■吉村昭「陸奥爆沈」新潮文庫(昭和54年刊 原本は昭和45年新潮社)
筆者吉村さんは、あとがき冒頭でこう述べておられる。
《長い旅であった。闇に塗り込められたトンネルを手さぐりで進むような日々であった。それだけに書き終えた時、疲労とともに満足感にもひたった。
その後原稿の推敲をすすめる間、私は、しきりに妙なものを書いたという感慨にとらえられた。この作品は、一般の小説形式とは異なって、私自身が陸奥爆沈という対象にむかって模索する過程をえがいているが、この作品の場合、このような形式をとるのが自然だったと今でも思っている》(現行版275ページ)
爆沈とは、爆発沈没のこと。巨大戦艦なので、1000人を超える乗組員がいる。彼らのおよそ9割は戦艦とともに海の底に引きずりこまれる。だれが考えたって、大災害である。
「戦艦陸奥」はなぜ爆沈したのか!?
それがこの「陸奥爆沈」の最大テーマ。
しかし、根底には「人間とはなにか」という、もっと普遍的なテーマが横たわっている。
読み終えたあと、感動のあらしが待っている。それは胃をこがすほど苦く、くらい闇と同居している。
吉村さんの“あくまで真実を”という呻き声が聞こえる。そして「人間とはなにか」と、くり返し、くり返し問うている。うむむ、感動しました・・・といってすまされる問題ではなく、吉村昭は重い荷物を肩に背負って、少しよろめきながら歩いてゆく。
そういう意味で「長い旅」であった、というのだ。
《連合軍の反攻つのる昭和18年6月、戦艦「陸奥」は突然の大音響と共に瀬戸内海の海底に沈んだ。死者1121名という大惨事であった。謀略説、自然発火説等が入り乱れる爆沈の謎を探るうち、著者の前には、帝国海軍の栄光のかげにくろぐろと横たわる軍艦事故の系譜が浮びあがった。堅牢な軍艦の内部にうごめく人間たちのドラマを掘り起す、衝撃の書下ろし長編ドキュメンタリイ小説。》BOOKデータベースより引用
「一般の小説形式とは異なって、私自身が陸奥爆沈という対象にむかって模索する過程をえがいている」と、あとがきで真率な感想を吐露しておられる。語り手の“私”は、そのまま著者の吉村昭である(。-ω-)
死者1121名という大惨事。
これが現在だったら、世界的な大ニュースになる。しかし、海軍は家族にも知らせることなく厳しくこと事実を秘匿した。読みすすむにつれて、軍国主義の残酷さがあらわになるが、吉村さんは告発しているのではない。普段は見えない深いところまで(最深部といっていいだろう)、作者の表現は届いている。
(文庫に添付された「沈座状態推定図」のコピー)
そうか、陸奥爆沈とは、こういうことであったか!
《爆沈時の乗組員数
死者(行方不明者を含む)
准士官以上 73名 53名
下士官・兵・傭人 1248名 929名
余暇練習生 153名 139名 》
これが人的被害の全容である。
つぎの一節も、少々長いが引用せずにはいられない。
《艦長夫人三好近江さんは、
「爆沈した前日、新たに「扶桑」の艦長となられた鶴岡信道大佐が「陸奥」に新任の挨拶に来られ、その答礼として爆沈日に三好が「扶桑」に行ったそうです。鶴岡さんは三好に昼食を共にしようと引きとめたのだそうですが、三好は、留守にもできぬからといって「陸奥」にもどって、あの事故にあったのです。私は三好が「陸奥」にもどってくれて、本当によかったと思っています。もし留守中にあんな事故が起きたら、三好も艦長として生きてはおられなかったでしょう。私がこのように遺族の方々に親しくさせていただけるのも、三好が事故当時「陸奥」にいてくれたからなのです」
と、淡々とした表情で語った。
私は、夫人の言葉を美しいと思った。誠実に生きている人を、私はみた。》(本書265~6ページ)
引用文を書き写しながら、わたしは何度も目頭を押さえぬわけにはいかなかった。
この三好夫人のことばがなかったら、「陸奥爆沈を読んだ者は激しい人間不信にかられただろう。陳腐な例えだが、まさに泥田の中の蓮の花である。
よくぞ書きとめてくれた、吉村さん・・・と感謝を捧げたい(´Д`;)
明治に日本海軍が創設されて以来、爆沈事故は多くの犠牲者を出してきた。あの日露戦争で有名となった三笠さえ、二度に渡って大事故(一度目は爆沈)に見舞われている。その大部分は、乗組員による火薬庫への放火だという。
吉村さんは、その一つひとつを、史料を基に子細に検証しておられる。当時の事情をよく知る人たちや、多くの研究者に会って、話をお聞きし、メモを取ったり、テープに録音したりと、高い梯子を、一歩また一歩と攀じのぼっていく過程が、この作品で描かれていく。
作家の頭脳とペンのあいだから、荒れ狂う時代の波頭が砕け散り、白い飛沫が飛ぶ。
まさに掛け値なしの、傑作ノンフィクション!
書きたいことはまだまだあるが、長くなってしまうため、以下省略。
評価:☆☆☆☆☆
※終わりの3枚はネット検索からいただき、多少レタッチしてあります。著作権その他、問題がありましたらご連絡下さいませ。
筆者吉村さんは、あとがき冒頭でこう述べておられる。
《長い旅であった。闇に塗り込められたトンネルを手さぐりで進むような日々であった。それだけに書き終えた時、疲労とともに満足感にもひたった。
その後原稿の推敲をすすめる間、私は、しきりに妙なものを書いたという感慨にとらえられた。この作品は、一般の小説形式とは異なって、私自身が陸奥爆沈という対象にむかって模索する過程をえがいているが、この作品の場合、このような形式をとるのが自然だったと今でも思っている》(現行版275ページ)
爆沈とは、爆発沈没のこと。巨大戦艦なので、1000人を超える乗組員がいる。彼らのおよそ9割は戦艦とともに海の底に引きずりこまれる。だれが考えたって、大災害である。
「戦艦陸奥」はなぜ爆沈したのか!?
それがこの「陸奥爆沈」の最大テーマ。
しかし、根底には「人間とはなにか」という、もっと普遍的なテーマが横たわっている。
読み終えたあと、感動のあらしが待っている。それは胃をこがすほど苦く、くらい闇と同居している。
吉村さんの“あくまで真実を”という呻き声が聞こえる。そして「人間とはなにか」と、くり返し、くり返し問うている。うむむ、感動しました・・・といってすまされる問題ではなく、吉村昭は重い荷物を肩に背負って、少しよろめきながら歩いてゆく。
そういう意味で「長い旅」であった、というのだ。
《連合軍の反攻つのる昭和18年6月、戦艦「陸奥」は突然の大音響と共に瀬戸内海の海底に沈んだ。死者1121名という大惨事であった。謀略説、自然発火説等が入り乱れる爆沈の謎を探るうち、著者の前には、帝国海軍の栄光のかげにくろぐろと横たわる軍艦事故の系譜が浮びあがった。堅牢な軍艦の内部にうごめく人間たちのドラマを掘り起す、衝撃の書下ろし長編ドキュメンタリイ小説。》BOOKデータベースより引用
「一般の小説形式とは異なって、私自身が陸奥爆沈という対象にむかって模索する過程をえがいている」と、あとがきで真率な感想を吐露しておられる。語り手の“私”は、そのまま著者の吉村昭である(。-ω-)
死者1121名という大惨事。
これが現在だったら、世界的な大ニュースになる。しかし、海軍は家族にも知らせることなく厳しくこと事実を秘匿した。読みすすむにつれて、軍国主義の残酷さがあらわになるが、吉村さんは告発しているのではない。普段は見えない深いところまで(最深部といっていいだろう)、作者の表現は届いている。
(文庫に添付された「沈座状態推定図」のコピー)
そうか、陸奥爆沈とは、こういうことであったか!
《爆沈時の乗組員数
死者(行方不明者を含む)
准士官以上 73名 53名
下士官・兵・傭人 1248名 929名
余暇練習生 153名 139名 》
これが人的被害の全容である。
つぎの一節も、少々長いが引用せずにはいられない。
《艦長夫人三好近江さんは、
「爆沈した前日、新たに「扶桑」の艦長となられた鶴岡信道大佐が「陸奥」に新任の挨拶に来られ、その答礼として爆沈日に三好が「扶桑」に行ったそうです。鶴岡さんは三好に昼食を共にしようと引きとめたのだそうですが、三好は、留守にもできぬからといって「陸奥」にもどって、あの事故にあったのです。私は三好が「陸奥」にもどってくれて、本当によかったと思っています。もし留守中にあんな事故が起きたら、三好も艦長として生きてはおられなかったでしょう。私がこのように遺族の方々に親しくさせていただけるのも、三好が事故当時「陸奥」にいてくれたからなのです」
と、淡々とした表情で語った。
私は、夫人の言葉を美しいと思った。誠実に生きている人を、私はみた。》(本書265~6ページ)
引用文を書き写しながら、わたしは何度も目頭を押さえぬわけにはいかなかった。
この三好夫人のことばがなかったら、「陸奥爆沈を読んだ者は激しい人間不信にかられただろう。陳腐な例えだが、まさに泥田の中の蓮の花である。
よくぞ書きとめてくれた、吉村さん・・・と感謝を捧げたい(´Д`;)
明治に日本海軍が創設されて以来、爆沈事故は多くの犠牲者を出してきた。あの日露戦争で有名となった三笠さえ、二度に渡って大事故(一度目は爆沈)に見舞われている。その大部分は、乗組員による火薬庫への放火だという。
吉村さんは、その一つひとつを、史料を基に子細に検証しておられる。当時の事情をよく知る人たちや、多くの研究者に会って、話をお聞きし、メモを取ったり、テープに録音したりと、高い梯子を、一歩また一歩と攀じのぼっていく過程が、この作品で描かれていく。
作家の頭脳とペンのあいだから、荒れ狂う時代の波頭が砕け散り、白い飛沫が飛ぶ。
まさに掛け値なしの、傑作ノンフィクション!
書きたいことはまだまだあるが、長くなってしまうため、以下省略。
評価:☆☆☆☆☆
※終わりの3枚はネット検索からいただき、多少レタッチしてあります。著作権その他、問題がありましたらご連絡下さいませ。