二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

雨の日には写真集を

2011年05月11日 | Blog & Photo
最近の三毛ネコ=syugenの日記、出来事と日付が1日ずれている。
ここらで追いつておこうという思惑があって、もういっぺん書いてアップしよう。
――ま、わたしのことだから、すぐにまた、1日2日ずれていくとは思うけれど(=_=)

CX4を知り合いから譲り受けた3月中ごろから、ふたたび、いやみたび、森山大道熱が高くなってきている。
いまさら、とお思いの方もおられるだろう。
しかし、21世紀になって、森山さんへの評価の声はますます拡がり、写真集の刊行、リメイクがあいついでいる。
「光と影」1982年 冬樹社刊
「サンパウロ」 2009年 講談社刊



「サンパウロ」をはじめて手にしたときのわたしの感想は芳しいものではなかった。
「森山さん、たまにはつまらん写真を撮るなあ」
同じ講談社版でも「ブエノスアイレス」のほうは、数回見ているうちに、手がかりがつかめ、そのあたりをテコにして、ぐっと潜り込むことができたのに、「サンパウロ」は、おもしろくないのである。2週間ばかり前に、ほかに欲しい本がなかったので、買ってきて、リビングの床に放置。

それからしばくして、クルマに積んで、ヒマがあるとぱらぱら。
他の写真集や写真論を眺めたり読んだりあと、また手にしてぱらぱら。
そんなことをくり返していたけれど、夕べはこの1冊を枕辺に置いて眠りについた。
アルコールが切れると、深夜によく眼を覚ます。
昨夜もそうだったので、この本を、1ページ、1ページ見ていった。
そうして、それがやってきた。
胸騒ぎ・・・のようなものかも知れない。
感動・・・のようなものかも知れない。
悪夢・・・のようなものかも知れない。
疑惑であり、問いかけであり、耳鳴りであり、追想であり、そして、写真への情熱のようなものである。

1冊の本がもたらす衝撃は、深い波動となって押し寄せ、わたしの胸をゆるがす。
人間とはなんとまあ、無惨な存在だろうというおもいと、その反対のおもいが、1ページごとに、目まぐるしく交錯する。シャッターを押した、まさにその瞬間に森山さんの網膜の端っこをかすめてすぎた、見知らぬ大都会の人間の群れ。
こんなふうに、大都市の群衆と真っ向から向かい合ったその気合いの凄みがつたわってくるのだ。






こちらは、ご存じウィリアム・クライン「ニューヨーク」のリメイク本(1995年英語版)。
「ニューヨーク」の初版は1954年に刊行されている。
つぎのクローズアップ。左は初版刊行当時の、右はこの再編集された「ニューヨーク」刊行当時のクラインである。この2枚のあいだに、約30年の歳月が横たわっている。



地獄とは他者のことである、という意味の名言を吐いたのは、たしかサルトルさんだったな。しかし・・・そこから、しばらくは眼がはなせず、食い入るように凝視したくなるのはなぜだろう?

結果として“一発屋”になってしまった、クラインやロバート・フランク。
そして多くの写真集に取り囲まれた森山大道さん。
森山風の写真を撮りたいとはおもわないけれど(いや、撮れはしないよ、むろん)、一読者として、当分は彼の現在から眼がはなせない。
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