの人間をつれてくる。そうして、知や趣味嗜好の連鎖が構築されてくるのだ。
いまさらいうまでもなく、この社会に生きている以上、すべての人間が、そういったネットワークの一構成員として存在している。
ご本人がくり返しのべているように、さわやかな未来志向的オプチミズムに満ちた本である。
『インターネットが登場して10年。いま、IT関連コストの劇的な低下=「チープ革命」と技術革新により、ネット社会が地殻変動を起こし、リアル世界との関係にも大きな変化が生じている。ネット参加者の急増とグーグルが牽引する検索技術の進化は、旧来の権威をつきくずし、「知」の世界の秩序を再編成しつつある。そして、ネット上にたまった富の再分配による全く新しい経済圏も生まれてきている。このウェブ時代をどう生きるか。ブログ、ロングテール、Web2.0などの新現象を読み解きながら、大変化の本質をとらえ、変化に創造的・積極的に対処する知恵を説く、待望の書』(本書表紙裏コピー)
本書も佐々木さんの本と同じく、刊行されたのは2006年。
このコピーには、誇張はない。
読みおえて、そんな印象を持つと同時に、数年前からグーグルを中心にすすんだイノベーションの核心が、わたしのような「乗り遅れた世代」にも、じつにわかりやすく絵解きされている。なにしろ、梅田さんはインターネット社会に「住んでいる」と自称するほど、「向こう側」で過ごしている人である。一日平均、8~10時間。それはふつうのサラリーマンが会社で過ごす時間の長さと、割合そのものである。
わたしも、ウィンドウズ95の出現によって、パソコンを使うようになった。あのとき、マイクロソフトが全世界で展開した、度肝を抜くようなセールス・キャンペーンをいまでもよく覚えている。
OSによる、情報化社会の覇権を、マイクロソフトはその後着々と拡大していった。
日本語ワープロソフトは一太郎、検索ソフトは、ネットスケープをそのころは愛用していた。それを、ワード&エクスプローラに切換えたのは、いつからだろう。
またそのころから、ネットに接続されていないパソコンは、ただのワープロにすぎない、と意識しはじめた。仕事上でも、私生活でも、インターネット社会への依存度は、しだいに拡がっていった。
インターネット・イノベーション。
イノベーションの定義を思い出してみよう。
『イノベーションとは、新しい技術の発明だけではなく、新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革である。つまり、それまでのモノ、仕組みなどに対して、全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすことを指す』(Wikipedia)
本書を読んで、この「社会的に大きな変化を起こす」ということに対する理解が、ずいぶん不足していたことを痛感しないわけにはいかなかった。
「未知の世界を興奮と共に楽しむ、梅田氏の旺盛な好奇心」(平野啓一郎)を、読者の多くが評価し、本書はベストセラーとなり、まだ売れ続けているらしい。平易でわかりやすい外貌をまとってはいるが、かなり踏み込んだ分析も随所に見られ、インターネット・イノベーションの現状に対して放たれた、すぐれた解説の書と評価をうけている。
しかも、このイノベーションは、まだはじまったばかりだという。
この変革が「一身にして二生を経る」(福沢諭吉)という、明治維新のような社会の大変革かどうか、結論はまだだれにも見えてはいないし、予測もむずかしい。
インターネット情報がもの、人、金の動きを、そして意識を変えつつあるのは、いまとなっては、だれも疑いはしない。しかし、これほど楽観的でいいのか?
それが原因となって拡がる「病巣」も、わたしのもうひとつの目には見えている。
最初に破壊がすすみ、それから真の創造がくる・・・と考えておけばいいのかどうか。インターネット=バーチャル世界至上主義がもたらす人間の変容とゆがみについて、いまのわたしは梅田さんほど楽観的には、まだなれないでいる。
負の部分、あるいは暗黒面がまったくないイノベーションはありえない。
そういった否定的な側面をふくめて、プラスに転換できるのかどうか。今後、多くの議論と試行錯誤が必要であると思っている。
評価:★★★★☆(4.5)
最初に手に入れたのは「ウェブ時代をゆく」だった。しかし、読み出してすぐに「ウェブ進化論」からさきに読まねばならないと、気がついた。
ひとつの本が、つぎの本をつれてくる。あるいは、一人の人間が、つぎの人間をつれてくる。そうして、知や趣味嗜好の連鎖が構築されてくるのだ。
いまさらいうまでもなく、この社会に生きている以上、すべての人間が、そういったネットワークの一構成員として存在している。
ご本人がくり返しのべているように、さわやかな未来志向的オプチミズムに満ちた本である。
『インターネットが登場して10年。いま、IT関連コストの劇的な低下=「チープ革命」と技術革新により、ネット社会が地殻変動を起こし、リアル世界との関係にも大きな変化が生じている。ネット参加者の急増とグーグルが牽引する検索技術の進化は、旧来の権威をつきくずし、「知」の世界の秩序を再編成しつつある。そして、ネット上にたまった富の再分配による全く新しい経済圏も生まれてきている。このウェブ時代をどう生きるか。ブログ、ロングテール、Web2.0などの新現象を読み解きながら、大変化の本質をとらえ、変化に創造的・積極的に対処する知恵を説く、待望の書』(本書表紙裏コピー)
本書も佐々木さんの本と同じく、刊行されたのは2006年。
このコピーには、誇張はない。
読みおえて、そんな印象を持つと同時に、数年前からグーグルを中心にすすんだイノベーションの核心が、わたしのような「乗り遅れた世代」にも、じつにわかりやすく絵解きされている。なにしろ、梅田さんはインターネット社会に「住んでいる」と自称するほど、「向こう側」で過ごしている人である。一日平均、8~10時間。それはふつうのサラリーマンが会社で過ごす時間の長さと、割合そのものである。
わたしも、ウィンドウズ95の出現によって、パソコンを使うようになった。あのとき、マイクロソフトが全世界で展開した、度肝を抜くようなセールス・キャンペーンをいまでもよく覚えている。
OSによる、情報化社会の覇権を、マイクロソフトはその後着々と拡大していった。
日本語ワープロソフトは一太郎、検索ソフトは、ネットスケープをそのころは愛用していた。それを、ワード&エクスプローラに切換えたのは、いつからだろう。
またそのころから、ネットに接続されていないパソコンは、ただのワープロにすぎない、と意識しはじめた。仕事上でも、私生活でも、インターネット社会への依存度は、しだいに拡がっていった。
インターネット・イノベーション。
イノベーションの定義を思い出してみよう。
『イノベーションとは、新しい技術の発明だけではなく、新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革である。つまり、それまでのモノ、仕組みなどに対して、全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすことを指す』(Wikipedia)
本書を読んで、この「社会的に大きな変化を起こす」ということに対する理解が、ずいぶん不足していたことを痛感しないわけにはいかなかった。
「未知の世界を興奮と共に楽しむ、梅田氏の旺盛な好奇心」(平野啓一郎)を、読者の多くが評価し、本書はベストセラーとなり、まだ売れ続けているらしい。平易でわかりやすい外貌をまとってはいるが、かなり踏み込んだ分析も随所に見られ、インターネット・イノベーションの現状に対して放たれた、すぐれた解説の書と評価をうけている。
しかも、このイノベーションは、まだはじまったばかりだという。
この変革が「一身にして二生を経る」(福沢諭吉)という、明治維新のような社会の大変革かどうか、結論はまだだれにも見えてはいないし、予測もむずかしい。
インターネット情報がもの、人、金の動きを、そして意識を変えつつあるのは、いまとなっては、だれも疑いはしない。しかし、これほど楽観的でいいのか?
それが原因となって拡がる「病巣」も、わたしのもうひとつの目には見えている。
最初に破壊がすすみ、それから真の創造がくる・・・と考えておけばいいのかどうか。インターネット=バーチャル世界至上主義がもたらす人間の変容とゆがみについて、いまのわたしは梅田さんほど楽観的には、まだなれないでいる。
負の部分、あるいは暗黒面がまったくないイノベーションはありえない。
そういった否定的な側面をふくめて、プラスに転換できるのかどうか。今後、多くの議論と試行錯誤が必要であると思っている。
評価:★★★★☆(4.5)